「おめでとうございます。ご懐妊でございます!!」
歓喜にあふれた声が、部屋中に響き渡った。
ダイナスティア四王国のひとつ、水の女神ミツハを奉ずるグレイル王国。華の都とも称される王都セント・ブルータル・モーレイの、王宮にほど近い、とある豪壮な屋敷である。
奥庭に面した、よく日の光の入るその部屋は、足の長い絨毯を敷き詰めた上に天蓋つきの寝台が置かれた、寝室のしつらえ。あけられた窓から庭に咲くロサの香りを移した風が吹き込み、カーテンをゆったり揺らしている。
寝台の上には、優しげな顔立ちの若い貴婦人がひとり、ふかふかの寝具に埋まるようにして横たわっていた。気分が優れないらしく、青白い顔色をして、ふっくらした唇はささくれている。寝台の傍らには、横たわる人を気遣うかのように、数人が佇んでいた。枕辺で貴婦人の脈をとっていた祭服姿の人物が、上擦った声で、重ねて言った。
「おめでとうございます。まことに、おめでとうございます。ああ、なんというおめでたいことでございましょう。王家のご連枝にあたられるコリドラスのご当主さまが、ご結婚三年足らずでご懐妊なされようとは!」
声の主……皺の目立つ謹厳そうな顔を上気させたその初老の司祭の、縫い取りのある豪奢な祭服と、たっぷり宝石のちりばめられた背の高い司祭帽は、問うまでもなく彼の格式ある身分を示していた。すなわち、この人物こそ王国第一の大司祭……このグレイルにおいては、ただ大聖堂を預かるばかりではなく、癒し手を志す若者たちがダイナスティア全土から集い学ぶ『イール神学校』の長、グラミー大司祭であると。
「グラミー先生、ほんとうに間違いないのですか! その……マイヤシーが懐妊しているというのは」
司祭のうしろから、気遣わしげに診断を見守っていた婦人が、首を傾げて言った。
横たわる貴婦人とよく似た優しげな顔立ち。染め直しらしい葡萄茶の質素なドレスに身を包んでいたが、張りのある声には、ただならない威厳が宿っている。コリドラス前公爵フォーレリィ。現公爵マイヤシーの母であり、娘に家督を譲ったいまも、元老院には籍を置く、王国の重臣のひとりだ。
前公爵の問いかけに我にかえり、興奮に緩みきった顔をふたたび謹厳に引き締めて、
「むろん……」
大司祭はもったいつけて振り返った。
「これほど重要な診立てを、卑しくも癒し手の束ねを拝命つかまつるこのグラミーが、どうして違えましょうや、フォーレリィさま。間違いなく、おめでたでございます!」
「おお……」
フォーレリィは、ぱっと顔を輝かせたが、つぎの瞬間、なぜか困惑げに瞳を揺らした。
貴婦人の微妙な表情の変化に、大司祭は気が付かなかったようだ。せっかく謹厳に取り繕ったのもつかの間、興奮もあらわにまくし立てはじめた。
「公爵閣下にお子さまがお生まれになれば、ご連枝主席のコリドラス家はまず安泰、王家の方々もさぞお喜びでありましょう。早々にご安産と、なにより姫を賜るように、女神さまへ祈願の祈祷式を執り行わねばなりますまい……!」
……グラミー司祭が浮き足立つのも、無理はない。
男子に比してきわめて少なく、七分の一ほどしか生まれてこない女子は、ダイナスティアではきわめて尊ばれている。ただ数が少ないばかりではない。神々と同じ姿を授けられて生まれてくる女子を授かることは、家族と一族への、女神たちの祝福のあかしだからだ。
庶民から貴族まで、家を継ぐのは当然女子だ。生まれながらに選ばれた存在である女子を長にいただけば、女神の恵みは、家族、一族、領民たちにも及ぶとされている。庶民より郷士、郷士より貴族……導くべき者が多くなるにつれ、跡継ぎに女子を求める気風は強くなる。じつの息子がありながらも、女の子がどうしても欲しいと、八方手を尽くして養女を求める貴族も少なくない。
そんな中で、コリドラス公爵家は、王家に近しい血筋の高貴さとともに、格別の女神の恩寵を受けた家系としても知られていた。このところ数代たて続いて、当主が姫が授かっているためだ。
