大湯鉄道物語 大湯鉄道役員 第2代大分市長 三浦数平 | 由布市商工会 挾間支所のブログ

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大湯鉄道物語 大湯鉄道株式会社役員 三浦数平

とてもローカルなお話ですが、お付き合いください。

大湯鉄道株式会社の役員 三浦数平さんを紹介します。

数平(かずへい)さんは、大分市田中町のご出身です。
大湯鉄道開業時は、大分県議会議員であり弁護士であり特許弁理士です。
大正2年大分屠場株式会社(屠殺場)社長
大正4年大分自働車株式会社社長

そして、社長小野駿一さんが大湯鉄道社長就任後、大分銀行頭取になられたように
すぐに第2代大分市長になられます。
数平さんの市長としての功績は、大分市の下水道を完成させたこと。
数平さんは、その後8年間の市政の後、大正15年衆議院議員になられた方です。

南大分界隈では、市長時代の数平さんのご自宅をこうよんでいました。
「市長御殿」
いまの福徳学院高校の台地の上に赤い瓦の洋館が一際目を引き、
数平さんの豪放で庶民的な人柄もあって、南大分の人たちの自慢でもあったそうです。

福徳学院高校の前進、城南女学院の初代理事長でもあります。

大湯鉄道物語 役員 三浦数平
画像はウィキペディアより著作権保護期間満了の画像として引用

社長 小野駿一はこちら
副社長 佐藤庫喜はこちら
役員 根津嘉一郎はこちら
役員 佐藤官吉はこちら
役員 立川甬はこちら
役員 半澤宗はこちら
監査役 小野昂はこちら
監査役 大橋庄一はこちら
監査役・大湯鉄道精算人 二宮吉之丞
大正5年2月から監査役 小野真一はこちら

近代史では、息子の三浦義一さんの方が超がつく有名人です。戦前は軍部や政財界に強いコネを持ち、東條英機と懇意でした。戦後は自らも戦犯でしたが東條家の世話を見、昭電事件でGHQに影響力を持つと、三井家を救済します。