2021/01/20
ひさしぶりの更新です。



2019/01/20
歩いてて
ひとりでつまづき
ヅッコケて
左大腿骨のひざを強打
打撲と言われてたのに
その後、再検査で骨折と判明!

入院手術~リハビリ2ヶ月!

あれから丸二年経ちました。

大腿骨についていたチタンプレート
抜釘してからもうすぐ一年になります。

階段の登り下り以外は
ほぼ元通りの稼働域まで回復です。

傷跡は…
良くも悪くも
あまり変化ないです。

二年経過の状態
お見苦しいですが記録しておきますね。



ひざの左右差は
ずっとこのままなのかしら?



現在の体調は~

昨年秋頃から不調の左腕がね
いまだに痛くダルいです。

リンパ節転移の身としては
どうしても悪いものが育ってる?って思っちゃいますが
同時期の乳がん12年経過の検診はクリアだったので
五十肩+姿勢の悪さかな?

姿勢の悪さは持病の逆流性食道炎にも影響でてるだろうし
ストレッチ継続します!


2020/11/05

術後12年経ったお胸のね
検診結果
聞きに行ってきました。


結果はすべて問題無し‼️


良かったぁ

うれしい

ありがたい!


一日も休まず日々がんばってくれてるわたしの元気細胞さんたち
ありがとうございます‼️




今回、術後12年で
2年ぶりに受診+検診に行こうと思ったのは
いつもと違う場所の違和感と痛みが続いているからでした。



もしかしたら悪い結果を聞くことになるかも?


…と、毎回、覚悟して望んでます(;^_^A



12年も元気でいるんだから
もう克服したんじゃないの?
って思う自分もいるけれど


がんを経験してしまうと
からだの少しの異変にも敏感になってしまいます。



これからもマイペースで
ゆるりと過ごせますように。


美味しく焼けました!
2020/10/29

乳がん術後12年経過のわたし。

10年目までは
自主的に毎年検診予約を入れていました。

10年経過したら2年おきにしょうかな?と思っていたら
大腿骨を骨折してしまい
手術、入院、抜釘、コロナ禍と月日が経ち…

前回受診してから2年経過してしまいました。



最近、いままでにない術側腕と脇に違和感がでてきたので
ようやく
診察+採血+マンモ+エコー検査してもらいました。




乳がんの主治医はね
相談しやすかった執刀医の主治医が抗がん剤とハーセプチンが終わったらタイミングで転勤になり
その後、主治医になった先生です。


当初は検査の段取りをしてくれるだけの
パソコンしか見てない先生で苦手でした。


でも術後5年経過したあたりから次第に顔をみてわたしの近況を聞いてくれるようになり
苦手感は今はなくなりました。



まずは術後10年に検査受けてから
今回の術後12年になった間のできごとを報告


●2019/2 大腿骨骨折、手術、入院したこと

●2020/9 年イチの胃カメラ結果のデーター
(胃底腺多発ポリープ、食道裂孔ヘルニア、食道滑脱ヘルニアなど)
ポリープ生検クリア



●今まで継続している麻痺と違って
術側の腕が重ダルく、脇の奥を押されるような圧迫感
を先生につたえました。


首、脇の触診ではリンパの腫れはないようでした。


ウインクじゃ、いつもの採血、マンモ、エコーをしておこうね。
結果は来週ね。


その日の採血ナースさんは
お見事な採血でした。

採血準備しながらの会話も上手でしたが
細くて見えない、すぐ逃げる、
曲がってる…曲者のわたしの血管をピタリと見極めて失敗なしで3本採ってくださいました。

針跡はいつも内出血が痛々しくなるのにね
全く変化ありません!

こんなこと初めてです。
大げさですが感動です。


お胸は右だけですがやっぱりマンモは苦痛です。
が、こちらもすこしの痛みで
すみました!


