Travel is Trouble 107カ国目

Travel is Trouble 107カ国目

トラブルに塗れた旅行記
目指すはバックパッカー逆バイブル
反面教師で最高の旅を!

「100カ国行ったら旅は終焉」
100カ国周遊した今、感じる違和感
これで終わりでいいのか!?

いったい私の旅はいつになったら終わるのだろうか。このままでは全ての国に何となく行ってしまうのではないか? 既に何を見ても感動が薄れ、どんな変な人を見ても「またこれか」という段階。だったら何となくキリのいい数字である100カ国訪問したら旅は終了。それでいいじゃないかと思ってダラダラと旅を続け、気付けば既に104カ国周遊していた。きっぱりと終了に踏ん切りが付く何かが見つからなかった。
「旅の終焉はここでいいでしょ」
そう思える何かを探していた。

チベット仏教・ラダック

10カ国連続イスラム教国家旅の影響もあってか、旅の疲れはピークに達していた。特に最後の3カ国のアフガニスタンとイラン、イラクは情報が不足していて手探りで旅しなければならないという辛さもあった。そこで次に訪れる国として選んだのは情報に溢れたインド。インドなら心配なくネットの情報で旅ができるので難しい旅にはならないだろう。
インド北西部に位置するラダックで日本人のReinaさんと待ち合わせ、共に旅することになっていたので色々とシェアできることや一人で全て調べなくて済むという負担が少なくなるのはありがたいことだった。

私がラダックを選んだ理由は15年前にたかのてるこ著「ダライ・ラマに恋して」を読んだことからだった。内容を鮮明に覚えているわけではなかったが、インドの地域の1つに過ぎないラダックをたかのてるこさんが一冊の本にしたということもあって如何に特別な場所なのということがよく分かる。
飛行機でラダック最大の都市レーに到着。荒涼とした山々がどこまでも続く景色は圧巻。チベット仏教の国や地域で見られる5色の旗・タルチョが辺りに張り巡らされていて、運動会の万国旗を彷彿させて心が躍った。だがそんな感動も束の間、空気の薄さに驚かされた。標高約3500mと富士山頂とほぼ変わらない。高山病になる可能性があったので事前に高山病薬を服薬していたのだが、それでも空気は薄くて高山病になる寸前だった。標高2600m程度のボゴタでさえ高山病に罹患しているので、約2週間のラダック旅は無事でいられるのか心配でしょうがなかった。
高山病に備え、宿で3日間何もせずに過ごし、標高に慣れ始めた頃にReinaさんはやってきた。私よりも歳下ではあったが、落ち着き方が修羅場を潜り抜けてきた女性そのもの。それもそのはずだった。彼女は女性にして100カ国を既に旅している強者なのだ。やはりそういう女性は風格があるというかその辺の
「世界一周旅してま〜す」
みたいなキラキラ旅の女子とは訳が違う。ここから約10日間共に旅することになるのだが、何度となく助けてもらうことになる。
我々が最初に目指したのはプクタルゴンパ。ゴンパとはチベット仏教の寺院のことでレー周辺でもあちらこちらに建立されている。レーからプクタルゴンパへは、レーからバスで約20時間でパドゥムへ行き…。20時間!地獄過ぎるだろそれ!さらにそこからヒッチハイク、またはタクシーで登山口まで行く。さらにさらに1時間ちょっとのトレッキングなのでレーに戻るまで5日間はかかりそう。しかしこれはあくまでスムーズに行けたらの話。そんな5日間というドリームプランは一瞬で消え去った。
まずレーからパドゥムまでのバスが週に1本しかないということが発覚。その日まで待っていては拉致があかない。そこで私達はパドゥムまでの行程の途中にあるカルギルまでとりあえず向かうことに決めた。
約8時間でカルギルまでこれたのはいいが、22時だったためとりあえずここで一泊。翌日にバスを探すも
「パドゥムまで行くバスはない!タクシーだ!」
バスないのかよ!
計画が無惨にも崩れ去っていく。それなら少しでもパドゥムに近付くためにローカルバスに乗車。1時間も乗らずに降車することに。さあここからは…
ヒッチハイク!
過去にパドゥムからカルギルまでヒッチハイクで行ったことのある友人から連絡があり
「ヒッチハイクの車を捕まえるのに3日かかった」
…3日って。私達は一体どれだけ待たなければならないのだろうか。と覚悟を決めてヒッチハイク開始!本当だ。全く止まらないじゃないか! その後10分経過すると
いきなり止まりましたけど! 
私達を乗せてくれたのはムスリム5人組のインド人。パドゥムまでは行かないが、途中のパルカーチクまで行くというのでできるだけ近付いておきたかったので乗ることに決めた。座席が余っていないにも関わらず無理して乗せてくれた。イスラム国家旅を終えたのに、ここに来てまたムスリムに助けられている。どうしてもお礼がしたいと思い、手に取ったのはイラクのカルバラーでもらったイマームフセイン霊廟の塵が入ったパッケージ。ちょうどメンバーの1人がシーア派だったのでプレゼントすると
「これは母親へのギフトにする」
とそれを見つめながら潤んだ目をしていた。
シーア派どころかムスリムでも何でもない私が持っていては宝の持ち腐れとしか言いようがない物が本当に必要としている人へ渡った。この時、ムスリムの方々から頂いてきた恩を少しは返せたのではないかという報われたような爽快感が私を包んだ。
車でしばらく走ると、夕方に差し掛かっていた。
「きょうは無料宿泊所に行くけど君たちも来るかい?」
付近に宿もなさそうだったし断る理由がなかった。夕食に振る舞ってくれたのは牛とバッファローが合体したかのようなヤクの肉を使ったビーフシチュー。チベット料理はかなり美味しいのだがこのシチューが後に先にもラダック1の絶品だった。それもそのはず。作ってくれた人の本職はシェフ。シェフが仲間にいるとなんとも頼もしい。
何ともバランスの取れた5人組。リーダーの夢を叶えるために一心同体となって支える人、協調性高い人、賢い人、無口なシェフ、まるで売れる漫画の絶対条件かのような面子。何から何までやってくれて本当に感謝しきれない。
翌日、再びヒッチハイクを開始するとまたまた10分程度で車が止まり、ついにパドゥムまでたどり着くことができた。
しかしかつてヒッチハイクがこんなに簡単にできたことはなかったのだが、あまりにも早く成功しているのは一体。友人が3かかったというパドゥムまで合計待ち時間20分以内でここまであっという間という不思議。これはまさか女性の優位性か。男性は女性と比較して体格が大きく、力があることに利点があるが、女性は男性と比較して可愛がってもらえることが多いような気がする。しかしその利点は時にレイプなどの危険な目に遭いかねない。男女で一緒に旅をしたらどうだろうか。女性の利点を活かしつつ、男性が女性を守ることができる。
男女コンビ最強!
それが今回立証された気がした。Reinaさんは冷静沈着なタイプだが、ヒッチハイクとなると率先して可愛げを見せ、積極的に車にアピールしているように感じた。私達はこの互いの利点を活かしつつ、Reinaさんがヒッチハイク担当で、お喋りな私が車内でのトーク担当というように役割分担することで最強のコンビを形成。互いに英語が話せることもあって二手に分かれて情報収集をするなど何とも効率の良い旅をすることができた。協調性も高く、1人の時間が欲しいというタイプでもなさそうだったので何ともストレスなく旅ができた。私にとってはこれまで一緒に旅した中では圧倒的に頼りになるパートナーであり、今後も彼女以上のパートナーは見つからないのではないか。長期間に渡る旅でもはや満身創痍と言っても過言ではなかったのだが、ベストなタイミングでベストパートナーが現れてくれたことは何ともラッキーだったと感じる。バスが毎日運行しておらず旅するには不便なラダックは、ヒッチハイクを有効活用しなければ効率の良い旅ができないのだが、最終的に10回もヒッチハイクに成功。トータルの待ち時間は1時間をきったのは私にとっては奇跡としか言いようがない。運転手へのお礼にお金を渡そうと試みるもほとんど受け取ってもらえず、支払った額は計500ルピー(約850円)だった。

パドゥムに到着した翌日、2度のヒッチハイクで6時間かけてプクタルゴンパ手前のチャーまで到着。ヒッチハイクした親子の家がプクタルゴンパから川を挟んだユガルにあるということで1人1000ルピー(1700円)で朝夕ご飯付きで宿泊させてもらうことになった。
落ちたら即死であろう断崖絶壁の中、ユガルまで約1時間のトレッキング。時刻は18時過ぎ。山間を流れるターコイズブルーの川はこれまでに見たことがない
※この写真は翌日撮影

トレッキングの途中で完全に日が落ちた。
ただでさえ不明瞭かつ足場の悪い中での登山は死の危険が付きまとうのだが幸い地元民もいるし何とか苦労しながらも1時間ちょっと歩いてようやく彼等の家に到着したのだった。
ラダックの景色は素晴らしいのだが、しばらく同じ景色を眺めていたのでここまで辿り着く頃にはもはや飽き始めていた。しかしこのプクタルゴンパ周辺にはターコイズブルーの川が流れ、断崖絶壁に寺院が建立されており、何とも風光明媚なのだろうか。
こういう景色がずっと見たかったんじゃないかな。そんな気持ちがふとよぎった。

親子の家では娘さんが夕食の準備を始めていた。大根やトマトをまな板なしで宙空で切る様子をぼーっと眺めていた。疲れたな。これまでの長期旅で身体はもちろん、今回の後先が分からないヒッチハイク旅で気疲れしてたのだろう。新たな人との出会いは楽しい反面、極度にストレスがかかっていたのかもしれない。やはりこちらが乗せてもらっているという申し訳なさが、どうにも処理に難しい思いに駆られてしまう。本当ならバスのように決まった値段を払い、何も気にすることなく乗車していたいもの。何も話さずにヒッチハイクした車に乗るなんて傍若無人過ぎる。コミュニケーションを取ることにより知見を深められるのだが、それによって得られる知識が一日で学習できるキャパを大幅に上回っていくようなそんな感覚だった。
家族4人は日課のように談笑。我々に対して常にふざけ続けていた親父さんだったが、家族の前では格調高い威厳のある親父のように見えた。現地語なので何を言っているかは分からなかったが、4人全員が話の輪に入り、思い思いに話しているような雰囲気。娘さんは時折ニコッと可愛らしい笑顔を見せ、お母さんは順風満帆そうな表情。パドゥムから車の運転をしていた息子さんは道が悪い中、神経をすり減らしただろう。眠たそうな表情をしていたが、私達に気を遣ってくれて通訳をしてくれていた。
私がここで見ている家族愛は、よしもとばななの作品の世界観のような暖かさに溢れている。世界各国、時と場合によって様々な形を見せる家族愛だが、今、私が見ているのは紛れもない家族の完成形なのではないだろうか。この家族にとっての日常が私にとっての理想。何とも羨ましい関係性なのだろう。

