パート4です。


展開が暗くなってきてますね。




手術の後、管につながれ身動きできない自分。


孤独な自分。




そのことが、わたしの精神状態を追い詰めていたのかもしれません。


でも表面的にはその部分は出さずにいました。




だけど、上の子どもたちに会えないことが思ったより辛くて。


なんだか、それが次男のせいにすら思えたのです。




早く、子どもたちと一緒に暮らしたい。




精神状態がすさんでいたのでしょうか。


その時のわたしは、お世話になってる義母やその弟さんに感謝するどころか、言動にイラツクことがありました。

そして、その思いを携帯で実家の母親に伝えるとかなり怒られました。


「そんなによくしてもらって、文句を言うとはとんでもない!」


母の言う通りだったと思います。


だけど、そんな母の言う言葉もその時のわたしにはただイラツク素にしかなりませんでした。




そして、帰省中の妹にそのことを伝えると、わたしの気持ちを分かってくれました。


「正しいとか正しいとかじゃなく、気持ちを聞いて欲しかっただけなんだよね。説教されると辛いよね」


その言葉だけで気持ちは救われました。


妹の存在は本当にありがたかったです。




そこから体は徐々に回復し、面会にきてもいいかという友人からのメールにもこたえることができました。


昼間は母子同室ができるまでになっていたことも、心の支えになっていました。


面会に来てくれる友人たちとの会話で、気持ちもだんだん明るくなっていきました。


長男長女の担任の保育士さんまで面会に来てくれました。


(事前に連絡帳で強要したも同然だったけど(^-^;)



入院中に予定どおり保育園の運動会があり
パパが頑張ってくれました。
親子競技には、出ずっぱり。パパが長男の競技に参加中の時は、長女は同じクラスの仲良しの女の子の家族が見ていてくれたそうです。
ここでもいろんな人に支えられてるね(ノ_・。)

その頃、産院で出産したママさんたちにセミナーのようなものが開かれました。


それは「マタニティブルー」についての説明でした。




・産後、お母さんは情緒不安定になりやすい。


・子どもを産む回数が増えるに従ってその傾向は強くなる


・孤独はその傾向を強める




まさに自分そのものでした。


説明によると、一か月ほどでその症状は治まるとのこと。




それまで上の子どもたちに会えない寂しさを次男のせいにしてしまい、そんな自分を責めていた状態でした。


でもなんだか心が軽くなりました。


きっと、マタニティブルーのせいだったんだ…。




そして入院9日目。待ちに待った退院日前日の夜。


ひどい悪寒がしました。


看護婦さんに体温計を借り、熱を計ると38度5部。

このままでは、退院できない。


心配してくれた看護婦さんが次男をすぐ預ってくれました。


もともと夜は母子別室の産院だったので、夜はゆっくり休みました。




熱があったら退院できない。


看護婦さんに聞きながら、検温の時間には熱が下がるように解熱剤を服用しました。


その甲斐あって、なんとか退院はできました。




だけど、ほんとうに熱が下がったわけじゃない。


まだ無理はできない。


結局わたしと次男だけしばらく実家へ行くことになりました。




もう妹は自宅へ戻っていていませんでした。


母と次男とわたしだけの生活は穏やかでした。


だけど、上の子どもたちとは離れたまま。


一日も早く一緒にいたいのに。




その頃、次男の名前のことで旦那さんと冷戦状態にもなりました。


旦那さんも、育児と仕事、両方の負担で疲れていたのです。


いつになく冷たい態度で、名前も決められないまま時間が過ぎていきました。


お互い連絡を取る気にもなりませんでした。




やっと退院できたとはいえ、わたしはまだひどいマタニティブルーの中にいました。


食欲もなくなっていました。


笑うことも疲れていました。


それでも母にはいつもどおりふるまっていました。


そんな時、実家近くの友人が次男に会いに来てくれました。




友人は、私と同じく3人の子供がいて、旦那さんの両親と同居してました。


ところが、そのちょっと前、同居を解消したとのことでした。


同居12年目のことでした。


それまで、友人は同居をうまくやっているという印象でした。


わたしの同居に関してはその友人から心強いアドバイスを受けたりしてました。




ところがある日、友人は疲れてしまったそうです。


同居の義父母に感謝することに。


すべて「ありがとう」と言わなくてはならない生活に。


かわいいはずの子どもたちにも何も感じなくなり、食事もできなくなったそうです。


見かねた旦那さんが別居を決意したとのこと。




マタニティブルーのわたしを心配した友人は「わたしがご飯を食べれなくなったときに唯一食べれたもの」と言って、地元のケーキ屋さんのロールケーキを差し入れしてくれました。


「わたしのようになっちゃだめだよ」




そのロールケーキは、ふわふわで、口に入れるとスッと溶けるような軽さでした。


友人は、これだけのものしか食べれなくなるほど…。食べながら、切なくなりました。


友人は別居して、距離を保つことで義両親とも再度仲良くできるようになったと言ってました。




わたしは、同居の義両親に関してブルーになっていたわけではないのですが、彼女の励ましはとても心強かったです。


今でも時々思い出します。




そして、旦那さんと連絡がとれないまま次男の出生届けの締め切りの日となりました。




パート5へ続きます。



次回で完結します。