大湯鉄道物語 大湯鉄道役員 立川甬 | 由布市商工会 挾間支所のブログ

由布市商工会 挾間支所のブログ

大分県由布市挾間町の商工会支所のブログです。
挾間・庄内・湯布院にぜひお越しください。

大湯鉄道物語 大湯鉄道株式会社役員 立川甬

立川甬(たつかわとおる)さんをご紹介します。

甬さんは、大湯鉄道構想を発案した発起人です。
南由布村(由布市湯布院町川南平あるいは湯布院町中川平※1)出身。

若い頃、大志を抱いて上京し、「明治の鉄道王」雨宮敬次郎さんに師事した方です。
甲武鉄道(現在のJR中央本線)など、雨宮氏の全国各地の鉄道建設をまじかに見、鉄道建設の重要性を痛感。
いつの日か故郷にも鉄道をと志を抱きます。

明治44年(1909)1月、雨宮氏が亡くなると、郷里南由布村の発展を願い大湯鉄道構想を実行に移します。

折りしも明治44年11月大分市まで、豊州線が開通。明治43年の軽便鉄道法施行により、
地元でも大分川沿いに軽便鉄道建設の機運が高まっていました。

大正元年(1911)11月15日、大湯鉄道が許可される。
大正2年3月、立川甬さんを発起人に発起人会が発足。
同年3月30日、創立委員会が発足。創立委員長に小野駿一、委員に佐藤庫喜・官吉、三浦数平、立川甬と沿線村落の代表、全16名。
同年8月25日、大湯鉄道株式会社設立。甬さんは同社取締役に就任します。

大湯鉄道を走る蒸気機関車は、東武鉄道から購入した機関車。
甲州財閥系の雨宮氏により鉄道事業に乗り出した東武鉄道社長根津嘉一郎さんを、
大湯鉄道役員に迎えたのも、甬さんの旧知によるものではないでしょうか。
根津嘉一郎さんは、副社長佐藤庫喜さんとも共に帝国議会衆議院議員として軽便鉄道法の成立にかかわっておりますので、大湯鉄道にはご縁の深い方であります。

開業時まで雨宮氏が存命であれば、雨宮工作所製の機関車が走っていたかもしれません。


豊後人と甲州人は何かもっと深い縁があるのでしょうか。
甲州財閥系辻信太郎氏のサンリオ「ハーモニーランド」も大分県にあります。

大湯鉄道物語 大湯一号
大湯鉄道購入前の大湯1号
寺島京一氏複写 近藤一郎氏所蔵

大湯鉄道株式会社役員相関図

2014-05-03追記 湯布院町史より
当初、雨宮敬次郎氏の書生(住み込みで勉学をしながら家事などを手伝う)となる
その後アメリカ留学をしたとある
東武鉄道創立時、創立事務主任
2015-08-23追記 立川とおる氏の経歴

※1 由布市立由布院幼稚園の横の天満社のすぐ隣、由布市コミュニティーバスたいら乗場そば
  立川さんの石碑があります