おでかけにはティッシュって必需品ですよね。


わたしは心配性なのでカバンにティッシュがないと不安になります。


以前はポケットティッシュをいくつもカパンに入れてました。




長男を出産後はポケットティッシュでは間に合わなくなって、ママサークルに行くときなんかはボックスティッシュをそのままママバッグに入れて持ち運んでました。


出先で離乳食やおやつを食べ出すとティッシュなんてすぐなくなっちゃいますからね。




でもボックスティッシュってかさばりますよね。


中身が減っても箱はそのまま。


やっぱりかさばりますよね。




そこで作ってみたのがムッチーさんのティッシュカバー



満月か新月か-100606_074904.jpg





ハンドタオルの両端を縫うだけだからか~んたん♪




サイズは確認しながら縫ってくださいね。


なんにも考えずに両端を縫ったらサイドが余ってガバガバになりますよ。←経験者


ほら、ズボラ同盟のそこのあなた、気をつけて。




さらに自分なりに一工夫してスナップを2か所付けてみました。




スナップをはずすと詰め替えが楽チン♪


満月か新月か-100606_075255.jpg






スナップを留めるとティッシュが安定して取り出しやすくなります。


満月か新月か-100606_075311.jpg




かれこれ1年半くらい愛用しています。




ママバックにはこれを常に入れっぱなし状態です。


もはやお出かけには欠かせません。


外食事にもテーブルの上にサッと取り出して置いておくと便利です。




中身が減ったら厚みが減るので詰め替え時も分かりやすいです。




ハンカチを忘れたときは軽く手を拭いたり…


あ、これはズボラな方にのみオススメします。






でも春先にね、自分用にも欲しくなってきました。


鼻炎がひどくて職場でもティッシュ使いまくり。


通勤カバンにも入れやすいように薄手の生地がいいな。




そうだ!ハンカチで作ればいいんだ!o(^▽^)o


タンスを開けました。




ガーゼとタオル生地のハンカチしかない…(´□`。)




100円ショップでハンカチや布を買って作るしかないかしら。


すがる思いでヤフオクで探してみました。




すると




あるではないの!


イメージどおりの素敵なのが!ヾ(@°▽°@)ノ




ん?どこかで見た様な。


とにかく入札!




そして無事落札。




そのちょっと前に気付きました。




あれ?これはもしかして、いつもブログを拝見してるまめさんの?




過去記事探してみると、同じのがありました。




初めて見たときからいいなあって思ってて、無意識にこれをイメージしてオークションで探してました。


まめさんが出品されているのを知らなかったのでまさかのサプライズでした。




落札後のやりとりでわたしのブログ名を名乗ってみました。




違ってたらどうしようって内心ドキドキ(^_^;)




でもやっぱりまめさんでしたドキドキ


嬉しかったあ~。




実は以前、まめさんの腕前に感心しちゃってヤフオク出品を進めたことがあったんです。




だって自分が欲しかったから!




そして待ちに待った作品が到着


満月か新月か border=


かわいらしいメッセージが添えられていました。


まめさんはスクラップブッキングも趣味でされていて、センスも抜群です。




う、裏地までかわいい~リボン

満月か新月か border=


とても丁寧にしっかり作られていました。




子ども用ではありません。


自分用です! ←大人げない




通勤カバンに入れて大活用。


使っていて明るい気分になります。


実家の親にも自慢してました。




そして実家の母に、母の日のリクエストを聞いてみたならば


「あのティッシュケースが欲しい」




さらりと言われました。


でも市販品じゃないのよ…。




でもまめさんは快くオーダーに応じてくれました。


調子にのった親子はいくつも注文。




友人の出産祝い用のティッシュケースに自分用の通帳ケース。


母用のティッシュケースも2つ。




母も私同様に心配性で鼻炎気味。


さらに日帰りバス旅行マニアなのでカバンにいくつものポケットティッシュを入れておく人。


母が気に行った柄が2つあって一つに選べなかったのもあり、結局我儘を言って2つ買わせていただきました。




そして、届きました~音譜




満月か新月か border=




かわいらしいクッキーのおまけまで!




長男と長女がハートの取り合いになりそうでした(長男、男なのに…)


しかし翌日に運動会が控えていた長男。


「このパンダさんは勝利の神様かもしれないよ」


との母の言葉にコロリと騙され、喜んでパンダを食べてました。




翌日の運動会、長男はかけっこでなんと2位!


1位のお友達は学年トップを争う俊足の子なので2位でも十分すごい!


練習ではいつも3位だったらしいのですが、本番でいつも2位の子が転んでしまいました。


たまたまの2位ですが、本人はパンダのおかげと喜んでました。


もしかしたら、ほんとにご利益あったのかも。




ちなみに中身です。

満月か新月か border=



ああ、何度眺めてもうっとり。


大人げなく大人買いした甲斐がありました。




ちなみに左上が通帳ケースです。


母子手帳ケースにも使えます。


あとはティッシュケース。




母子手帳と言えば、楽天で最近よく見てました。


今まで使ってたのがファスナーが壊れてきてて。


手縫いで簡単に手作り♪ママが作る母子手帳ケースLisumom 母子手帳ケースのキット(ミニフラワー)



¥2,100

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※モバイル非対応




CUSE BERRYの母子手帳ケース[母子手帳ケース]パール・ド・マリーMサイズ



¥7,350

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※モバイル非対応




まめさんの作る作品にテイストが似てますよね。




まめさんはこんなに上手なのに、お値段がとてもお手頃で申し訳ないくらいです。




まめさんはとっても人柄も良くて。




ブログを拝見していても、きっと旦那さんはまめさんがすごく好きなんだろうなあ


とか


もう退職された職場の方とも今でも仲良くしておられて、心配りもすごくて


きっとすごく愛されてる方なんだと思います。




わたしはまめさんより10歳も年上なので、お姉さん、というよりおばさんのような心境で見てしまいます。




みなさんもまめさんのページ
で癒されてください


こちらも是非。


  *mame オークション*



ライバル増えちゃうかしら?















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  届け~(^-^)/゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚













え?


まだ続くんですか?


あれだけ引っ張っておいて、一度完結しておいてあとがきまであるんですか?




なんて、思ったりした方、います~?


いやあ、実はあとがきまでは考えてなかったんですが。


どうにも伝えたいことがまとまらなくて。



と言ってもたいしたオチも、何か特筆すべきことがあるわけでもないのですが。

よかったらもうしばらくおつきあいください。ヽ(;´ω`)ノ




次男の出生話については、以前から書いてみたいとは思っていたのです。


ところがいざ書き出してみたらずいぶん長くなってしまいした。


おまけに完結編はなかなか更新できなくて。


当初は一気に完結編まで書きあげていたのですが、途中余計なことをしてなかなか修正できず、完結編の更新が遅れてしまいました。




それでも最後まで読んでくださった方がいましたら嬉しいです。


ありがとうございます。




でもね、中には嫌な気分になった方もおられるかもしれません。


普段交流してる方の中でも気分を害してしまっているかもしれません。


アクセス数の少ないブログとはいえ、つい心配してしまいます。






そしてもし、今回の話を、赤ちゃんを待っている方が読まれたら「わたしはお空の赤ちゃんに選んでもらえないの?」と不快な気分になられたかもしれません。


でもね、決してそんなつもりではないのです。




そのことについては、ちゃんともっこり母さんのブログ
に書いてあります。


赤ちゃんを望んでいる夫婦と言うのは、はたから見ても「きっといいご両親になるだろう」という方が多いですよね。


だからこそ


「赤ちゃんに選ばれない」

のではなく

「たくさんの赤ちゃんが選んじゃったから、まだお母さんの取り合いをしてる」

んだって。



そういえば不妊治療された方が双子ちゃんや三つ子ちゃんを産んだりしますね。

きっと最後まで争って、どちらか一人に決められなかったんでしょうね(^-^)/




それと、わたしの体験談を読んで





帝王切開 コワっ(((゜д゜;)))


なんて思わせてしまったらすみません。




これから帝王切開を控えている方が読んで怖くなったりしませんように。

あくまでもわたし個人の体験であって、皆さんにあてはまるわけじゃないですよ~。陣痛なくて楽だったって方もいますよ~(^▽^;



帝王切開の体験について伝えたかったのは


「大変」よりむしろ



帝王切開だって立派な出産だ!!



