たま〜に更新ババリの思いつきブログ

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私の感じたこと、思ったこと、考えたことに
ひょっとしたら共感を持って下さる方もいるかもしれないので
書いてみます。

本当に「たま〜に」ですが・・・

Amebaでブログを始めよう!

今や海外でもそのまま通じてしまう名詞になりましたが

30年前はまさかこんなことになるとは思いませんでした

そう 私自身がオタクという呼称を使い始めた部類の一人なんです

 

大元は

「お宅のご主人(又は奥様)は〜〜」

「お宅」

です

 

それを当時のアニメキャラが二人称で使っていたのを真似ていたのだと思いますが

アニメやSFのファン同士の会話で使っていたのがきっかけです

私のように好きだから制作にまわろうというのではなく

単にファンとして造詣が深かったりこだわりが強い人達に対して

いつまでたっても「ファンのまま」という

ちょっと差別的というかさげすんだ呼び方として使い始めたんです

 

といっても

まだサブカルチャーなる言葉が浸透する十数年も前のこと

端から見れば私も同じ狢で

「宮崎さん家の勤くん事件」の時は撮影スタジオで働いていましたが

実家には親戚や親しい方々から「大丈夫なのか?」との問合せが殺到したそうです

 

今や「オタク」を自称するいるんだものなぁ

言葉って変わって行くものだというのを実感します

最初はラジオやテレビで流れていたし
流れれば一緒に 爺さん婆さんや親父お袋も
鼻歌くらいはしていたような当たり前の歌 だった

ちょっと古めかしい印象の「椰子の実」

2回目は
免許を取り豊橋の友人を訪ねた時ドライブで行った
伊良湖岬の南端 恋路ヶ浜に歌詞の碑がたっていて
友人に問うたら
作詞の島崎藤村がこの地を訪れた時
この浜には時々ヤシの実が流れ着くという話を聞いて作ったそうな
へぇ~ 作詞家の感性ってスゴいなぁと思った

3回目は
小説を読んでいたらこの歌が出てきた
登場人物の成長や望郷にかかわって
とてもやさしく頭の中に響きました

耳に覚えてから40年たって
ようやく詩の意味を味わいました

いい歌だ

椰子の実」 

名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
 故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月

旧(もと)の木は生(お)いや茂れる 枝はなお影をやなせる
 われもまた渚を枕 孤身(ひとりみ)の 浮寝の旅ぞ

実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂
 海の日の沈むを見れば 激(たぎ)り落つ異郷の涙

思いやる八重の汐々 いずれの日にか故国(くに)に帰らん


ま、訳詞と言っても意訳なので歌えないけど・・・


あなたの生きる世界は

何代も何千代も子孫がふえ続け

一人ひとりの小石が手を取り合うことで岩のようになり

欠けたり 割れたりすることなく

全体が苔に覆い尽くされるほどの時間

平穏な年月に恵まれますように


もう、どの歌を訳したのかはお判りと思いますが 私は右でも左でもありません
両方の良いところを学んで真ん中を歩きたいです

「君が代」

今回うたの意味を知ろうと思って調べるまで
「石の岩音 鳴りて」と勘違いしていたほど無頓着でした

歌詞の意味だけなら
 「相手の繁栄と永遠の安定を願う」歌でした
何でこんな平和への祈りの歌を
歌うの歌わないのと騒ぐんだろう?

もちろん
 君=君主=天皇 とか
 一枚岩=服従 とかあると思うけど
それは解釈であって歌詞には書いてないよ

「私は」とか「我々は」とかって一人称ではなく
他人を思い遣っている内容だし 私なら普通に歌うな~
歌詞の意味だけなら「イマジン」に近いと思ったし

国歌として強制されているからヤダというのは
本質を学ぶ前に否定する「反抗期」的態度にしかみえなくなりました
もめてる人達の中心が教育者だったことにも愕然としちゃったよ

