NOTE/長谷川典夫著「現代都市の空間システム」・・・(3) | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

NOTE/長谷川典夫著「現代都市の空間システム」・・・(3)

警「美」報 告 書 ☆彡 .......................... 街と電車と時々グルメ ▼CAMMIYA-東急目黒駅090624085

2~3日から1週間に1度は買う「日買物財」

酒、調味料、食肉、野菜、果物など、、、

1次商圏/徒歩10分、直線距離500m以内

■本ブログ内関連記事「駅ナカの“スーパーセンター”編」参照

上尾080912292

1週間から3ヶ月に1度の頻度で購入する「月買物財」

婦人服、子供服、くつ、履き物など、、、

■本ブログ内関連記事「上尾編」参照

新三郷IKEA081122640

3ヶ月から数年に1度しか買わない「年買物財」

呉服、服地、寝具、男子服など、、、

■本ブログ内関連記事「IKEA新三郷編」参照



【書誌情報】

長谷川典夫「現代都市の空間システム」1992年、大明堂

本ブログ内関連記事

■NOTE/長谷川典夫著「現代都市の空間システム」…(1)

■NOTE/長谷川典夫著「現代都市の空間システム」…(2)

■NOTE/長谷川典夫著「現代都市の空間システム」…(3)

■NOTE/長谷川典夫著「現代都市の空間システム」…(4)

■NOTE/長谷川典夫著「現代都市の空間システム」…(5)

■NOTE/長谷川典夫著「現代都市の空間システム」…(6)

■NOTE/長谷川典夫著「現代都市の空間システム」…(7)

■NOTE/長谷川典夫著「現代都市の空間システム」…(8)


【p.112】

アメリカ合衆国では戦後の所得の向上と自家用自動車の普及によって、買物交通が都市交通のなかで占める比重が高くなった

例/シカゴ市における買物を目的とする交通

全交通の5.5%(1956年)⇒13%(1970年)

買物交通は通勤交通よりも距離の制約にたいして敏感であり、シカゴではその70%が3マイル(約4.8km)以内の移動

しかし郊外では大きな地域中心的ショッピングセンターの吸引力が大きいため、その移動距離の平均は6マイル(約9.6km)を越えている

そして、買物交通は時間的な集中度が低く、その目的地も分散的であるという特徴がある。

例/カナダのキングストン市における買物交通

単目的(58.2%)

多目的(28.6%)

複合目的(13.2%)

一般的に高所得の世帯ほど買物交通の距離が長い(?)傾向・・・



【p.130】

象徴性はそれが歴史的、美的な要素と結びついたときにはさらに重要となる

(例/アメリカ・ボストン市)

ビーコンヒル・・・高所得者を引き付けている

ノースエンド・・・イタリア人/感傷はある特定の位置に付随、、、



街や交通網の盛衰を記録する....警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-永田町07070621

今の永田町は、かつて各大名の江戸屋敷または旗本屋敷跡の大邸宅

(国立国会図書館を背に本ブログ管理者2007.7.6撮影)

国会前庭(こっかいぜんてい)

洋式庭園の北地区と、和式庭園の南地区からなる。

(直上写真…)北地区は、江戸時代ははじめ加藤清正の屋敷、次いで彦根藩井伊氏の上屋敷があったところで、幕末大老井伊直弼はここから内堀(桜田濠)沿いの道を桜田門に向かう途中の路上で桜田門外の変に遭った。

明治時代になって当地は国有地となり、はじめ弾正台、のちに参謀本部陸軍省が置かれた。

そして陸軍省が廃止された戦後に衆議院の所管に移され、周囲の土地区画整理や道路拡張の後に洋式の庭園に整備された。
街や交通網の盛衰を記録する....警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-松涛31

かつての農場が分筆されて高級住宅団地になった渋谷区松涛地区

■本ブログ内関連記事「渋谷区松涛編」参照
街や交通網の盛衰を記録する....警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-玉川学園前101201243
大手私鉄沿線に開発された高級住宅地/東京都町田市玉川学園

学校法人玉川学園が学園運営と同時に駅を誘致、宅地分譲しながらその資金を学校の運転資金として活用・・・という事業スキーム)

■本ブログ内関連記事「玉川学園駅周辺の都県境標編」参照



【p.131】

日本の都市における居住地域の分化

(今朝洞重美「住宅地域の進展」・・・青木栄一、永野征男、白坂蕃、福原正弘編著“現代日本の都市化”1979年、古今書院pp..71-88)

(東京において、、、住宅地の等級区分)

A級:宅地面積660~990㎡前後の住宅が相当数(20戸以上)の集合住宅地

B級:同じく330~660㎡前後の住宅が中心になっている住宅地区

A+B級=「高級住宅地」

東京の旧市域においては、宅地として適当な高燥な台地面が複雑に解析されており、関西の芦屋市に見られるように、広大な邸宅(3300㎡以上の敷地を持つ住宅)が集団を作ることが困難であった(?)

ただ、皇居の西方は台地面が良く発達し、明治時代には、番町から北は駿河台、南は麹町をへて紀尾井町、永田町にいたる範囲に大邸宅地が形成されていた・・・

(このような大邸宅はこの麹町台地以外にも代々木、落合、中野などにも展開)

(これら大邸宅の多くは、城下町時代の各大名の江戸屋敷あるいは旗本屋敷跡)

660~990㎡程度の住宅地域はこれらの大邸宅地の隣接地、さらに赤坂、麻布、青山、高輪、牛込、小石川、本郷付近にも分布し、それらの多くは中級武士の屋敷跡であった(番町や麹町も規模的にはほぼ中級武士の屋敷跡に相当)

また、東五反田や松涛町のようにかつての華族の屋敷跡や農場が分筆されて高級住宅地になった例もある。

東京の旧市街の場合には、城下町時代の江戸屋敷や上級・中級の武家屋敷跡が高級住宅地に変容した事例が多い

一方、

関東大震災をきっかけとして、主に民間鉄道資本の手によって、かつての東京の郊外(世田谷区、杉並区など)にA級、B級の住宅団地が開発され、それが今日の高級住宅地として継承されている事例がある(田園調布、成城など

東京の場合にはこのような高級住宅地は中央線の南側、西南部の台地を中心として開発がはじまり、西北地方への展開はそれに遅れ、いわば時計回りに開発が進んだ(?)

しかし、地形的に複雑であることと、その開発がすべて土地分譲であり、しかもその後の分筆に強い規制がなかったことなどから、東京都の場合でも高級住宅地の分布とその変化において、アメリカ合衆国の都市に見られるセクター状の展開は明確ではない

また、東京の旧城下町におけるかつての上級・中級武家屋敷の跡地が今日の高級住宅地の宅地に変化している事例においても、大規模な住宅が団地化している事例はほとんど無く、とくに火災や戦災によって、その建物ならびに宅地内の庭園や樹木が破壊されてしまった場合には、高級住宅地としての環境を失い、マンションや事務所ビルに変化したり、分筆される場合が多かった。。。
街や交通網の盛衰を記録する....警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-松涛16 街や交通網の盛衰を記録する....警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-松涛13

東京都渋谷区松涛にて、、、(本ブログ管理者2007年3月撮影)

■本ブログ内関連記事「NHKの企業城下町(?)松涛・神山町編」参照