会計明細を確認したら
いつもの乳がんマーカーに加えて骨転移、胃がんのマーカーの項目がありました。

骨折と胃のことを報告して良かった‼️

結果聞くまではドキドキもありますが
モヤモヤが少しクリアできたらうれしいなあ❗


今日焼いたランチパンの画像載せておきます!
2020/10/13

先日の胃カメラで見つかった
少し育っていたポリープの生検❗
結果は~
大丈夫だったようです。



どのように
大丈夫だったのか?

…詳しくはわかりませんが
ひとまず安心しました。




でもね
わたしの内科系すべてのフォローを5年に渡りおせわになった循環器内科主治医が退職されたので
初めましての循環器内科主治医にその生検結果を聞く流れになったんです。



ところがその先生の第一声がね



真顔胃のことは私、よくわからないんだよね~

とのこと。
専門外の胃のことで循環器内科先生がわからないと言われたことにたいしては

ニヤリそうだよね~

と、心のなかでうなずきました。




その後、現在に至るまでの病歴を確認してもらい
そして結局、胃に関しては~



真顔消化器内科で診てもらう?

と、言ってくださったので




ニコニコはい!そうします!

と、即答しました。




真顔でもね、消化器内科の女性の先生…
ちょっと変わりもんだけどねっ


…って!



びっくりはぁ?
そうなんですか??
でもお願いしたいです。


少なくとも先生(胃のことはわからないと断言された新循環器主治医)より
全然ありがたい❗
と、心のなかで思いました(笑)



そのあと、その変わり者~とまで言われた女性消化器内科先生に診ていだだきました。


わたしが感じた第一印象は予想に反して
サバサバした気さくで話しやすい若手の先生でしたよてへぺろ


現在の胃の具合を伝えたら
漢方薬をプラスして変えてみましょう!
と、新しい処方となりまして
1ヶ月様子をみることになりました。


なんだか初日からモヤモヤ感が残る結果になってしまいましたが
結果オーライかな?


2015/2月のはなしです

2008年8月、先に左胸全摘手術を終え、
その後、抗がん剤AC療法+タキソール
ハーセプチンもなんとかクリアしたわたしはね
順調に日々の生活リズムにもどり
術後経過も順調

術後すぐから始まった左腕、左脇の不快感に加え
左足の指先までも鈍感になりつつもスイーツやパンの納品、
日々のレッスンをこなしていたら


2015/2月、朝起きてびっくり!
左足ふくらはぎか巨大に‼️ガーン



MRIや、血液検査をしてもらったら
血栓リスクがわかるDダイマー値が高くなっていたようでした。


片寄った食事、水分もろくに取らず、休憩無しで毎日動いてたもんなあ…

血がドロドロになってもしょうがない生活が続いてた自覚ありました。


血をさらさらにするお薬(リクシアナ)や利尿剤飲んだりして
2015/3月、1ヶ月くらいかかって腫れはひきました。



薬飲みだして3日後の足です。
お見苦しいので足先だけ載せておきますキョロキョロ


そのときにおせわになったのが
大腿骨遠位端骨折を見つけてくれた循環器内科の主治医です。


乳がん術後のリンパ浮腫では無くて
深部静脈血栓でした。

その後、2019/1月
ひとりでつまずいて左ひざを強打し
2019/2月、大腿骨骨折→手術+入院へとつながります。


2019/8までリクシアナは飲み続けましたが2020/10現在も休薬しています。


とにかくわたしの身体は左側にトラブルが起こりやすいみたいです。


循環器内科の病院と乳がんの病院は別なので
年に1回の乳がん検診も腫瘍マーカーも
10年クリアを迎えてからは行かなくなりました。


ところが12年目にして
微妙にいままでと違う痛みが出てきたのです。


多分、大丈夫だぁ~口笛口笛口笛


と、根拠のない自信を貫こうと思っていたのです。

ところが
先日の逆流性食道炎の経過観察の年イチ胃カメラでね
裂孔ヘルニア、多発ポリープが怪しく育っててね

ニコ念のためにね~

と、生検にだされました。

そしていつもと違う
左側の腕と肩、お胸が痛いショボーン

白黒つけるためにも診察予約いれました。


たぶんね、
取り越し苦労!

