イセザキ
岩沢厚治 作詞作曲
ゆず通算17枚目のアルバム『SEES』の7曲目
真っ暗な有隣堂
夜はちょいと不気味ね
から始まる
伊勢佐木町のことを描いた名曲。
SEESのライブで、街のざわめきの音が流れて
暗い中にピンライトが当たってイセザキ歌う演出が素敵でした。
夜中に路上ライブやってるような。
岩沢さんが、イセザキについて話してるものです。
SEES発売の時のインタビューから。
それこそゆずになる前から歌っていた場所でもあるし、楽しかったのは楽しかったけど、良くも悪くもなく、鳴かず飛ばずの日々を過ごしていた時期もあったので。ただ、その頃の風景だったり感情というのは、どんどん風化していくというか、僕の記憶の中でしかなくなっていくので、それを書き記しておかなきゃという気持ちで書いた曲ですね。
[TalkingRock!]2022年8月号p.30
ここから、本題だよ!
昔の音楽雑誌ぱらぱらしてて、思ったことです!
こちら
WHAT’s IN?XP Vol.1 (2005年7月10日発行)
から、伊勢佐木町の話を見て。
悠仁と厚ちゃんがそれぞれ
写真家の方と
伊勢佐木町を始まりに歩く記事があって
こんなかんじね
(反射ごめんなさい!)
全部イケメン!!
悠仁ルートが
伊勢佐木町→馬車道→本牧
厚ちゃんルートが
伊勢佐木町→日ノ出町→黄金町
2人の居心地いい場所が見えていいです。
いいね!!
ここから長いので、忙しい方はここで
【以下の要約】
•岩沢さんがゆずブレイクしてから伊勢佐木町を避けるようになった的なこと言ってた
•そんな厚ちゃんがイセザキ書いてくれて嬉しい!!!
です。読んでくれてありがとう!!
そして、
おお
と思ったのがこちら
先に画像、次にテキストなので読みやすい方でどうぞ!🙇
インタビュアー&著:鹿野淳さん
↓文字✏️
今回の雑談は「韓国料理&お好み焼き」屋さんで始めました。すっかり岩沢君がお好み奉行ばりに焼いたり切ったり食わせてくれるのかと思いきや、ひたすらグイグイビールを飲み続け、みんなが鉄板と格闘しているのを楽しそうに見つめていました。真性「飲ん兵衛」でした。
これまた、「このままじゃお互いに酔いつぶれてしまうから、さっさとテレコを回してください!」とスタッフにせかされ部屋の隅にふたりで追いやられました。その「隅っこの会話」の記録がこの雑談です。隅っこだったんだけど、岩沢君の声はハンパなく通るじゃない? いつしかみんなが音楽を聴くように会話を聞くーー岩沢発の言葉のハーモニーを堪能してください。
ー北川君とは伊勢佐木町から馬車道、そして本校と、ある意味、横浜の「陽」の部分を巡ったけど、岩沢君と回ったルートは伊勢佐木町から日ノ出町、そして黄金町というダーク・サイド・オブ・横浜を堪能するルートで(笑)。
岩沢君にとっては、こっちのほうがなじみますか?
「というか、誰にも気を遣わない場所っすね。伊勢佐木町というのは特別な場所なんですよね。いっぱい思い出はある街なんですけど、今はもう"どうぞ、皆様で使ってください”みたいな感じがあって。まあ、もともと僕のもんじゃないんですけど(笑)」
ーそれはゆずがブレイクしてから?
「そうっすね、避ける理由はそこしかないんで(笑)。要はちょっといづらい場所になっちゃったんですよ。前は伊勢佐木町通りの真ん中を歩いてた一一別に偉そうにじゃなく、ただ何も気にせず歩けたのが、ある日突然歩けなくなってしまって。だから今はあんまり通らないんですよね。
だからね、今日の撮影中も実は一刻も早く裏道に入りたかった、シャーッと。逃げ道はいっぱい知ってるんで(笑)」
ーブレイクしてある意味、全国に対する横浜伊勢佐木町の広報担当みたいになったじゃないですか。現実的に伊勢佐木町に行けば、そこでは世界一有名な人間で。そういう存在になるということは、自分ではとても窮屈でした?
