旅の終焉ーラダック編ー | Travel is Trouble 109カ国目

Travel is Trouble 109カ国目

トラブルに塗れた旅行記
目指すはバックパッカー逆バイブル
反面教師で最高の旅を!

「100カ国行ったら旅は終焉」
100カ国周遊した今、感じる違和感
これで終わりでいいのか!?
 
いったい私の旅はいつになったら終わるのだろうか。このままでは全ての国に何となく行ってしまうのではないか? 既に何を見ても感動が薄れ、どんな変な人を見ても「またこれか」という段階。だったら何となくキリのいい数字である100カ国訪問したら旅は終了。それでいいじゃないかと思ってダラダラと旅を続け、気付けば既に104カ国周遊していた。きっぱりと終了に踏ん切りが付く何かが見つからなかった。
「旅の終焉はここでいいでしょ」
そう思える何かを探していた。

チベット仏教・ラダック
 
10カ国連続イスラム教国家旅の影響もあってか、旅の疲れはピークに達していた。特に最後の3カ国のアフガニスタンとイラン、イラクは情報が不足していて手探りで旅しなければならないという辛さもあった。そこで次に訪れる国として選んだのは情報に溢れたインド。インドなら心配なくネットの情報で旅ができるので難しい旅にはならないだろう。
インド北西部に位置するラダックで日本人のReinaさんと待ち合わせ、共に旅することになっていたので色々とシェアできることや一人で全て調べなくて済むという負担が少なくなるのはありがたいことだった。
 