夕食後に自家製の酒を頂いた。しばらくイスラム国家旅だったことと、そもそも年に数回しか酒は飲まないので久々の酒にすぐに酔った。すると何か込み上げてくる思い。
「ちょっと星を見てくる」
逃げ出すように外へ出て行った。
思った以上に星は輝いていた。川の流れ、虫の声、薄っすらと光るプクタルゴンパ、燦然と輝く星空。岩場に寝そべりながら1時間くらい山の向こう側に溢れる星々を眺めていた。9月半ばで少しひんやりする中、頬を伝うものは暖かく感じる。他に行きたい場所はどこだろうか。それを考えた時、答えは見つからなかった。ここが自然と旅の終着駅となっていたのかもしれない。長い間旅をして、再起不能になっていたと思っていた琴線だったが、ここでようやく触れることが叶った。悔しさと安堵の2つの感情が頭の中を巡り廻る。すると
「こんな所で何してんだろう」
それは旅の終了を意味するフレーズ。

ドタバタ旅行記閉幕

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香港で国際犯罪!?
まさかの無銭飲食?!
反日騒動の実態

誰かと日程を合わせて海外に行くことはほぼないのだが、大学時代と会社勤務していた時は高校時代の友人・Aひろを誘い合わせて行くのが時々あった。いまとなってはJALの整備士という立派な仕事をしているが、高校時代は実に妙な男だった。授業中に踊ったり騒いだり、写真を撮ったら足が消えていたり、金が一円もないときにセルフうどん屋に行って出汁だけもらったりとはちゃめちゃ。そんな変人がが海外に行ったらどうなるかなんて想像しただけで面白い。

国際犯罪in香港

2人で初めて旅行したのはまだ互いに学生の時で香港と中国の広州へ行った。因みに広州に行った理由は「広州の公衆トイレに行く」。広州へは香港から電車とバスを使って日帰り旅行。広州に行くのに香港から電車で深圳まで行かなければならないのだが早々に事件は起こった。
電車に乗るために自動改札に切符を入れるとAひろのだけがなぜか改札に吸い込まれるという事態に。中国語でこれを解決する自信がなかったAひろは、私にぴたっとくっついて離れずに改札を通過するという古典的手法でこの場を乗り切ったのである!日本でやるのさえ躊躇してしまうことを、Aひろはあっさり香港でやり遂げてしまったではないか!私はバレたら面白いことになるぞと心の中で祈っていたのだが結局気付かれることなく国際犯罪者に成りそこねていた。

Aひろの勢いは止まらない。広州までバスで行ったはいいが、帰る分の金が無い。厳密に言うと私はギリギリ足りたのだがAひろは足りない。それなら両替だと銀行を探すも営業時間外。ここでAひろに目を向けるとなんと
水戸黄門の印籠の如く日本の学生証を見せつけているではないか! 無茶苦茶過ぎる! もちろん割引など通じるわけはなかったのだがAひろには最終手段があった。それは
土下座!
何度も何度も頭を地面につけて懇願! バス代は約200円。いまだかつて200円のために土下座をする成人を見たことがない。子供だ。子供のように何でもかんでもまかり通ると思っているのだこの男は。周囲の人々はこの土下座にどよめいていた。
「分かったから頭を上げてよ!」
土下座されることを恥ずかしそうにしていた窓口の女性はジェスチャーで土下座を制止。そしてなんと割引どころか、無料でチケットをゲット! こんなハチャメチャな旅人は他に見たことがない。恐るべしAひろ。

反日騒動真っ只中の上海へ

2010年の上海万博が行われていた頃は尖閣諸島の領土問題で反日騒動の真っ最中。日本企業のデパートのショーウインドウが割られていたり日本の国旗が燃やされたりと大暴動だったのだが、そんな中
「中国に行くのが漢ではないか」
Aひろに呼びかけると、さすがは器の深さ底知れずな漢。考える間もなく即答で上海に行くことを了承してくれた。
Aひろ×上海万博×反日騒動=面白い
この方程式を確かめにいざ上海へ。
いつでもエキサイティングなAひろとの旅行は唯一無二。これだけネタになるものはないのだが、エキサイティングが頻発されてもそれはそれで疲れる。今回ばかしはお互い就業していることだし大人旅を願っていたのだが、事件はあまりにも早く引き起こされた。
上海に到着早々、我々はふらっとザリガニレストランに入店。
そのレストランは珍しく前払い制だったので、クレジットカードを使用を試みるもNG。
「前に中国を旅行したときに残った300元(当時約3600円)があるよ」
自信満々に言い放ったAひろ。香港、広州の旅で中国旅行にどっぷりはまってしまい、中国の常連なんだという。そして中国常連Aひろは、自信満々に金を定員に差し出した。すると苦笑いする店員。それにも臆せずさらにAひろはどや顔でさらに金を突き出すも首を横に振る店員。…さっそくやらかしてしまったようだ。後に分かったのだが、Aひろが持ってきたのは…
台湾元だったのだ!
「中国元と台湾元て違うのかよ!」
不貞腐れるAひろ。
いや違うだろ!
もしも通常通りの後払い形式の店だったらと考えてしまうと身震いがしてしまう事件だぞこれ。それに忘れてはいけないのが反日騒動の真っ只中だということ。結局私の持っていた少額の元でカップラーメンを購入してホテルで食べた何とも悍ましき初日。

上海万博の会場の最寄り駅で電車を待っていた時に事件は勃発。
起点の駅だったため、一番前を陣取っていれば座れることは確実と思い、我々は一本電車をスルーして策略通り一番前を保持することに成功。しかしいざ電車がやってくると中国人が怒涛の勢いで順番など関係なしに雪崩込む。その光景はまるで運動会の棒倒し。屈強かつ細マッチョの我々が作ったガードはダムの決壊の如く破られ、一気に突破されてしまった。電車内はみるみるうちに席が埋まっていく。しかし我々は日本代表。国の威信を賭けた椅子取りゲームに負けるわけにはいかないのである! ちょうど2席空いた席に飛び込んで席を確保することに成功。ガッツポーズをするや否や、我々と同じ席を狙っていた薄らハゲのおっさんが考えられない行動に出た。我々を睨み付けながら向かいの席にゆっくりと腰を下ろしたのだ。席など空いているわけはないはずなのにいったいどうやって? と思うかもしれないだろうが流石は中国。彼が座っていたのは
お姉さんの膝の上!
日本では人の膝の上に座るのは未就学児までと決まっているが、中国ではいいのか? と疑問で頭がパンク寸前。もう笑いを堪えられない状況だったが忘れてはいけないのが反日騒動。もし我々が日本人だと分かれば「死」…。薄らハゲは依然として我々を睨みつけていたので火に油を注ぐことはできないと、何とか堪えていた。我々はまだ大丈夫だったのだが、先に限界を迎えていたのはお姉さんだった。薄らハゲのハゲ部分をバシバシ何度もぶん殴る。そして殴られても殴られてもめげることなく膝の上から退こうとしない薄らハゲ。そんな状況でもひたすら我々を睨みつけるその姿を見た時に笑いの洪水が押し寄せ爆笑。悟られないようバッグに顔を埋めて泣きそうになるくらい笑った。しかしAひろは
「やべー! 殴られてるよ!ウケるー!」
薄らハゲを指差しながら大爆笑しているではないか。もうこうなってしまっては薄らハゲからの逆襲などどうでもよくなり、一緒になって笑いに笑った。反日騒動中にも関わらず、中国人の失態を馬鹿にするあたり、さすがはAひろと言わざるを得ない。Aひろとの旅行は、シリアやアフガンに行くよりも遥かにデンジャラス。ただ、そんな唯一無二の旅行はいつもエクセレントなのだ。

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結婚不可能?!

イラン人との恋の行方

280AMD=約100円 


イラン人がビザ無しで行ける近隣国・アルメニア。よってアルメニアには出稼ぎや訳ありイラン人が大量にいる。

私が宿泊した宿の清掃係はイラン女性・サヘル。笑顔がとんでもなく可愛く、天真爛漫な雰囲気。その屈託のない笑顔は私が忘れ去った純粋無垢さを感じられるのだが、年齢は私よりも5歳も上だというから驚きだった。


サヘルは2年前の2021年からアルメニアに住み続けている。その理由を一言で言ってしまえば道徳警察からの逃亡。彼女はイスラム教に対して昔から疑義があったらしく

「生まれた時から自動的にムスリムになっていた」

「棄教で死刑はおかしい」

ごもっともな意見である。私もイスラム教に対して疑問に思っていた部分は多々ある。

「豚肉が食べれないなんておかしいよね!?」

と訪ねると

「それは別にいいんだけどさ」

いやおいおい!

豚の角煮美味しいよ!? 魯肉飯一生食えるよ?!