「いやー、窮屈っていうか、"そこ、僕の席なんですけど”みたいな、“邪魔しないでくださいよ”みたいな感じですね。それまで普通にコーヒーを飲んだりご飯を食べたりしてたお店が、ある日突然、すごく居心地の悪い場所になってしまって。だから、みんないなくなってくんないかなみたいに思ったり(笑)。....本当にこの街でいろんなことを感じてたんですよ。喫茶店から眺めながら“昨日はここでライブやったなー”とか。“来週もライブだなー、おっ、なんか曲が出てきたぞ” みたいな。それがね、伊勢佐木町からまったく感じられなくなった瞬間があったんです」
ー横浜人って結構そうだと思うんだけど、行動範囲が狭いというか、ひとつの街と深く関わるじゃない。だからこそ、その街にいづらくなってしまうというのは、とても複雑なことだったんでしょうね。
「そうですね。またね、伊勢佐木町って不思議な街で。
昼の顔と、終電までの時間ーーちょうど今ぐらいの時間の顔、それから終電が終わってからの時間の顔、で、朝の顔っていうふうに、本当に時間帯によってまったく人種が変わるんですよ。だから(ライブやって)500人くらい人が集まった次の日の月曜日でも、全然普通だったんですね。普通にいつも行ってるマクドナルドでコーヒーだけ頼んでねばるっていう(笑)、それができたんですよね。でもあるとき、いつもどおり普通にコーヒー飲んでたら、“サインください”みたいな話になって。だんだんとそういうふうになっていくわけですよ。“いやいや、普通にコーヒーを飲ましてください”みたいなね(笑)。それで“そこにいたいんだけど”って思う場所にいられなくて裏通りに入っていくっていう、何とも複雑な(笑)。.....今日通ったところはまさにそういう通りですね!」
ー今日通った場所は、ちょっと湿っててちょっと憂鬱で、でも個人を尊重してくれてる感じがあったんですけど。この感じはブレイクしてからの岩沢君のメンタリティにはすごくよかったんですね。
「もうだから、それまでケッと思いながら入ってた裏通りが、今はすごくこう、温かく迎えられてる感じがするっていうか。伊勢佐木町通りから1本入った、あのおでん屋さんの通り、タバコ屋さんの通りとかは、“ありがとう”みたいな気持ちにさせてくれる。“ああ、俺はまだ伊勢佐木町の近くにいさせてもらえてんだな” みたいな気持ちにさせてくれるというか。なんか自分の青春的なものを和らげてくれる通りだったりするんですよね」
一例えば「もうこんな街から一刻も早く脱出してやる!」みたいな気持ちになったことはなかったですか?
「それはないですね。やっぱり故郷だし。横浜は伊勢佐木町といっても、もちろん華やかなんだけど、でもダークな部分もあるし。嫌いにはなりきれないんですよね」
ー 岩沢君ってずっと横浜?
「はい。うちのリーダーと違って、僕は住まいは多摩川を渡ったことないです(笑)。もし引っ越すとしても、次も横浜で暮らすと思う(笑)」
ー 子供のころからアクティブに横浜を満喫してた?
「いやいや、地元をチャリンコで走り回るぐらい。遠出といえばたまに馬車道にある映画館に連れてきてもらうくらいで。あとはそうっすねえ.....小さいころ、空手をやってたんで、その大会とかでいろいろ行ったりとか」
【感想】
岩沢さん、一時期、伊勢佐木町を避けてたようですね。
ゆずが人気なってから、いつものようにいつもの場所にいられなくなっちゃった。
伊勢佐木町のメインの通りから逃げるように、裏通りに入って、日ノ出町、黄金町へ…😭(飲み屋街ですかね)
「俺はまだ伊勢佐木町の近くにいさせてもらえてんだな」みたいな気持ちにさせてもらえるって…謙虚だ〜
こちら2005年の記事で(Home-Goingとリボンの間)、お酒飲んで話してますが
そんな岩沢さんが、
「イセザキ」書いてくれたの!!感謝!!!🙏
と思って、このブログに吐かせてもらいました。
読んでくださり、誠にありがとうございます!!!🙇
優しいあなたさまには、きっと良いことあります!!