私がラダックを選んだ理由は15年前にたかのてるこ著「ダライ・ラマに恋して」を読んだことからだった。内容を鮮明に覚えているわけではなかったが、インドの地域の1つに過ぎないラダックをたかのてるこさんが一冊の本にしたということもあって如何に特別な場所なのということがよく分かる。
飛行機でラダック最大の都市レーに到着。荒涼とした山々がどこまでも続く景色は圧巻。チベット仏教の国や地域で見られる5色の旗・タルチョが辺りに張り巡らされていて、運動会の万国旗を彷彿させて心が躍った。だがそんな感動も束の間、空気の薄さに驚かされた。標高約3500mと富士山頂とほぼ変わらない。高山病になる可能性があったので事前に高山病薬を服薬していたのだが、それでも空気は薄くて高山病になる寸前だった。標高2600m程度のボゴタでさえ高山病に罹患しているので、約2週間のラダック旅は無事でいられるのか心配でしょうがなかった。
高山病に備え、宿で3日間何もせずに過ごし、標高に慣れ始めた頃にReinaさんはやってきた。私よりも歳下ではあったが、落ち着き方が修羅場を潜り抜けてきた女性そのもの。それもそのはずだった。彼女は女性にして100カ国を既に旅している強者なのだ。やはりそういう女性は風格があるというかその辺の
「世界一周旅してま〜す」
みたいなキラキラ旅の女子とは訳が違う。ここから約10日間共に旅することになるのだが、何度となく助けてもらうことになる。
我々が最初に目指したのはプクタルゴンパ。ゴンパとはチベット仏教の寺院のことでレー周辺でもあちらこちらに建立されている。レーからプクタルゴンパへは、レーからバスで約20時間でパドゥムへ行き…。20時間!地獄過ぎるだろそれ!さらにそこからヒッチハイク、またはタクシーで登山口まで行く。さらにさらに1時間ちょっとのトレッキングなのでレーに戻るまで5日間はかかりそう。しかしこれはあくまでスムーズに行けたらの話。そんな5日間というドリームプランは一瞬で消え去った。
まずレーからパドゥムまでのバスが週に1本しかないということが発覚。その日まで待っていては拉致があかない。そこで私達はパドゥムまでの行程の途中にあるカルギルまでとりあえず向かうことに決めた。
約8時間でカルギルまでこれたのはいいが、22時だったためとりあえずここで一泊。翌日にバスを探すも
「パドゥムまで行くバスはない!タクシーだ!」
バスないのかよ!
計画が無惨にも崩れ去っていく。それなら少しでもパドゥムに近付くためにローカルバスに乗車。1時間も乗らずに降車することに。さあここからは…
ヒッチハイク!
過去にパドゥムからカルギルまでヒッチハイクで行ったことのある友人から連絡があり
「ヒッチハイクの車を捕まえるのに3日かかった」
…3日って。私達は一体どれだけ待たなければならないのだろうか。と覚悟を決めてヒッチハイク開始!本当だ。全く止まらないじゃないか! その後10分経過すると
いきなり止まりましたけど! 
私達を乗せてくれたのはムスリム5人組のインド人。パドゥムまでは行かないが、途中のパルカーチクまで行くというのでできるだけ近付いておきたかったので乗ることに決めた。座席が余っていないにも関わらず無理して乗せてくれた。イスラム国家旅を終えたのに、ここに来てまたムスリムに助けられている。どうしてもお礼がしたいと思い、手に取ったのはイラクのカルバラーでもらったイマームフセイン霊廟の塵が入ったパッケージ。ちょうどメンバーの1人がシーア派だったのでプレゼントすると
「これは母親へのギフトにする」
とそれを見つめながら潤んだ目をしていた。
シーア派どころかムスリムでも何でもない私が持っていては宝の持ち腐れとしか言いようがない物が本当に必要としている人へ渡った。この時、ムスリムの方々から頂いてきた恩を少しは返せたのではないかという報われたような爽快感が私を包んだ。
車でしばらく走ると、夕方に差し掛かっていた。
「きょうは無料宿泊所に行くけど君たちも来るかい?」
付近に宿もなさそうだったし断る理由がなかった。夕食に振る舞ってくれたのは牛とバッファローが合体したかのようなヤクの肉を使ったビーフシチュー。チベット料理はかなり美味しいのだがこのシチューが後に先にもラダック1の絶品だった。それもそのはず。作ってくれた人の本職はシェフ。シェフが仲間にいるとなんとも頼もしい。
何ともバランスの取れた5人組。リーダーの夢を叶えるために一心同体となって支える人、協調性高い人、賢い人、無口なシェフ、まるで売れる漫画の絶対条件かのような面子。何から何までやってくれて本当に感謝しきれない。
翌日、再びヒッチハイクを開始するとまたまた10分程度で車が止まり、ついにパドゥムまでたどり着くことができた。
しかしかつてヒッチハイクがこんなに簡単にできたことはなかったのだが、あまりにも早く成功しているのは一体。友人が3かかったというパドゥムまで合計待ち時間20分以内でここまであっという間という不思議。これはまさか女性の優位性か。男性は女性と比較して体格が大きく、力があることに利点があるが、女性は男性と比較して可愛がってもらえることが多いような気がする。しかしその利点は時にレイプなどの危険な目に遭いかねない。男女で一緒に旅をしたらどうだろうか。女性の利点を活かしつつ、男性が女性を守ることができる。
男女コンビ最強!
それが今回立証された気がした。Reinaさんは冷静沈着なタイプだが、ヒッチハイクとなると率先して可愛げを見せ、積極的に車にアピールしているように感じた。私達はこの互いの利点を活かしつつ、Reinaさんがヒッチハイク担当で、お喋りな私が車内でのトーク担当というように役割分担することで最強のコンビを形成。互いに英語が話せることもあって二手に分かれて情報収集をするなど何とも効率の良い旅をすることができた。協調性も高く、1人の時間が欲しいというタイプでもなさそうだったので何ともストレスなく旅ができた。私にとってはこれまで一緒に旅した中では圧倒的に頼りになるパートナーであり、今後も彼女以上のパートナーは見つからないのではないか。長期間に渡る旅でもはや満身創痍と言っても過言ではなかったのだが、ベストなタイミングでベストパートナーが現れてくれたことは何ともラッキーだったと感じる。バスが毎日運行しておらず旅するには不便なラダックは、ヒッチハイクを有効活用しなければ効率の良い旅ができないのだが、最終的に10回もヒッチハイクに成功。トータルの待ち時間は1時間をきったのは私にとっては奇跡としか言いようがない。運転手へのお礼にお金を渡そうと試みるもほとんど受け取ってもらえず、支払った額は計500ルピー(約850円)だった。
 
