コリドラス・エネウスの祈願式から、数ヶ月がたった、とある夜のことだ。

「早馬が参りました! コリドラス公爵マイヤシー様、ご陣痛が始まられたよしにございます!!」

 宴の声も絶え、誰も彼も寝静まった夜半過ぎ。夜番の小姓たちは、ついにやってきた報せを、手分けして王宮中大急ぎで触れて回った。

「コリドラス公爵マイヤシー様、ご陣痛!」

 少年たちの甲高い声が耳に届いたとたん、やわらかな絹の褥で眠りについていた貴人たちは、つぎつぎと目醒めた。

「誰か、蝋燭を持ちなさい。起きます」

 侍女に命じる声があちこちから響いた。眠りに沈んでいた王宮の部屋部屋に、みるみるうちに、灯りがともされていく。





「赤ちゃんが無事に生まれても、誕生祝いの祈祷式が終わるまでは、たしか、よそのおうちからはなんにも贈り物も、お祝いの訪問も、受け付けませんってことになってるのよね。コリドラス家は『フレイル式』だから」

 王宮奥宮右翼。ピンクと白とを基調とした、可愛らしい色合いの調度でととのえられた寝室で、侍女たちに手伝わせ、寝巻きからミニドレスに着替えている、魅惑的な蜂蜜色の巻き毛と夏の海の色の瞳が印象的な姫君は、前女王クララと、現王フィルロードのあいだに生まれた、グレイル王国にただひとりの『正嫡の姫』、第一王女プリステラ。なんと! 本作ではここが初登場である! 

 華やかで愛くるしい容貌と、明るく親しみやすい性格で、国民から絶大な人気を集める、まさにグレイルのヒロインである彼女だが、父王フィルロードの後添いであるメルルーサ王妃と、あまり折り合いがよろしくないことは、グレイル宮廷では周知の事実だ。義理の親子の間柄でありながら、公式な催しごと以外ではほとんど行き来はない。王妃メルルーサ主導で行われてきたコリドラス家姫君誕生祈願には、したがって、プリステラはいままでほとんど係わりを持っていなかった。

 寝室の衝立の陰には、幼少のころより男手ひとつで……まあほかに係りの侍女とかもいたので、厳密には「ひとつ」というわけでもないのだが、気分的には男手ひとつで……第一王女を育て上げた、老侍従オイカワが控えている。寝乱れてなお輝かしいゆたかな金髪を、侍女にくしけずらせながら、プリステラは言った。

「オイカワ、祈祷式用のお花を、急いで大聖堂まで届けさせて。ロサとジェルセミウムをできるだけたっぷり用意させてね。それで、夜分申し訳ないけど、マイヤシー様のご安産と、姫君ご誕生の祈祷式をすぐにもはじめるように、グラミー大司祭にはからってもらってちょうだい」

「御意つかまつりました」

「わたくしは祈祷室に行きます。祈祷室にも捧げものの花輪の準備をお願い。香り蝋燭を灯しておくのも忘れないでね」

「かしこまりました。その……姫さま……」

 老侍従オイカワは、言いよどむと、やや声をひそめて訊ねた。

「……大聖堂に、姫君ご誕生の祈祷も、ご下命になるのですな?」

「それはそうよ。もちろん、女の子でも男の子でも、赤ちゃんが生まれるのが喜ばしいってことには、なんの変わりもないけれどね」

 いま苺を食べたばかりのようにみずみずしく赤い、可愛らしい唇を尖らせて、しごく当然そうにプリステラはこたえる。

 オイカワは小さく首を振った。

「いらない差し出口を申し上げて失礼いたしました。大至急、手配をいたします」

「うん。お願いね」

 プリステラは微笑んだ。





 王宮左翼、国王と王妃の寝室では、王妃メルルーサが、薄い寝巻き姿のまま、落ちつかなげに部屋をぐるぐると歩き回っていた。

 日ごろは複雑なかたちに結い上げ、アメジストの髪粉をふりかけて紫色に輝かせている銀髪も、いまはもともとの色のままほどけて、王妃のまろやかな肩に、月光の渦のように流れ落ちている。