真顔どこも問題ないですね。
って、謂われるとおもいますけどね照れ


Her2たんぱく強陽性、ハーセプチン経験者だって12年生になってるよ~元気だよって報告できたんだから
今度は13年生になれるように
日々楽しい事みつけて
免疫力アップで過ごしたいとおもいます。

2008/8/11 左胸の浸潤性乳管がんの手術をしてわかったことは

●左腋窩リンパ節11mm×6mm
●乳管内進展 娘結節(+)
●リンパ節転移(+) 15個中3個転移
●ホルモン感受性(-)
●Her2たんぱく強陽性(+3)


と、いうことで

★ステージ2B

左胸は全摘したので放射線治療は無し
抗がん剤治療は
●AC療法(アドリアシン+シクロホスファミド)4クール

●タキソール4クール

Her2たんぱく強陽性のタイプには効果があるという
●ハーセプチンを全18回


これらを2008/10~2010/5まで
外来点滴治療してもらいました。



その後、乳がん治療としては無薬になり現在(2020/10)に至ります。



抗がん剤AC療法が始まり
脱毛、倦怠感、味覚障害など
ひと通りの副作用は体験しました。

そのなかでいまだに継続している不快感があります。

それは術側の左腕内側と左脇の感覚が
ぼや~っと鈍く、ひきつる感じ!

いつも脇に何かをはさんでいるような感じです。



手術直後はその脇に
太い辞書を挟んでいるような違和感でした。

術後10年くらいで
脇の違和感は徐々に辞書の太さ感覚から雑誌程度まで薄くなってきました。
日常生活には問題なしです。



術後5年くらいから左足の指先の不快感も追加で出てきました。

その足先の不快感は乳がんとは関係ないと思います。

でもその頃、左ひざに水がたまり
整形外科に3ヶ月通いました。

その3ヶ月後、今度は左足ふくらはぎが痛みと共に真っ赤に腫れて…

長くなってきたので
今日はこのへんでパー


2008年6月~10月の話です。

保険センターから再検査を進められたものの
当時、かかりつけ院はありませんでした。

だって風邪ひとつひかない
元気だけが取り柄のわたしでしたから。

とりあえず息子を生んだ地元の総合病院に行くことにしました。



以下、おおまかな流れですが

レディースドックを受けたのが6/24
総合病院で診察を受けたのが
7/16
Drの触診でもしこりは確認できず
CT、MRI をしてもらった
検査結果を聞きにひとりで行き
左乳管がんの告知を受けたのが7/30
その日のうちに手術日を決めてしまったわたし。
術前検査フルコースをこなす
手術したのが
8/11
1週間後に退院!
詳しい病理診断が出て
初回、AC療法の抗がん剤を受けたのが
10/1
脱毛始まりが
10/14
ガーン

はやっ!

2008/6/24
市のレディースドックを受診しました。
問診、乳がん、肺がん、胃がん、骨密度だったかな?

問題なければ結果は一ヶ月後に郵送されるとのことでした。

わたしはお胸に石灰化が写っていたので
二週間目にして保険センターから電話←不在中だったので留守電でしたキョロキョロ
+郵送で要再検査通知と病院へ提出する書類がとどきました。



再検査になったあなたへ

みたいな書き出しだったと思います。

再検査になっても必ずしも悪性とは限りません。
2%ほどのかたが発見に至っています。

必ずかかりつけ病院を受診してください。
マンモ画像は保険センターであずかっていますので取りに来てくださればお渡しいたします。




こんなことが書いてあったような…キョロキョロ
2008年8月、
乳管がん、リンパ節転移ありのステージ2で左胸全摘したわたしの
2007年暮れから2008年前半の
症状を思い出しながら書いてみますね