ってことや、帝王切開で赤ちゃんに無事に会えるなら、





こんなに幸せな手術はない!




ということ。





あ、わたしが言っても説得力なかったかしら…












ほんとうにね




すべての赤ちゃんが無事に産まれてくれたらいいのだけど、出産に関しては、辛い記憶を持つ方がおられるのも事実です。






実際、分娩中に臍の緒が切れて亡くなった赤ちゃんもいます。



もしかしたら、わたしも次男に会えない悲しい出産になっていたかもしれません。




その時は、もう赤ちゃん自身が生まれる前からそのことを分かっていて、それでもわたしの赤ちゃんになりたかったということのようです。


(そう思っても、その立場になればなかなか気持ちの整理はつかないと思います)






帝王切開と言えば…


パート5に出てきたカータンさんの書籍のあとがきには、カータンさん自身の帝王切開の話しがあったり、特殊能力を持つ友人から、カータンさんが何を宣言して生まれてきたかも書いてあります。

そして、友人から言われた


「絶対にしてはいけないこと」があるのですが、その言葉には納得でした。


あまり言うとネタバレになってしまうのでこれ以上は控えておきます。


興味深いですよ。是非読んでみてください。妹には第2弾の書籍も合わせてプレゼントしました。






そうそう、余談ですが




生まれるまであまり動かなかった次男。


彼の生後と言えば…









初めての寝返り10カ月!





初めてのズリバイ10カ月!





初めてのハイハイ10カ月!









どこまで動かないつもりなんだい?(;^_^A





さすがになかなか寝返りをしないから心配しちゃったよ。





歯も10カ月まで生えなかったし。









動かない次男は、ぶっちゃけ育児が楽でしたけどね。





おむつ替えも、ちょっと目を離しても動かないしね。





それとね、次男の名前については旦那さんともめたこともありましたが、このお話を書いていて気付いたことがあります。




偶然にもあの保育園からもらった勇気(パート2
参照)のエピソードにちなんだようなものとなっているんです。


「名は体を表す」と言うけれど、なんだか不思議な縁のようなものを感じました。











さて、いろいろ書いてきましたが





ここまでこれだけ自分の思いだけで書いてしまって、本当によかったのかと思うところもあります。





途中かなり暗くなって、読んでて疲れた方もいるかもしれません。







でもこのマタニティブルーがあって、ムッチーさんのブログと出会って…。





そこからまたたくさんのつながりにも出会えました。





この出会いに感謝したいと思っています。





出会わせてくれた次男にもね。










逆子で生まれた次男のお話







これにて終了!



最後まで読んでくれてありがとうございます。



こんなわたしですが。






これからもよろしくお願いいたします。


















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  届け~(^-^)/゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚



















パート5です。




パート4からずいぶん間があいてしまいました。


では続きです。








次男の名前、これについては夫婦でいろいろ悩みました。




一緒にいる時間が少ないながらも、それぞれの思いで考えました。






そんな時、わたしは名前のことで旦那さんと冷戦状態におちいりました。




きっかけはわたしの言葉にありました。




(それが何かは言えませんが。)




そのことは旦那さんをひどく傷つけました。




そして、すごく怒らせてしまいました。






今思えば、旦那さんはわたしが入院してる間、仕事・家事・育児の負担を一気に背負い、精神的にも肉体的にも疲労していたと思います。


もともと同居なので、夕飯の支度やある程度の家事は義母がしてくれるとはいえ、お風呂に入れたり、保育園の


準備をしたり、朝ごはんを食べさせたり…旦那さん一人でこなしていることも多かったのです。


仕事も大変な時期でした。


わたしが帝王切開した翌日もほとんど寝ることなく出勤して…。

わたしは、自分の苦しみばかりで旦那さんの苦労をないがしろにしていました。




しかし、言ってしまったことはもう消せません。




わたしは自分自身の言ったことに、すごく後悔しました。






何より、次男に罪はないのです。このままでは、いつまでたっても名前で呼んであげることができない。


もう旦那さんに謝るしかないのです。


それでもなかなか電話する勇気がでませんでした。


「また、傷つけてしまうかもしれない」そう思いました。




出生届けの締切日、旦那さんから連絡がありました。




そして、一番初めに二人がいいと思っていた名前に決めました。




初めて次男を名前で呼んだとき、何とも言えない愛おしさを感じました。


「ごめんね、やっと、呼んであげられたね」



生まれてからあれこれ考え過ぎてしまいました。




今でもその名前に悔いはありません。




この旦那さんとの冷戦状態が続いている期間は一番わたしにとって辛い時期でした。


言いかえれば、それだけ旦那さんは大切で、大きな存在なのでしょうね。


普段は子どものことばかりになってしまっていますが、その陰でいかに旦那さんに支えられていたのかを実感しました。





そして、出生届を提出してから数日が過ぎ、実家から自宅へ戻りました。




ようやく家族と暮らせる。




そう思いました。








わたしと次男を、義両親は温かく迎えてくれました。




戻った時、長男長女はまだ保育園にいました。




義母からは、その日の朝に、長女がママに会いたいと泣いていたことを知らされました。








入院中、何度も寂しくないかと聞くわたしに、当時3歳半の長女は笑って




「大丈夫よママ、心配しないで」と言って、わたしの体をポンポンと叩いてました。




どれだけの背伸びをしていたの?(ノ_・。)








わたしと次男が部屋にいると、長男たちが保育園から帰ってきました。




(お迎えは義母の弟さんがまだしてくれてました)




そして長男は開口一番に笑顔でいいました。








「おれ嬉しい。弟が生まれて嬉しい」








長女はわたしに抱きついてきました。

そして次男のほっぺにチュっ。




…(T_T)




旦那さんとの関係も、時間が解決してくれてました。








でもマタニティブルーは思ったよりしつこく、なぜだか一カ月経っても気が晴れないことがありました。




そんなときに出会ったのがムッチーさんのブログでした。








「お空で待ってる赤ちゃんのお話」





(リンクしてあるので是非読んで欲しいです)




この話は衝撃でした。




これは世のお母さんだけでなく、いろんな人に読んで欲しい。




生まれてきた赤ちゃんが自分を選んで生まれてきたということということ。




自分が今のお母さんを選んで生まれてきたということ。




もしこれが本当ならば、運命さえも自分で選んでいるということになのか。








そして、同じくアメブロでカリスマ的大人気のブロガー、カータンさん


のブログを知り、すぐにファンになって書籍を購入しました。




あたし・主婦の頭の中/カータン









¥1,365


Amazon.co.jp





もう大笑いしました。ところどころ「わかる~」と共感できるところもいっぱいあって、読んでいると明るい気持ちになるんです。




でもね、あとがきを読んで驚きました。








そこにはカータンさんが次女ちゃんを低体重での出産したときのエピソードが載っていました。




そして、カータンさんが以前、海外の友人から聞いたお話がありました。

その友人は、不思議(特殊)な能力を持っていて、普通の人には見えないものが見え、天国とはどういうところかも知っているようです。そして目の前にいる人間の、生まれるまえのこともお見通しのよう。




その友人が話します。「人は生まれる変わる前に、自分に課題を与え、それを宣言してから生まれてくる」というような内容。








ムッチーさんの「お空で待ってる赤ちゃん」は、運命を宣告されるというもの。違いはあるけど、「生まれてからの運命を宣言」という点では同じ。








このあとがきを読んで、わたしは急に思い出したことがありました。




そして、いろんなことが一つに結びついたような、稲妻に打たれたかのような


衝撃を受けました。




!!!