感想続き
•言葉が難しいですが、厚ちゃんの一般人っぽいところすごく好き。ゆずってすごくバランスが取れてる。
•厚ちゃんの「芸能人がオプションでついてきてしまった」みたいなかんじ萌え。二次元キャラの設定として完璧なほど!(萌えの極地だと言いたい)
•※妄想※3カンの「違う通りに逃げ込んでる見つからないようにあっち向いてほい」って、このことかもしれない
•裏道の話、bridgeの厚ちゃん単独インタビューにもあったかも
・「喫茶店から眺めながら“昨日はここでライブやったなー”とか。“来週もライブだなー、おっ、なんか曲が出てきたぞ” みたいな。」
↑岩沢厚治すぎてBIG LOVE🫶
このインタビュー、これ以降にも厚ちゃんが小さい頃歌って親に「厚ちゃんうまいね!」って言われても嬉しくなかったとか、学生時代とか、悠仁に会って曲書いて渡してってできて良かったみたいな話とか、自分の性格について厚ちゃんの言葉で語ってて、すごくいいです(うまく言えなーいけど)
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↓工事中です。
「イセザキ」について
<Spotify linervoice+イセザキの文字化>
まずかったら消しますね。
ーイセザキというのは横浜の伊勢佐木のことですね?
厚「そうです、伊勢佐木長者町のことです。」
ー「一回曲にしておかなきゃいけないかなって気がした」って前おっしゃってたのがすごくすごく記憶に残ってます
厚「うーんそうなんですよね、なんかあのお友達と…伊勢佐木町のこと地元の人は”ザキ”というんですけど、『なんかザキも最近変わってきちゃったね、僕たちが知ってる頃のザキはもう無いね』ってなんかの話でしたんですよね。その時になんか”確かにそれはちょっと寂しいですなぁ”みたいな、会話の中ふと。”そういえばそうだなぁ、伊勢佐木町のことを書いてるようで書いてないかもな”、っていう風に思いました。」
ー『伊勢佐木町』のことは書いてなかったですもんね、今まで
厚「モチーフとしてね、その原風景というか、うんそんなイメージでモチーフにはしてると思うんですけど、真正面から、伊勢佐木町、伊勢佐木長者町の歌を唄ったことは、実はなかったかなーと思います。」
ーここで描かれてる風景というのは、まさにゆずを結成して弾き語りをやってる頃のイセザキ?
厚「うーんまぁその空気もありつつなんですけど、なんだろな、やっぱゆずやってるときの伊勢佐木町っていうのはなんでしょう、もう楽しい思い出しかないんですよ。
あのー皆さんもね、ありがたいことに、聖地巡礼みたいなねぇ、当時ありましたけど「イセザキモールでゆずがいたんだよー」みたいな風にね、すごくいいように言っていただいて。こちらも嬉しいんですけど。
やはり夜のちょっと、なんだろな危ない町というか、ゆずやる前の高校生のドキドキしながら夜歩いたあのかんじとか、っていうのを記しておかなきゃなっていうか。それを書ける人って知ってる人じゃないと書けないから、うーん、それはちょっと『わたくしがやりましょう』みたいな、ちょっとこう使命感といいますか(笑)。これを書いとかないと、もうどんどん伊勢佐木町が変わっていくなぁという思いがあったんで。うん、それで着手しましたね。」
(途中まで。2:45)
<感想>
使命感のとこ、ちょっと照れ笑いでかわいかったです。GOOD JOB!!
TalkingRock!からもだけど、悠仁と共にゆずやる前からの、1人で路上ライブやってた頃のイセザキを描いてるのかもしれない。
「高校時代に夜ドキドキしながら歩いたあのかんじを記しとかなきゃ」って。今よりアングラな雰囲気だったんだろうなぁ。
新聞紙ので『夜の街は怖いから』ってキャーって思ってましたけど、本当に怖かったのかもしれないですね笑
ゆずっこ的には「伊勢佐木町=ゆずが路上ライブやってたとこ、全ての始まり」って神格化してるんですが(自分はです)
厚ちゃんはゆず関係なしに、もくもくと誠実に「あの頃の伊勢佐木町」を歌ってるかも
とある方のnoteで見たのですが、
ゆずのことを書くなら岩沢さん「ぼくら」って書くと思うけど「♪あの日のぼくだった」なので、岩沢さん個人の話かもしれないってあって、
なるほどって思いました。
露天商って今ないから、景色だいぶ違うのかもですね。
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<自白>
ゆずのことで頭いっぱいにしてたら幸せだから並べてて、嫌なことから全力で逃げてます。
やってくれ!!
誰かと話してみたくて、吐きたいことは沢山あるのにポンコツだからうまくまとまらなくて、こんなですみません。