結婚不可能?!
イラン人との恋の行方
280AMD=約100円
イラン人がビザ無しで行ける近隣国・アルメニア。よってアルメニアには出稼ぎや訳ありイラン人が大量にいる。
私が宿泊した宿の清掃係はイラン女性・サヘル。笑顔がとんでもなく可愛く、天真爛漫な雰囲気。その屈託のない笑顔は私が忘れ去った純粋無垢さを感じられるのだが、年齢は私よりも5歳も上だというから驚きだった。
サヘルは2年前の2021年からアルメニアに住み続けている。その理由を一言で言ってしまえば道徳警察からの逃亡。彼女はイスラム教に対して昔から疑義があったらしく
「生まれた時から自動的にムスリムになっていた」
「棄教で死刑はおかしい」
ごもっともな意見である。私もイスラム教に対して疑問に思っていた部分は多々ある。
「豚肉が食べれないなんておかしいよね!?」
と訪ねると
「それは別にいいんだけどさ」
いやおいおい!
豚の角煮美味しいよ!? 魯肉飯一生食えるよ?!
彼女が道徳警察に狙われる理由はインスタグラム。聴衆の前でペルシャ語でプレゼンし、最後に風船を割っている動画を見た。恐らくはイスラム教は消えてなくなれとでも言うようなメッセージだったのだろう。フォロワーも多く、いかにイラン人に反イスラム教がいるかが分かる。
私がかつて記者時代に取材した在日イラン人の男性も豚肉を食べ、酒を飲み、祈ることはない。彼曰く、日本に住んでいるイラン人のほとんどがもはやムスリムではないという。モロッコで出会ったサウジアラビア人も同じで、彼がムスリムを辞めたのは
「教会に行った時に祈ってみると、イスラム教の祈りと何も変わらなかった」
という特殊な理由だった。
宿泊2日目の夜、サヘルから壮絶な話を聞いた。
「アルメニアに来た時の全財産は100ランド(36円)だった」
そんなことがあり得るのか!?笑 たった100ランドだけを持って入国してくるとは。
ホームレスなどが利用するシェルターに滞在して何とかやっていたというが、1週間滞在後にイラン人が無料宿泊所に滞在していると摘発を受けた。何でもイラン人はシェルターに滞在不可なのだとか。シェルターを後にした彼女はアルメニアレストランやイラニアンレストランなどで働き生計を立てていたという。そしてイラン人夫妻が経営するホステルで掃除婦として働いている時に私と出会った。
2日目の夜、サヘルとwhatsappを交換することになったのだが、彼女のスマホは画面がバリバリに割れていて、文字は辛うじて認識できるレベル。そしてバッテリー残量は8%で、充電してもそれ以上にならないという。今の時代、スマホがないと競争社会で取り残されかねないので、だったら盗難時に使おうとしていた私のサブのスマホを使ってもらいたいとプレゼントした。あくまでサブのスマホ。使われないより誰かに使ってもらった方がスマホも嬉しいだろう。それによって1人の人間が助かるのなら本望である。
彼女とは私が滞在した2日間かなり話し込んだ。しかしこのことが後にオーナーの逆鱗に触れることになるなど知る由もなかった…。彼女と話すのはとても有意義だったのだがエレバンにリダの家という日本人宿があるということが分かったので様子を見に行こうと宿を変更することに決めた。リダの家はかつて路頭に迷う日本人をアルメニア人老婆・リダが家に招いて助けてあげたことから伝説の日本人宿として君臨している。リダは御歳81歳だというのに家や庭の清掃をしたり料理を作ったりといまだに現役。そして何よりBooking.comの他の宿が最安で2500ランドの中、ドミトリー1泊2000ランドという破格なのが最高。しかもドミトリーと言っても円安の影響で日本人旅行者が海外に出てきてないこともあってドミトリーをプライベートルーム同然に利用できたのはおいしい。
リダの家で悠々自適に過ごしているとギルダから連絡。
「オーナーに宿を追い出された!」
ムスリムの世界では女性が他宗教の男性と親しくするのは厳禁であり、私と親密に話し込んでいたことを良く思わなかったのだろう。しかし彼女本人は自称元ムスリムであり、それを公言しているのだがイラン人のオーナーにはそれが理解できなかったのであろう。ムスリムの慣習を知らなかったのだがなんとも言えない罪悪感に苛まれてしまったので彼女をリダの家に呼ぶことにした。
