「大変、大変、大変ですっっ! セレベス先生~!!」

 聖ブルータル・モーレイ大聖堂に、今日もまた、必死の叫びがこだまする。

 いずこかの名家に仕える者らしい。地味な色合いのお仕着せらしい服を着た男が、大聖堂付属診療所に駆け込んできた。

「お待ちください。診療は順番です!」

 待合室の係りが止める間もあらばこそ、

「ことは急を要するのですっ。失礼!」

 叫びながら診察室の扉を乱暴に開く。

「セレベス先生! と、当家の婿君が、お股をッ! お股をはずされてッ。どうか急いで当家まで往診をおねがいいたします! ……ええっ!?」

 中の光景を見るなり、青年は目を丸くした。

 診察室の床、何枚か敷き広げられた藁布団の上に、数人の男の患者が、苦しげなうめき声をあげ、脂汗を流しながら横たわっている。

 貧しげな者から貴族らしい者まで身なりはさまざまな患者たちは、みな、ひとしなみに珍妙なポーズをとっていた。

 すなわち、足の指を鼻の穴に突っ込んでいる。ないしは、突っ込みかけている。そして、その格好のまま、にっちもさっちも動きがとれなくなっている。……要するに、股が、外れている。

 中には、なにを欲張ったものか、両鼻の穴に両足の指を突っ込んで、痛みと息苦しさから、顔を真紫にしている者もいた。見ているだけで頭と股が痛くなるような姿だ。

「股を外した!? またですか!?」

 部屋の中ほどで、助手に手伝わせながら、ひとりの患者の外れた股をもとに戻す手伝いをしていた司祭が、焦躁もあらわに闖入者を振り向いた。

 本人にそのつもりはないのだろうが、期せずして駄洒落を言った格好になってしまった、この司祭の名はセレベス。後進育成や祈祷式などで多忙な、師匠グラミー司祭を助けて大聖堂付属診療所を切り回している、新進の司祭にして若手ヒーラーだ。

 セレベスの、日ごろはきっちりと撫で付けて司祭帽に押し込んでいる淡い色合いの髪の毛は、今日はボサボサに乱れて、帽子からはみ出てしまっていた。乱れた毛先に、布団からはみ出た敷き藁が絡み付いている。立て続けの治療のために、身じまいを直すいとまがないのだ。セレベスは手の甲で額の汗を拭った。

「往診を望むということは、患者さんは動かせないのですね」

「は、はい。少しでもお身体に触れると、猛烈に痛がって、悶え苦しまれるので、みな、手をつかねておりまして……」

 お仕着せの男はしどろもどろに言った。セレベスは眉を寄せた。

「困りましたね……。今日はなぜだか、朝からひっきりなしに股を外した患者さんが運ばれてくるので、私もそうそう往診に出られないのです。しかし、身体に触れるだけで痛がるというのは、相当な重症だ。すぐに手当ての必要がありそうです」

「ほかにも往診を希望しておられる患者さんはいたはずです、セレベス先生」

 司祭を手伝って、患者の違えた筋をマッサージしていた見習い治癒師が、難しい顔で言った。セレベスは重々しく頷いた。

「テリエビス、ちょっと診察室を見ていてもらえますか? さっき教えたとおりの手順で、患者さんたちを順番にマッサージしてあげていてください。私はグラミー先生にお手伝いのお願いに上がります」

「わかりました」

 テリエビスと呼ばれた見習いは頷いた。セレベスは診察室を飛び出した。





「……いま、誰かの、助けを求める声が聞こえたようですが?」

 ロスマリンが言った。

 大聖堂付属イール神学校の図書室だ。つぎに書写すべき古文書について、イール神学校の長であるグラミー司祭に、美貌の導師ロスマリンは、さきほどから助言を受けている。

「気にすることはない」

 グラミー司祭は苦々しげに断じた。

「おおかた診療所に、また、怪我人が運ばれてきたのでしょう。コリドラス家の、『フレイル式』女子誕生祈願とやらを真似て、股を外してこちらに担ぎ込まれてくる輩が、最近とても多いので」

「はあ……」

 ロスマリンは怪訝そうに頷いた。グラミーは憮然と言った。

「フレイルの地には、他の地とはずいぶん違ったまじないが多く伝えられていると聞き及びますが、足の指を鼻の穴に突っ込むまじないなど、とうてい正統の術ではありえぬでしょうな。聞いたこともない」

「そうでしょうね」

「くだんの秘法をエネウス様が行ったあと、コリドラス公爵家に若姫がご誕生になったゆえ、かのまじないを行えば、我が家にも女の子を授かるに違いないと、いまや、みなが信じておる。おかげで、股の怪我が大流行だ。けしからんことです。……妙ちきりんなまじないなどよりも、我らの神聖な祈祷のほうが、姫君ご誕生にさいして効き目があったに決まっているというのに。ロスマリン殿には、ご理解いただけましょうが」