☆彡☆彡

左のお胸(患部)表面の中心に集中して数個できていた米粒台のできものは
ストレスを感じだした2000年より前からあったと思います。

このできものが痒みの原因だったのか?
それともストレスによって発芽しだした?がん細胞のせいなのか?
今となってもわかりませんが
とにかく痒くて痒くて…ショボーン



2007年暮れあたりからその痒みだけでなく
(患部の)左胸の奥から鈍い痛みを感じるようになりました。

それはお辞儀をするような前かがみ、
お風呂の浴槽から出るとき、
小走りしたとき、
真横を向いて寝るときなど
お胸の位置が動くときに伴う痛みだったと思います。



いやな予感がして
自分で触診してもしこりをみつけることはありませんでした。
やっぱりね~しこりが無いから大丈夫だわ。思い過ごしやわ!
と変な自信を感じていました。




2008年新年を迎え
ブラのワイヤーがあたっているアンダーバストまで圧迫されて痛みを感じるようになっていました。

徐々に何もしていなくても
お胸の奥からズキンズキンと心臓の鼓動のような痛みを感じるようになっていました。

そしてついに洗濯するブラに小さな丸い染みが着くようになっていたのです。

その段階でもなぜか
婦人科を受診しなくちゃ!
という気持ちには至りませんでした。

なぜなら
その年の6月に開催される市のレディースドックに行くんだから
それまでは我慢しよう!って思っていたのです。
現在のわたしなら
そんなの待たずに早く病院いきなさ~い!って怒ってあげたいですチュー



2008年当時、わたしの住んでいる市のレディースドックを受けるには越えなければならないハードルがありました。

それはね
4月1日の朝9時から電話受付けが始まり
先着順に定員になるまでに入ることでした。

毎回、競争率が高いと聞いていたので9時前からダイヤル準備してのぞんだのですが
ずーっと通話中で繋がらず
リダイアルを続けること1時間半!
ようやく繋がり6月24日に予約することができました。
この予約ができてなかったら
わたしは6月を待たずに
もっと早く直接病院受診してたかな?


(さすがに電話先着順受付けは現在はなくなったみたいです)
10月が近づくと乳がんに関する話題がでてくるので
わたしも経験者として振り返ってみたいと思います。

でもね、わたしのブログからはみなさんのお役に立てるような情報はお伝えできないです。
ごめんなさいキョロキョロ

ただ言えるのは
2008年、しこりを感じなかったけれど
左胸にみつかった乳管がんステージ2
HER2たんぱく(+3)強陽性

全摘→抗がん剤→分子標的薬→無薬
→2020年夏
現在とりあえず元気だと伝えたい!
それだけですニコニコ

☆彡

2000年頃から
趣味のパンや焼き菓子作りが広がりました。

地元イベントや委託販売、
お教室も始めたりして
忙しい中にも充実した日々を過ごしていました。

主人と子どもの3人家族でしたので
ひとり息子=PTA役員する時間ある人でしよ!

と、言う流れに流されて
PTAや自治会、市のボランティア役員などなど
肩書きとストレスが同時に増えていきました。




当時の食生活はめちゃめちゃで
3食ともパンだけ食べていたら幸せでした。

運動苦手、汗かきたくない、
のどか乾いたらコーヒーだけ飲んですませていました。

寝込むことも風邪さえも引かないし
わたしは健康だけがとりえだからねっ!
って、過信していました。

今、思えばそんな日々の中で
着々とお胸にできた小さなガン細胞の芽は育ちはじめていたんだと思います。



最初の不快感はひだり胸(患部)の表面の痒み。

かいても、かいても、スッキリしない。

ある日、米つぶみたいな
ぽつぽつとしたできものが
お胸のトップに集まってできているのにきがついた。

痒みの前からあった感じ…