大湯鉄道株式会社 監査役 大橋庄一氏について
大湯鉄道の発足に向けて地元挾間村で尽力された方です
地域の有力者が、大湯鉄道事業に参画し、それぞれの地元に「駅」を誘致していったように
向之原駅を現在地に決定させたことは大橋さんの功績として顕彰して良いと考えています
大橋さんについては、不明な部分が多く
これまであまり触れていませんでした
よくわからないなりに記録を残しておけば
後世の役に立つかもしれないので、ここまでわかっていることを
記録しておきます
大正2年9月2日設立発起した当時の、大湯鉄道株式会社の監査役です
しかし大正4年の大湯鉄道開通を待たず、大正3年2月19日監査役を辞任しています
辞任理由は不明です
持ち株は、他の主だった役員とおなじ100株保有
地元挾間村の名士、かつ大分県でも富裕層に入る資産家であったことがわかります
現在、由布市挾間町の旧挾間村域に大橋姓の方はいません
よってこの大橋さんの追跡調査は、現時点では不可能です
わかっていることは、大橋庄一さんのお住まいが、現在の挾間小学校の校舎地であるということです
挾間町向原字館(やかた)、ここはかつて大友宗麟時代の挾間氏の館跡です
挾間小学校について
明治7年(1874年)3月に、赤野学校から龍祥寺西側に移転改称した挾間学校が開校元年とされています
その後、向ノ原80番地(現在の仲元寺畳店さん付近)に移転し挾間尋常小学校となります
また1890年には、周辺の5つの村立で挾間高等小学校が、向原商店街と駅の交差点の角(現在の商工会駐車場)に設立されます。
明治25年(1892年)に、この2校を統合して挾間尋常高等小学校となります
そして大正8年6月(1919年)、現在地(大橋家敷地)に新築移転しています
大湯鉄道の他の役員の皆さんには、石碑や顕彰碑、末裔の方がいらっしゃって、その偉業を偲ぶことができるのですが、今回の大橋さんと、南由布村の監査役、立川千穐さんについては、その足跡をたどれていません
しかし大正期、この挾間の発展にとって重要な役割を果たした「人物」であったことは間違いありません
社長 小野駿一はこちら
副社長 佐藤庫喜はこちら
役員 根津嘉一郎はこちら
役員 佐藤官吉はこちら
役員 三浦数平はこちら
役員 半澤宗はこちら
監査役 小野昂はこちら
監査役・大湯鉄道精算人 二宮吉之丞
大正5年2月から監査役 小野真一はこちら
※大橋邸の所在地根拠となる資料は、100年程前の向原商店街の屋号や所有者を記した図面からです
ただしあまりに詳細のため、現世代に影響する懸念を考えた所有者の希望により非公開です
いつの日か公開できるように活動を続けて行きたいと思います