「もちろんです」

 愛想よくロスマリンはこたえた。気分をよくしたグラミー司祭が、さらに言葉を募ろうとしたときだった。

「グラミー先生、こちらにいらっしゃいましたか。お探ししました」

 図書室に声が響いた。若い司祭……セレベスが、見るからによれよれの祭服の裾を翻して駆け寄ってくる。グラミーは顔をしかめた。

「なんだね、セレベス、そのなりは。汚れた祭服など着て……。祭祀の職にある者は、信徒の範たるよう、つねに身じまいにも気を配らねばならないと教えていようが」

「恐れ入りますグラミー先生。患者さんの診察に、力をお貸し願えないでしょうか。今日はいつにも増して怪我人が多くて、手が回りません」

 セレベスは困りきった顔で言った。

「診療所にまで運ばれてきた患者さんは、なんとか診られるのですが、痛みが激しいためにその場から動かすことができずに、往診を願っている患者さんたちがおられます。できるだけ早く診てさしあげなければ、怪我がもっとひどくなってしまうかもしれない。グラミー先生、お忙しいところ申し訳ありませんが、往診をお願いできないでしょうか」

「往診? いまからかね」

 迷惑そうに、グラミーは眉を寄せる。

「どうしても引き受けねばならんかね。いま、ロスマリン殿に、学術的に大事なお話をしていたところだったのだが……」

「私でしたら、かまいませんよ。お話はまたの機会にということでも」

 ロスマリンはにこやかに口を挟む。

「……ロスマリン殿が許してくださるなら。まあ……往診を引き受けられぬでもないが……」

 グラミーはもったいをつけてうなずいた。セレベスはうれしげに手を打った。

「ああ、助かります、グラミー先生! そうと決まったら大急ぎで往診の仕度をしていただかないと!」

「うわっ、こ、こらっ、セレベス! 背を押すな! 自分で歩ける……だから、押すなというに!」

「ロスマリン先生、お仕事中お邪魔して、申し訳ありませんでした!」

 師匠グラミー大司祭の背を抱えこんで道連れにし、セレベスは猛スピードで図書室から去って行く。

 治癒師たちの去ったあと、ひとりになった図書館で。

「私の足指の秘法は、どうも世間的にはフレイルのおまじないってことになってるみたいですねえ。まあ、私はそれでも全然かまいませんけど」

 美貌の魔法使いは、笑った。





「うーん、いいお天気ですねえ」

 ひとしきり書写を終えて、大聖堂の外に出ると、午後だ。

 書写台の前に座りっぱなしの仕事を続けているせいで、身体がカチコチになっている。ロスマリンは青空に向かって、大きく伸びあがった。

 晴れた空と、そよ風と、気持ちよさそうに伸びをする美貌の導師のとりあわせ……じつにさわやかだ。見た目だけは。

「今日みたいな最高のお天気の日に、美味しいただ酒にありつけたら、もっと最高ですよね。このあいだ、デルモゲニス殿下にご下賜いただいたぶどう酒の樽は、もう飲んじゃったし、誰か、奢ってくれそうな人を探しに行きましょうか」

 どうしようもないことを呟いて、町に歩き出そうとしたときだった。

 近くで馬車から降りて、大聖堂に向かってやってくる人影を、ロスマリンは認めた。

 微笑んで、立ち止まる。

 向こうのほうでも、ロスマリンに気がついたようだ。満面の笑顔で、手を振ってきた。

「やあ、ロスマリン先生じゃないですか。お久しぶりです。書写のお仕事は休憩ですか?」

「今日はもう上がりです。エネウス様は、診療所に?」

「ええ。足はもうほとんどいいんですけど……完治するまでは、三日に一度は診療所に通うって、セレベス先生とお約束していますので」

 近衛の制服に身を包んだコリドラス・エネウスは、慎重な足取りでロスマリンに近づいてきた。股も膝もまっすぐに動いている。ロスマリンは首を傾げた。

「まだ完治ではないのですか?」

「疲れると、たまに痛むときはあります。武術の稽古を再開するお許しはいただいたんですけど、まだ馬はダメだって言われているんですよ。自分としてはもう大丈夫だと思うんですけど。私は一回無茶をしたから、セレベス先生はご心配なのかもしれませんね」

 エネウスは小さくため息をついた。ロスマリンは同情したそぶりでうなずいた。

 ……コリドラス公爵マイヤシーが、パレアトゥスと名づけられた若姫を産んでから、ひと月ほどたっている。

 ロスマリンの教えたまじないを完遂したせいで、股を外したエネウスは、姉の陣痛が始まったとの報せを受けて、王宮から、馬車を待たずに乗馬で屋敷に戻った。股の捻挫はまだ治りかけ、セレベスから乗馬の許しは出ていなかったのに、「無茶をした」のである。おかげでせっかく完治も近かった股の具合が再び悪化し、エネウスはセレベスにこんこんとお説教された。

「エネウス様は、あらゆることにご熱心でいらっしゃるのに、どうしてご自身のお怪我の回復についてはご熱心でないのですか。安静にしていればふた月かそこらで直るはずの股の捻挫が、いつまでたっても完治しないのは、ご自身のご責任ですよ! ……今度が最後の正直と思って、ほんとうに安静になさってください」