サヘルの全財産は6000ランド。最安のリダの家だが3泊したら無一文になるほどのその日暮らし。宵越しの銭は持たない江戸っ子の見本とも言えるその生き様には感銘を覚える。仕方がないので私が彼女の食費と宿泊費を支払ってあげることにした。食材を買ってきてはサヘルが料理してくれる。言ってみればイラン料理を食べさせてもらっているも同然なので私にとっても嬉しいのである。
池のある公園まで歩いて一緒に行った時の話。距離は2kmにも満たなかったのだが
「足が痛くて歩けない」
辛そうにしていたサヘル。普段から歩いていないのではないかと聞くと
「筋ジストロフィーなの」
青天の霹靂だった。指定難病の筋ジストロフィーを持つ人と私は今後も付き合っていけるのか? それに周辺視野が見えないことなど複数の持病を持っていた。私ももうじじぃなのでサヘルと結婚しようかと考えていた時の話だった。しかもである。母親は寝たきりで、一番上の姉は統合失調症で自宅に引きこもるなど一家があらゆる病気でダウンしている。これは後にイランを旅して分かるのだが、ゾロアスター教が多分に影響を及ぼしている可能性が高いのではないか。
紀元前6世紀から7世紀後半まで千年以上も現在のイラン周辺を中心に信者が多くいたとされるゾロアスター教。ゾロアスター教は近親相姦が最大の善徳と説かれていたこともあって、生まれてくる子供に何らかの遺伝子疾患の罹患率はかなり上がる。
ゾロアスター教について書いたブログは以下
まあそれはいいとしても筋ジストロフィーや他の病気の治療代を私みたいな金持ちでも何でもない男が賄えるわけないのである。その筋ジストロフィーが影響してか、サヘルは朝トイレに入ってから1時間程度は出てこない。そして結婚を諦めた理由を決定付けたのはムスリムの女性とノンムスリムの男が籍を入れる難しさ。
まず私がムスリムにならないといけないという高きハードル。チャーシュー、魯肉飯が食べられなくなるなんて考えられないんですけど! あとお祈りもお盆の墓参りくらいにしてくれないかな? そして宗教婚の婚姻証明書が必要なのだがサヘルは
「私はムスリムじゃない!」
の一点張り。イランのパスポートの時点でそんなの絶対にまかり通る訳がないのに。こうして結婚を諦めるに至ったのだが、彼女と一緒にいる時はまだその気だった。
元々UAE行きの航空券を購入していたのでアルメニアに居られる1週間のみ。アルメニア各地を訪れようと思っていたのだが、彼女と一緒に居た方が断然楽しかったのでどこにも行くことはなく、エレバンにずっと滞在していた。
彼女着ていた鮮やかなワンピースは良いのだが下がおっさんが履くような黒いサンダル。あまりにも不恰好だったので買ってあげることに。この時点でただのパパ活じゃないかと思われるかもしれないが、彼女はアルメニア語がペラペラで、街のことを教えてくれたり相互に助け合っていた。…はずである。
手頃なサンダルを買ってあげるとそれを履いて
「ねぇ見てみて。私リッチに見える?」
…反イスラム教を掲げてアルメニアに逃げてきた彼女。ビザがないので合法的に仕事もできず常に貧乏生活。その言葉が深く胸に突き刺さり、何と芯の強い女性であるんだと思わされただけでなく、ぬるま湯に浸かっている私は一体何してるんだろうと思わされた。
「うん。リッチに見えるよ。綺麗だよ」
それ以上は何も言葉が出なかった。
心優しき彼女は、余ったご飯を猫に与えていた。
「なんで余裕がないのに猫にご飯を分け与えるの?」
そう聞くと
「猫が可愛いから」
相変わらずの屈託のない笑顔。いつも自分に素直に衝動的に行動してきたことがあの屈託のない笑顔を作り出しているのか。いつも喜怒哀楽がはっきりしている彼女にいつの間にか引き込まれていったのだろう。
最終日の夜、近くのショッピングモールへ。今日でしばらくサヘルに会えなくなると思うと感情をコントロールすることが難しく、目を合わせて話すことができなかった。
「トイレに行ってくる」
トイレの個室に入るなり泣けるだけ泣いた。涙が枯れるまで泣けばもう大丈夫だよね。関係を保つのは簡単だが、その先の未来を考えるとやはりどうにも難しい。好きな人と一緒に過ごせなくなる辛さってこんなにも辛いんだね。