パドゥムに到着した翌日、2度のヒッチハイクで6時間かけてプクタルゴンパ手前のチャーまで到着。ヒッチハイクした親子の家がプクタルゴンパから川を挟んだユガルにあるということで1人1000ルピー(1700円)で朝夕ご飯付きで宿泊させてもらうことになった。
落ちたら即死であろう断崖絶壁の中、ユガルまで約1時間のトレッキング。時刻は18時過ぎ。山間を流れるターコイズブルーの川はこれまでに見たことがない
※この写真は翌日撮影
 
トレッキングの途中で完全に日が落ちた。
ただでさえ不明瞭かつ足場の悪い中での登山は死の危険が付きまとうのだが幸い地元民もいるし何とか苦労しながらも1時間ちょっと歩いてようやく彼等の家に到着したのだった。
ラダックの景色は素晴らしいのだが、しばらく同じ景色を眺めていたのでここまで辿り着く頃にはもはや飽き始めていた。しかしこのプクタルゴンパ周辺にはターコイズブルーの川が流れ、断崖絶壁に寺院が建立されており、何とも風光明媚なのだろうか。
こういう景色がずっと見たかったんじゃないかな。そんな気持ちがふとよぎった。
 
親子の家では娘さんが夕食の準備を始めていた。大根やトマトをまな板なしで宙空で切る様子をぼーっと眺めていた。疲れたな。これまでの長期旅で身体はもちろん、今回の後先が分からないヒッチハイク旅で気疲れしてたのだろう。新たな人との出会いは楽しい反面、極度にストレスがかかっていたのかもしれない。やはりこちらが乗せてもらっているという申し訳なさが、どうにも処理に難しい思いに駆られてしまう。本当ならバスのように決まった値段を払い、何も気にすることなく乗車していたいもの。何も話さずにヒッチハイクした車に乗るなんて傍若無人過ぎる。コミュニケーションを取ることにより知見を深められるのだが、それによって得られる知識が一日で学習できるキャパを大幅に上回っていくようなそんな感覚だった。
家族4人は日課のように談笑。我々に対して常にふざけ続けていた親父さんだったが、家族の前では格調高い威厳のある親父のように見えた。現地語なので何を言っているかは分からなかったが、4人全員が話の輪に入り、思い思いに話しているような雰囲気。娘さんは時折ニコッと可愛らしい笑顔を見せ、お母さんは順風満帆そうな表情。パドゥムから車の運転をしていた息子さんは道が悪い中、神経をすり減らしただろう。眠たそうな表情をしていたが、私達に気を遣ってくれて通訳をしてくれていた。
私がここで見ている家族愛は、よしもとばななの作品の世界観のような暖かさに溢れている。世界各国、時と場合によって様々な形を見せる家族愛だが、今、私が見ているのは紛れもない家族の完成形なのではないだろうか。この家族にとっての日常が私にとっての理想。何とも羨ましい関係性なのだろう。
 
夕食後に自家製の酒を頂いた。しばらくイスラム国家旅だったことと、そもそも年に数回しか酒は飲まないので久々の酒にすぐに酔った。すると何か込み上げてくる思い。
「ちょっと星を見てくる」
逃げ出すように外へ出て行った。
思った以上に星は輝いていた。川の流れ、虫の声、薄っすらと光るプクタルゴンパ、燦然と輝く星空。岩場に寝そべりながら1時間くらい山の向こう側に溢れる星々を眺めていた。9月半ばで少しひんやりする中、頬を伝うものは暖かく感じる。他に行きたい場所はどこだろうか。それを考えた時、答えは見つからなかった。ここが自然と旅の終着駅となっていたのかもしれない。長い間旅をして、再起不能になっていたと思っていた琴線だったが、ここでようやく触れることが叶った。悔しさと安堵の2つの感情が頭の中を巡り廻る。すると
「こんな所で何してんだろう」
それは旅の終了を意味するフレーズ。
 
ドタバタ旅行記閉幕
 
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