「コリドラス家から、まだ、生まれたという報せは来ませんの」

 幾度も侍女を呼んでは、責め立てるように訊ねては困らせている。そんなメルルーサに、寝台から、おっとりした声がかけられた。

「少し落ち着いたほうがいいんじゃないかなあ、メルルーサ。陣痛が始まってからって、すぐに赤ん坊が生まれるわけじゃないと思うよ。とくに、コリドラス公爵は初産だし」

 寝台から小太りの身体を半分だけ起こして、妻に呼びかけたグレイル国王フィルロードは、丸い目をわせしなくしばたかせて、いかにも眠そうな顔をしている。メルルーサは、眉尻をきりきりと吊り上げ、夫を振り向いた。

「まぁあ。陛下は、ご自身でご出産なさったことがおありのようにおっしゃいますのね。赤ん坊というものは、場合によっては、陣痛がはじまってすぐに、ころりと産まれることもあるんですのよ」

「君がそういうなら、もちろんそうなんだろうけど」

 フィルロードは、目をこすりながら言った。

「なんにせよ、赤ん坊が生まれたとたん、コリドラスは報せを寄越すだろう。気を揉んでいたって、しかたがないと思うなあ。コリドラスは『フレイル式』だから、赤ん坊が生まれてすぐに祝いの品を用意しなきゃいけないってことでもないんだし。とりあえず、報せが来るまで、寝んでいようよ」

「……陛下は、少し、ゆったり構え過ぎていらっしゃるようだわ」

 メルルーサは冷ややかに言った。

「グレイル王統の血を受けた、正真正銘の姫君が、いま、生まれようとしているのですよ。無事に生まれたと聞くまで、どうして安心して眠られましょうか!」

「ほんとに女の子が生まれるといいよねえ」

「女の子に決まっています」

 確信に満ちた口調で言い切って、メルルーサは爪を噛んだ。

「いまいましい『フレイル式』とやらのおかげで、若姫が生まれてすぐにお見舞いにいけないのがほんとうに悔しいわ! 『フレイル式』でも差し支えなく、陛下やわたくしがお祝いを差し上げられる方法を、またエネウスに調べてもらいましょう」

「そうだねえ……ふぁわああ」

 妃の言葉にうなずきながら、フィルロードは大あくびをした。メルルーサは顔をひきつらせた。

「陛下! そんなにお眠くていらっしゃるなら、お付き合いくださらなくても結構です。陛下おひとりでどうぞお寝みくださいませ。わたくしは、コリドラスからの使者が参るまで、起きて待っておりますから」

「うわっ。ごめん、メルルーサ。もうあくびなんかしないから、そんなに怒らないでおくれよ。いっしょに私も起きているから。ねえ、メルルーサ……」

 夫の呼びかけに、メルルーサはもはや返事をしようとしない。国王としての威厳はどこへやら、妻の機嫌を取り結ぼうと、丸い身体であたふたと寝台から降りるフィルロードなのだった。





「……殿下。デルモゲニス殿下。お寝みでいらっしゃいますか」

 北の庭の離宮。闇に沈む寝室の窓の外から、ひそやかな声がする。

 グレイル王父デルモゲニス大公は、寝台から身も起こさぬまま、低い声でこたえた。

「オイカワか」

「遅い刻限に、お騒がせ申し上げ、申し訳ございません……」

「よい。コリドラスから、なにより報せが届いたようだな。小姓たちの騒ぎ立てる声が、風にのって、この棟まで届いてきたぞ。……マイヤシーが、産気づいたか」

「御意」

 窓の外の声がこたえる。デルモゲニスは深く息を吐いた。窓の外の声が言った。

「聖ブルータル・モーレイ大聖堂に、コリドラス公爵様のご安産と、姫君ご誕生の祈祷式を、すぐにも執り行わせよと、プリステラ姫さまのご下命でございます」

「ほう。姫誕生の祈祷式も。……あの子らしい」

「どのように計らいましょうか」

「つとめを果たせ。そなたはあの子の侍従だ」

「……御意」

 窓の外の声はうべなった。デルモゲニスは低く咳き込んだ。

「いかがなさいましたか、殿下」

「大事ない。……考えておったのだ」

 デルモゲニスは言った。

「必ず叶う祈りはなく、必ず効くまじないもない。すべては女神さまの御心のままよ」

「………」

「……姫が、生まれる気がする……」

「殿下」

 窓の外の声が、訝るように、呼びかける。デルモゲニスは小さく笑った。

「のうオイカワ、コリドラスに姫が誕生することを、この世でもっとも望まぬ者が誰か、知っているか」

「いえ……」

「シャムロック人さ」

 窓の外の人物は、困惑げに押し黙った。デルモゲニスは言った。

「もう行くがいい。わしは祈ろう」

「……では、失礼つかまつります」

 窓の外の人物が、立ち去っていく足音が聞こえる。前々女王プリステラの王配にして前女王クララの父、デルモゲニス大公は、寝具の上で指を組み、静かに目を閉じた。



 


