“建築家の卵”も学ぶ?…「密」を避けた上尾宿の集合住宅(※過去記事更新版) | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

“建築家の卵”も学ぶ?…「密」を避けた上尾宿の集合住宅(※過去記事更新版)

 

今回はJR高崎線(大宮起点8.2km地点)の上尾駅前に来ています。

 

ここ、埼玉県上尾市が、県内8番目の人口20万人都市になったのは、今からちょうど30年前の1992年(平成4年)6月1日の事なのだそうですね。

※2022年3月1日推計人口227,942人、人口密度5,009人/k㎡

 

先ずは駅前広場に面した地場百貨店の並びにある街の総鎮守様へご挨拶♪

 

この氷川鍬神社(ひかわくわじんじゃ)における御神体は、なんと2本の鍬なんだそうですよ。

※埼玉県上尾市宮本町1-14

 

石鳥居を潜って右手に聖徳太子像碑、その奥には手水舎があり、龍の口から水が吐出。

 

ここが

上尾宿の「中心」

創建は1632年で、氷川鍬神社の名称になったのは明治41年の神社合祀以後の事。

 

それより以前は「鍬大神宮」という社名であったそうです。

 

拝殿の裏に社務所がありますが、以前はこの辺りに二賢堂(じけんどう)と呼ばれる江戸時代の学舎があり、朱子と菅原道真を祀ったそうです。

 

1788年(天明8年)設立の郷学機関であった二賢堂の跡は、明治22年に成立した上尾町の初代役場が置かれました。

※その後、役場は昭和3年に現在の上尾市役所の場所である隔離病舎跡地へ移転

 

隣の敷地に建つ地場百貨店が奉納した、上尾市内に本拠を置く地酒ブランドの酒樽。

 

ちょうど、中山道(現・県道、すなわち元の国道17号)を挟んで、神社の向かい側にあるコンビニが入居するビルが上尾宿の「本陣」だったようです。

 

まさに、この氷川鍬神社は名実ともに今も昔も「上尾の街の中心」なのですね。

 

江戸時代後期の1806年頃の絵図が歩道に掲出されていましたが、中山道の中では比較的小さい宿場町で、家数は182軒(人口793人、旅籠屋41軒、本陣1軒、脇本陣3軒)だったとの事。

 

加賀藩の前田家をはじめ34家の大名が、この氷川鍬神社の前を通行したそうです。

 

上尾宿内の呼称である上宿、中宿、下宿は、後に上町、仲町、下町となり、この町名や地区割りは、上町はそのまま、仲町は宮本町と仲町に、下町は愛宕として現在でも残されています。

※京都方面が「上」、江戸方面が「下」なのですね・・・
 

さて、、、

埼玉県上尾市といえば、建築・都市計画系の学生が真っ先に思い浮かべるのは、やはり、旧中仙道(旧国道17号)上尾宿に面したかつて「下町(下宿)」と呼ばれた愛宕地区におけるコーポラティブ(共同建て替え)住宅事業でしょうか?

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「緑隣館」(2005.5.4本ブログ管理者撮影)

※埼玉県上尾市愛宕1-29-10、1-29-23

 

まちづくりが始まる当時は、ここ埼玉県上尾市の中心市街地においても、日本全国「宿場町」の御多分に洩れずに敷地が狭小で無接道の宅地が多く存在。

 

住宅の老朽化とともに人口の流出高齢化が進んでいました。

 

さらに、営利を最大限に追求した一般的な郊外駅前型の高層マンションや雑居ビルによる日影被害などの問題がありました。


その対策として当時(1988~97年頃)における上尾市愛宕地区では、「安心して住み続けたい」という地区居住者の要求から出発して、居住者および関係地権者の主体的な生活再建の取り組みと行政、専門家のサポートによってまちづくりが進みました。

※資料出所:□外部リンク参照

 

そして15年の事業期間中に、4箇所の共同建替えによる住宅の再建(集合住宅化)と、区画道路や緑地・防災広場等の公共施設整備が実現したのだそうです。

※資料出所:□外部リンク参照

 

【補記】

*建て替え箇所:全4区画(4軒5棟)

容積率183~242%、建蔽率58~70%、最大階高8Fで建て替え

 (本来は商業地域・建ぺい率80%・容積率400%)

*土地所有者4~11人、借地権者0~2人、借家権者5~21人

*所有形態:区分所有または地上権つき区分所有

*事業施工者:埼玉県住宅供給公社

*周辺地域を含むネット密度:230人/ha(106戸/ha)

※資料出所:□外部リンク参照

 

その結果

一時的であるとはいえ、地区の人口は子育て世代を中心に増加し、当時は小学校の児童数や学級数も減少から回復傾向が見られたとの事です。

 