彼女が道徳警察に狙われる理由はインスタグラム。聴衆の前でペルシャ語でプレゼンし、最後に風船を割っている動画を見た。恐らくはイスラム教は消えてなくなれとでも言うようなメッセージだったのだろう。フォロワーも多く、いかにイラン人に反イスラム教がいるかが分かる。

私がかつて記者時代に取材した在日イラン人の男性も豚肉を食べ、酒を飲み、祈ることはない。彼曰く、日本に住んでいるイラン人のほとんどがもはやムスリムではないという。モロッコで出会ったサウジアラビア人も同じで、彼がムスリムを辞めたのは

「教会に行った時に祈ってみると、イスラム教の祈りと何も変わらなかった」

という特殊な理由だった。


宿泊2日目の夜、サヘルから壮絶な話を聞いた。

「アルメニアに来た時の全財産は100ランド(36円)だった」

そんなことがあり得るのか!?笑 たった100ランドだけを持って入国してくるとは。

ホームレスなどが利用するシェルターに滞在して何とかやっていたというが、1週間滞在後にイラン人が無料宿泊所に滞在していると摘発を受けた。何でもイラン人はシェルターに滞在不可なのだとか。シェルターを後にした彼女はアルメニアレストランやイラニアンレストランなどで働き生計を立てていたという。そしてイラン人夫妻が経営するホステルで掃除婦として働いている時に私と出会った。

2日目の夜、サヘルとwhatsappを交換することになったのだが、彼女のスマホは画面がバリバリに割れていて、文字は辛うじて認識できるレベル。そしてバッテリー残量は8%で、充電してもそれ以上にならないという。今の時代、スマホがないと競争社会で取り残されかねないので、だったら盗難時に使おうとしていた私のサブのスマホを使ってもらいたいとプレゼントした。あくまでサブのスマホ。使われないより誰かに使ってもらった方がスマホも嬉しいだろう。それによって1人の人間が助かるのなら本望である。


彼女とは私が滞在した2日間かなり話し込んだ。しかしこのことが後にオーナーの逆鱗に触れることになるなど知る由もなかった…。彼女と話すのはとても有意義だったのだがエレバンにリダの家という日本人宿があるということが分かったので様子を見に行こうと宿を変更することに決めた。リダの家はかつて路頭に迷う日本人をアルメニア人老婆・リダが家に招いて助けてあげたことから伝説の日本人宿として君臨している。リダは御歳81歳だというのに家や庭の清掃をしたり料理を作ったりといまだに現役。そして何よりBooking.comの他の宿が最安で2500ランドの中、ドミトリー1泊2000ランドという破格なのが最高。しかもドミトリーと言っても円安の影響で日本人旅行者が海外に出てきてないこともあってドミトリーをプライベートルーム同然に利用できたのはおいしい。


リダの家で悠々自適に過ごしているとギルダから連絡。

「オーナーに宿を追い出された!」

ムスリムの世界では女性が他宗教の男性と親しくするのは厳禁であり、私と親密に話し込んでいたことを良く思わなかったのだろう。しかし彼女本人は自称元ムスリムであり、それを公言しているのだがイラン人のオーナーにはそれが理解できなかったのであろう。ムスリムの慣習を知らなかったのだがなんとも言えない罪悪感に苛まれてしまったので彼女をリダの家に呼ぶことにした。


サヘルの全財産は6000ランド。最安のリダの家だが3泊したら無一文になるほどのその日暮らし。宵越しの銭は持たない江戸っ子の見本とも言えるその生き様には感銘を覚える。仕方がないので私が彼女の食費と宿泊費を支払ってあげることにした。食材を買ってきてはサヘルが料理してくれる。言ってみればイラン料理を食べさせてもらっているも同然なので私にとっても嬉しいのである。


池のある公園まで歩いて一緒に行った時の話。距離は2kmにも満たなかったのだが

「足が痛くて歩けない」

辛そうにしていたサヘル。普段から歩いていないのではないかと聞くと

「筋ジストロフィーなの」

青天の霹靂だった。指定難病の筋ジストロフィーを持つ人と私は今後も付き合っていけるのか? それに周辺視野が見えないことなど複数の持病を持っていた。私ももうじじぃなのでサヘルと結婚しようかと考えていた時の話だった。しかもである。母親は寝たきりで、一番上の姉は統合失調症で自宅に引きこもるなど一家があらゆる病気でダウンしている。これは後にイランを旅して分かるのだが、ゾロアスター教が多分に影響を及ぼしている可能性が高いのではないか。


紀元前6世紀から7世紀後半まで千年以上も現在のイラン周辺を中心に信者が多くいたとされるゾロアスター教。ゾロアスター教は近親相姦が最大の善徳と説かれていたこともあって、生まれてくる子供に何らかの遺伝子疾患の罹患率はかなり上がる。

ゾロアスター教について書いたブログは以下


まあそれはいいとしても筋ジストロフィーや他の病気の治療代を私みたいな金持ちでも何でもない男が賄えるわけないのである。その筋ジストロフィーが影響してか、サヘルは朝トイレに入ってから1時間程度は出てこない。そして結婚を諦めた理由を決定付けたのはムスリムの女性とノンムスリムの男が籍を入れる難しさ。

まず私がムスリムにならないといけないという高きハードル。チャーシュー、魯肉飯が食べられなくなるなんて考えられないんですけど! あとお祈りもお盆の墓参りくらいにしてくれないかな? そして宗教婚の婚姻証明書が必要なのだがサヘルは

「私はムスリムじゃない!」

の一点張り。イランのパスポートの時点でそんなの絶対にまかり通る訳がないのに。こうして結婚を諦めるに至ったのだが、彼女と一緒にいる時はまだその気だった。


元々UAE行きの航空券を購入していたのでアルメニアに居られる1週間のみ。アルメニア各地を訪れようと思っていたのだが、彼女と一緒に居た方が断然楽しかったのでどこにも行くことはなく、エレバンにずっと滞在していた。

彼女着ていた鮮やかなワンピースは良いのだが下がおっさんが履くような黒いサンダル。あまりにも不恰好だったので買ってあげることに。この時点でただのパパ活じゃないかと思われるかもしれないが、彼女はアルメニア語がペラペラで、街のことを教えてくれたり相互に助け合っていた。…はずである。

手頃なサンダルを買ってあげるとそれを履いて

「ねぇ見てみて。私リッチに見える?」

…反イスラム教を掲げてアルメニアに逃げてきた彼女。ビザがないので合法的に仕事もできず常に貧乏生活。その言葉が深く胸に突き刺さり、何と芯の強い女性であるんだと思わされただけでなく、ぬるま湯に浸かっている私は一体何してるんだろうと思わされた。

「うん。リッチに見えるよ。綺麗だよ」

それ以上は何も言葉が出なかった。


心優しき彼女は、余ったご飯を猫に与えていた。

「なんで余裕がないのに猫にご飯を分け与えるの?」

そう聞くと

「猫が可愛いから」

相変わらずの屈託のない笑顔。いつも自分に素直に衝動的に行動してきたことがあの屈託のない笑顔を作り出しているのか。いつも喜怒哀楽がはっきりしている彼女にいつの間にか引き込まれていったのだろう。


最終日の夜、近くのショッピングモールへ。今日でしばらくサヘルに会えなくなると思うと感情をコントロールすることが難しく、目を合わせて話すことができなかった。

「トイレに行ってくる」

トイレの個室に入るなり泣けるだけ泣いた。涙が枯れるまで泣けばもう大丈夫だよね。関係を保つのは簡単だが、その先の未来を考えるとやはりどうにも難しい。好きな人と一緒に過ごせなくなる辛さってこんなにも辛いんだね。

私が過去にお付き合いしたのは3人。20歳の時に世界旅行を始めたことをきっかけにお付き合いすることを封印した為に3人で留まっているだけであり、別に私に特別難があるわけではない…はず。3人共特別好きだったわけではないのだが、成り行きで付き合ったという感じだったので、別れるときもさほど辛くはなかった。なので今回感じるこの別れの辛さとはこれまでに感じてきたものとは格段に違った。そして同じ日本に住んでいる人ではなく遠い異国の地という一生会えないかもしれないという現実がさらに拍車をかけた。それでも行かないと…。


別れの日。

「なんで私だけを置いていくの?!」

そう言う彼女だったが泣いてはいなかった。私の気持ちだけが独り歩きして彼女を思う気持ちが勝手に膨れ上がっただけなのだろうなきっと。彼女も生きていくために必死で、正直恋愛どころの話ではないのだろう。これで何か吹っ切れたような気がした。

エアーで路上演奏をしているフリをするだけの簡単な稼ぎがあった彼女だったが、それでもやはり長期的に見てまだまだ生きていくのには厳しいだろうと、1ヶ月分の家賃分だけ金を渡しといた。これで終わり。

彼女と別れた直後、人目を憚らずに泣いた。泣きたくないのにどうにも止めようがなかった。


UAE行きの飛行機に乗る直前だった。サヘルから連絡。

「なんで別れの挨拶無しで帰ったんだってリダが怒ってるよ」

忘れてた…。


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「何でいまハイチに来たんだ?!」
大統領が暗殺された!?
前途多難過ぎたハイチ旅

2022年10月にハイチを訪問。ハイチといえば、大阪ナオミの親父の故郷ってことと、英語の発音だとハイチを「ヘイティ」と発音すること以外は何も知らない…。知らな過ぎた男の末路は一体どうなるのやら。
降り立ったのはハイチの首都・ポルトープランス。いつも通り平然と空港から外に出ると衝撃の光景だった。道の両側が燃えている…。意味不明過ぎるにも程がある。燃え盛る道、異常に臭い川、ずっと後をつけてくる子供達。
キャオス!
燃えているのはゴミ。なんでもゴミの回収などないため、自分達で焼却処分しているのだとか。川には下水を流し、貧困に喘ぐ子供達が到着早々に物乞い。何とも衝撃的なファーストインプレッション。私は無事にハイチを抜けれるのか…。

中南米最貧国とされるハイチなのだが宿代金が最低でも3000円という七不思議。何でも電気代が高騰しているのが原因なのだとか。恐らくホテルは蓄電できるジェネレーターを使用しているのだろうが、それがないと毎日18時から20時までの2時間しか電気が使えないというおぞましき事態。それでも3000円は払いたくないので一度も試したことがなかったが、無料で宿泊させてくれるcouchsurfinを使い、何とか宿泊に漕ぎ着けることに成功。しかし私の初めてのカウチは最悪な思い出となった。