教える前にしっかり調べたり学んで欲しい





といっても非常識が好きなわけではありません
もともと良くあろう思うことが常識を生み出すので良い言葉なんですが・・・

 常識というのは法律やルールなどと違って個人的にもっているものです
自分の常識は家族間でも違うことがあるし
我が家の常識はよその家とは違うし
街に出れば千差万別
国が違えば正反対だったりします

 善意から生まれたものですから
他人との違いを取り入れ「じゃぁどうすれば良いか」考えて
より良くするためのヒントにはなると思います
 私が嫌いなのは自分の常識をふりかざして他人に迷惑をかけたり
常識にかまけて本来はどうあるべきか「考えることを放棄」してしまっている人や集団が多いためです

 よくスティーブ・ジョブズさんなどが常識を
「打ち破った」とか「覆した」などと驚かれますが
私にしてみれば喜ばしいだけの話ですから
驚いちゃった人にはもっとよく「考えて」欲しいのです


* 嫌いな言葉が続いちゃったので、次回は大好きな言葉を書きま~す!

よく「我慢が大切」とか
私の父などは「給料は我慢賃」と言います
いっけん良いことのように聞こえますが
私は「我慢」大嫌いです

まぁ遠慮とか辛抱というニュアンスなら良いと思うのですが
問題に対して自分が我慢したとしたら
いずれ別人も同じことで我慢するはめになってしまうではないですか~

問題にはちゃんと取り組んで
ちょっとずつでも良くしていかなければ
いつまでたっても進歩できないと思います

もう一つ私が嫌いな言葉は
「常識」です
それについては次回!
え~
普通に言えば「音楽」のネタなんですが・・・
私は色々な気持ちになった時
かなり聞いてきた音楽に助けられてきました。
そんな中、惚れ込んじまったインディーズのアーチストがアルバムのタイトルとして作ったのが「恩学」という造語です。
惚れ直しちゃった!


小学校の授業で「音楽」ってのがあって
他と違って楽しいのかと思ったら「理論」とか「歴史」で暗記、「学」の時間だった。

がっかりしてたんですが
「楽」より「学」、まなべって言われて楽しくなりました。


ファンとアーチストの接点って一緒に「楽しめるか」なんですね。


私の頭はけっこうのんびりしていて
会話の中では取り残されたり置いて行かれたりしますが
相手の輝きはちゃんと判るんです。

そういった輝きが
少しづつ集まって
気がついたら燦然と輝くDiamondが心の中にできました。

助けてくれる物でも
甘えられる物でもありませんが
何かに取り組む時
静かに力強く見守ってくれる輝き。

誰か一人を愛するのは難しいけれど
愛すべき物は沢山ありますね。

プリンセス プリンセス 『Diamonds(from DVD「The Last Live」)』

私は小さい時から写真が好きでした。
デジカメが主流の昨今でも写真に興味がでると欲しくなるのが一眼レフですね。
わたしも小6の時、お小遣いやお年玉、お手伝い等の収入手段を総動員して
小型の一眼レフカメラを購入しました。
一眼レフというカメラは撮影レンズを直接のぞき込んでフイルムに写るのと同じ画像を確認しながら撮影できるカメラです。だから望遠だろうが広角だろうがどんなレンズに換えても精密な構図を撮れるメリットがあるわけです。

ということは・・・・今時のデジカメは、携帯のカメラすら

「全部一眼レフじゃん!」



辛いというのは舌が「痛い」ことらしいですね

小さい頃、父が何にでも七味を入れてしまい
それじゃぁ味がわからなくなっちゃうじゃんと思っていましたが
今や私が七味を愛用しています

辛いのが苦手な人はそれどころではないかも知れませんが
味と辛いは感じるところが別なようで
ちゃんと味わえるですね
甘い物が苦手な私には白味噌の味噌汁やおでんを頂く時に
欠かせません

私が唐辛子のうまさを知ったのは韓国料理
同じ辛いでもわさびやマスタードは鼻にくるので
料理の風味がわからなくなってしまいますが
唐辛子なら大丈夫

私は辛いと周りの人が心配するほど顔だけ汗をかきますが
唐辛子っ辛いのは大好き
新陳代謝がよくなるような
スポーツの後のような
心地よい汗なんです