「お待ちくださいエネウス隊長! すぐに車寄せに、馬車をご用意いたします!」

「待てません!」

 叫んで、エネウスは、ガニ股で近衛隊舎を飛び出した。

 コリドラス公爵家から、マイヤシー陣痛の報せが届いて、すぐだ。

 その夜エネウスは、折悪しく隊舎に夜番で詰めていた。いよいよ姉の産み月が近づいてきたこのごろ、今日は生まれるか、明日は生まれるかと、迷惑がられるのにもかまわず、エネウスは毎朝毎晩姉の部屋に入り浸っていた。それなのに、よりによって自分が屋敷にいないときに産気づくとは! タイミングの悪さに臍を噛む。 

「お待ちください隊長! セレベス先生から、まだ乗馬は禁止されてるんでしょ! 隊長、隊長~!」

 部下の近衛隊士たちが叫びながら追いかけてくる。どんなに急がせたとしても馬車での移動は乗馬での移動にスピードで劣る。この緊急のさいに、のんびり馬車で帰れだなんてありえない。エネウスは急いで厩舎に駆け込み、手近の青毛に鞍をかけて飛び乗る。

「はっ」

 乗馬鞭を持つのを忘れた。素手で馬の尻をぴしゃりと叩く。青毛は勢いよく王宮の外に走り出た。

 数ヶ月前、メルルーサの肝煎で催された祈願式において、エネウスは股の捻挫という、比較的珍しい種類の大怪我を負った。

 通常の足首だのの捻挫ならば、添木をあてて固定することもできるが、捻挫した部位が部位。固定できないため、診察を受けたヒーラーから、エネウスは安静を言い渡された。

 けれど、おとなしく寝ていたのははじめの三日だけ。あとは杖をついて、エネウスは宮廷に出仕した。近衛隊隊長としての責任感と、なにより、敬愛する王妃メルルーサに心配をかけたくなかったためだ。

 エネウスの性格をよく知るヒーラーは、渋い顔をしつつも「乗馬は行わないこと」「武術の稽古は行わないこと」などの条件を出して、出仕を黙認してくれた。ただ、「あらかじめ申し上げておきますが、安静にしないぶん、治癒は遅くなります。無理をすると、捻挫はこじれることもありますから、くれぐれも注意してください」とも念は押された。

 祈願式から数ヶ月を経たいま、エネウスの回復はおおむね順調である。ただ、走るときはまだガニ股になるし、乗馬の許可も出ていない。

 今晩、勝手に馬に乗ったことで、本復がまた少々遅れるかもしれない。じっさい、いますでに、太ももの付け根あたりが鈍く痛むようなのだ。

 それでも……捻挫が癒えるのが遅れても、かまわないとエネウスは思った。だって大好きな姉マイヤシーは、捻挫の痛みに倍する痛みに……陣痛に、いま、耐えているはずなのだから。

 じつのところ、急いで屋敷に戻ったところで、出産の手伝いができるわけでもないし、陣痛を散じる手助けができるわけでもない。産室のまえでうろうろしていて「男の方はおとなしく部屋に戻っていてください!」と、父、義兄ともども、侍女たちに追い散らされるのが関の山だ。

 勢い込んで帰宅したのちに待っているのが、邪魔者扱いだとは、つゆ知らず……

「待っていてください姉上! すぐにお側に参ります!」

 雄々しく叫んで、エネウスは、馬の尻を再び叩いた。



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このつぎの《女神様にお願い》

 ……最終話・エネウス様に質問



いままでの《女神様にお願い》

 ……前置き

 ……第0話・遠い時代、遠い場所で

 ……第1話・グラミー先生にお願い

 ……第2話・王妃様にお願い  
……第1.5話・レンカク男爵にお願い  
 ……第3話・聖獣様にお願い  
 ……第2.5話・ロスマリン先生にお願い  

 ……第3.5話・マエストロにお願い
 ……第4話・セヴェラム君にお願い



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