「この部屋で寝ていいよ」
とコンクリート打ちっぱなしの部屋に案内された。普段からテント生活をしている身としては何ら悪くない。しかし夜に事件が勃発。トイレへ向かおうとスマホのライトをふと点けると、おぞましい数のゴキブリ!
そしてさらに驚いたことに、使っていいと言われた部屋に他に2人の現地人! そうか。きっと夜更かしが好きなタイプなのだろう。音楽も爆音にしているしそういうことだよな…
ってそのまま部屋で寝てるけどー! 
カウチサーフィンって雑魚寝なの?! しかも爆音の音楽はずーっとそのままだし意味不明なんだけどハイチ。あとモゾモゾするなと思ったら
ゴキブリが足這ったんだけど! 
カウチサーフィン過酷すぎるわ! 翌日にこの家を去ったことは言うまでもない。
airbnbで宿泊先を探すしていると一泊$10を発見。試しに行ってみると何とも大豪邸。しかも豪邸にも関わらず、一人で使っていいと言うではないか!
airbnbのホストは身長は低いがガッシリとした体系のハイチ人・ベントゥル。なんでも祖母がアメリカに住んでいたことから金持ちになったとか。この豪邸は祖母が購入したものなのだとか。子供3人と姉と一緒に暮らすベントゥルなのだが、奥さんは一体…。そして親もいないのだが、何か理由でもあるのだろうか。
「ところで、なんでいまハイチに来たんだ?!」
神妙な面持ちのベントゥル。
「ハイチに来るのに時期とか何かあるのか」
と返すと
「大統領が殺されて不在なんだよ!」
大統領が殺された?! そんな話一切耳に入ってこなかったのだけれど。
ハイチのジョブネル・モイーズ大統領は2021年7月7日、武装集団に銃撃されて死去。実行犯はコロンビア人を主体とした28人。現在も大統領不在の状態がしばらく続いていた。
その混乱に乗じてハイチのギャング達が暴れに暴れまくり、殺人や誘拐、デモなどがひっきりなしに行われているというのだ。これは一刻も早く隣国のドミニカ共和国に抜けようと、バス会社に連絡すると
「先週のバスジャックによるアメリカ人とカナダ人の宣教師と家族ら17人が誘拐された事件からドミニカ共和国行きのバスは現在運行していません」
先月のバスジャック!
終わった。一体どうやってドミニカ共和国に行けるのか。

ベントゥルの家は空港から歩いて30分程で、ダウンタウンまでは徒歩1時間はかかる。ダウンタウンではガソリン価格高騰によるデモが頻発していて
「ダウンタウンに行ったら殺される」
とベントゥルに念押しされていた。しかしせっかくポルトープランスに来たのだから一瞬だけでもダウンタウンを見てみたいとベントゥルに内緒で行くことにした。言ってもそこまで大したことになってないのだろう。今までの経験上そうだったのだから絶対に大丈夫…。
ベントゥルの家の近所はよく歩いていたのでもはや何の心配もなかった。今日はさらにいつもとは違うダウンタウンへの道。ダウンタウンに通じる大通りまで来ると人通りが激しい。思った通り、観光客など一人もおらず、アルビノの人以外は全員が黒人。それだけで注目の的になりかねないなと厳重に歩みを進めた。ようやくダウンタウンの端っこに来たかなと思ったところだった。何かガソリンスタンドに人が集まってるなとカメラを構えた。すると集団の中で誰かが私に向かって叫んでいる。手には…
ショットガン!
「危ないからこっちに来なさい」
道行く人に手を引かれて移動。
「彼等はガソリン価格高騰に反対デモでガソリンスタンドを占拠してるんだ。写真を撮ろうとしていた君に怒ってたんだ」
間一髪
まさかあれが噂のデモだとは思いもよらなかったぞ。普通に撃たれて殺されてたかもしれない…。今日は大人しく帰ろう。

ベントゥルの家は3階建てで、3階テラスから街を見渡すことができた。夕方頃になると決まってダウンタウンの方から銃声がポツポツ聞こえてくる。こんな地獄のようなハイチの日常だがベントゥルは一体何を思っているのだろうか。
ベントゥルの奥さんはキューバ人。このハイチの治安悪化を受けてキューバに一時帰国しているのだとか。特に気になったのは両親のこと。なぜ一緒に住んでいないのかを訪ねると
「父親は亡くなったが、母親は数年前にアメリカに船で行った」
亡命だ!
それも親族を残して単身アメリカに亡命するという荒業をやってのけたというのだ。とうのベントゥルも
「早くハイチを抜け出したい」
とうつむく。2023年になってからもギャングが躍動し、約2400人が殺害、900人以上が誘拐されているという。多国籍部隊が出動することも決まったのだとか。私もここまでやばい国は100カ国以上行った中でも初めて。地元民達には申し訳ないが、一刻も早くドミニカ共和国に行くことに決めた。

ドミニカ共和国に向けて出発

ドミニカ共和国行きの直通バスは不通だということで、ローカルのバスに乗って現地人に成りすましてドミニカ共和国付近まで行くことに決めた。露店が立ち並ぶ辺りで近くまで行くバスを見つけて乗車。ふとメールをチェックすると
「明日のみドミニカ共和国行きのバスが運行されます」
直前過ぎるのよ! もうバス乗っちゃったよ。まあギャングもまさかローカルバスでドミニカ共和国に行く旅行者がいるとは思わんだろう。
向かう途中だった。道路を封鎖している団体。急激なガソリン代の高騰やら物価高騰やらに対しての憤りがあって、どうにか行動で示そうと道を封鎖しているのだろう。そして道を封鎖されていることが人伝で広がり、やがて政府に届くのであろう。流石は元フランスの植民地。フランスを見習ってデモすれば何とでもなうという考えなのだろうな。
国境近くの街に到着し、バイクタクシーに乗車。国境まで約5km走ってくれるという。運転手はまだ10代であろう若造。登り坂の途中で一旦エンストしたのだが、ガソリンがないから止まったようだ。ハイチはもはや国として成り立ってないのではないか。学校に行けずにこんな若いのにバイクタクシーの運転手として生計を立てないといけないなんて。彼の気持ちを察するだけで涙が止まらない。国境へ到着して金を多めに支払った。
入国審査では、日本人は入国ビザがいらないはずなのだが50$払えと言われた。
「日本人は無料だと聞いているが」
と言っても
「駄目だ! 払いなさい!」
と一歩も引かない。こうなったら奥の手である。スマホを取り出し電話。相手はドミニカ共和国の日本大使館。状況を説明すると
「お金を払う必要はないです」
だってよアホンダラ!
それでも謎に一歩も引こうとしないので大使館の方に直接話してもらうと
「無料だ。行っていい」
ヨッシャー! 正義は勝〜つ!
少し高かったがハイチでsim買っといて良かった。
審査が終わり、ドミニカ共和国側に出ると、さっきのバイクタクシーの青年がまだ待っていた。あれ? もう金払ったけどどうしてだろう? 
「サントドミンゴ行きのバスが出てる町まで送るよ」
状況が飲み込めない。だってただでさえハイチ人はドミニカ共和国に入国するのが厳しいはずなのに、一体どうやって国境を容易く越えれるというのか。そういえば彼は中々流暢なスペイン語を話せるのだが…っておい!
お前ドミニカ人だったんかい!
ドミニカ共和国入国後は10回以上も検問があった。
その頻度はベネズエラをも上回る。やはりハイチからの難民を排除したいのだろう。
ようやくドミニカ共和国に到着し、ドミトリーのある安宿にチェックイン。するとそこには1人のフランス人。ハイチから来たというと
「お前はクレイジーなのか!?」
でしょうね。

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おもてなし受けるおっさん
おもてなしする子供達
100IQD=約10円 ※各詳細情報は文末

カルバラーからバスで1時間。古代都市・バビロンで有名なヒッラへ。ヒッラでは何とかカウチサーフィンを取り付ける事ができたのでひとまず安心。
ヒッラに到着してから待ち合わせ場所のサイバーカフェへ。すると
「待ってたよ~」
とハリウッド女優かと思ってしまう程の強烈な美女が私を待っていたと言うではないか! ハニートラップなのかと疑ってしまうほど。しかも日本のアニメシャツを着ている。美しすぎて顔を見ることができない。
すると
「お〜ドタバタ来てたね」
とサッカーフランス代表で活躍したベンゼマそっくりな男性が現れた。
「今日はうちに泊まるからな」
ベンゼマの家かい!
美女じゃないんかい!
いやウソウソ。宿泊させてもらうだけで嬉しいです。すると頼んでもないのに友人を紹介してくれると言うので別のサイバーカフェへ。てかサイバーカフェ何店舗あるんだよ。
もう一方のサイバーカフェには18-19歳の学生集団。
「それじゃ仕事があるからあとは楽しんで」
とベンゼマ。は? 彼等と遊ぶって歳の差やば過ぎでしょ! ジェネレーションギャップどんだけよ! 絶対に尾崎豊知らないでしょ?
とは言いつつもなんだかんだ楽しめた。ゲームが終わったらベンツでドライブ。
え!? ベンツって18歳がかよ!
何でも彼等は医大に通う学生で、親も医者とか結構な華麗なる一族。よって皆英語もかなり話せた。
「ベンゼマ仕事が遅くなるから僕の家に行こう」
とメガネをかけたベンツ運転手。通称ベンメガ。家へ行くとやはり大豪邸だった。
到着するやいなや、度の強いメガネをかけた弟と、完璧な挨拶をしてくれた妹がお茶を持ってきてくれた。これが俗に言う「無限チャイ」。断らない限り無限に出てくるチャイ。断ったって止むことがないことだってある。特に夜の無限チャイは辛い。一杯目は必ず飲まないと失礼にあたるわけだが、カフェイン摂取による睡眠障害という概念を知ってか知らずかお構いない。そもそもムスリムの夜は長く、睡眠をあまり重要視していない可能性が高い。それは日中暑すぎて行動ができないという環境もあるはずだが、1日5回お祈りするという習慣があるからだと推測できる。