私が過去にお付き合いしたのは3人。20歳の時に世界旅行を始めたことをきっかけにお付き合いすることを封印した為に3人で留まっているだけであり、別に私に特別難があるわけではない…はず。3人共特別好きだったわけではないのだが、成り行きで付き合ったという感じだったので、別れるときもさほど辛くはなかった。なので今回感じるこの別れの辛さとはこれまでに感じてきたものとは格段に違った。そして同じ日本に住んでいる人ではなく遠い異国の地という一生会えないかもしれないという現実がさらに拍車をかけた。それでも行かないと…。
別れの日。
「なんで私だけを置いていくの?!」
そう言う彼女だったが泣いてはいなかった。私の気持ちだけが独り歩きして彼女を思う気持ちが勝手に膨れ上がっただけなのだろうなきっと。彼女も生きていくために必死で、正直恋愛どころの話ではないのだろう。これで何か吹っ切れたような気がした。
エアーで路上演奏をしているフリをするだけの簡単な稼ぎがあった彼女だったが、それでもやはり長期的に見てまだまだ生きていくのには厳しいだろうと、1ヶ月分の家賃分だけ金を渡しといた。これで終わり。
彼女と別れた直後、人目を憚らずに泣いた。泣きたくないのにどうにも止めようがなかった。
UAE行きの飛行機に乗る直前だった。サヘルから連絡。
「なんで別れの挨拶無しで帰ったんだってリダが怒ってるよ」
忘れてた…。
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シーア派預言者イマム・フセイン
あんたの人望半端ないって!
ホテルが見つからないのよ!
100IQD=約10円 ※各詳細情報は文末
アルビルからバグダッドへ戻り、ワリードの家に再び連泊。合計一週間も宿泊させていただいた。Kota君がいる時にお礼に親子丼を振る舞ったのだが、何となくではあるが反応はいまいち。やはり日本人と違って色々なバリエーションの料理を食べないイラク人にとって親子丼は異色過ぎたか。因みに私とKota君という馬鹿舌同士、自画自賛の親子丼だった。
バグダッドからバスで約1時間半のカルバラー向かう。カルバラーなんて聞いたことすらなかったのだが、イランのシュシュタルにいる時に商店の店主にイラクに行くことを伝えると
「カルバラーに行きなさい」
まるで神のお告げかのような神妙な面持。西暦680年にシーア派預言者のイマム・フセインが戦死した「カルバラーの戦い」の戦地である。イマム・フセインは今でも絶大な人気を誇っており、イランとイラクではあちこちでイマム・フセインの肖像画が見受けられた。イマム・フセインの命日に行われたシーア派最大宗教行事「アシュラー」をテヘランで見ることができたこともあり、せっかくなのでカルバラーに行ってみようかという気持ちが湧いてきた。
バグダッドからバスでカルバラーに到着すると
ドえぇー!!!
そういえばテヘランで出会ったシーア派の歴史に詳しい祭男から連絡があったことを忘れていた。アーシュラーから40日目に実施される喪明けの儀式「アルバイン」に向け、カルバラーにイランから大量の人々が押し寄せているというのだ。しかもそれはイラン政府が奨励しているようで、テヘランからカルバラーまで無料のバスが通っているのだとか。だから私の目の前に行き先がテヘランと書かれたバスが止まっているのか! 畜生!もう少しイランに入れば無料でカルバラーまで来れたではないか!
人が多過ぎる弊害は凄まじい。どこのホテルも部屋が空いていない!もし空いてたとしてもめちゃ高い! どうすりゃいいのだ…。5時間程ホテルを探し回ったが中々見つからない。こうなるのが分かっていたらバグダッドから日帰りでカルバラーに来るべきだった…。
まあとりあえずイマム・フセインの霊廟を見に行くか。荷物を預けて早速霊廟内部へ。
霊廟内は驚くべき豪華な装飾。
そういえばこの霊廟内はカメラの持ち込み禁止で、なぜかスマホだけは持ち込んで良い。スマホにもカメラ機能が付いているというのにおかしな話ではないか。できるだけ良い写真を撮りたかったので私はカメラを隠し持って再入場を試みた。
一回目のボディチェックでどこを触られるか分かっていた。唯一触られなかったのは後ろポケット。そこにカメラを忍ばせると見事カメラを持って入場に成功した。
何というスパイ気分なのだ。このカメラ一つあるだけで、私は何とも言えない高揚感を味わえている。順調に霊廟内部を撮影。すると誰かに腕を掴まれた。
警備員だ!!
