最後のムスリム国家イラク旅②ーイラク戦争の話ー | Travel is Trouble 107カ国目

Travel is Trouble 107カ国目

トラブルに塗れた旅行記
目指すはバックパッカー逆バイブル
反面教師で最高の旅を!

首都・バグダッド

イラク戦争の話

連日続くおもてなし

100IQD=約10円 ※各詳細情報は文末


寝台列車でバスラ→バグダッド
20:30発ー6時頃着(25000D)チケットはオンライン購入不可なので当日の午前中に駅で購入。乗車前と降車後に警察犬による荷物検査がある。結構揺れるが7時間は寝れたかな。4人ベッドだったがコンセントもあって不便はなく綺麗。この列車内でもまたおもてなしがあった。
英語が話せない親子と同じ部屋になり、Google翻訳を使ったり簡単な英単語だけでコミュニケーションを取ったりしていた。しばらくすると親子は食事を食べに食堂車へ。その後、戻って来た際
「これどうぞ」
と子供が渡してきたのは夕飯だった。
もう食べたからいらないと断っても凛とした表情で引こうとしない。結局有り難く頂戴したのだった。
2日連続でこんなおもてなしを頂くなんて何という国なのだ。

カウチサーフィンホストの戦時下の話

イラクは私調べだとホテル代が安くても25000IQDと長期旅行者には高い。なので無料で家に泊めてもらえるカウチサーフィンでもやってみようと事前にバグダッドの方へ連絡を取り、泊まりに来ても良いとありがたいお言葉を頂いていた。
カウチサーフィンだが、過去に何度も宿泊先を求めて申請したことがあったのだが、じじい一人旅ということもあって全く受け入れてもらえなかった。唯一受け入れてもらえたのがハイチ首都のポルトープランスの家。しかしその家はゴキブリの巣窟で、壁にライトを当てると20匹くらいのゴキブリが蠢いていた。寝ている時も足を這われて中々もって厳しい環境だった。しかも現地人3人と一緒に寝るという雑魚寝スタイル。次の日に逃げ出したのは言うまでもない。

ちょっと予定よりも早く到着してしまったのでホストの家まで約1時間かけて歩いていくことに。
20、30分歩いた所で外で朝食を食べる人々に声を掛けられ、中東発祥のファラーフェルのサンドイッチとゆで卵を貰った。道を歩いてるだけで冷えた水を貰えるのが当たり前のようになっているが、こんなの100カ国以上旅して初めての経験。イラク凄すぎ。

ようやくホストの家に到着。3階建ての一軒家で1人暮らしのワリード。隣の豪邸も購入し、兄の家族を住まわせてるという富豪。英語教師だが、コロナ禍前にリモートで英語を教えるアプリを開発し、コロナ禍で大いに儲けたらしい。まるでコロナ禍を見込んだかのような素晴らしき才能だと思ったがたまたまだったらしい。笑 まあ何にせよそういった種を蒔いておくけばいつか花が開く可能性があるのでやはり才能か。私の登録者35人のYoutubeはいつになったら花咲くのか。
「なんでこんな暑い時期にバグダッドに来たんだよ!?」
とワリード。そりゃそうだ。日中50℃超えで観光なんて朝一番くらいしかできやしない。例によって家に引き籠もることに。