実は次男を出産後、病室に戻ったわたしに旦那さんが話してくれたことがあります。




それは、術後にお医者さんが旦那さんに言ったこと。








次男はへその緒がもろく、お腹から取り出されてすぐにへその緒が取れてしまったそうです。




帝王切開なら問題ないけれど、もしこれが自然分娩で、まだ赤ちゃんが産道にいるときにへその緒が取れてしまっていたら…






その時は赤ちゃんの命の保障はなかったとのこと。








そして、手術当日の朝のNSTの結果から見ると、わたしには陣痛が定期的にきていて(自覚なかったけど)、もし帝王切開のために入院していなかったら、突然お産がすすみ危険だったかもしれないと。(←スピード出産体質)



そういえば次男は、週数に比べて小さめでした。






もしかして、へその緒がもろかったから?




(って言っても38週で2600グラムもあったのでそれほどでもないんだけど)






そして、カータンさんのあとがきを読んで、思ったのは…






次男は生前に何かを宣告されて(宣言して)いたのだろうか?




たとえばお腹の中で、じっと動かずに耐えていることができなかったら、生きてこの世に出られないと宣告されて(宣言して)いたとしたら?




もしかして次男は、へその緒にしがみつくように必死で逆子の体勢を保っていたのかもしれない。




わたしがあの手この手で逆子を治そうとしていた時も、次男は必死で動かないように耐えていたのかもしれない。








まだ見ぬ家族の姿を思い浮かべながら…








頑張って、頑張って、生まれてきたくれた命。


そう思えて仕方ありませんでした。




もし逆子でなかったなら、わたしはこの子に会えなかったかもしれない。




今目の前にある、この小さな小さな手は




わたしの手を握り返すこともなかったのかもしれない。




泣いたり




笑ったり




甘えてみたり




怒ってみたり




そんな次男の変化をみることが




当たり前に思っていたことが




奇跡なんだと感じました。






そんな時、ムッチーさんのブログをきっかけに、もっこり母さんのブログのこの話
を読みました。



ボロボロ泣きました。


弱かったね、わたし。


そしてぜいたくだったね。


赤ちゃんに会うための、こんな幸せな手術をして


たくさんの人に支えられて


いっぱい祝福してもらって






ようやく、マタニティブルーから解放されました。


それどころか、それまで暗くなっていたことすら、嘘のように感じました。




次男は現在何の問題もなく育っています。


もちろん手はかかるしいたずらはするし。


いろんな心配もいっぱいかけてくれます。






心配する家族がいるって幸せだね!









次男を見ながら、




今でも時々思うのです。






この子は何を宣告されて(宣言して)生まれてきたんだろう…






わたしは何を宣告されて(宣言して)生まれてきたんだろう…









*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆




とりあえず、次男の出生話はこれで完結です。






…なあんて言っておきながら




あとがきへと続きます(^_^;)




数時間後に更新しますね。

パート4です。


展開が暗くなってきてますね。




手術の後、管につながれ身動きできない自分。


孤独な自分。




そのことが、わたしの精神状態を追い詰めていたのかもしれません。


でも表面的にはその部分は出さずにいました。




だけど、上の子どもたちに会えないことが思ったより辛くて。


なんだか、それが次男のせいにすら思えたのです。




早く、子どもたちと一緒に暮らしたい。




精神状態がすさんでいたのでしょうか。


その時のわたしは、お世話になってる義母やその弟さんに感謝するどころか、言動にイラツクことがありました。

そして、その思いを携帯で実家の母親に伝えるとかなり怒られました。


「そんなによくしてもらって、文句を言うとはとんでもない!」


母の言う通りだったと思います。


だけど、そんな母の言う言葉もその時のわたしにはただイラツク素にしかなりませんでした。




そして、帰省中の妹にそのことを伝えると、わたしの気持ちを分かってくれました。


「正しいとか正しいとかじゃなく、気持ちを聞いて欲しかっただけなんだよね。説教されると辛いよね」


その言葉だけで気持ちは救われました。


妹の存在は本当にありがたかったです。




そこから体は徐々に回復し、面会にきてもいいかという友人からのメールにもこたえることができました。


昼間は母子同室ができるまでになっていたことも、心の支えになっていました。


面会に来てくれる友人たちとの会話で、気持ちもだんだん明るくなっていきました。


長男長女の担任の保育士さんまで面会に来てくれました。


(事前に連絡帳で強要したも同然だったけど(^-^;)



入院中に予定どおり保育園の運動会があり
パパが頑張ってくれました。
親子競技には、出ずっぱり。パパが長男の競技に参加中の時は、長女は同じクラスの仲良しの女の子の家族が見ていてくれたそうです。
ここでもいろんな人に支えられてるね(ノ_・。)

その頃、産院で出産したママさんたちにセミナーのようなものが開かれました。


それは「マタニティブルー」についての説明でした。




・産後、お母さんは情緒不安定になりやすい。


・子どもを産む回数が増えるに従ってその傾向は強くなる


・孤独はその傾向を強める




まさに自分そのものでした。


説明によると、一か月ほどでその症状は治まるとのこと。




それまで上の子どもたちに会えない寂しさを次男のせいにしてしまい、そんな自分を責めていた状態でした。


でもなんだか心が軽くなりました。


きっと、マタニティブルーのせいだったんだ…。




そして入院9日目。待ちに待った退院日前日の夜。


ひどい悪寒がしました。


看護婦さんに体温計を借り、熱を計ると38度5部。

このままでは、退院できない。


心配してくれた看護婦さんが次男をすぐ預ってくれました。


もともと夜は母子別室の産院だったので、夜はゆっくり休みました。




熱があったら退院できない。


看護婦さんに聞きながら、検温の時間には熱が下がるように解熱剤を服用しました。


その甲斐あって、なんとか退院はできました。




だけど、ほんとうに熱が下がったわけじゃない。


まだ無理はできない。


結局わたしと次男だけしばらく実家へ行くことになりました。




もう妹は自宅へ戻っていていませんでした。


母と次男とわたしだけの生活は穏やかでした。


だけど、上の子どもたちとは離れたまま。


一日も早く一緒にいたいのに。




その頃、次男の名前のことで旦那さんと冷戦状態にもなりました。


旦那さんも、育児と仕事、両方の負担で疲れていたのです。


いつになく冷たい態度で、名前も決められないまま時間が過ぎていきました。


お互い連絡を取る気にもなりませんでした。




やっと退院できたとはいえ、わたしはまだひどいマタニティブルーの中にいました。


食欲もなくなっていました。


笑うことも疲れていました。


それでも母にはいつもどおりふるまっていました。


そんな時、実家近くの友人が次男に会いに来てくれました。




友人は、私と同じく3人の子供がいて、旦那さんの両親と同居してました。


ところが、そのちょっと前、同居を解消したとのことでした。


同居12年目のことでした。


それまで、友人は同居をうまくやっているという印象でした。


わたしの同居に関してはその友人から心強いアドバイスを受けたりしてました。




ところがある日、友人は疲れてしまったそうです。


同居の義父母に感謝することに。


すべて「ありがとう」と言わなくてはならない生活に。


かわいいはずの子どもたちにも何も感じなくなり、食事もできなくなったそうです。


見かねた旦那さんが別居を決意したとのこと。




マタニティブルーのわたしを心配した友人は「わたしがご飯を食べれなくなったときに唯一食べれたもの」と言って、地元のケーキ屋さんのロールケーキを差し入れしてくれました。