「もちろん若君ご誕生でも十二分にめでとうございますが、コリドラス家に姫君ご誕生とならば、まさしく国家の慶事! 姫君ご誕生祈願の祈祷式は、ぜひにも王家に準じたやりかたでなければなりませんな?」
「お待ちください、グラミー先生」
「聖杯神殿の巫女どのから聖水をいただいたほうが良いでしょう。さっそく使いをたてねば。お屋敷の侍童をお貸しいただけましょうや、フォーレリィさま」
「……侍童をお貸し申し上げるのは構いませんが……」
あいまいに語尾を濁し、フォーレリィはこめかみに手をあてた。
「グラミー先生、申し訳ございませんが、お静まりをいただけませんか」
「王家風の祭式には花も要りよう……ロサと、できうればジェルセミウムが望ましい。こちらのお庭に咲いているジェルセミウムでも結構でございますが、なにぶん王家ご連枝の姫君ご誕生祈願でございます。かなうなら禁園のジェルセミウムも賜りとうございますな。ああ、ああ、ご心配めさるな。私の弟子に、禁園の庭師と懇意にしておる者がございます。国王陛下にご懐妊ご報告のおりなどに、花摘のお許しを賜っていただければ、あとの手配は、苦もなく」
「……グラミー先生……っ、どうかお待ちを……」
かすれ気味の声が、大司祭の勢いをどうにか塞きとめた。
声の主……寝台に横たわっていた若い貴婦人、コリドラス現公爵マイヤシーが、寝台の上に、よろよろと身を起こしかけていた。部屋の隅っこで、心配そうにようすをうかがっていた伴侶が、飛んでやってきて妻の背を支える。悪阻がひどいらしい、目の下に隈をはいた顔で、マイヤシーは司祭を見上げ微笑んだ。
「誕生祈願の祈祷式にまでお気遣い、とてもありがたく存じます、グラミー先生。ですが……わたくしども、家中でグレイル風の祭式を営むわけには参りません……」
「はあ。なぜです」
大司祭が、虚を突かれた顔をする。うら若い公爵は困ったように微笑んで、寝台の足元ちかくで、目をくりんとさせて成り行きを見守っていた、白髪の、年配の男性に目をやった。マイヤシーは言った。
「じつは……当家の内向きの祭式は、父が取り仕切っておりまして。……つまり、なにごともフレイル風に。たしかエネウスが生まれたときのお祝いも、フレイルの祭式でございましたわ。ね、お父さま」
「へっ」
いきなり同意を求められ、白髪の男性が素っ頓狂な声を出す。傍らのフォーレリィが、目にも止まらぬ早業で、その口にハンカチを突っ込んで黙らせた。香りをしのばせ、涙を拭い、ときには配偶者の口を窒ぐのにも利用できる、げに貴婦人のハンカチとは便利なものである。前公爵のあまりの早業に、グラミー司祭はまったく気づかなかったようだ。考え深げに言った。
「しかし、マイヤシーさまのお腹におられるのは、グレイル王家のお血筋のお子さまでございますぞ。お誕生祈願をフレイル風でというのは、いかがなものか……」
「フレイル王家の血筋でもあるのですわ、ご存知のとおり。わたくしの父ハブラーンは……フレイル王家の連枝、オーストン公爵家のゆかりでございますから……」
マイヤシーの言葉に、グラミー司祭が難しい顔をして唸った。
現フレイル王エンオウがまだ王子であった時分、グレイル遊学に近侍として従ってきたオーストン公爵家の血を引く公子ハブラーンと、コリドラス公爵家嫡姫フォーレリィ姫が出会い、恋におち、周囲を説きふせ国を越えて結婚するにいたったいきさつは、グレイルで知らぬ者とてない有名な物語である。ハブラーン卿はフレイル国王の従兄弟にあたり、その血を受けたマイヤシーは、身分はグレイルの廷臣ではあるが、グレイルの王位継承権とともに、フレイルの王位継承権をも授けられているのだった。
黙り込んだ司祭の前に、フォーレリィに目配せされたハブラーン卿が、微笑みを浮かべて進み出た。ごく自然な仕草で自らの口からハンカチを取り出し、ハブラーンは言った。
