「なんですってマエストロ! わたくしの依頼を、受けてくださらないですって!? まさか、本気でおっしゃるのではございませんわね?」
甲高い声が、王妃のサロンに響き渡った。
声の主は、もちろん部屋のあるじ、王妃メルルーサである。絶世の佳人と誉れ高い王妃の、怒りに頬を染めた顔ももちろんたいへん美しくはあるが、好んでこの表情を見たいと思う者は、グレイル宮廷じゅうを探しても、おそらくひとりもいないだろう。
絶世の美貌とともに、分をわきまえぬ臣下への厳しい態度でも、王妃はよく知られているのだ。
ただいまサロンに集っている取り巻きの貴婦人たちも、この場に居合わせた身の不運を呪うかのように青ざめて、不興のとばっちりを受けないよう、息をひそめている。花瓶に飾られた花々さえもが、震え上がっているように見える。
そんな中で、王妃の怒りを誘った張本人だけが、恐れ気もなく王妃の前に立っていた。
恐れ気もない……というか、正確に言えば、怒りもあらわな王妃よりもさらになお激しく、彼のほうが不機嫌そうだった。高位の貴婦人の御前だというのに、秀麗に整った面立ちを狷介に歪め、なんと腕組みまでしている。
王妃の不興などそよ風ほども気に留めない風情のこの初老の人物こそ、グレイル宮廷においてただひとり『マエストロ』の称号をもって呼ばれる男。自身も天才音楽家であり、指導者としても、アフィオセミオン・シューテッドアイや、シグラソマ・セヴェラムといった、いまをときめく多くの才能を育て上げた、ブロッカー男爵ポポンデッタだ。
王妃の非難がましい問いかけを受けて、マエストロ・ポポンデッタは片方の眉毛だけを、器用にクククッと動かした。マエストロは言った。
「失礼ながら王后陛下、本気も本気でございます。さきにも申し上げたとおり、私はただいま、曲作りに集中できる気分ではございません。ゆえに、王后陛下がご依頼なさりたいとおっしゃる、姉君ご安産祈願のため、為しがたい秘術に挑まれるエネウス様を応援申し上げるための、使命感を鼓舞する、勇壮な曲……など、到底作ることはできません。ご依頼はお断り申し上げます」
誇りたかいマエストロは、たとえどれほど高貴な人物からの依頼と言えども、その気にならない場合、けして作曲は請け負わない。王妃メルルーサの依頼であろうとも、さらには国王フィルロード自身の依頼であろうともだ。
言うべきことはすべて言った、とばかり、マエストロは薄い唇を頑固に引き結んだ。この顔が出てしまったら、王宮随一のメルルーサの権勢をもってしても、マエストロの意志は覆せない。少なくとも、そう簡単には。王妃メルルーサは、かろうじて、笑みらしきものを作った。
「……ほほ……マエストロったら、気分ではないからお仕事ができないだなんて、子どもの言い訳のようなおっしゃりようですこと。失望いたしましたわ」
「申し訳ございません」
「マエストロの、集中できないご気分、とやらの原因を、教えてくださいまして」
「恐れながら、くだらないことでございますので。ご容赦のほどを」
「お話なさいな」
「嫌でございます」
「……どうしても、エネウスのための曲を作ってはいただけませんの」
「どうしても、作りません」
「なぜ」
「いまは作曲できるような気分ではないからと、再三再四、申し上げております」
「………」
木で鼻を括ったような返事ばかりが立て続く。鷹揚なそぶりを、どうにか取り繕っていたメルルーサの顔つきが、ついに青ざめて強張った。
……ぱあん!
王妃メルルーサが、手にした扇を、荒々しく閉じる。平手で頬を張るのにも似た音がサロンに響きわたった。
「わかりました。そこまで嫌だというものを、これ以上無理にお願いはいたしますまい。そもそも芸術とは気分のもの。気に染まぬまま作っても、ろくなものが仕上がるはずがない」
「ご理解いただけたようで、なによりです」
慇懃に、マエストロがこたえる。王妃メルルーサは、口元ばかり笑みを浮かべた。
「では、ご自分では曲を作るご気分ではないとおっしゃるマエストロに、わたくしは別のお願いをいたしましょう。じっさいのところ、エネウスのための曲作りは急を要するのです。占いに占いを重ねて決まった、秘術実行の日まで、あとほんの十日ばかり。この日程で、あなたのお弟子のシクラソマ・セヴェラムに、エネウスのための曲を作らせてくださいな。国家の行く末をになう大事な行事のための曲、どうかくれぐれも心して作るように……と、マエストロからセヴェラムに申し置きをお願いいたします」
「なにゆえ、王后陛下じきじきにセヴェラムにご下命になりませんか」
「それは、マエストロにいまご説明申し上げた、エネウスのまじないにまつわる諸々を、もう一度セヴェラムに説明するのが、面倒くさいからですわ。……作曲するご気分ではなくても、伝言くらいはできるでしょう、マエストロ。十に足らぬ侍童でも、それくらいはいたします」
王妃メルルーサは、顎を反らして言った。
子どものようにきっぱりした嫌がらせだ。それ以上なにか言うことはせず、マエストロは優雅に一礼した。
「御意、たしかに拝命つかまつりました。セヴェラムには申し伝えましょう」
王妃メルルーサ対マエストロ・ポポンデッタ。一触即発の会談の終了に、居合わせた貴婦人たちがホッと息をつく音が、さざなみのようにひそやかに、王妃のサロンに広がっていく……。
ちなみに、マエストロ・ポポンデッタの「集中して作曲できない気分」の「くだらない」原因について、今回の物語でこれ以上明らかにされることはないのであった。
それはまた、べつのお話。……なんちゃって。
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