「わたしのようになっちゃだめだよ」




そのロールケーキは、ふわふわで、口に入れるとスッと溶けるような軽さでした。


友人は、これだけのものしか食べれなくなるほど…。食べながら、切なくなりました。


友人は別居して、距離を保つことで義両親とも再度仲良くできるようになったと言ってました。




わたしは、同居の義両親に関してブルーになっていたわけではないのですが、彼女の励ましはとても心強かったです。


今でも時々思い出します。




そして、旦那さんと連絡がとれないまま次男の出生届けの締め切りの日となりました。




パート5へ続きます。



次回で完結します。






パート3です。




いよいよ帝王切開のため、手術前日の昼過ぎに入院。


そこでもお医者さんが外回転を試しましたがどうも動きそうもない。


でも、なんとなく、動くかも?みたいな予感でもあったのか夕方にも試してくれました。


「あきらめが悪いかな」とお医者さん自身も言ってました。


わたしもまだあきらめてませんよ~。




看護婦さんと雑談していると、当日逆子が治ったという話もあり、まだ期待してしまいました。


話の中で、看護婦さんから「お腹の赤ちゃんて推定何グラムくらい?」と聞かれました。


2500グラム前後くらいと言われたと答えると、


「週数の割には小さめね。自然分娩なら産みやすそうな大きさなのにね~」


はい、そうですねっ(T▽T;)自然分娩ナラネ




赤ちゃんが若干小さめ、とは診察の時から言われてました。


逆子が治らないのはその関係もあるのかも、とか。


でも羊水が少ないわけではないので、問題ないとのことでした。




その頃わたしは風邪気味で、数日前の診察の時から咳止めを処方されてました。


良くなってはいましたが、咳は完全には治まってなかったので抗生物資を点滴されました。




お医者さんの


「咳があると帝王切開はつらいからね」


この言葉があとで痛いほど身にしみることになります。




手術当日の診察。


お医者さんがまたもや外回転を試みようとしましたが、やり始めてすぐ


「だめだ、切ろう!」(`・ω・´)アッサリ




午後から手術決定。


しかもNSTという装置を付け、お腹の張りを見るのですが、結果を見て看護婦さんが


「なんか、定期的にお腹が張ってる。陣痛前の症状と似てる。」




え!?全く痛みもないですが。


陣痛が来るのかと焦りましたが何事のもなく午後になりました。


午前中に浣腸を済ませ、着々と手術の準備が整っていく感じ。




いよいよ午後。


さすがに緊張してきたわ~。


旦那さんも仕事を休んで付き添ってくれてはいるけど、やっぱり不安は消えない。




そこへ看護婦さん登場。


「はのかさ~ん、まな板の上の鯉ですか~」(^O^)/♪




はい、鯉です(T▽T)




直前まで逆子が治るかもって信じてはいたけれど、そこまで来たらもう切るしかない。


陣痛がないだけ、楽な出産になるかもしれない。




手術前、帝王切開したことのある友人からのアドバイスで


「あのね、麻酔をしたあと、氷か何かあてられて冷たいかどうかとか、感覚があるかとか聞かれるんだよ。あいまいに答えちゃだめだよ!わたしはまだ感覚あったから麻酔を追加してもらった。途中で麻酔切れたらこわいし。」


と、いうのは覚えてました。




実際、麻酔を背中にされて、片方の足は感覚がなくなったけど、もう片方は感覚があり、簡単に動かせました。


それをお医者さんに伝えると、麻酔を追加してくれました。


なんだか安心。


かなり強く麻酔がかかってると言われ


「はのかさん、実はもう切ってますよ~。痛くないでしょ。わからなかったでしょ(^∇^)」


という展開の速さにびっくりでした。


い、いつの間に切ってたの!?





意識がはっきりしてるので、赤ちゃんを取り出した瞬間もばっちり分かりました。


泣き声がすぐに聞こえ、お医者さんの「よし!」という言葉になんだか安心と感動を覚えました。


無事に産まれてくれて嬉しい。




でも、




…かなり気持ち悪い




…は、吐きそう




それを伝えると全身麻酔に切り替えてくれました。




目覚めると手術は終わっていました。


痛みは全くなし。まだ麻酔効きまくってる感じです。




部屋にいくと旦那さんがいて「長かったね」と言われました。


なんだかんだ2時間くらい経ってました。


途中から寝てたから分からなかったわ~。




しばらくして、看護婦さんがきて状態をチェック。




そして、わたしのお腹の上にまたがって、お腹を




ぎゅ~っっっ!!!←手で強く押してる


(((゜д゜;))) ヒイイイイ




どうやら子宮の中の出血を下から出るように押し出してるようです。


普通なら麻酔が切れてる頃なので痛いはずなのですが、麻酔を追加したわたしはまだ痛みを感じませんでした。


「今のうちにどんどんいっちゃってください!」


って感じでお腹を押してもらいました。




その後、しばらくしてまた同じことをされたのですが、その時はさすがに麻酔も切れ


ヽ((◎д◎ ))ゝ


!!!


看護婦さんも加減してくれたし、時間は短かったんですけどね。




その時のわたしの状態は、点滴され、導尿管もつながったままで身動き一つできませんでした。


食事はしばらくできず、水分もしばらくはひかえなくてはなりませんでした。


飲食しないのはそれほど苦ではなかったのですが、風邪の咳が時々でました。




咳をするたび、お腹に力が入って、想像以上の激痛(T▽T;)


咳するだけで自然と涙が出ました。


咳をこらえようとしてもこらえられず、そのたびに耐えられないほどの痛み。




一晩明けて、主人は熟睡できないまま出勤。


病室に一人取り残されたわたし。


知り合いにはなんとか出産報告と、帝王切開したため面会はしばらく遠慮して欲しいとのメールをしました。


こんな姿、見られたくない。




なんだかすごく後ろ向きな自分がいました。


前々日に保育園の子どもたちからもらった勇気は、どこかへ消えてました。




思うように動かない体。


咳するたびに激痛。


赤ちゃんがどうしているのか、見に行くこともできない。



そういえば、赤ちゃんが何グラムで生まれたかも聞いてない。
何時に生まれたのかも知らない…。

元気なのかな。
お母さんなのに、抱っこしてあげることもできないよ。
お母さんなのに、そばにいることすらできないよ。
お母さんなのに

オカアサンナノニ!