 エネウスも今度ばかりはセレベスの言いつけを守り、ようやく、股は完治しようとしている。

 ロスマリンは気重そうに目を伏せた。

「ほんとうに申し訳ありません、エネウス様。私がまじないをお教えしたばかりに、ひどい目にお遭わせしてしまって」

「そのことなら、気にしないでくださいと何度も言っているじゃないですか。ロスマリン先生が教えてくれたおまじないのおかげで、私は、世界一可愛い姪を授かることができました。先生に謝ってもらうことなんか、なにひとつないんですよ」

「エネウス様にそう言っていただけるのはありがたいのですが……やはり気が咎めます。だって私のお教えしたまじないのせいで、エネウス様がやってらっしゃったもうひとつ安産祈願、フレイルの……聖獣のヒゲを集めるというあのまじないも、中途半端に終わってしまったわけですし……」

 目を伏せたまま、ロスマリンは悲しげな顔で訴える。

「えっ?」

 エネウスが素っ頓狂な声を出した。

「……えっ?」

 ロスマリンは顔を上げた。

 コリドラス・エネウスの屈託ない眼差しと、憂わしげなロスマリンの眼差しが、出遭う。

 エネウスはにっこりと笑った。

「ああ、ロスマリン先生は、聖獣のおまじないのほうも心配してくださってたんですね。大丈夫ですよ。足の指のおまじないをやってすぐ、あちらのおまじないも、ちゃんとできました」

「えっ。ちゃんとできたって、まさか、猫のヒゲ、集めきったんですか!?」

 ロスマリンが、彼にしては珍しい、上擦った声を出した。エネウスは「はい」とうなずいた。ロスマリンは眉を寄せて言った。

「で、でも、足指の祈願式以来、エネウス様の足の具合は、ずっと良くなかったじゃないですか。走るどころか、歩くのもお辛そうで。なのに、逃げる聖獣を……猫を、どうやって捕まえたんですか?」

「うんと頑張って捕まえました」

 エネウスは当然そうに答える。

 ロスマリンは、虚を突かれたように、若草色の目を大きく見開き……

「が、頑張った……頑張ったですか……」

 つぎの瞬間、笑い出した。エネウスが驚いた顔をした。

「どうかしましたか、ロスマリン先生。私はなにか、おかしなことを言ったでしょうか」

「いいえ。エネウス様はとてもまっとうなことしかおっしゃっていません。おかしいのは多分、私です」

 ロスマリンは笑いおさめて言った。

「まじないに『必ず』がないように、企みにも『必ず』はないもののようですね。覚えておいたほうがいいかもしれないな」

「はい?」

「行ってください、エネウス様。診療に行かれるところだというのに、いつまでもお引止め申し上げて、申し訳ございませんでした。姪姫様ご誕生、おめでとうございます」

「ありがとう!……それじゃ」

 心の底からうれしそうに笑ってこたえて、エネウスは立ち去った。

 純白に輝く近衛隊の制服をまとった、背筋正しい後姿を、ロスマリンは、ある種の尊敬をこめて見送り、ふと、晴れ空を仰いだ。





 ……適度な難易度と見た目のインパクト、なによりコリドラス家に若姫を誕生させた効きめが高く評価されて人気を集め、足指のまじないは、グレイルで、ことに王都セント・ブルータル・モーレイで一世を風靡することとなる。

 本来『正統』であったはずの、聖獣のヒゲのまじないは、足指のそれに押されて、グレイルではまったく広まらなかった。

 もしや、友たる聖獣の苦情を聞き届けた、聖天の女神の采配だったのかもしれない……。

 




 四季折々、悲喜こもごも、ことよせて、人の子らは、女神に願う。

 聖天の御座には大母神リデルいましまして、人の子らの思いを聞きそなわし、見そなわして、導きをたまう。言葉通り、慈母のごとく。

 女神の為すところ、小人の企みなど及ぶところではない。青空にたなびく雲が、優しい女神が両手を広げているさまにも見えて、ロスマリンは若草色の目を細めた。

 柄にもなく、祈りたくなる。なにかを。

「エネウス様が聖獣のヒゲ集めにも成功してたこと、どうかデルモゲニス殿下にはバレませんように。エネウス様阻止の謝礼にもらったぶどう酒の樽、返せって言われたら、厄介ですからねえ。もうぜんぶ飲んじゃったし」

 ロスマリンの出来損ないの祈りを、女神が受け止めたあかしのように、雲が、光った。





                        『女神様にお願い』 了

           読んでくださって、ありがとうございました!

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いままでの《女神様にお願い》

 ……前置き

 ……第0話・遠い時代、遠い場所で

 ……第1話・グラミー先生にお願い

 ……第2話・王妃様にお願い  
……第1.5話・レンカク男爵にお願い  
 ……第3話・聖獣様にお願い  
 ……第2.5話・ロスマリン先生にお願い  

 ……第3.5話・マエストロにお願い
 ……第4話・セヴェラム君にお願い

 ……第5話・女神様にお願い



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