コーチングプレイス認定コーチ
ライフオーガナイザー®︎
石田ひろこです
シリーズで書いている
私のプロフィールストーリー
前回までの記事はこちら↓
退院はできたものの
長男の発達の方は遅いまま
特に言葉の発語
コミュニケーションが難しく
癇癪もある
良かれと思って
テーマパークに連れていっても
期待しているように喜ぶわけでもなくむしろ逆効果
親子ともに疲れてぐったりして帰ってくる始末
3歳児検診(積み木積むやつ)でも
予想通りチェックが入り
療育センターでの発達検査を勧められます
検査結果はグレーゾーン
通っていた保育園と連携しながら
現状のまま見守る選択をしました
そうしているうちに
2人目が欲しいな、と思うようになりました
兄弟がいた方がいいかも
この子の成長も進むかもしれない
そんな期待もありつつ
そして3歳差で次男を出産
同じお腹から出てきているのに
全く個性が違う
次男はお腹の中にいる時からおとなしい子でした
驚いたのは長男の時より
はるかに育てるのが楽だったことです
こんなにも違うのか…と感じました
その後、もう1人赤ちゃんを授かりますが
初期で流産
受診していた病院の先生は
胎内記憶で有名な池川クリニックの池川先生
池川先生は赤ちゃんがダメとわかった時
赤ちゃんは自分で(こうなることを)
選んできている。
お母さんにきっと何かの形で
メッセージをくれると思うよ
そんな事をおっしゃいました
そして病院の帰り道に
まだまだ言葉がたどたどしかった
5歳の長男が私に向かって突然
「赤ちゃん、生まれなくてごめんね」と言ったんです
それが赤ちゃんからの
メッセージだったかどうかはわかりません
でも、私には
ずっと忘れられない言葉になりました
忘れられない言葉がもう一つ
流産したことを母に報告すると
こう言いました
多分ね、その子は男の子だったんだね
女の子じゃなかったから
引っ込んじゃったんだね、きっと
さすが、我が母(笑)
この言葉にも救われました
そして1年後に再び授かった赤ちゃんは
母の予想通り?女の子でした
初めての女の子は
家族全員からも
両家のおじいちゃんおばあちゃんからも
可愛い、可愛いと言われ
みんなのアイドル
私自身も3人目の育児
毎日忙しくはあるものの
1人目で鍛えられてきたので
それほど行き詰ることもなく
穏やかで楽しい
育児休業期間を過ごしていました
しかし、娘の保育園も決まり
私の職場復帰ももうすぐ、という時に
悲しい出来事が起こります
【プロフィールストーリー④】へ続く