バレてもうた…。警備員に腕を引っ張られ、そのまま霊廟外につまみ出された。
しかしなぜ精度の高いカメラでは撮影が駄目で、スマホカメラならいいのか謎過ぎる。
外はもう暗い。そろそり本格的に宿を探さなければと思い、辺りを見回すと、なんと人々が堂々と雑魚寝しとるではないか! ホテル難民になったら私もあの雑魚寝の一員になるしかないのか…。最後の望みをかけて、一度訪ねた宿を再び訪れると
「無料で宿泊できる所を教えたる」
というではないか! 何という運なのだ! 3時間待ってくれというので辺りでウロウロすることに。
そういえばこのアルバインまでの期間はカルバラーやカルバラーからバスで約1時間のナジャフなど、シーア派の聖地がある所は基本的に飲食無料。日本の祭りの露店のような感じで食料を配りまくっている。その光景、まるで石原軍団の炊き出し。
炊き出しを食べたりしているうちに3時間が経過したので待ち合わせの場所へ。
「叔父について行けば大丈夫だから」
イラク情報
・バグダッドのアラウィバスターミナルは北と南で別れていて北方面に行くバスは道路を挟んで北側、南方面のバスは南側
首都・バグダッド
イラク戦争の話
連日続くおもてなし
100IQD=約10円 ※各詳細情報は文末
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100IQD=約10円、入国日=2023年8月15日
※各詳細情報は文末
イラクへ向かうため、シュシュタルからアフヴァーズに戻り、イラク国境に近いホッラムシャフル(khorramshahr)へ。ホッラムシャフルから国境へは配車アプリSnappで向かった。
ぐぬぅぅぅ!うまい棒150本!
入国初日には国境から程近いバスラを訪問。この時、イラクディナール(IQD)はなし。両替に必要な米ドルも残り$100と絶体絶命のピンチだった。国境からのシェアタクシーはバスラのガラージが終点。ガラージとは他の国で言う所のバスターミナル。とりあえず近くでATMか両替商でも探すかと試みるも見つからず。どこにあるのか聞くと5km程度離れた場所にあるとか。バスラも気温は50℃近いと言うのにその距離を歩かなければならない状況は辛い…。というか死…。
2kmくらい歩いただろうか。両替所があるという場所まで向かっている途中で限界。金が一切ないので水も買えない状況。そして何より厄介だったのは荷物。冬のヨーロッパを旅していたこともあって重量も普段より重い。ここで野垂れ死ねのか…と思った矢先だった。
「中に入りんしゃい」
辛そうにしている私を見てイラク人が話しかけてくれた。
水道管の会社の事務所のような所。冷房はガンガン。社長の側近みたいな人がすぐに水を提供してくれた。水はコップに入ってたりペットボトルの物ではなく、小分けのヨーグルトの入れ物のようなものに入った水。どうやらイラクではこの水が一般的なようで、後々何度も命を救われる。夏のイラクはもう暑すぎて気温が50℃を超える日なんてザラにある。イランで50℃以上の気温に慣れたと思っていたのだが身体は正直。精神が勝った所でいつか限界はやってくる。
普段なら頂いた物に睡眠薬が入っているのではないかと疑ってしまうが、飲まなければ死んでしまうような状況だったので有無を言わさず飲んだ。さらに小一時間は滞在させてもらったおかげで回復した。
両替所を探していることを伝えると徒歩では行けない距離だと言われたのだが現金がない。歩きで行かなければならないのだというと
「ほれ、タクシー代」
と5000IQDを差し出す社長。流石に現金を貰うわけにはいかないと断ったのだが一向に引く気配がない。一悶着ありながら行き着いたのは側近が車で送ってくれるということ。
それならとお金を返却しようとすると
「それで何か買いなさい」
と言うのである。うっ…ここまでおもてなしをしてもらうと何か裏があるのではないかと勘ぐってしまう自分がいるのだが、この事務所に戻って来ることはないはず。だとしたら一体なぜこんなにも…。大人しく彼等の優しさに甘えさせてもらうことに決めた。