しばらくするとデリバリーで夕食を頼もうということに。旅中ということもあり値段が気になったが、チキンバーガーとポテトを注文。デリバリー業者がやってきたので支払おうとすると
「支払いは僕達がするから大丈夫」
おいおいおい! なんでハタチにも満たない子達がおっさんの支払いをしてあげようなんて気持ちになるのだ! 凄すぎる。もしかして私のこと同世代とか思ってるのではないかと確認したら
「25歳くらいでしょ?」
偉いぞ! それ聞いて逆に奢りたくなったわ!
そんな好青年達と食後はバイクで街へ繰り出すことに。
ベンメガの後ろに乗り準備完了。すると急発進!そのまま細い道を大丈夫なのかと心配になってしまうほどのスピードで駆け抜けるベンメガ。
いや怖すぎるって!
大学時代にバイクで転倒して骨折し、病院に行かなかったせいでマジンガーZみたいな腕になった走り屋の友人の後ろに乗った時を思い出すわ!
「金返すから降ろしてくれ!」
なんて泣き言など言えるわけもなく
「東京ドリフトはこんなもんじゃないさ」
とか言ってマウントを取る。そのキメ顔で言い放った一言で全員複雑な顔をしていたのは、私の足が異常に震えていたからだろうか。

結局ヒッラでは古代都市・バビロンの遺跡入場料が25000IQDと高いので諦めることに。するとベンゼマが
「何しにヒッラに来たんだ!?」
言われて見れば何しに来たのかさっぱり分からない。学生達と遊びに来ただけみたいになっているよな。というかそもそもベンゼマの家に宿泊できなければ多分来なかった。しかし結果的にヒッラに来たおかげで何ともハートフルな人々に出会えたのだ。悪くないのだろう。もし学生達に会えていなかったらバビロンの遺跡に行っていたと思う。しかしもうお腹いっぱい。ヒッラの思い出をバビロンで上書きするよりは、学生達との楽しかった思い出のまま残しておきたかったのかもしれない。さあ、イラク最後の街・ナジャフに向かおう。

最後のおもてなし

シーア派聖地・ナジャフ。ここからインドへのフライトが安かっただけで来ただけであり、ここに何があるかさえ分からなかった。というか執筆している今も全く霊廟やモスクの名前すら覚えていない。それなら各必要ないかと言われると、やはりまたまたイラクのおもてなしがあったので、書かずにはいられない。

ナジャフもカルバラーと同じく大勢のイラン人とイラク人に溢れていた。カルバラーは特定の場所だけが人混みに溢れていたが、ナジャフは霊廟やモスクが点在していたのでどこまで行っても人混み。つまりどこまで行っても炊き出しの露店が並んでいるのだ! もはや無料バイキング。もう食べれないと思ってもどんどん配られてしまう。一旦避難しようとシェアタクシーに乗っても窓から渡されるのだ。もはや出された物を全て食べなければいけないという仕来りがある石原軍団だよこれじゃ。

時刻は21時を回っていた。そういえば翌日の正午にインドへのフライトが控えていたのだが、そういえばビザは印刷が必要なのかと調べたらまさかの印刷必須。もう店は閉まっている時間だよなと、誰かプリンターを持っている人の家を探していると、家の前でゲームをしている青年を発見。印刷できるか聞いたら店がまだやっているというのだ。場所が複雑だからとわざわざ1kmくらいを道案内してくれ、無事に印刷できた。代金を支払おうとすると首を横に振られ、いらないという。一体どこまで親切な人溢れているのだイラクという国は。
青年の家の方まで戻って思い出したが、青年がやっていたスマホのゲームは「eFootball」というコナミのサッカーゲームだった。イスラム圏ではなぜかこれが人気。私はこのゲームの大ファンで、基本的に毎日プレーしている。お礼になるか分からないが、試合相手になってあげたいと勝負をすることに。
正直相手にならず、何度やっても圧勝。終わりにしようとすると
「今日うちに泊まっていきますか?」
めちゃくちゃ嬉しいオファーだった。それでもちょっと迷った。24時に差し掛かろうとしていて、今から空港内に入り、寝れば結構ちょうど良さそうなんだよな。それに空港内に入るのにどれだけ時間がかかるかイラクといいこともあって未知数。
「ありがとう。でも空港に行くよ」
イラクの空港まで1kmもなかったのだが、3人の子供達がボディーガードとして付いてきてくれた。なんの役にも立たなそうなボディーガードだったけど、深夜に一緒についてきてくれるというその気持ちが何とも嬉しくてたまらず感極まりそうになった。

約2週間のイラク旅だったが、毎日何かしらのおもてなしを貰った。なぜイラク人達はこんなにも親切なのだろう。ここまで人に優しくされた国は他にない。彼等の持つ優しさで覆われたベールは一体どこに売っているのだろうか。心の余裕を常に持ち続けるという重要性を教えられた気がしてたまらない。

10カ国連続のイスラム旅終了

今から15年前、まだ大学生だった頃の話。初めてイスラム教の国を訪れたのががトルコだった。イスラム教とは何なのか全く分からず、知っていた知識は
「マホメットが1番偉い」
というアホまるだしの馬鹿だった。トルコでは特にイスラム教について触れることはなく、ただアザーンがうるさいなーという感じだった。しかしトルコからバスで向かったシリアは訳が違った。
街の人々の眉毛が両津勘吉なのである! 小学生の頃に眉毛でいじめられる典型的なつながり眉毛。そしてみんな髭を蓄えている。なんで整えないのかと不思議でしょうがなかった。

「豚肉食べられないことも知らないの!?」
トルコからシリアに入国する際にバスで一緒になった日本人。風貌は浅野忠信に似ていた。私は何の宗教でもないからそんなことに全く興味がなかっただけでなく、豚肉と牛肉、鶏肉の違いさえ言われなければ分からないほどだった。
「そんなこともわからないでイスラムの国を旅するのは危険。ここだけに限らず、新たな国に入る前に事前に勉強しておかないと駄目。君は何かと知識が無さ過ぎるから何でもいいから本を読むこと」
激しく怒られた。なぜ出会ったばかりの他人にこんなに怒られなければならないのかとこの言葉を右から左に受け流していたのだが、その後にあらゆるトラブルに直面し、浅野さんの言葉がずしりと重くのしかかった。
それから私は人一倍本を読み、社会人になっても毎日のように勉学に励んだ。歩いている時は耳から情報を取り入れるなど徹底。そしてようやく自分で納得できるくらいのとこまで来れたのではないかと感じているが、やはり勉強する重要性は大きく、まだまだやり続けないと駄目だなと思う。私を変えてくれたのは、当時憎くてしょうがなかった浅野さんであることは紛れもない事実。当時、浅野さんとまともに会話ができなかったが、今なら少しは会話ができるようになってるかな。
キルギスタン・ソンクル湖の星空

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イラク情報

※イラク旅行の攻略法
①米ドル持参すべし=闇レートで10%上乗せ両替可
②キャッシングを有効活用すべし
③安宿ないのでcouchsurfin利用すべし
④遺跡入場料は25000IQD(約3000円)高いこと自覚すべし
⑤スマホアプリ「efootball」で対戦して仲良くなるべし
⑥アライバルビザ$75+$3程度は必ず持参すべし

・カルバラー→ヒッラ(2000IQD)バス乗り場(32.6104904, 44.0427991)
ヒッラ→ナジャフ(3000IQD)シェアタクシー乗り場(32.4603391, 44.4099439)

以下イラク訪問者が受けたおもてなし

1「子供が道案内してくれて、スラムの一輪車を持った子供が集まってきて自分の周りを囲んでボディーガードしてくれてあそこは何屋であそこは何屋でとか教えてくれてみんなで写真を取る。レストランで自分と子供たちの飯を奢ってもらい散髪屋に無言で腕を掴まれて連れて行かれて髪の毛をセットしてもらった」
2「言語をやるアプリで知り合い「バグダッド行くんだけど案内してくれない?」と言ったら引き受けてくれ、お父様と一緒に空港までわざわざ迎えに来てくれ、家にも泊まらせてくれました。日本人が珍しいのかみんな凄い話しかけてくれましたし、日本人ってだけで警察と記念撮影も出来ました。最高でした」
3「友達の家に泊まりましたが、ドライブも部屋も全て準備してくれました。道ゆく人も日本人だと思うと『家に遊びに来てよ!』と言ってくれたり、お菓子をくれたりしました笑」

シーア派預言者イマム・フセイン

あんたの人望半端ないって!

ホテルが見つからないのよ!

100IQD=約10円 ※各詳細情報は文末


アルビルからバグダッドへ戻り、ワリードの家に再び連泊。合計一週間も宿泊させていただいた。Kota君がいる時にお礼に親子丼を振る舞ったのだが、何となくではあるが反応はいまいち。やはり日本人と違って色々なバリエーションの料理を食べないイラク人にとって親子丼は異色過ぎたか。因みに私とKota君という馬鹿舌同士、自画自賛の親子丼だった。


バグダッドからバスで約1時間半のカルバラー向かう。カルバラーなんて聞いたことすらなかったのだが、イランのシュシュタルにいる時に商店の店主にイラクに行くことを伝えると

「カルバラーに行きなさい」

まるで神のお告げかのような神妙な面持。西暦680年にシーア派預言者のイマム・フセインが戦死した「カルバラーの戦い」の戦地である。イマム・フセインは今でも絶大な人気を誇っており、イランとイラクではあちこちでイマム・フセインの肖像画が見受けられた。イマム・フセインの命日に行われたシーア派最大宗教行事「アシュラー」をテヘランで見ることができたこともあり、せっかくなのでカルバラーに行ってみようかという気持ちが湧いてきた。


バグダッドからバスでカルバラーに到着すると

ドえぇー!!!


人多すぎないか!? 今からカルバラーの戦いの再現でもするかの如く、人が大量発生しているのだが!

そういえばテヘランで出会ったシーア派の歴史に詳しい祭男から連絡があったことを忘れていた。アーシュラーから40日目に実施される喪明けの儀式「アルバイン」に向け、カルバラーにイランから大量の人々が押し寄せているというのだ。しかもそれはイラン政府が奨励しているようで、テヘランからカルバラーまで無料のバスが通っているのだとか。だから私の目の前に行き先がテヘランと書かれたバスが止まっているのか! 畜生!もう少しイランに入れば無料でカルバラーまで来れたではないか! 