なんだかさびしくてたまりませんでした。


できるなら旦那さんにそばにいて欲しかったけど、仕事でそういうわけにいかない。


置いてきた子どもたちにも会いたくてたまらない。



いつもなら、実家の母親も会いに来てくれるけど、そのとき実家には県外に嫁いだ妹が2歳半の子どもも連れて帰省中でした。


実家は近くないし、わたしのいる産院になかなか来れる状態ではありませんでした。




一人でベッドにただ横たわっている時間がやたら長い。


運悪く、携帯のバッテリーの調子が悪くて携帯の電池がすぐ切れるので電話もほとんどできない。


子どもたちはどうしているんだろう。


義父母は高齢で運転もできないめ、義母の弟さんが毎日子どもたちを保育園まで送迎してくれてました。


そして帰りには必ず子どもたちを部屋に連れてきてくれました。


二人とも、赤ちゃんをすごくすごく喜んでくれて、病室に来るたびいつも「赤ちゃんかわいかった~」と新生児室での次男の様子を話してくれました。


一日のうちで、幸せな時間でした。


次男とは一日何回かの授乳のときに看護婦さんが連れてきてくれた間だけ会えました。


授乳と言っても形だけのようなもので、しばらく抱っこしてすぐまたいなくなってしまいます。


一度、看護婦さんが気を使ってくれて、わたしの隣に次男の入ってベビーカートを置いていってくれました。


嬉しかったのですが、その時のわたしは次男とたいしてかわらない状態。


泣いても抱っこしてあげることもできない。おきあがることもできない。


でも、次男はずっと泣かずに寝ていてくれました。


その気配を感じるだけで嬉しかった…。




手術の翌日には、お願いして導尿管もはずしてもらい、自力でトイレに行くようにしました。


トイレつきの個室だったのでよかったです。


それでも2メートル先のトイレが…果てしなく遠い。


トイレに座るころにはすごい疲労感。


でも看護婦さんには「すごい根性ね」と驚かれました。




実際わたしは普通の人より早く回復し、歩いて新生児室へ行けるようになるまでさほど時間はかかりませんでした。


でも咳は治まらず、毎日抗生物質を点滴されましたが咳するたびの激痛は続きました。




この時期のわたしは、まだまだ自分でも驚くほど弱くて、気がつくと涙が溢れていました。

パート4へ続きます。






さて、パート1の続きです。

今回は出産そのものでなく、観れなかった長男の運動会の話がメインです。



刻々と手術の日が迫ってきて、それでも動く気配のない次男。

保育園で先生や保護者の方との会話でも、運動会までに逆子が治るかどうかみたいな話題が増えていきました。

保育園最後の運動会を観たい、という気持ちは誰もが共感してくれました。


せめて予行演習だけでも観れたら。

運動会は祝日でしたが、予行演習は平日。

仕事をしていたら観れないけど、すでに産休に入っているわけだし。


先生に予行演習の日を聞いてみたらば

なんと手術前日の入院日と重複!!ヽ((◎д◎ ))ゝ

このままだと予行演習も観れないのね…ガクリ

こうなったら普通の練習でもいい!なんとかして鼓隊演奏の様子だけでも観たい!


先生に話したところ、あっさり

「いいですよ~」(‐^▽^‐)


と、言うわけで予行演習の前日に練習風景を見せてもらうことにしました。


ちなみに長男の担任の先生は、長男が2歳児クラスの時にも担任をしてもらってました。

そのころクラスは早生まれの園児だけの12名。

後にも先にもそんな少人数のクラス編成って聞いたことないのですが、少人数だけにとってもアットホームなクラスでした。

そんなこともあり、先生は長男のこともわたしのこともよく分かってる方でした。

わたしより5歳くらいは年下だけどしっかり者の先生。


うちの保育園は3歳児になると、年少から年長までの縦割り編成になります。

縦割りで3クラスに分かれます。

そんな中でまたその先生の担任のクラスになったことも、さらに年齢別にも過ごす時間でも、その先生が年長の担当だったことで事情はよく分かってくれてました。


練習風景を見学に行く前の前日、なんだか先生から言いにくそうに切り出されました。

先生 「あのぉ~お母さん、明日なんですけど…(^o^;)」

わたし「な、何かΣ(・ω・ノ)ノ!」

先生 「いえ、あの~、今日も鼓隊演奏とか練習してみたんですけど、結構ボロボロで…。もう少しパート別に練習した方がいいかもしれない状態なんです。明日もあまり期待できないと言うか…(;^_^A」


先生!そんな心配なら無用です!

(長男については悲しくなるくらい)免疫ありますから!

一瞬、練習も見学できなくなるのかと思いました。

上手じゃなくたっていいんです…。

観られるだけでいいんです…。


で、翌日ドキドキしながら練習場へ行きました。

9月半ばの秋晴れの日。


練習は、保育園の近くの高校のグランドであります。

運動会当日の会場もそこです。

運動会の日も思うんだけど、日陰とかなくて暑いのよね~。


練習は給食が終わってから3時くらいまで。

年長さん以外はお昼寝の時間です。年長さんだけがこのグランドで練習するのだと思います。

おお~、みんな楽器や旗を持って練習してる。

本番はさらに衣装を着るのよね。

ああ、やっぱり本番が観たい。←未練タップリ


わたしの姿をみつけると、たくさんの保育士さんたちが

「おかあさ~ん、ここですよ~」と声をかけてくれました。

ベテランの主任保育士さん風の先生が

「おかあさん、今から鼓隊演奏の通し稽古をするのでこちら(特等席?)へどうぞ(^-^)」

と、本番なら園長先生が座るような本部席位置へ案内してくれました。


少しの静寂の後


ピー


っと笛の音が聞こえ、それを合図に一人の女の子が走ってきてみんなに手を振り、指揮をとりはじめました。

あ、あれは(アットホーム時代クラスで一緒だった)Aちゃんだ!

わが子じゃなくても涙腺緩んじゃいました。


そして音楽スタート。

曲は「虹の向こうに」とコブクロの「蕾」。


行進が始まり

楽器の音が鳴り響く。

ビデオを撮りながら、なんだかすでに涙が…。


先生は前日「ボロボロ」なんて言ってましたが、そんなこともなくとってもとっても上手でした。

照れ屋な長男はこちらをチラとみて知らぬふりしてましたが、演奏はわたしが思っていた以上に上手でした。

正直驚きました。


終わった後、ベテラン保育士さんも「みんな、上手だったね」と言ってました。


その後、グランドの端の方でほかの練習も見せてもらいました。

長男のお友達は結構こちらに親しげに声をかけてくれるのに、長男は相変わらず知らんぷり。

長男らしいです。


しかしその日は暑くて…

本当に暑くて…

ちょっと、バテてきましたヽ(;´ω`)ノ


毎年残暑厳しい9月の終わりの運動会当日、午前中だけなのに暑くてグッタリ。

その日はさらにそれより暑い時期、正午過ぎの暑い時間。


妊婦にはキツイワ~!(´Д`;)


ふと周りを見ると、長女の担任の先生もいました。

本当なら、お昼寝の時間で、一番先生方がゆっくりできる時間帯。

ほかにも年長さん関係以外の先生が何人も。


合間合間に担任の先生が

「お母さん、次にリレーやりますから」

「お母さん、つぎはバルーンやりますから」

と競技の説明をしてくれました。


今日はいっぱい練習するのね、ラッキー

なんて、思ってたけど…


そんなわけないっ!( ̄□ ̄;)

ほんとうはほかに練習したいこといっぱいあるはずなのに。

本番に来れないわたしのために、全部の競技をやってくれているんだ。←後で気づいた


暑い中、子どもたちは一生懸命練習していて。

先生方もあちこち走りまわったり準備したり。

ほんとうにほんとうにみんな一生懸命で。


観てるうちに目頭が熱くなって。

なんだか自分の目に入るのが汗なのか涙なのか分からない…。


帝王切開の入院を翌日に控え、手術への不安や恐怖のあった自分。

こわがっていたことが、なんだかバカらしくなってきてました。

子どもたちも、先生も、毎日暑い中、こんなにこんなに練習してるってのに。

こんなに頑張ってるってのに。


こんなに勇気をもらって、こんなによくしてもらって、


幸せだよ。

わたしも。

お腹の赤ちゃんも。


帝王切開の何が怖い?

