大湯鉄道 大正5年2月からの監査役、小野真一と賀来村 | 由布市商工会 挾間支所のブログ

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大湯鉄道物語 監査役、小野真一と賀来村

大湯鉄道株式会社と賀来村の関係を見てまいります
大湯鉄道株式会社に、地元大分市・由布市からも多くの個人が
株主として参画しておりますが、100株以上の大株主が全体の30%近く所有していました

その中で、賀来村(現大分市)の大株主を紹介します
大湯鉄道株主 小野真一、小野辰三
昭和28年の賀来中島下通り、まっすぐ行くと賀来神社です
手前の後ろが賀来橋

より大きな地図で 大湯鉄道の駅・停留所 を表示

大正5年2月の報告書に登場する、監査役 小野真一さん(賀来村、200株、日東護謨株式会社監査役、日東採炭株式会社取締役)
賀来村の資産家で賀来神社横の賀来中島下通りにお住まいだった方です
なんでも金貸し業も営んでいたらしく、現在の食やまむらさんに土地建物を売却した際、
大量の証文が納屋から出てきたそうです。
残念ながらそれらの貴重な資料は、すぐに焼却されてしまったそうです
いまからみれば大変貴重な資料ですが、当時は表に出ては困る方がたくさんいたのでしょう
当時は、金融業もまだ誕生したばかり。
大分県内にも村ごとに無数の金貸し業が生まれました
それが次第に吸収合併を繰り返し、大正時代末には小野駿一さんの大分銀行系と長野善吉率いる二十三銀行系に集約されていきます。
この小野真一さんも大分銀行系の資産家として活躍された方ですね

もう一人
大湯鉄道創設時からの大株主、小野辰三(賀来村、200株、酒造業)
大湯鉄道の創立委員にも参加していた賀来村の酒造業の方です
賀来中島下通りで酒蔵を営んでいました
歴史の深い賀来神社のすぐ前で酒造業ということは、地元でもかなりの名士であったと
考えられます
賀来村の歴史資料もよくよく調べてみたいと思います
大湯鉄道 賀来村 中島下通り
現在の賀来中島下通り

大正7年、森ノ木停留所設置
賀来周辺で大湯鉄道株式会社の停留所を新設するだけの発言力がある方といえば
この二人でしょう

賀来停留所(現賀来駅)は、当時の賀来村役場や商業集積地からも離れています
なぜ賀来停留所が、今の賀来駅の場所なのか?
地元の方の話の中に、一人の有力者の名前が挙がってきました
「宮崎家」
大湯鉄道関係者で宮崎といえば、設立時監査役宮崎龍平さんしかいないでしょう
また、その話は次回に

創立時役員リスト(一覧)
社長 小野駿一はこちら
副社長 佐藤庫喜はこちら
役員 根津嘉一郎はこちら
役員 佐藤官吉はこちら
役員 立川甬はこちら
役員 三浦数平はこちら
役員 半澤宗はこちら
監査役 小野昂はこちら
監査役 二宮吉之丞はこちら

資料協力は、大分市賀来中島地区の大津留寛郎さま、地域の貴重な歴史を写真に収めておられます
またこの情報収集は、賀来校区公民館 田村館長によりお力をお借りしました
田村館長も賀来の歴史にお詳しくまぼろしの森ノ木停留所についてもお調べいただいています