人が多過ぎる弊害は凄まじい。どこのホテルも部屋が空いていない!もし空いてたとしてもめちゃ高い! どうすりゃいいのだ…。5時間程ホテルを探し回ったが中々見つからない。こうなるのが分かっていたらバグダッドから日帰りでカルバラーに来るべきだった…。

まあとりあえずイマム・フセインの霊廟を見に行くか。荷物を預けて早速霊廟内部へ。


霊廟内は驚くべき豪華な装飾。

イラン、イラクとシーア派のモスクや霊廟の内部は豪華絢爛。スンニ派のモスクは外観が綺麗で内部は質素なイメージ。
霊廟内には何とも活気に溢れており、一人一人が何かを叫びながら奥へと進んでいく。

更に奥に進むとカオス過ぎた。
イマム・フセインの遺体が安置されているというザリヒ(Zarrih)に群がる巡礼者達。皆ザリフに触れる為にはるばる遠くから来ていると言っても過言ではないくらいに猛烈な勢いだ。ザリフが置かれた空間は流れるプールかのように人の流れに身を任せるしかやりようがなく、何度挑んでもザリフに触れずに弾き出されてしまう人々。細マッチョでアンガールズ加入も秒読みかと囁かれる私も例によって部屋から弾き出されてしまった。

そういえばこの霊廟内はカメラの持ち込み禁止で、なぜかスマホだけは持ち込んで良い。スマホにもカメラ機能が付いているというのにおかしな話ではないか。できるだけ良い写真を撮りたかったので私はカメラを隠し持って再入場を試みた。

一回目のボディチェックでどこを触られるか分かっていた。唯一触られなかったのは後ろポケット。そこにカメラを忍ばせると見事カメラを持って入場に成功した。

何というスパイ気分なのだ。このカメラ一つあるだけで、私は何とも言えない高揚感を味わえている。順調に霊廟内部を撮影。すると誰かに腕を掴まれた。

警備員だ!!

バレてもうた…。警備員に腕を引っ張られ、そのまま霊廟外につまみ出された。

しかしなぜ精度の高いカメラでは撮影が駄目で、スマホカメラならいいのか謎過ぎる。


外はもう暗い。そろそり本格的に宿を探さなければと思い、辺りを見回すと、なんと人々が堂々と雑魚寝しとるではないか! ホテル難民になったら私もあの雑魚寝の一員になるしかないのか…。最後の望みをかけて、一度訪ねた宿を再び訪れると

「無料で宿泊できる所を教えたる」

というではないか! 何という運なのだ! 3時間待ってくれというので辺りでウロウロすることに。

そういえばこのアルバインまでの期間はカルバラーやカルバラーからバスで約1時間のナジャフなど、シーア派の聖地がある所は基本的に飲食無料。日本の祭りの露店のような感じで食料を配りまくっている。その光景、まるで石原軍団の炊き出し。

炊き出し最高過ぎ! だけどこの期間、宿探しがあまりにも難航するので損得勘定で考えれば微妙か。イラク出国の前日にナジャフにいたのだがやはり人が多すぎて宿が取れずに空港で宿泊した。


炊き出しを食べたりしているうちに3時間が経過したので待ち合わせの場所へ。

「叔父について行けば大丈夫だから」

と言われた後
「これはお土産だ」
とイマム・フセインに関わる何らかの小包を貰った。この小包、後に重要な代物だったということが分かるのだがその話はまた今度。
叔父さんに付いていって到着したのはとある5階建ての一軒家。一階で家主に挨拶してから3階へ向かうと20人くらいが雑魚寝している。
ここなのか?! 外で寝るのと何が違うの?! 
まさかだった。まあ外よりは何かと楽なのだろうと思っていたが、結局外の方がマシだったな。

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イラク情報

・バグダッドのアラウィバスターミナルは北と南で別れていて北方面に行くバスは道路を挟んで北側、南方面のバスは南側

・バグダッド→カルバラ(5000D)基本的に長距離バスにデカバスはないがシーア派聖地だけあってデカバスで行ける
戦争の爪痕残るモスル
シェアタクに乗せてくれないアルビル
100IQD=約10円 ※各詳細情報は文末

バグダッドでは外食で腹を下したこともあって5日間もワリードの家にお世話になった。シリアから来てバグダッドを一緒に観光したKota君も3日間ワリードの家に滞在した後、クウェートに向かって南下。私はシェアタクシーでモスルへ向かった。

モスルは2014年6月、ISによって占拠された街。あれから9年も経過したというのに、その当時の爪痕が街の至る所で見られる。驚いたことに崩壊寸前の建物の直ぐ側を歩いていたり、露店を営んでいたりする住民達

当時の空爆に比べたら屁の河童なのだろう。

街を歩いていると爺さんグループみ話しかけられた。よほど観光客が珍しかったのだろうか、私を物珍しそうに見ている。IS占領の際など、かなり怖い思いをしがのではないかと質問してみると
「隣の家は空襲で崩れた。だけどここは私の家。出ていこうとは思わなかったし、怖いと思ったことはない」
なぬぅ!
そんな訳あるのか!? 隣の家が被害に遭っても怖くないってどゆことなの!? そんなことを言いながらニヤニヤと笑顔の爺さん達。何だこの温度差は一体。周辺の家は今でも崩壊している状態で当時の悲惨さがありありと目に浮かぶというのに。まさか…当時の悲しい思い出を和やかな雰囲気を作り出すことで封じ込めているのではないか。だとしたらもはやこれ以上何か聞こうと思っても果たして本当に本心が返ってくるのか? そう思って話を切り上げてしまった。

クルド人自治区の首都・アルビル

モスルからアルビルにシェアタクシーで向かった。クルド人自治区に入るためのチェックポイントを通過してまもなく、目を疑う光景が。一人の兵士がイラク・バグダッド方面に向かって何かを構えている。
ロケットランチャーだぁ!!!
バイオハザードマニアの私からするとこれは興奮物。あのどんな敵でも一撃で倒すロケットランチャーをこんな所で拝めるとは! 本当は写真も撮りたかったが逮捕の恐れがあるので敢え無く断念したのだった。

アルビルは大都会。イラクの中では比較的安全であることや、アルビルのみに入る場合はビザ代が無料のためか、多くの観光客が見受けられた。あまりに都会だったため、観光欲が削がれた感は否めなかった。特にクルド人自治区はあまり親切さを感じられない。やはり観光地化された場所ではいちいち観光客に親切にしているといずれパンクしてしまうからでしょう。やはりいまだに観光地化がしっかりと進んでいないアフガンやイラクなどが異常に親切なだけなのだろう。

シェアタクシーに乗せてくれない問題!

アルビルからバグダッドへシェアタクシーで向かう。距離的にはバグダッドからモスルとほとんど変わらないのだが、価格は10万IQD高い30万IQDだという。ハイエースに乗せてくれればもっと安くなるはずなのに、乗用車のタクシーにしか乗せられないというのである。だったらいいわとヒッチハイクでバグダッドを目指すことに決めた。
一向に車は止まらない。1時間程度経過したらようやく1台の車が止まった。行き先はバグダッドまで半分の距離にも満たないキルクーク。運転手の家は中途半端な所だったため、バスターミナルまで約1時間半歩くことに決めた。
ようやく到着したかと思ったら、そこは既に使用されていないバスターミナル。人に聞きまくって行ったり来たりしているうちに3時間以上も時間は経過してしまったが、遂にバスターミナルを発見できた。そしてアルビルでもそうだったが一番大きいハイエースには絶対に乗せてくれない
「外国人なんだから小さいので高い金払え」
という魂胆なのだろうか。挙句の果てに
「お前は一人でバグダッド行け」
だと言うではないか。なぜか理由を聞いても全く教えてくれない。とりあえず疲れた。
水を買いに商店へ。店から出ようとするととある若者に通せんぼされた。なんでこうも1日ついてないのにお前に通せんぼされなきゃいけないんだ馬鹿野郎! 怒りがこみ上げ、軽く揉み合いになった。するとその若者が水戸黄門の印籠かのように取り出した物。
警察手帳やんけ!
終わった…。公務執行妨害で捕まっても文句は言えない。こっから取り調べが始まった事は言うまでもない。
「なぜイラクに来たのか」
「なぜキルクークにいるのか」
など、殺されてディナーにされる豚かのように観念して徒然と話した。すると
「今からシェアタクシーでバグダッドに戻るから乗っていきなさい」
なんという警察なのだ!
公務執行妨害で逮捕されると思った所で全く真逆の結果。
「困っている人を助けてあげたい」
そんな警察の鏡のような若者にMVPを差し上げたい。しかも家に宿泊しに来なさいと有り難いオファーまで。残念ながらワリードの家に戻ることにしていたので叶わなかったが、極寒の中で入る露天風呂のように、地獄からの天国を味わえたことで感じる恍惚感は凄まじかった。
因みに彼によると、バグダッドに向かう途中のチェックポイントで外国人が乗車していると長時間待たされるという。しかしいざチェックポイントに到着すると警察の力であっという間にパスできた。何という権力なのだ!
アルビルとバグダッド間のルートはチェックポイントが多く、道路状況もかなり悪い。これなら面倒だけどモスルに6000IQDで戻って20000IQDでバグダッド行った方が圧倒的に早いし安い
。バグダッドからモスルに行く際、チェックポイントは一回もなかった。
この日は朝9時にアルビルを出発。終わってみればバグダッド到着したのは23時。普通に行ってれば14時に到着しているはずだったというのに。予定通り進まないのが旅の醍醐味であるとはいうが、また同じような目に遭いたいとは一切思わない。

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イラク情報
・バグダッド→モスル=バスターミナル(Allawi Northern)からシェアタクシー(GMC)20000IQD。入口付近の黄色いシェアタクだと25000IQD
・モスルでは降車場所(36.3107488, 43.1158504)大通り(36.3166134, 43.1107552)まで歩くと中心街行きのバスに乗車可能(500D)
・モスルは配車アプリ使用不可
・アルビル安宿(36.1886521, 44.0102320)プライベートルーム15000D
・Geli Ali Bag Waterfall行き方(Erbil Terminalからシェアタクシー6000DでSoran行き途中下車)

