大湯鉄道物語 大湯線機関車爆発事故 | 由布市商工会 挾間支所のブログ

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大湯鉄道物語

省線となった大湯鉄道の大湯線での、機関車爆発事故
大湯線 機関車爆発事故

昭和5年4月6日 正午頃
大湯線鬼瀬-小野屋間を走行中の、湯布院行き普通列車(5両編成)が、機関車爆発事故を起こします。
当時は機関車を反転させる転車台がなく、湯布院方面から大分行きは機関車は正面を向いて走るが、大分から湯布院方面行きは機関車が後ろ向きで後進牽引をしていました。
石炭や水を積んだ炭水車、機関車、客車の順です。

その機関車が鬼瀬駅を出発、櫟木の勾配を登ろうとした時、機関車が爆発します。
後進牽引だったため、機関車正面には客車があり、噴出した蒸気が客車にまともに吹き込みました。
一両目の乗客25名中、23名が死亡する大事故になります。

原因は、給水不足によることによる機関車爆発。
機関士および機関助手は水量確認を怠ったという過失で有罪判決となります。

しかし事故の直接の原因までは解明できませんでした。
機関車には、空焚きを防ぐ安全弁がついています。
これがどうも作動しなかったのでないか、部品の不良品だった可能性が指摘されています。

また高温だとはいえ、ただ水蒸気が吹き込んだだけで、乗客23名も死亡するのか?
挾間町の記録には、なくなった23名はみんな一様に真っ黒に焼け焦げ、皮膚はただれていたそうです。
当時からただの爆発事故ではないとうわさされたと聞いたことがあります。

当時の証言には、「2回爆音を聞いた」という方がいらっしゃるようです。
また、爆発周辺の草木も一様に黒くこげていたそうです。

どなたかが調べていましたが、これは機関車から客車に高温の水蒸気ガスが吹き込み、
なんらかの(タバコとか)火気に引火した水蒸気爆発ではないかとおっしゃっていました。

とにかく当時は機関車の爆発事故で、なぜこれほどの方がなくなったのか分からず、
大事故として報じられました。
そして、この事故をきっかけにして、全国で後進牽引が禁止されて行きます。

その後、玖珠では転車台設置の運動があり、昭和9年豊後森に転車台が設置されます。

これも大湯鉄道、大湯線の歴史です。

路線も微妙に変わっており正確な位地は特定できませんが、今はお亡くなりになった慶福寺の前の住職が生前、滝の上とおっしゃってらしたそうです。池の上から100mほど庄内よりで小さな滝を越します。そのあたりでしょう。
事故現場位置の特定

事故現場付近の現在の様子(国道210号線沿い)
大湯線 機関車爆発事故

大湯線 機関車爆発事故

この前にも、昭和4年1月4日、大分-南大分間(現在の古国府駅付近)で列車が脱線し、そのまま100mほど走って転覆するという事故があり23名が重軽傷する事故が起こっています。
多くの鉄道関係者の皆様のたゆまぬ努力のおかげで、いま安全安心な鉄道移動ができることに感謝したいと思います。

追記2014.4.26 事故現場位置の特定