もう一秒だってべんきょうするものかー!
といいつつノートに書きかき・・・・
お絵かきとかその他もろもろ。
なんか京大入試すごく騒がれてますね。
騒がれすぎなような気もします。
ニュース記事に赤字で突っ込みを入れています。読みやすいよう要約しています。
~ここから~
京大入試不正の「犯人」は特定できるのでしょうか? 正答と答案を照合したり、他大学での答案と筆跡鑑定での一致を確認するとかすれば可能なように思います。
共通する名前を見つけることはできると思うが、数百人はいるぞ。あと、私大の入試はマークシートや簡単な記述が多いから確実性はどうなんだろう。ネットのIPじゃないと証拠にならない木がします。
今回の「事件」はある事実を暴露したように思います。それは大学入試が「受験生の個性や特有の潜在能力」を測定していないのに「一発の入試が人生を決める」というバカバカしさを捨てられないという点です。
なぜ不正がまかり通るのかというと、「多くの人間の知恵を集めれば簡単に解けてしまう問題」を、受験生個人の記憶力と謎解き能力を「純粋に」測定するために、監視下に置き、辞書や電卓の使用を禁止して解かせる、その全体に問題があるのです。勿論、読み書き算盤の能力は、大学での学習に重要な潜在能力です。そのことを否定するものではありません。
ですが、それは必要条件であっても十分条件ではないのです。「その学生が入学することで、専門分野の研究や社会貢献で能力を開花させる潜在能力がある」ということの「学生個人の資質、見識、意欲」などを見ない入試は、人材選抜して非効率だと思うのです。例えば、採用に失敗したら業績に関わる民間企業が、そんな「粗っぽい選抜」はしないということを考えれば明白だと思います。
こういうのはどうでしょう、多くの人でなら簡単に持ち上げることのできるバーベルを一人の体力を純粋に測定するために厳しい監視の下でドーピングを禁止して持ち上げさせる、というのは。
あと、選手の個性がきちんと測定されず、一回の試合で敗北が決定するチーム競技というのもどうだろうね。
勝負はいつだって一回きりだったりします。
大学は勉強するところなんだから、勉強の資質と見識と意欲は試験の結果から見ればいいのでは。
必要十分条件がわかったら苦労しねえよ、ばか。
例えば「高校の教育課程を超えた部分で明らかな才能」を持っている人間が評価されないというのもナンセンスです。芥川賞級の純文学小説が書けても、簿記・会計学・税制を理解してインターンさえやれば公認会計士になれる実力があっても、代替エネルギー開発のある分野で重要な発見をしていても、入試では全く役に立ちません。反対に、その大学に真剣に来る気のない冷やかしでも「受験テクニック」があればいくらでも合格が可能ですし、入学後に非人道的なことをやって自分も大学も破滅させようなどという学生でも通ってしまうでしょう。
大学入試以外のところで評価されるから問題ないです。
あと、一芸に秀でた人間を欲している学校は結構あります。某科学オリンピックの日本代表になった知人はそれだけで某国立大学への入学許可をいただきました。
受験テクニックがあればいくらでも合格が可能なのは当たり前です。そのテクニック(というか膨大な知識なわけだが)を習得することすら難しいわけですから。
野球の技術があればプロになるつもりはなくても大会で活躍できます。
就職後に淫行をしてしまう教師でも面接を合格しています。
そこまで言わなくても、「ネットで掲示すれば数十分で誰かが回答を教えてくれる」程度の「いわゆる入試問題」で合否が決まるというのは何とも安易な話です。百歩譲って、ペーパー一発勝負というスタイルが変えられないにしても、数学でも物理でも、あるいは国語にしても社会にしても「答えの出ない難問」に向かわせて、知的苦闘の痕跡で能力資質を判断するような問題は可能だと思うのです。
そういう難問は採点できず、意味がありません。
その難問を解くのに必要な知識を、より簡単な問題で問うて何が悪いのでしょうか。
さらに言えば、答えが一つでない問題というのは山のようにあります。
英語などはもっと簡単でしょう。早大の入試で「英文の要約を英文で」という問題で不正があり、日本語の要約文を「訳してくれ」というバカなリクエストをしているのですが、こうした「訳せ」とか「要約せよ」という「誰にでもできる」問題で合否が決まるのも選抜として手抜きもいいところです。(しかしこの犯人はネットの自動翻訳サービスを知らなかったんでしょうか?)英語で論評させ、中間点も含めて英語の知的表現能力のクオリティを厳しく見ればいいのです。後は「面接など主観的な判断は不公平」とか「小論文で一字でもオーバーしたらダメ」とか「高校で習わない公式を使うのはルール違反」などという腐敗した官僚主義のようなカルチャーも一緒に葬らないといけないと思います。
京大の和訳が自動翻訳でできるのか…??省略、挿入、多義語のオンパレードのような気がするんだけど。※後述
訳や要約が誰でもできるなら、日本人は皆論理的に言葉を組み立て、英語の本でもすらすらと読み上げることができるはずです。
前後の文脈から熟語の意味を決定したり、複雑な構文の解釈をしたり…逐語訳だってむずかしい。
要約はさらに難しいです。論理力も問われます。伊藤和夫氏によれば、逐語訳すらできない人向けという側面もあるそうですが、少なくとも早稲田レベルではそうではないので。
英語の論評は一部で行われていますね、自由英作文もありますし。しかしまともに書ける人が一体どれだけいるというのか。
いい加減「入試=基礎能力判定」というのはやめて、各大学が文系も含め「入るのは簡単だが出るのは難しい」という制度に改め、その上で「ちゃんと卒業できそうな人材を選別する合理的な入試」へとシフトすべきだと思います。大学の国際競争力ということから考えると、時間は残っていません。昨年から東大が高校生向けの説明会を始めましたが、合格者の海外流出を懸念するのは良いのですが、本当に危機感を持っているのなら入試と学部教育の改革スピードを上げるべきだと思います。
出るのを難しくするのはともかく、入るのを簡単にしてどうする。大学の競争力をつけるには高校生の学力を上げねばなりません。
文系を含め、というのはどういう意味でしょう?在学中にシボられない傾向が文系の方が強いという意味か……?
~ここまで~
原文には学歴ロンダリングの話もありましたが、丸ごとカットしました。
○実際に京大の問題をエキサイト翻訳してみた。
Without diaries and reports,memoirs,newspapers and other contemporary records,historians would have a very hard if not impossible time.
→日誌、レポート、伝記、新聞、および他の現代の記録がなければ、歴史家は非常に困難であるか不可能な時間を過すでしょう。
ほら、やっぱり駄目だよ!最後のif notが訳せていないよ!不可能なことになっちゃってるよ
歴史家は、不可能ではないにしても困難を強いられる、ぐらいですかね。
hardとif not impossibleがともにtimeにかかっていますね。ただ、時を過ごす、と書くと不自然なので意訳しましたが。