首都・バグダッド

イラク戦争の話

連日続くおもてなし

100IQD=約10円 ※各詳細情報は文末


寝台列車でバスラ→バグダッド
20:30発ー6時頃着(25000D)チケットはオンライン購入不可なので当日の午前中に駅で購入。乗車前と降車後に警察犬による荷物検査がある。結構揺れるが7時間は寝れたかな。4人ベッドだったがコンセントもあって不便はなく綺麗。この列車内でもまたおもてなしがあった。
英語が話せない親子と同じ部屋になり、Google翻訳を使ったり簡単な英単語だけでコミュニケーションを取ったりしていた。しばらくすると親子は食事を食べに食堂車へ。その後、戻って来た際
「これどうぞ」
と子供が渡してきたのは夕飯だった。
もう食べたからいらないと断っても凛とした表情で引こうとしない。結局有り難く頂戴したのだった。
2日連続でこんなおもてなしを頂くなんて何という国なのだ。

カウチサーフィンホストの戦時下の話

イラクは私調べだとホテル代が安くても25000IQDと長期旅行者には高い。なので無料で家に泊めてもらえるカウチサーフィンでもやってみようと事前にバグダッドの方へ連絡を取り、泊まりに来ても良いとありがたいお言葉を頂いていた。
カウチサーフィンだが、過去に何度も宿泊先を求めて申請したことがあったのだが、じじい一人旅ということもあって全く受け入れてもらえなかった。唯一受け入れてもらえたのがハイチ首都のポルトープランスの家。しかしその家はゴキブリの巣窟で、壁にライトを当てると20匹くらいのゴキブリが蠢いていた。寝ている時も足を這われて中々もって厳しい環境だった。しかも現地人3人と一緒に寝るという雑魚寝スタイル。次の日に逃げ出したのは言うまでもない。

ちょっと予定よりも早く到着してしまったのでホストの家まで約1時間かけて歩いていくことに。
20、30分歩いた所で外で朝食を食べる人々に声を掛けられ、中東発祥のファラーフェルのサンドイッチとゆで卵を貰った。道を歩いてるだけで冷えた水を貰えるのが当たり前のようになっているが、こんなの100カ国以上旅して初めての経験。イラク凄すぎ。

ようやくホストの家に到着。3階建ての一軒家で1人暮らしのワリード。隣の豪邸も購入し、兄の家族を住まわせてるという富豪。英語教師だが、コロナ禍前にリモートで英語を教えるアプリを開発し、コロナ禍で大いに儲けたらしい。まるでコロナ禍を見込んだかのような素晴らしき才能だと思ったがたまたまだったらしい。笑 まあ何にせよそういった種を蒔いておくけばいつか花が開く可能性があるのでやはり才能か。私の登録者35人のYoutubeはいつになったら花咲くのか。
「なんでこんな暑い時期にバグダッドに来たんだよ!?」
とワリード。そりゃそうだ。日中50℃超えで観光なんて朝一番くらいしかできやしない。例によって家に引き籠もることに。

「昼飯と夜飯は食べるな!」
とワリード。なんでだろうかと思っていたら、毎日のように食事をテイクアウトで購入してきてくれるではないか! いや流石に無料で宿泊させてもらっている身でそこまでしてもらうのは申し訳なさすぎる。しかも食後のデザートまでフードデリバリーで毎回頼んでくれたことは神過ぎた。
片足骨折して何ヶ月か経過していたが、手術が嫌だということで自然治癒を目指すワリード。しゃがむことができないことから家中が汚れに汚れていた。ここはせめてもの恩返しをしたいと思い立ち清掃をした。3時間程度かけて清掃したこともあって我ながら完璧と思っていたのだが、ワリードが帰宅して一言
「ありがとう。でももうやらなくていいよ。あなたはゲストなんだから」
複雑な感情。一体どうやって恩返しができるのだろうか。はたまた恩返しなどせずに常に相手に甘えるだけで良いものなのだろうか。
そういえば2003年から始まったイラク戦争の時、ワリードは一体どうしていたのだろうと気になったので聞いてみた。
「戦争が始まってすぐにシリアに避難した」
シリアって避難場所として相応しいのか?という疑問もあったが
「当時、シリアはイラクよりも安全だったから」
という理由らしい。それでもイラクの大学でキャリアを積まなければ仕事にありつけなくなるということで数年後、危険を承知でバグダッドに戻ったワリード。しかしそこで待ち受けていたのは地獄のような光景だった。
視線を落としながら回想するワリード。薄っすらと光る瞳が垣間見える。
「登校中は何人もの死体を見た」
言葉に詰まりながら放った一言は何とも重く、心臓を鷲掴みにされたような空気感が漂う。それはもはや情景描写する必要もない程に私の頭の中で当時の光景が目に浮かんだ。
「ごめんなさい。興味本位で聞いたばかりに」
それでも話を続けてくれた。
タジキスタンからアフガニスタンに入国してヒッチハイクした車のドライバーはイラクの元大統領だったサダム・フセインについて
「サダム・フセインは英雄だ!」
と聞いてもいないのに話してくれていた。
しかしワリードの見解では
「サダム・フセインは他国の介入を恐れ、イラクの石油開発を進めなかったことで経済成長が滞った」
と肯定的な意見ではない。2022年の石油生産量では小国ながら世界で5番目のイラク。変化を受け入れたイラクの経済成長率は右肩上がりになっている。

バグダッドで死にかけた慢心男

「日本人の友人がバグダッドにいてドタバタさんに会いたがっている」
私がアフガニスタンに入国していた際に同じルートでアフガン入国したNao君から連絡があった。Nao君の友人ならと、その日本人と会うことにした。
バグダッドでシェアタクシーを捕まえて乗車。待ち合わせ近くになって「ナゼン」と行って降車。数分後、このイラク人しか見当たらないバグダッドに東洋人。Kota君だった。
数日前にシリアにツアーで入国してからバグダッドに飛行機でやってきたというKota君。結構な限界旅行者なのかと思いきや
「スリランカにいる時に失恋したから焼けになってシリア行きました」
という面白い旅。
バグダッド到着して数日経過していたが、まだ市内観光していなかったので一緒に観光することに。
我々がまず目指したのは古代メソポタミアで煉瓦を用いた巨大な聖塔「ジグラット」(Dur-Kurigalzu)。バスを乗り継いで到着したはいいが
「入場料は25000IQDだ」
高い…。無理すぎる。後々分かってくるのだが、イラクの観光施設の入場料は一律25000IQD。貧乏旅行者にとってこんな大金払えない。
「辞めましょう!笑」
ここまで来ておいて入場を辞め、周囲から見ることに決めた。
周囲を歩いていると金網に穴が空いていたり、完全に裏側に周るともはや普通に入れたりするのだが
「Kota君駄目だって!」
必死に止めた。危ない危ない。
バグダッド中心部に戻ろうと道路まで歩いて向かっている途中だった。
「喉がカラカラで死にそうです。限界」
Kota君! 大丈…あ、限界だ。朝一番に動き出したこととバグダッド市内ならどこにでも水が売っていると高を括っていたのが間違いだった。日はどんどん高くなり、気温は50℃を超えていたと思う。途中でトラクターが通りかかり、水を分けてくれたのだが明らかに土混じりで少ししか飲まなかったのは間違いだった。隣に流れるのは汚いドブ川。いっそドブ川に飛び込んで汚ねぇ水を飲むか。そう決心した時だった。1台の車。有無を言わさず体ごと飛び込むような感じで車を止め、店のある場所まで乗せてってくれるように頼んだ。残り1kmくらい歩けばたどり着くよう場所だったのだが我々にとってはそれすらできるわけがなかった。限界を知った日である。そしてスーパーマーケットで買った2Lのファンタを一気に飲み干した。あんなに美味いと感じるファンタって一体何なの?山から降りてどの女も美人に感じるように、倒れる寸前まで喉をカラカラにした後のファンタは一生記憶できるレベルの美味さだった。
落ち着いてからよく考えた。まだまだ世界中の人の印象は悪いバグダッド。そんな所でただ喉が乾いて死にかけるってどんだけ凡ミスなのか。慢心、駄目、絶対。

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イラク情報
バスラ市内バスステーション(30.5181785, 47.8322655)から鉄道駅付近まで行ける、バス500IQD、ミニバス1000IQD

10カ国連続のムスリム国家旅
終焉の国イラク
過去最高のおもてなし

100IQD=約10円、入国日=2023年8月15日

※各詳細情報は文末


イラクへ向かうため、シュシュタルからアフヴァーズに戻り、イラク国境に近いホッラムシャフル(khorramshahr)へ。ホッラムシャフルから国境へは配車アプリSnappで向かった。



この国境通過に関する情報が皆無でだったので少々心配ではあったが、意外とすんなりアライバルビザ($76)を取得。

そして陸路入国税$10を支払い入国できた。私はツイッターにこの陸路入国についての情報をアップしていたのだが、私の後に続いて入国した2人は支払っていないという。先人が損をするのは当たり前なのだ。先人だからしょうがない…。パイオニアなのだ…。

ぐぬぅぅぅ!うまい棒150本!