両替所に到着。米ドルからIQDは公定レートの+10%で両替できた。言わずもがな、イラクではよっぽど高級なレストランやホテル以外はクレジットカードが使用不可。さらに不可能だと思われていたキャッシングにも成功。バスラタイムズスクエアというバスラ唯一のショッピングモール
とりあえずバスラのホテルにチェックイン。そこで拙い英語で話し掛けてくれたイラク人宿泊客。イラクは全体的に英語を話せる人が少ない。肌感で言うと旧ソ連国よりも少なく、アフガニスタンと同レベル程度か。なのでこういった英語で話し掛けてくれる人は珍しいので絶対に手放してはいけない。
拙い英語で話す彼は、バスラについてかなり詳しいようで、案内してくれるという。バスラというかイラク自体が初日だったということもあって、何とも嬉しいオファーだった。
バスラにはメソポタミア文明で有名なチグリス川とユーフラテス川が合流した「シャットゥルアラブ川」が流れる。拙い彼はボートに乗ろうと言ったがこういった観光系のボートは高いので断わりたかったのだが、せっかくなのでシャットゥルアラブ川という文明の固まりのような川の上に行ってみようかと思い、乗ることにした。
乗ってみて感じたのは「無」。そらそうだ。こんなに発展した街をボートの上から眺めたってメソポタミアを感じれるわけがないのだから。
最後に金を払おうとすると
「あなたはゲストなのだから金は払わなくていい」
と制止され、拙い彼が私の分も払ってくれていた。
その後、5000IQDのフルーツジュースや商店で菓子類など何もかも拙い彼が払ってくれた。流石にそこまでおもてなしされてしまうのは悪いので奢り返しを試みるも尽く断られてしまった。
イラク到着初日でこんなにもおもてなしを受けてしまうとは一体この先どんな未来が待っているのか。
飴があれば鞭もある。
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イラク情報
・イランのアフヴァーズ→ホッラムシャフル(khorramshahr)シェアタクシー(85万リアル=$1.7)所要1.5h、乗り場(31.3360076, 48.6315893)
・ホッラムシャフル(Khorramshahr)→国境=Snappで50万リアル($1)
・イラクアライバルビザ$76、陸路入国税$10、国境→バスラ(Basrah)シェアタクシー5000D
・バスラ安宿
10軒ほど訪れるも最安25000Dと高い
結局Restaurant and hotel Rumailah(25000D)、Hotel and Diamond Restaurantも同額
イランの後はパキスタンに行く予定だったが急遽イラクに行くことに。 思えばパキスタンのビザ取得には本当に振り回された。
2023年4月12日にパキスタンのe visaを申請し、それから数ヶ月音沙汰なし。6月にキルギス・ビシュケクのパキスタン大使館を訪問し事情を説明すると
「日本のパキスタン大使館に連絡しろ」
と言われたが、既に日本の大使館に連絡済みで解決不可だと言われている。7月にはタジキスタン・ドゥシャンベのパキスタン大使館を訪問。すると細かく調べてくれたようで
「イランのパキスタン大使館がお前のビザを保留にしてるぞ!」
とのこと。確かに面接地をイランにしてはいたのだが、3ヶ月近くも音沙汰ないってどゆこと! そしていよいよテヘランで問題の大使館へ。15時に大使館に到着し、インターホンを何度か鳴らすも
「少し待っててくれ」
と言われて1時間も気温40℃の中待ってのだが
「今日の営業は終了だ」
殺す殺す殺す!
その後パキスタン大使館から連絡があり、テヘランではなくパキスタンとの国境のザヘダンのパキスタン領事館に来いとのこと。テヘランから南東へ車で約17時間…それで万が一ビザが取得できなかったら…ファック!
