本日は、大湯鉄道株式会社 代表取締役社長 小野駿一氏をご紹介します
大湯鉄道株式会社 創立時役員リスト
「藍は藍より出でて藍より青し」
明治15年、大分町(大分市古国府)の大変な資産家の家に生まれます。
尋常でない資産家の家系では、二代目が大概なにかやらかすものですが、
先代の名声、資産をそっくり収め、先代に倍する羨望を集め、
そして実業家としての資質は先代以上と大変な評価を得ている方です。
「以って一般富豪の子弟視するが如きは、誤りである」
大正時代の実業家名鑑には小野駿一さんのことをそう評しています。
この小野駿一さん、大湯鉄道株式会社の社長でございますが、大分銀行頭取という方が
世間には、はるかに通るかと思います。
明治36年、早稲田大学卒業、そのまま早稲田大学で教鞭を執ります。
明治41年7月、若干26歳にして大分銀行取締りに就任。
明治45年6月、30歳で大分銀行専務取締役
大正2年8月、31歳 大湯鉄道株式会社社長
大正4年8月、33歳で大分銀行頭取になる
しかも大正5年の全国資産家調査では大分県で
大湯鉄道社長以外にも、豊州瓦斯株式会社(ガス)社長、日東護謨株式会社(ゴム)社長
大分県農工銀行頭取、大分(小野)セメント社長、小野汽船会社社長
別府観海寺土地開発会社顧問、国東鉄道監査役など、大分銀行閥を形成した資本家です。
才能あふれる人は、とことん持ってます。
専攻は、政治経済学。明治42年「貨幣論」の本を著しています。
●小野駿一さんについては、現在調査続行中です。
追加2014.01.20 大湯鉄道社長小野駿一のことば
父は、小野吉彦。衆議院議員、大分県会議員副議長2期、大分銀行設立時監査役、大分銀行第2代頭取、大分県農工銀行初代頭取、明治15年の立憲改進党の結成に設立準備委員として参加。小原正朝らと「大分新聞」を創刊。
修正2014.03.22 小野俊一さんは全国資産家調査で大分県9位でした
小野家に由来のある作家 林房雄