入国初日には国境から程近いバスラを訪問。この時、イラクディナール(IQD)はなし。両替に必要な米ドルも残り$100と絶体絶命のピンチだった。国境からのシェアタクシーはバスラのガラージが終点。ガラージとは他の国で言う所のバスターミナル。とりあえず近くでATMか両替商でも探すかと試みるも見つからず。どこにあるのか聞くと5km程度離れた場所にあるとか。バスラも気温は50℃近いと言うのにその距離を歩かなければならない状況は辛い…。というか死…。

2kmくらい歩いただろうか。両替所があるという場所まで向かっている途中で限界。金が一切ないので水も買えない状況。そして何より厄介だったのは荷物。冬のヨーロッパを旅していたこともあって重量も普段より重い。ここで野垂れ死ねのか…と思った矢先だった。

「中に入りんしゃい」
辛そうにしている私を見てイラク人が話しかけてくれた。

水道管の会社の事務所のような所。冷房はガンガン。社長の側近みたいな人がすぐに水を提供してくれた。水はコップに入ってたりペットボトルの物ではなく、小分けのヨーグルトの入れ物のようなものに入った水。どうやらイラクではこの水が一般的なようで、後々何度も命を救われる。夏のイラクはもう暑すぎて気温が50℃を超える日なんてザラにある。イランで50℃以上の気温に慣れたと思っていたのだが身体は正直。精神が勝った所でいつか限界はやってくる。

普段なら頂いた物に睡眠薬が入っているのではないかと疑ってしまうが、飲まなければ死んでしまうような状況だったので有無を言わさず飲んだ。さらに小一時間は滞在させてもらったおかげで回復した。

両替所を探していることを伝えると徒歩では行けない距離だと言われたのだが現金がない。歩きで行かなければならないのだというと

「ほれ、タクシー代」
と5000IQDを差し出す社長。流石に現金を貰うわけにはいかないと断ったのだが一向に引く気配がない。一悶着ありながら行き着いたのは側近が車で送ってくれるということ。


それならとお金を返却しようとすると

「それで何か買いなさい」
と言うのである。うっ…ここまでおもてなしをしてもらうと何か裏があるのではないかと勘ぐってしまう自分がいるのだが、この事務所に戻って来ることはないはず。だとしたら一体なぜこんなにも…。大人しく彼等の優しさに甘えさせてもらうことに決めた。

両替所に到着。米ドルからIQDは公定レートの+10%で両替できた。言わずもがな、イラクではよっぽど高級なレストランやホテル以外はクレジットカードが使用不可。さらに不可能だと思われていたキャッシングにも成功。バスラタイムズスクエアというバスラ唯一のショッピングモール

ATMが数台並ぶ。中にはキャッシングできないATMもあるが、バグダッド銀行ATMだとIQDを引き出すことができた。万が一金が引き出せなかったら$100分のIQDで過ごすことになっていたので道は開かれた。今考えたら無謀過ぎた。これでキャッシングできなかったら何もろくに観光できずに終わっていたのだから。楽観主義にも程がある。


とりあえずバスラのホテルにチェックイン。そこで拙い英語で話し掛けてくれたイラク人宿泊客。イラクは全体的に英語を話せる人が少ない。肌感で言うと旧ソ連国よりも少なく、アフガニスタンと同レベル程度か。なのでこういった英語で話し掛けてくれる人は珍しいので絶対に手放してはいけない。
拙い英語で話す彼は、バスラについてかなり詳しいようで、案内してくれるという。バスラというかイラク自体が初日だったということもあって、何とも嬉しいオファーだった。
バスラにはメソポタミア文明で有名なチグリス川とユーフラテス川が合流した「シャットゥルアラブ川」が流れる。拙い彼はボートに乗ろうと言ったがこういった観光系のボートは高いので断わりたかったのだが、せっかくなのでシャットゥルアラブ川という文明の固まりのような川の上に行ってみようかと思い、乗ることにした。


乗ってみて感じたのは「無」。そらそうだ。こんなに発展した街をボートの上から眺めたってメソポタミアを感じれるわけがないのだから。
最後に金を払おうとすると
「あなたはゲストなのだから金は払わなくていい」
と制止され、拙い彼が私の分も払ってくれていた。
その後、5000IQDのフルーツジュースや商店で菓子類など何もかも拙い彼が払ってくれた。流石にそこまでおもてなしされてしまうのは悪いので奢り返しを試みるも尽く断られてしまった。
イラク到着初日でこんなにもおもてなしを受けてしまうとは一体この先どんな未来が待っているのか。

飴があれば鞭もある。


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イラク情報

・イランのアフヴァーズ→ホッラムシャフル(khorramshahr)シェアタクシー(85万リアル=$1.7)所要1.5h、乗り場(31.3360076, 48.6315893)

・ホッラムシャフル(Khorramshahr)→国境=Snappで50万リアル($1)

・イラクアライバルビザ$76、陸路入国税$10、国境→バスラ(Basrah)シェアタクシー5000D

・バスラ安宿

10軒ほど訪れるも最安25000Dと高い

結局Restaurant and hotel Rumailah(25000D)、Hotel and Diamond Restaurantも同額

生涯史上最高気温57℃!
シュシュタルの灼熱地獄


イランの後はパキスタンに行く予定だったが急遽イラクに行くことに。 思えばパキスタンのビザ取得には本当に振り回された。


2023年4月12日にパキスタンのe visaを申請し、それから数ヶ月音沙汰なし。6月にキルギス・ビシュケクのパキスタン大使館を訪問し事情を説明すると

「日本のパキスタン大使館に連絡しろ」

と言われたが、既に日本の大使館に連絡済みで解決不可だと言われている。7月にはタジキスタン・ドゥシャンベのパキスタン大使館を訪問。すると細かく調べてくれたようで

「イランのパキスタン大使館がお前のビザを保留にしてるぞ!」

とのこと。確かに面接地をイランにしてはいたのだが、3ヶ月近くも音沙汰ないってどゆこと! そしていよいよテヘランで問題の大使館へ。15時に大使館に到着し、インターホンを何度か鳴らすも

「少し待っててくれ」

と言われて1時間も気温40℃の中待ってのだが

「今日の営業は終了だ」

殺す殺す殺す!

その後パキスタン大使館から連絡があり、テヘランではなくパキスタンとの国境のザヘダンのパキスタン領事館に来いとのこと。テヘランから南東へ車で約17時間…それで万が一ビザが取得できなかったら…ファック!


こうしてパキスタンビザに振り回された挙げ句、取得できなかったのだ。自ずとイラクへの道が開かれたのである。アフガニスタンの時と一緒だ。


アフヴァーズへ


イランはここまで5都市を中心に巡ってきた。

イランーイラク国境は事前調べで数カ所開いているようだったが、どうも南西のホッラムシャフルからほど近い国境なら公共交通機関で行ける。そこでイラン南西に位置する割と大きな街・アフヴァーズに立ち寄ることに決めた。


アフヴァーズまで行けば、シュシュタルというダムの街やチョガ・ザンビールというイランで初めて世界遺産に認定された遺跡にも行ける。興奮を抑えつつ、とりあえずアフヴァーズの天気予報でも調べてみようと検索すると

気温50℃!


え!? は?そんなの人間が生活できる場所なのかよ!


この世に怖いものなどない。そのはずだった。スマホが常に高熱警告。空のペットボトルは熱がこもって熱くて持てない。車が通り過ぎることで引き起こされる風が熱風となって顔に襲いかかる。顔を覆いたくなる熱さ。地獄だ。というか50℃ってめちゃ熱い温泉より暑いじゃんよ。こんなの、こんな所で人が暮らせるはずがない! と辺りを見回すと普通に人歩いてるよ! 早いとこダムの街・シュシュタルに避難するしかない


シュシュタル


シュシュタル到着したのはいいが、

気温55℃って!


アフヴァーズ超えとるやないかい! 日向にいるだけで肌が刺青でも淹れられてるかのような燃えるような熱さ。スマホの反応もイマイチになってきている。スマホが壊れるのだけは避けたいと腹に当てて熱を吸収しようとすると

「熱!」
もうこれ以上スマホは使えないな。宿泊しようとしていた宿も閉店してるようだしとりあえず川にでも行って涼みに行こう。


思った通りだ。子供からじじいまで水浴びしている。


こういった灼熱のような街で生活する人達はこうして体温調節して生きてきたのだろう。水温はかなり低い。水温が低いのか、気温が高すぎて水が冷たく感じるのかよく分からない。まあいずれにしろ一命を取り留めることには成功した。


この後、宿探しに1時間以上もかかったがようやく安住の地を見つけた。


明くる日、最高気温48℃。昨日の暑さに若干慣れたので涼しく感じる。正午頃に街を闊歩しているとあまりの暑さにダウン。やっぱりまだ駄目なのかと、気温を確認すると

57℃!!

だから椅子から立ち上がるとお漏らししたかのような尻マークだったのか。今なら言える。日本の夏が恋しいと。

イラン編完
この数日後、私はイランからイラクに入国したのだった。
イランには25日間滞在し、使用額は€230と格安。やはり交通費が過去一番安かったのが大きい。
情報が皆無だったアフガニスタン。どこもかしこも道路の状況が悪くて辛かった。そんな国から入国したイランは何とも先進国に見えたし、実際旅の疲れがどっと癒えた。物価があまりにも安いこともありそれなりに沈没してしまった。イラン自体もインターネット接続にVPN必須なので簡単に旅できる国とは言い難いが、アフガニスタンとイラクに挟まれたこの国は私にとって安息の地となった。

イラン情報

・Mashhad闇両替商=(36.2858926, 59.5987443)$1=47万トマン、€1=52万トマン

・アフヴァーズ→シュシュタル=East Passenger Terminal(31.3406181, 48.7107845)シェアタク80万リアル

・アフヴァーズ宿(31.3191472, 48.6866587)階段上がって2階、個室350万リアル

・イランでビザ延長方法

場所=イスファハーン、The Immigration & Passport Police Head Office In Isfahan、費用=50万リアル($1)、工程=持ち物検査→奥のビル2階のRoom14→ビル出て前の小屋で貰える資料に必要事項記入→再びR14→隣の建物R8で支払い、9日後再訪問でパスポートホールド

友人が「ヤズドで申請して1時間で取れた」いうのでキャンセルしにいこうとしたら「ちょっち待って」言われてなんと4日程度で延長された

・イスファハーン宿情報
Takht Jamshid inn(32.6653209, 51.6672250)個室255万リアル($5.4)
meraji hotel(32.6656212, 51.6673151)ダブル400万朝食付き

・イスファハーン→ヤズド
Kaveh Bus Terminalからバス会社Royall.IRで130万リアル($3程度) 14:30発

・テヘラン内のメトロは4万リアル(15円程度)でどこまでも行けるのでおすすめだが、朝夕は混雑するので注意

・魔の金曜日
金曜日は両替所、両替商が消える。閉まる観光名所もあるので注意が必要

・シーラーズ両替

Zand exchangeの前の通りで€1=52万リアル

・シーラーズからピンクレイク(Maharlu lake)行き方
Snappで湖まで行きたいが目的地にできないので湖手前の街を目的地にする(60万リアル程度)、その街に到着後に土下座して湖までお願い
結局湖で1時間+往復運賃=300万リアルで交渉成

・シーラーズ宿

Sohrab Traditional Hostelドミ$5
宿名不明一泊$3.4(29.6152982, 52.5374439)
Piroozi st周辺のホテルはどこも格安で$5程度

・イラン全土でキャッシングは不可能

・アフヴァーズ→ホッラムシャフル(khorramshahr)
シェアタクシー(85万リアル)所要1:30、乗り場(31.3360076, 48.6315893)