それは赤ちゃんに会うための、世界で一番幸せな手術。

なんでそのことに気がつかなかったんだろう。


もし逆子でなかったら、きっとこんな経験は一生できなかった。

先生も、子どもたちも、普段どんなに頑張っていたか知ることはなかった。


頑張るからね!お母さん


勇気をたくさんたくさんもらって、翌日わたしは入院しました。


パート3に続きます。



今更ながら、出産の思い出話です。

夏に出産を控えた柚茉☆さんがブログで赤ちゃんが逆子とおっしゃっていたので、次男を逆子で帝王切開で産んだお話をしてみようと思ったわけです。


このことはいつかブログに書きたいことの一つでもあったのですが、なかなか更新しないわたしなのでこういうきっかけがなかったら書かないままだったかも。


結構長くなります。

一日では終わりませんが、よかったら最後までお付き合いください。


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


現在わたしには3人の子どもがいます。

思い起こせば、長男、長女とも妊娠初期には切迫流産で入院しました。

その後は自宅安静もあり、なかなか仕事もできませんでした。

長女の時は安定期に入ってからも出血がダラダラあり、つわりも長男の時より長かったので心配でした。

しかし妊娠後期には安定し、産休まで働くことができました。


長男は陣痛から3時間半、長女は陣痛から1時間半でのスピード出産。

どちらも病院についてからほどなくしてポンと生まれました。


しかし3人目は違った!


上二人と違って、初期のトラブルもなくつわりも軽かったです。

ああ、親孝行…。


ところがね。


次男は逆子でした!


上二人は逆子だったとはいえ、逆子体操で治りました。

ところが次男。

中期くらいからずっと逆子。

後期に入っても逆子。

体操しても逆子。


このままでは帝王切開になる!と横になっているときはしょっちゅう逆子体操してました。

あれって結構キツいんですよ。

でも動く気配なし。


外回転って知ってます?

お医者さんがお腹の上から胎児をぐっと手で動かして回転させ、逆子を治すものです。

これも無理するといろんな危険が伴うので様子を見ながら慎重にやってくれました。

でも触ってすぐお医者さんが「だめだ、動きそうにない」とすぐあきらめモード。


わたしの職場では予定日の6週前から産休がとれるので、ぎりぎりまで働いてました。

次男は上二人に比べて胎動は少なかったので仕事しながら時々心配になりました。

「ぶ、無事…?(°д°;)」みたいな。

職場でも逆子が治らないことを話すと、心配してくれた先輩がネットでいろいろ調べてくれました。

わたしの自宅近くに逆子治療をしてくれる鍼灸院があったと紹介してくれたので、産休後行ってみました。


もともと、通っていた産婦人科でも逆子治療としてお灸を指導されてました。

足の小指の横にツボがあるとかで、毎日お灸をするように言われてました。

産婦人科で渡されたのは「千年灸」。

箱にはたくさんのお灸が入っていて、逆子が治ったらつぎの人にまわすので返してね、と言われてました。

結果、使い切っても治らなかったのだけれど。

ちなみに鍼灸院と産婦人科から指導されていた逆子のツボは同じ場所でした。


産休後、逆子だった私は週に一回は鍼灸院へ、週に二回産婦人科へ通うことになりました。

初めて鍼灸院に行った日の朝方、なんだかお腹の中でぐ~っと赤ちゃんが動いたような感覚がありました。


そして産婦人科で診察。

すると「お、ちょっと体勢が横向きになってるね」と言われました。


すごいぞ、お灸!


上二人を安産で出産したわたしは

「このわたしが帝王切開になるわけがない」みたいな変な自信がありました。

しかし、最初のお灸で横向きになった次男はそれから動く気配もなく…


ついに手術をむかえることになっちゃったよ~・°・(ノД`)・°・


かかりつけの産院では手術は木曜か土曜と決まっていて、わたしは予定日から2週間と1日前の木曜に手術することに。


わたし、産休に入ってからまだ4週間なんだけど…(-""-;)


里帰り出産しないわたしにとって、この産前休暇というものはまさにパラダイス。

上二人を保育園に預けてる間はフリータイム。


普段行けないランチに行くわよ~。

買い物に行くわよ~。


でもその前に出産準備。

仕事してるとなかなかできないので、産休に入ってからようやく出産準備やら上二人の衣替えやら。

でもね、9か月半ばまで働いてるとね、産休に入る頃にはあまり体がうごかないのよ…


休み休み準備したり、必要なものを買い出しに行ったり。

だけど、合間に鍼灸院と産婦人科に行って、夕方までに夕飯の準備をしてから上の子を保育園にお迎えに。

そうそう、歯医者も通ったんだっけ。

なんだか楽しいこと何もできないまま時間が過ぎていく。

逆子さえ治れば、予定日近くに産まれてくれれば、あと2週間はフリータイムが延びる。

もうあの手この手で逆子対策。


もし、帝王切開になったら、困ることがまだありました。

帝王切開なら入院期間が10日になるので、上の子たちのその間のお世話が気がかりなのはもちろんのこと。

その入院期間には、長男の保育園最後の運動会が重なってしまうのです。


5年間通った保育園。

最後の運動会には年長さんの鼓隊演奏がある。


それはまさに運動会の華!キラキラ

初めて年長さんの鼓隊演奏を観たときには感動し、それから何年も自分の子どもたちの出番を楽しみにしてました。

生で観たい!


実は長男の初めての運動会前日、わたしは長女を妊娠してから初めての出血がありました。

結構な量でなかなか止まらない。

ナプキンもすぐ飽和状態。即入院となりました。

お医者さんに「明日の運動会に行きたい」

と言うと、看護婦さんたちにも

「赤ちゃんの命がかかってるのよ!」と止められました。


楽しみにしていた初めての運動会は行けなかったけど、最後の運動会は観たい!(T_T)


しかし何をやっても

次男「フッ、無駄な抵抗だぜ。γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ」

とでも言っているかのようにビクとも動かない。


でもわたしは信じてました。

「逆子は治る」

「帝王切開にはならない」

手術直前まで信じてましたよ~。



パート2へ続きます。







満月か新月か-Image001.jpg

先月は結局更新しないまま終わりました(^▽^;
コメ返もようやくました。
更新してなくても元気にやってますよ~。
役員仕事からも解放されてました~\^o^/
今後も細々と更新してくのでよろしくお願いします。


先々週金曜は長男の学校が振替休日。
せっかくだからとパパが休みをとり、長女も連れて一泊旅行。大阪まで車で移動。

わたしは仕事を休めず次男とともにお勤め(次男は保育園)でした(T-T)

金曜はUSJ。ビビりの兄妹は乗り物拒否してショーを観る専門。
バックドラフトのアトラクションは乗り物じゃないけど突然火が出るのでやはり怖かったらしい。
シュレックの3D映画も怖かったらしく3D眼鏡を外して観賞。
…どこまで怖がり(´Д`)?

実は3年前にもUSJには来たことあるのですが、ジョーズのアトラクションくらいならと子供達を連れて行きました。
最初は喜んでいた子供達。

が!