「昼飯と夜飯は食べるな!」
とワリード。なんでだろうかと思っていたら、毎日のように食事をテイクアウトで購入してきてくれるではないか! いや流石に無料で宿泊させてもらっている身でそこまでしてもらうのは申し訳なさすぎる。しかも食後のデザートまでフードデリバリーで毎回頼んでくれたことは神過ぎた。
片足骨折して何ヶ月か経過していたが、手術が嫌だということで自然治癒を目指すワリード。しゃがむことができないことから家中が汚れに汚れていた。ここはせめてもの恩返しをしたいと思い立ち清掃をした。3時間程度かけて清掃したこともあって我ながら完璧と思っていたのだが、ワリードが帰宅して一言
「ありがとう。でももうやらなくていいよ。あなたはゲストなんだから」
複雑な感情。一体どうやって恩返しができるのだろうか。はたまた恩返しなどせずに常に相手に甘えるだけで良いものなのだろうか。
そういえば2003年から始まったイラク戦争の時、ワリードは一体どうしていたのだろうと気になったので聞いてみた。
「戦争が始まってすぐにシリアに避難した」
シリアって避難場所として相応しいのか?という疑問もあったが
「当時、シリアはイラクよりも安全だったから」
という理由らしい。それでもイラクの大学でキャリアを積まなければ仕事にありつけなくなるということで数年後、危険を承知でバグダッドに戻ったワリード。しかしそこで待ち受けていたのは地獄のような光景だった。
視線を落としながら回想するワリード。薄っすらと光る瞳が垣間見える。
「登校中は何人もの死体を見た」
言葉に詰まりながら放った一言は何とも重く、心臓を鷲掴みにされたような空気感が漂う。それはもはや情景描写する必要もない程に私の頭の中で当時の光景が目に浮かんだ。
「ごめんなさい。興味本位で聞いたばかりに」
それでも話を続けてくれた。
タジキスタンからアフガニスタンに入国してヒッチハイクした車のドライバーはイラクの元大統領だったサダム・フセインについて
「サダム・フセインは英雄だ!」
と聞いてもいないのに話してくれていた。
しかしワリードの見解では
「サダム・フセインは他国の介入を恐れ、イラクの石油開発を進めなかったことで経済成長が滞った」
と肯定的な意見ではない。2022年の石油生産量では小国ながら世界で5番目のイラク。変化を受け入れたイラクの経済成長率は右肩上がりになっている。

バグダッドで死にかけた慢心男

「日本人の友人がバグダッドにいてドタバタさんに会いたがっている」
私がアフガニスタンに入国していた際に同じルートでアフガン入国したNao君から連絡があった。Nao君の友人ならと、その日本人と会うことにした。
バグダッドでシェアタクシーを捕まえて乗車。待ち合わせ近くになって「ナゼン」と行って降車。数分後、このイラク人しか見当たらないバグダッドに東洋人。Kota君だった。
数日前にシリアにツアーで入国してからバグダッドに飛行機でやってきたというKota君。結構な限界旅行者なのかと思いきや
「スリランカにいる時に失恋したから焼けになってシリア行きました」
という面白い旅。
バグダッド到着して数日経過していたが、まだ市内観光していなかったので一緒に観光することに。
我々がまず目指したのは古代メソポタミアで煉瓦を用いた巨大な聖塔「ジグラット」(Dur-Kurigalzu)。バスを乗り継いで到着したはいいが
「入場料は25000IQDだ」
高い…。無理すぎる。後々分かってくるのだが、イラクの観光施設の入場料は一律25000IQD。貧乏旅行者にとってこんな大金払えない。
「辞めましょう!笑」
ここまで来ておいて入場を辞め、周囲から見ることに決めた。
周囲を歩いていると金網に穴が空いていたり、完全に裏側に周るともはや普通に入れたりするのだが
「Kota君駄目だって!」
必死に止めた。危ない危ない。
バグダッド中心部に戻ろうと道路まで歩いて向かっている途中だった。
「喉がカラカラで死にそうです。限界」
Kota君! 大丈…あ、限界だ。朝一番に動き出したこととバグダッド市内ならどこにでも水が売っていると高を括っていたのが間違いだった。日はどんどん高くなり、気温は50℃を超えていたと思う。途中でトラクターが通りかかり、水を分けてくれたのだが明らかに土混じりで少ししか飲まなかったのは間違いだった。隣に流れるのは汚いドブ川。いっそドブ川に飛び込んで汚ねぇ水を飲むか。そう決心した時だった。1台の車。有無を言わさず体ごと飛び込むような感じで車を止め、店のある場所まで乗せてってくれるように頼んだ。残り1kmくらい歩けばたどり着くよう場所だったのだが我々にとってはそれすらできるわけがなかった。限界を知った日である。そしてスーパーマーケットで買った2Lのファンタを一気に飲み干した。あんなに美味いと感じるファンタって一体何なの?山から降りてどの女も美人に感じるように、倒れる寸前まで喉をカラカラにした後のファンタは一生記憶できるレベルの美味さだった。
落ち着いてからよく考えた。まだまだ世界中の人の印象は悪いバグダッド。そんな所でただ喉が乾いて死にかけるってどんだけ凡ミスなのか。慢心、駄目、絶対。

ツイッターで旅の情報を随時アップしてます

「ドタバタ旅行記」(https://twitter.com/DotabataJ99686)


イラク情報
バスラ市内バスステーション(30.5181785, 47.8322655)から鉄道駅付近まで行ける、バス500IQD、ミニバス1000IQD