とてもローカルなお話ですが、お付き合いください。
大湯鉄道株式会社の役員 三浦数平さんを紹介します。
数平(かずへい)さんは、大分市田中町のご出身です。
大湯鉄道開業時は、大分県議会議員であり弁護士であり特許弁理士です。
大正2年大分屠場株式会社(屠殺場)社長
大正4年大分自働車株式会社社長
そして、社長小野駿一さんが大湯鉄道社長就任後、大分銀行頭取になられたように
すぐに第2代大分市長になられます。
数平さんの市長としての功績は、大分市の下水道を完成させたこと。
数平さんは、その後8年間の市政の後、大正15年衆議院議員になられた方です。
南大分界隈では、市長時代の数平さんのご自宅をこうよんでいました。
「市長御殿」
いまの福徳学院高校の台地の上に赤い瓦の洋館が一際目を引き、
数平さんの豪放で庶民的な人柄もあって、南大分の人たちの自慢でもあったそうです。
福徳学院高校の前進、城南女学院の初代理事長でもあります。
![大湯鉄道物語 役員 三浦数平](https://stat.ameba.jp/user_images/20140320/14/hasama-shokokai/51/38/j/t02200329_0314046912881081454.jpg?caw=800)
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社長 小野駿一はこちら
副社長 佐藤庫喜はこちら
役員 根津嘉一郎はこちら
役員 佐藤官吉はこちら
役員 立川甬はこちら
役員 半澤宗はこちら
監査役 小野昂はこちら
監査役 大橋庄一はこちら
監査役・大湯鉄道精算人 二宮吉之丞
大正5年2月から監査役 小野真一はこちら
近代史では、息子の三浦義一さんの方が超がつく有名人です。戦前は軍部や政財界に強いコネを持ち、東條英機と懇意でした。戦後は自らも戦犯でしたが東條家の世話を見、昭電事件でGHQに影響力を持つと、三井家を救済します。