迫り来るジョーズ!
突然の爆発!
苦手な暗闇!
再びジョーズ!!

おまけにその時の乗客がギャルばかりのリアクション大王揃い。

キャーキャー叫ぶギャル達に同化し、ビビりまくった子供達。

船はゆっくり進むし、ジョーズくらいならと侮ってたわ~。

「おサカナ怖かった」と半泣きで船を降り、しばらくUSJはトラウマ状態。

やっぱり今回もジョーズのアトラクションには近づくのも嫌がったらしい( ̄▽ ̄;)


今はUSJは途中退場できないらしく、なんとか夜のパレードまではと中で頑張ったパパ。

パレードが始まるなり子供達は
「怖い~帰る~o(><)o」

…あっさりホテルへ退散。

USJのすぐ近くのホテルに泊まり翌日は兵庫にあるキッザニアへ。


キッザニアと言えば子供達がいろんな職業を体験できる人気スポット。

ここはビビりの子供達も楽しかったよう。
写真はソフトクリーム屋を体験中の子供達。

子供達が体験してる間、親はそこには入れず眺めるのみ。
ちゃんとガイドさんがいろいろしてくれるから安心して見てられるらしい。←働きぶりにはハラハラ

親達はみんな子供達の様子をカメラマンと化して撮影。

人気どころは待ち時間が長く、120分待ちだったりするので、うちはあまり人気のないところへ行ったらしい。

長男はガソリンスタンドや理髪店。長女はフラワーアレンジメント。
二人揃って冷凍食品工場で焼おにぎり作ったり。

自分で作ったものはそのあと食べられます。昼食は自分達で作った焼きおにぎりやソフトクリーム。

長女はフラワーアレンジメントのところでわたしへのお土産の花を作ってくれましたが、パパがそれをトイレに忘れてきたらしいです。暴走する長男に振り回され、慌てたらしい。

キッザニアは半日交代の完全入れ替え制らしく、うちは9時-3時。
時間まで目一杯いたそうです。

子供達は「楽しかった」
パパも「USJより楽だった」
と好評。

わたしはビデオで子供達の働きぶりを見ましたがなかなかおもしろかった。

子供達は「また行きたいo(^-^)o」
とノリノリ。
そんなに期待してなかったわたしでしたが、子供達の反応を見て次は自分もキッザニアに行きたいと思いました。

GWは実家でのんびりグータラに過ごしてましたが明日は地区の子供みこし。
親も子も出なくてはならないので帰ってきました。

地区の行事ってまだ慣れてないので緊張だわ~。
しかも明日はみこしと一緒に各家をまわり、わたしはお札を渡さなくちゃなりません。間違ってお札を二枚渡して後で足りなくなったりしないかしら、とか気難しい家の方に苦情言われたりしないかしら、とか本気で心配になったりします(´~`;)

早口でしゃべってお札押し付けて去って行く自分の姿が想像できちゃうわ…

明日、何事もなく終わりますように。










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気がつくと3月も終わり。

3月ってどこもあわただしい感じしませんか。

うちもそんな感じです。

仕事も3月はやはり忙しいです。

役員仕事も大詰め。


今日は久しぶりの役員話。


小学校の方は広報委員をやってましたが大変だったのは6月くらいでした。

同じページ担当の方がわたしにまかせきりでプレッシャーでした。

何度かわたしの作ったものを見て欲しい、とかこれでいいかとか聞いたのですがあまり返事もなく…。

しつこかったせいかその方には嫌われてしまった感じです。


そのあとは飲み友達で一緒に役員をやることになった男前のママさんと同じページ担当。

打ち合わせの日、わたしは都合悪くて欠席したのですが、そのママさんがわたしと同じ担当に申し出てくれたようです。

しかもその会はすべてそのママさんが作ってくれました。

非の打ちどころのないものでした。

でも、作るのは大変だったろうな。

ありがたいような申し訳ないような。


広報誌は1学期に1回の発行で、3学期はわたしはまやもやそのママさんと同じ担当。

と言ってもページは違うんですけどね。

6年生の生徒が書いてくれた原稿をワープロで打つだけの楽な作業でした。


出来上がった広報誌はいつも素晴らしい出来栄えで、どうやら委員長が一人で頑張っていたようです。

みんな委員長にまかせきり。

委員長はほんとに辛かったでしょう。


昨年の広報委員は大変だったようです。

委員長が何かの広報の賞を狙っていたらしく、何度も担当者に書き直しをさせたりしていたよう。


今年の委員長は「楽しくやろう」「賞はいらない」というタイプのとても優しい方でした。

そういう意味で、ラッキーだったと思います。


新学期にはもう一度広報を今のメンバーで発行します。

6年生の担当はもう卒業しちゃっていないですけどね。

もう少し仕事はありますが内容は大体決まってるのでそれほど大変ではなさそうです。


来年度の小学校の役員決めは各クラスの懇談会で決めました。

大体はすんなりいったようですが、5年生は大波乱。

なんと、懇談会当日参加したのは現役員以外は二人だけ。

決めようがない。

みんな、逃げた?

6年生でやると大変だから?

うちの小学校は最近3つの小学校が統合して新しい建物になってます。

統合して長男が入学したときで2年目。

みんな、統合前の少人数の学校の時に役員をやってるので、6年生となるとだいたい2回目となる人が多くなるようです。


もちろん一回もやってない人もいます。

クジやじゃんけんで決めたところで仕事が忙しいと役員会に一回も出れない人もいたりして、それはそれで問題なようです。

頑として役員をやりたがらない人もいるようです。


一回も役員をやらず、会にもでず。

なんだかそっちの方がわたしは勇気がいるな。



保育園の方はそれなりに仕事がありました。

会長とわたしとほぼ二人でまわしていた感じです。

わたしは会計と副会長を兼任してましたし、会長は金融機関に勤めていたので会計も兼任していた感じです。


何かあれば二人でメールのやりとり。

最初は役員で集まって決めていたこともありましたが、みんな働くママさん。

土曜日はやることいっぱい&仕事の方もいます。


みんな協力的でしたが、一人だけ欠席の連絡もなく、会合を休んでばかりのママさんもいました。

来れないなら来れないと連絡くれればいいのに。

役員のアドレスを確認する用紙も渡しましたが音沙汰なし。

職業警察官とか。

正義って何?

でも休めばいいってもんではありません。

役決めの時もいない人は外して考えるので、休んだら有利って感じの時はありますが。


来年度の役員もクジで決めました。

来年度年少・年中の役員さんはありがたいことに定員以上の立候補があり全員選任としたので、クジはしなくて済みました。


このあたりは立候補募集の用紙を早めに配るなどして行動を早め早めにした会長の決断が効きました。

1月に親子の保育参観があり、その時に来年度年長の保護者にクジをしてもらいました。

その日欠席の方については会長が変わってクジを引くことになってましたが、幸い、いる方の中で当たりくじ(ある意味はずれだが)を引いてもらったので会長は引かなくてすみました。


3月は卒園式があります。

うちの保育園は昨日でした。

卒園児への記念品や先生方へのお礼の品は私の方で注文しました。

卒園児には名入り鉛筆。

先生方にはボールペンと修正液。

お世話になってる先生方にもっといいものあげたかったのですが、給食を作って方とか合わせると全部で40人いるし予算があまりありませんでした。

なるべくネットで評判いいものを探して注文しました。


先生方ってボールペンとか自費で用意してるみたいです。

労働の割に給料も少ないでしょうに(ノ_・。)