こうしてパキスタンビザに振り回された挙げ句、取得できなかったのだ。自ずとイラクへの道が開かれたのである。アフガニスタンの時と一緒だ。
アフヴァーズへ
イランはここまで5都市を中心に巡ってきた。
イランーイラク国境は事前調べで数カ所開いているようだったが、どうも南西のホッラムシャフルからほど近い国境なら公共交通機関で行ける。そこでイラン南西に位置する割と大きな街・アフヴァーズに立ち寄ることに決めた。
アフヴァーズまで行けば、シュシュタルというダムの街やチョガ・ザンビールというイランで初めて世界遺産に認定された遺跡にも行ける。興奮を抑えつつ、とりあえずアフヴァーズの天気予報でも調べてみようと検索すると
気温50℃!
え!? は?そんなの人間が生活できる場所なのかよ!
この世に怖いものなどない。そのはずだった。スマホが常に高熱警告。空のペットボトルは熱がこもって熱くて持てない。車が通り過ぎることで引き起こされる風が熱風となって顔に襲いかかる。顔を覆いたくなる熱さ。地獄だ。というか50℃ってめちゃ熱い温泉より暑いじゃんよ。こんなの、こんな所で人が暮らせるはずがない! と辺りを見回すと普通に人歩いてるよ! 早いとこダムの街・シュシュタルに避難するしかない
シュシュタル到着したのはいいが、
気温55℃って!
アフヴァーズ超えとるやないかい! 日向にいるだけで肌が刺青でも淹れられてるかのような燃えるような熱さ。スマホの反応もイマイチになってきている。スマホが壊れるのだけは避けたいと腹に当てて熱を吸収しようとすると
「熱!」
もうこれ以上スマホは使えないな。宿泊しようとしていた宿も閉店してるようだしとりあえず川にでも行って涼みに行こう。
思った通りだ。子供からじじいまで水浴びしている。
こういった灼熱のような街で生活する人達はこうして体温調節して生きてきたのだろう。水温はかなり低い。水温が低いのか、気温が高すぎて水が冷たく感じるのかよく分からない。まあいずれにしろ一命を取り留めることには成功した。
この後、宿探しに1時間以上もかかったがようやく安住の地を見つけた。
明くる日、最高気温48℃。昨日の暑さに若干慣れたので涼しく感じる。正午頃に街を闊歩しているとあまりの暑さにダウン。やっぱりまだ駄目なのかと、気温を確認すると
57℃!!
イラン情報
・Mashhad闇両替商=(36.2858926, 59.5987443)$1=47万トマン、€1=52万トマン
・アフヴァーズ→シュシュタル=East Passenger Terminal(31.3406181, 48.7107845)シェアタク80万リアル
・アフヴァーズ宿(31.3191472, 48.6866587)階段上がって2階、個室350万リアル
・イランでビザ延長方法
場所=イスファハーン、The Immigration & Passport Police Head Office In Isfahan、費用=50万リアル($1)、工程=持ち物検査→奥のビル2階のRoom14→ビル出て前の小屋で貰える資料に必要事項記入→再びR14→隣の建物R8で支払い、9日後再訪問でパスポートホールド
友人が「ヤズドで申請して1時間で取れた」いうのでキャンセルしにいこうとしたら「ちょっち待って」言われてなんと4日程度で延長された
・イスファハーン宿情報
Takht Jamshid inn(32.6653209, 51.6672250)個室255万リアル($5.4)
meraji hotel(32.6656212, 51.6673151)ダブル400万朝食付き
・イスファハーン→ヤズド
Kaveh Bus Terminalからバス会社Royall.IRで130万リアル($3程度) 14:30発
・テヘラン内のメトロは4万リアル(15円程度)でどこまでも行けるのでおすすめだが、朝夕は混雑するので注意
・魔の金曜日
金曜日は両替所、両替商が消える。閉まる観光名所もあるので注意が必要
・シーラーズ両替
Zand exchangeの前の通りで€1=52万リアル
・シーラーズからピンクレイク(Maharlu lake)行き方
Snappで湖まで行きたいが目的地にできないので湖手前の街を目的地にする(60万リアル程度)、その街に到着後に土下座して湖までお願い
結局湖で1時間+往復運賃=300万リアルで交渉成
・シーラーズ宿
Sohrab Traditional Hostelドミ$5
宿名不明一泊$3.4(29.6152982, 52.5374439)
Piroozi st周辺のホテルはどこも格安で$5程度
・イラン全土でキャッシングは不可能
・アフヴァーズ→ホッラムシャフル(khorramshahr)
シェアタクシー(85万リアル)所要1:30、乗り場(31.3360076, 48.6315893)