「まったくマイヤシーの申すとおりです。コリドラスの内向きの神事は、すべてにおいて婿の私の郷里の、フレイル式にさせていただいておるのでして。はあ。婿入るだけにフレイル……なんちゃって~。あはははは」
「…………」
陽気に笑う前公配を、グラミー司祭は冷え冷えとした目で眺めた。マイヤシーはため息をつく。前公爵は頭を抱える。グラミーはしばしの沈黙のあと、くすりとも笑わずに言った。
「……婿入るだけにグレイル、でも韻は成立するように思いますが、ハブラーン様」
「あっ。そういえばそうか。失敬失敬」
悪びれずに頭をかく。グラミーは、大きく大きく、ため息をついた。
「……わかりました。よろしいでしょう。お屋敷でのご祈願をフレイル風でなさるのが、ご当家のご希望ならば、差し出口はいたしますまい。されど、国王陛下の御下命で、我が大聖堂で祈祷式を営むとあらば……おそらく国王陛下からのご下命はあろうかと存じますが、そちらはフレイル式にはいたしかねます。私どもは、ミツハ女神に誓願いたした、グレイル神官でございますので」
「はあはあ。もちろん、もちろん。内向きの祭式だけ、フレイル式にしたいだけのことですよ。せっかくお申し出くださったグラミー先生には大変失礼を申し上げるが、望郷の念に捕らわれがちな私を思いやる、妻と娘の心遣いをお汲み取りいただきたく、なにとぞ」
望郷の念に捕らわれがちな人物とは思われぬ朗らかさでハブラーンは答えた。グラミーはまた唸る。ハブラーンはさらに言った。
「それでグラミー先生、重ね重ねお願いなんですが、マイヤシーの懐妊は、しばらく内密にしてくださいね。王宮にもお知らせくださいませんように。なにとぞ」
「はっ? なんですと?」
「これまたフレイル式ですよ。身内での安産祈願式を営むまでは、よそさまからいっさいお祝いを受け取ってはならぬしきたりでして。されど、フレイル式をご存じないグレイル宮廷のみなさまに懐妊が知れれば、他家から、すぐにも、祝いのお使者なり贈り物なりが届くでしょう。おそらくは王宮からも。お断り申し上げるのも無礼ですからな。グレイルのみなさまにはさぞかし奇妙と思われましょうし。頃合を見て、国王陛下には、当家よりご報告にあがりますので、なにとぞ、なにとぞ」
「はあ……」
グラミー司祭は、顔をしかめると、大袈裟にため息をついた。ハブラーンはにこにこしている。グラミー司祭は、ついにあきらめたように言った。
「お誕生祈願につきましては、では、そういうことで。マイヤシーさまは悪阻がおつらいごようすですので、のちほどお薬を届けさせましょう。滋養のあるものを召し上がって、できたら毎日お庭をお散歩なさいますように。寝たきりはあまり、感心いたしません。このあたりのことは、フォーレリィさまもご承知でいらっしゃいましょうが」
「ええ。懐妊とわかれば、手だてもございますわ。今日はお忙しいところ、ご足労いただいて、ありがとうございました。……これ、グラミー先生に、馬車のご用意を」
一礼した侍女が、小走りに部屋を出ていった。大聖堂まで送る馬車を遠慮するグラミーとフォーレリィが、形式的な押し問答を続けるうち、車寄せに仕度がととのったと報せがきた。「フォーレリィさまがそこまでおっしゃるのでしたら」。渋い顔を装い、一礼してグラミーは部屋を辞した。
「まったく、お父さまったら、グラミー先生にくだらない悪ふざけをおっしゃるんだもの。先生が怒りだして、あなたなんかに祭式の準備は任せられないとおっしゃるんじゃないかって、わたくし、ひやひやしちゃったわ!」
グラミーが部屋から辞するなり、寝具に倒れこむようにして、マイヤシーが言った。背を支えていた伴侶が、甲斐甲斐しく掛布を直す。ハブラーンは「あはは」と笑った。
「そう怒るもんじゃないよ、マイヤシー。懐妊ほんとにおめでとう。これから充分、静養せいよー、なんちゃって~」