都市計画法で認可された、「合法的に」本来建てられるMAX許容範囲の容量を追求せず、容積率は5~6割、建蔽率も6~7割程度に抑えて「密を回避」しているのが判りますね♪
上尾市愛宕1 上尾市愛宕2

※資料出所:佐賀大学理工学部 三島伸雄氏作成の資料 より引用

 

上尾市愛宕・地区計画の概要

●都市計画決定 平成2年3月1日

●上尾市地区計画区域内における建築物の制限に関する条例

  平成2年9月29日 条例第20号

 

【目標】
中山道沿道の区域は商業業務地域の形成を促進し、すぐれた街並みの創出に努める。
中山道沿道以外の区域においては、良質な住宅の供給を促進し、緑豊かな住環境の形成を図る。

 

【土地利用の方針】
中山道沿道の区域をA地区(商業ゾーン)とし、その他の区域をB地区(住居ゾーン)とする。

 

【建築物等の整備方針】
建築の協調化、共同化により良質な住宅の建設を促進し、オープンスペースの創出とすぐれた街並みの形成を図る。
 

・A地区においては、中山道沿道の歩行者空間の整備並びに壁面後退に努め、すぐれた街並みの形成を図る。
・B地区においては、北側の敷地に対する日照の確保に努め、快適な住環境の形成を図る。

コープ愛宕(埼玉県上尾市愛宕1-29-7)
上尾市愛宕3 上尾市愛宕4

※資料出所:佐賀大学理工学部 三島伸雄氏作成の資料 より引用

 

上尾080912288

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上尾駅駅名標

 

やはり

地場商業は苦戦

上尾駅東口から旧中仙道(上尾宿)と十字交差し、真っ直ぐ東へ伸び、現国道17号との十字路交差点角に在る上尾市役所へと続く道(駅から市役所まで560m)・・・

 

さらにその先は伊奈、蓮田方面へと抜ける主要な通り(県道)であり、既に上尾駅東口から上尾市役所までの間は無電柱化事業が完了。

(本ブログ管理者2008.9.12撮影)

 

駅から市役所までの途中にあった地場ホームセンターの老舗「イセムラ」は、残念ながら2010年頃に閉店してしまったようです。

上尾080912286

 

現在、「埼玉縣信用金庫」のビルが建つ場所にありました。

※埼玉県上尾市宮本町10-33
上尾080912292

 

本ブログ管理者も埼玉在住時に、ふらっとお店(特売品コーナー)を覗いて、見切り価格500円で売られていた6段・引き出し付きのシューズラックを思わず衝動買いした事があります。

 

駅前の丸広百貨店は、元々はイオン系「ボンベルタ」だった撤退跡に入居したのですね。

 

「デパート」としてのプライドを捨て、ダイソーやニトリ、ユザワヤ、スギ薬局を入居させたりするなどテナントミックスに苦労している様子が伺えます。

 

もはや、駅の反対側(西口)に対峙するイトーヨーカドーや郊外のイオンモールとの差異は、一部の「こだわり仕入れ食品」と外商部門の有無だけになってしまうのでしょうか?

※余談ですが、現住地の最寄り駅前にあるPARCOも、既にそんな感じ(来年「撤退」発表済み)

 

いかがでしたでしょうか?

今回は、20万都市「埼玉県上尾市」が発展する礎となった中山道の宿場町を歩き、密集市街地の環境改善を目的として再開発された集合住宅を最後にご紹介しました。

 

快適な住まいの条件として、やはり太陽の光が差し込む「明るい部屋」と、窓を開けると心地よく爽快な「そよ風」が湿気を払うカラッとした部屋を求める人は多いのではないでしょうか?

 

しかしながら同時に、都市生活の利便性を追求する為と、「駅近」という地の利でコストパフォーマンスを最大化する為には、ある程度の「高密」「高層」「集合化」は必須条件になります。

 

相反する2者を巧くバランスを取った計画が、今回ご紹介した上尾市愛宕地区の旧街道宿場町における共同建て替え地区計画ではないのか?

 

いわば“建築家の卵”というべき建築や都市計画を学ぶ学生達の研究素材として、30年経っても未だに通用しているのは、そんな理由だからかもしれませんね。

 

埼玉県最大の交通ターミナルである大宮駅から2駅10分なので、皆さんも是非とも、たまには上尾で途中下車して中山道沿いの旧宿場町をお散歩してみてはいかがでしょうか?

 

残念ながら昔ながらの商家は遺っていないけど、代わりに建築や都市計画の教科書に載っている宿場町の環境に相応しい「現代版に進化」した集合住宅が見られますよ♪