大湯鉄道物語 監査役 二宮吉之丞 とカンカン帽 | 由布市商工会 挾間支所のブログ

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大湯鉄道物語 監査役 二宮吉之丞とカンカン帽

大湯鉄道の役員を紹介します
今回は、二宮吉之丞さん
この方も明治大正の大分県にとって大変な功績を残された方です
ミスター世話人(私の命名です)

大湯鉄道では、創立時からかかわっており
大正2年大湯鉄道設立時の監査役で大正11年の鉄道省への売却まで常に役員をされております
国鉄化の最後の仕事は、大湯鉄道株式会社の精算人を佐藤官吉さんらとともに請け負いました

大分市大道町の方で、100株の株主です
大湯鉄道監査役のほかに、大分窯業取締役

では、大分県の発展に何をしたのかです

豊後の特産品に青表(七島ムシロ)がありました
豊後府内藩の専売で藩の財政を支えた特産物です
よほど儲かっていたのでしょう
明治になり藩の重役だった方が会社組織として
取り扱うようになりますが、うまくいきませんでした
当時の主な販売先は大阪や関西方面
しかし原材料として出荷していたので、相場の影響を受けたり
安く買い叩かれたりと、地元の大分郡(現大分市・由布市)の農家の方へは
全く利益が回っていませんでした
そんな農家の窮状をなんとかしようとしたのが二宮吉之丞さんです

まず考えたのが、原材料の販売ではなく製品として販売すれば
市場に左右されること無く利益が上げられるだろう
地元農家の生活も少しは楽にできるだろう
そこで考えたのが麦藁帽子の製造です
大湯鉄道物語 二宮吉之丞のカンカン帽
これが大当たりします
上の写真は、大正時代大流行したカンカン帽

大湯鉄道 大正初期の賀来の市
大正時代初期の賀来の市の様子
当時の流行の最先端です
大道町に二宮帽子店を開店、飛ぶように売れたそうです

次に行ったのが、大分魚市場の開設
魚の市場も藩政時代には藩の専売制で、御用市場を大分市魚町に開き
莫大な利益を独占していました
それが明治に入り、今度は藩の有力者だった方が個人事業として独占します
それに反発が起き、たくさんの問屋が誕生しました
互いに激しい競争を繰り返し、ついに魚屋や仲買人を巻き込み魚市場は大混乱になります
そこで、これではいけないと世話人をかって出たのが吉之丞さんです
大分魚市場株式会社を設立し常務に就任します
(大湯鉄道開通時には、息子の二宮金一郎氏が大分魚市場社長)
大分魚市場は、今のみずほ銀行の裏手あたりにあり
当時はまだ堀川の船着場がここまでありました
人家もまばらだった魚町も、大分魚市場の活況とともに
小売の店も増え、浜町一帯にかけ一気ににぎやかになったそうです

またあるとき行ったのは、大分市原川口に海苔の養殖棚を作ったこと
大正時代はじめ、まだ大分では誰も行っていなかった海苔の生産を、
当時不振であった漁業の挽回策として、向原や萩原沖の漁業家に積極的に勧め
反対する漁業家を説き伏せて認可申請までして回ったそうです


晩年 吉之丞さんは、大湯鉄道開通に何を夢見たのでしょうか
大湯鉄道の駅は、大分郡内の農産品の集出荷拠点となり
まずしかった大分川沿いの人々の暮らしはずいぶんと良くなりました

写真は賀来中島在住の大津留寛郎氏所蔵です

他の役員
社長 小野駿一はこちら
副社長 佐藤庫喜はこちら
役員 根津嘉一郎はこちら
役員 佐藤官吉はこちら
役員 立川甬はこちら
役員 三浦数平はこちら
役員 半澤宗はこちら
監査役 小野昂はこちら
監査役 小野真一はこちら

追記
2014-11-11 二宮吉之丞さんのお写真を掲載しました