ひとりだけ面白そうに笑う夫を、完璧に無視して、フォーレリィは娘の枕辺にひざまずいた。
愛おしそうに、マイヤシーの髪を撫でる。
「ごめんなさいね……はじめての懐妊なのに、いらない気を使わせて。でも、本当におめでとう、マイヤシー。お母さまもすごくうれしいわ」
「いいのよ、お母さま。ありがとう」
マイヤシーはくすぐったそうに微笑んだ。フォーレリィの顔つきが険しくなった。
「……それにしても……まったく、グラミー先生が先走っていろいろおっしゃるのを、お父さまが止めに入らなかったときは、お母さま、どうしようかと思ったわ。以前から、あなたの懐妊のさいの段取りについては、さんざん打ち合わせしておいたのに!」
「いやあ、グラミー先生があんまり一生懸命だからさあ、ついつい止めそびれちゃって」
「ついついじゃありませんっ」
フォーレリィが声を荒げる。マイヤシーが穏やかに言った。
「まあまあ、そうお怒りにならないで、お母さま。結果よければすべてよしというじゃない。おめでたを宮中にも内密にしてくださるよう、お父さまがグラミー先生にお願いくださって助かったわ。わたくしも念押ししようと思ったの」
「……たしかに。あそこだけはファインプレーだったわね」
「せっかくのおめでたを、なぜ内密にしなきゃいけないんだい、マイヤシー」
妻の手を握っていた公配が、善良そうな目を瞬かせ、訝しげに訊ねた。マイヤシーは、青い大きな瞳を、考え深げに揺らした。
「ええとね……話せば長いことなのよ。いろいろと込み入っているし、王家の次代にかかわる事情もあるものだから、あなたには黙っていたのだけれど……でも、そうね、あなたには、そろそろ事情を説明しなければならないわね。じつはね……」
マイヤシーが、言いかけたときだった。
どたばたいう足音が聞こえたかと思うと、壊れんばかりの勢いで寝室のドアが開け放たれた。近衛隊士の白い制服に身を包んだ背の高い人影が、栗色の髪を振り乱して飛び込んでくる。闖入者は感極まったように叫んだ。
「いま、玄関口で、グラミー先生にお目にかかりました! 姉上、ご懐妊、おめでとうございます!!」
「……エ……エネウス……」
闖入者の名を、フォーレリィは力なく呼んだ。
父と姉に良く似た青い大きな瞳を無邪気な歓喜にきらめかせ、慌てて走ってきたせいだろう、頬をロサ色に上気させ、息を弾ませているせいで、二十歳をいくつか越えた本来の年齢よりはるかに若く見えるその人物は、そう……現コリドラス公爵マイヤシーの弟にしてグレイル王宮近衛隊長、コリドラス・エネウス、その人だった。
「そう……エネウス、あなたも、グラミー先生に、聞いちゃったのね……」
子どものようにあどけない、裏表のない、好奇心と喜びに満ちた息子の顔を見て、フォーレリィは、うめいて寝台に突っ伏した。ハブラーンは力なく笑った。
「すまない、マイヤシー。誰よりも息子には内密にしておいてくれるようにと、グラミー先生にお願いしておくべきだった。お父さんツメが甘かったよ。ははははは」
「はあ? 母上、父上も、なにをおっしゃっているのです?」
少年めいて端整な容姿と、名家の子息らしい屈託ない気性が気に入られ、グレイル王妃メルルーサの側近に取りたてられたコリドラス・エネウス。『セント・ブルータル・モーレイのアメジスト』と美称される麗しい主君に無邪気に心酔し、宮廷に絶大な権勢を誇る王妃第一の寵臣と、いまや国外にまで名の轟く貴公子は……家族たち全員から、非常に落胆した視線で見つめられて、当惑げに首を傾げた。
※IE5.5以上推奨。それ以外のブラウザをご使用の場合は、横書き表記になってしまっているかもしれません。すみません。
※ミニストーリー部分のみ縦書きで組み込んでみました。ツール作成石山ディレクター。ありがとうございます~!
このつぎの《女神様にお願い》
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