プレゼントとしては味気ないですが、役に立つと嬉しいです。

実はこっそりどんなものがいいかは保育士さんに聞いたりもしてました。


今年は園児へのイベントの参加賞とか、かなり実用的なものにしました。

おもちゃとかって結構当たり外れあったり邪魔になったりするときもあるし。

なのでループ付きタオルをあげたり、鉛筆や自由帳、消しゴムをあげたりしました。

評判はよかったのですが、本来なら園に出入りしている業者さんから買った方がよかったみたいです。

来年はまたおもちゃになるのかも。


会計の仕事はもう少しあるようです。

会長さんが卒園したら、どうしよう。

入出金は会長さんがしてくれてたのでかなり助かってました。


会長はとっても責任感の強い方で、やることのほとんどを一人でしていたみたいです。

あとはせいぜい私と書記の方。

書記の方は参加賞を買う時にかなり頑張ってくれました。

いろんな商品の中から選ぶのはプレッシャーもあり

「いろいろな商品に囲まれて悩みすぎて吐きそうになった」と冗談交じりに話してくれました。


役員が何人いようと、まわすときは2,3人でやった方が楽なのかも。

今回の場合はそんな感じでした。

運動会や納涼祭のときには人手がいるので役員総動員となりますけどね。


会長は決断力もあり、仕切るのも上手。

さばさばした話しぶりでみんな一目置いてました。

責任感も強かったです。

新型インフルエンザのはやり始めの発表会のときには、会長が一人一人にマスクを配ってました。

挨拶も毎回上手でした。


あんな適任者はいない。

みんなそう思ってました。


そんな会長から昨日メールが来ました。


「卒園式、無事終わりました。保護者会からのプレゼント、皆さん大喜びでした。」


よかった。私の選んだもの、喜んでもらえたんだ。


それなりに悩んで悩んで選んだものだったので嬉しかったです。


会長には

「はのかさんが副会長を兼任してくれて本当に助かった。最後までいろいろありがとう。迷惑かけたね」

なんて言われました。


お礼を言うのはこちらなのに。゚(T^T)゚。

たいしたこと、わたし何もしてない。

副会長なんて名ばかりで。


何も仕事しない人の方が多い中、会長の手助けをしたい気持ちはあったので

できる限りはしてたつもりですが、そのたび会長からは

「迷惑かけてごめんなさい」

「ありがとう、助かった」

と。会長のしたことに比べたらほんとにわずかの手助けだったのに。


会長から学ぶことは本当に多くて。

いろいろ愚痴りあったり、それも楽しかった。

でも今月いっぱいで会長のお子さんも卒園。

卒園したのは二人目のお子さんで、保育園には通産9年通ったそうです。

また親子で遊びに来てね。


3月は、役員仕事もあったりしてブロ」グもなかなか更新できませんでした。

4月もいろいろあるのかな。

ありませんように。


ずいぶん長くなってしまいました。

途中愚痴もありましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。


みなさんに記事になかなかペタコメできてませんが。

仕事や家事の合間にほぼ毎日チェックしております(-_☆)

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みなさん、前回記事にいろいろご意見ありがとうございました。

ほぼ共通意見として「自分にとって合わない病院なら替えてもいいのでは」というのがありました。

すでにもう以前の病院には行かない気でいます。

いずれもう少し詳しく病院への思い(不満)が書きたいな。

アメンバーにしようかな。



ところで最近お皿がよく割れます。


自然に、じゃなく人為的なものです。


今日も長男・次男と続けて割ってくれました(T_T)


なんか不吉?

でも怪我がなくてよかった。


年末に婦人科検診で次々と引っかかったわたし。

すがる思いで購入したパワーストーンのブレスレットやリング。

ネットでお手頃価格で入手できてお気に入り。

周りからの評判も上々♪

そして年明け、精密検査で結果が向上。


パワーストーンの効果あり?('-^*)/


そんな霊験あらたか(?)で毎日つけてたお気に入りのブレスが…


なくなりました…。


最近いたずら好きでなんでもゴミ箱に入れる次男一歳。

もしや、次男がゴミ箱に入れちゃった?

そして気付かずにゴミの日にだしちゃった?


なんか不吉?

でもパワーストーンって壊れたりすると、「身代り」になって災いをかぶってくれたってことらしいし。

もしかして、検診で結果がよくなって、お役目御免とばかりに姿を消した?


ものは考えよう(^▽^;)


ところで夜、うちの廊下に来客が。

トイレに行こうと廊下にでたら、目の前をビュンと何かが通り過ぎました。


蝙蝠(コウモリ)でした…。


冬だし家を閉め切ってるのにどこから?

実は先月も同じことが。こんなこと滅多にないのに二度も?

先月は、廊下の窓を開けておいたらなんとか出て行きました。

でも蝙蝠って目が見えないんですよね?

今日はずっと窓を開けておいてもなかなか出て行かず(-。-;)


実は隣の部屋にまだいらっしゃいますヽ(;´Д`)ノ

さっき壁に張り付いてました。

ちょっとかわいかったけど。


なんか蝙蝠って不吉…?


ネットでいい情報はないかと「蝙蝠」「いいことがある」みたいなキーワードで検索してみました。←小心者


そしたら蝙蝠って害虫とか食べてくれるし糞は肥料になるしで人間にとっていい動物らしいです。

なので蝙蝠が家に来るといいことがあるとか。


…きっと、わたしみたいな人が考えた迷信なんだろうな、なんて。


でも心がちょっと軽くなりました。

明日はいいことあるかも?(^▽^;)



ちょっと話題変えます。


先週は節分でしたね。

恵方巻き、皆さんは食べましたか。

我が家はいただきました。


これを↓

満月か新月か-ロールちゃん

恵方巻きもロールケーキも「巻物」つながりってことで…


節分の前日、スーパーで安売りしていたロールちゃん。

同じ考えの方がたくさんいたに違いない。


ほら、チョコ味のロールちゃんならますます恵方巻きっぽい(^▽^;)


これをいくつかに切り分けて長男、長女に吉報を向いて食べさせました。

これくらいならしゃべらないで食べきれるし。


節分当日、恵方巻きと豆をスーパーで買ってくつもりが大雪のため挫折。

なのでロールちゃんがあって助かりました。


ああ、豆がない…


そしたら保育園で豆まきがあったようで、まだ一歳の次男は食べられないからとお持ち帰り。

(長女は給食に豆が出て食べたよう)



満月か新月か-豆の袋


これをまきました。

テーブルの上でチマチマと。


日本の伝統行事って素敵…


よいお母さんはマネしないでね。

マネするわけないか。



今日はいい天気だったので近くの公園で雪遊びしました。

すると別の近くの公園で凧上げしてました。

長いのでなかなか飛ばない。

どうやら最後のチャレンジで飛んだよう。


満月か新月か-舞い上がる凧

「青雲」のCM(ご存じ?)にこんなのあったような。


みんなすごい歓声をあげてました。


「みんなの夢が飛んだよ~」(^O^)/


そんな声が聞こえてきました。


満月か新月か-凧の絵

わかりづらいですが「ケーキ屋さんになりたい」と書いてあります。


たくさんの凧に、たくさんの人のいろんな願い事が書かれてました。


凧 凧 あがれ 天まで…


青空をバックにとてもキレイでした。


わあ、なんかいいことありそう~(;´▽`A``





明日の朝


蝙蝠ちゃん、どうなってるかしら…(;^_^A






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 (わたしにも) 届け~(^-^)/゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚



蝙蝠さん、自分の家に帰ってね。