【プロフィールストーリー①】子供時代〜結婚・初めての出産 | 自分史上最高の生き方をデザインする 思考整理のプロ 石田ひろこ

自分史上最高の生き方をデザインする 思考整理のプロ 石田ひろこ

コーチとして
コーチングという
コミュニケーションツールを使い
クライアントの目標達成や課題解決
夢の実現をサポートしています

コーチングプレイス認定コーチ

ライフオーガナイザー®︎

石田ひろこです

 

 

2020年は私にとって

大きな変化の年になりました

この節目に

私について

プロフィールストーリーを

書き残しておくことにしました

 

 

 

「普通」に何でもそつなく出来た子ども時代

 

神奈川県横浜市出身

自営業でプラント設計をしていた父と

専業主婦の母の長女として誕生

両親と弟の4人暮らし

 

 

子供時代の私は

自分でいうのも何ですが

勉強もスポーツそれなりに出来て

明るく、友達ともめることも少ない優等生タイプ

逆に言えが、ここが秀でてる!と

いえるものがない器用貧乏な子

 

 

中学生の頃は

私って「普通」な人生を送るのかな〜と

ぼんやり考えていて

ノストラダムスの大予言通りであれば

29歳で人生終わるけど

そこまで生きられればまあいいか、なんて

思っていました(笑)

 

 

 

短気ですぐに大きな声をあげる父

怖い時もありましたが

基本は面白く優しい人

昔からカタギ感ゼロ(笑)

 

 

 

 

母は、ユーモアがあり

優しく好奇心旺盛

そんな両親の元

大事に育ててもらいました

 

7歳の七五三

なぜかパーマをあてられる…

 

 

母に怒られた記憶はほとんどなく

「お母さんに褒めてもらいたい」

それをモチベーションに

勉強や習い事を頑張っていたような子でした

 

 

小学生の頃、父の事業が傾きかけ

両親は大変そうな時もありましがた

父の頑張りで再び盛り返し

私は短大まで卒業させてもらいました

 

 

 

就職・結婚・そして会社初の育児休業取得者に

 

私は家族が嫌いではなかったけれども、

父が割と厳しく

門限などがあり不自由さを感じていました

自分で自由にできないことが嫌で

就職する時は

家から通えないところにして

一人暮らしをしよう、と

心に決めていました

 

 

就職先を選ぶ時には

自宅から遠い勤務先ばかりをセレクト

あとは、住宅が好きだから

業種はハウスメーカーがいいな

そんなゆるい志望動機で就職活動をスタート

 

 

ですが、時代は就職氷河期

 

 

さらに最初

私は営業職を希望して活動をしてました

 

 

女性営業がまだ少ない時代

なかなか思い通りの結果を出せません

そしてある時、

面接を受けにいった会社の方が

こんなことをおっしゃったのです

 

 

「営業をするっていうことは、

今あなたがその辺の知らない会社に飛び込んでいって

仕事を取ってくるっていうこと

それがあなたにできますか?」

(何でその会話になったのかは覚えてませんが)

 

 

それを聞いて私は

正直できないな、と感じ

自信を無くします

それからは

事務職で就職できる先も視野に入れて活動

 

 

そして内定をいただけた

大手ハウスメーカーの関係会社である

不動産会社へ就職します

 

 

希望していなかった業種・職種ではありましたが

入社してしまえば、住めば都

 

 

同期や先輩と忙しく、仕事は大変ながらも

楽しく働いていました

 

旅行の余興も全力!

 
社員旅行で香港へ
良い時代でした
 

 

ですが一方、仕事においては

満足ができない

欠乏感

やりがいがもっと欲しい

という気持ちを常に感じていました

 

 

その気持ちを埋めるために転職も考えつつ

違う事を学んでみたり

資格取得にチャレンジしたり…


 

色々考えて行動はしていたけれども

転職しないまま

26歳で結婚

 

若いぞ…

 

主婦業が増え、暮らしが変わると

転職の熱も下がり、一旦保留にしました

 

 

その後、29歳で第1子を妊娠

 

 

ちょうど産前産後休・育休制度が充実してきた頃でした

まだまだ、寿退社と言う言葉があったように

結婚を機に仕事を辞める人が多かった時代

 

 

でも私は、制度があるんだったら働くのもアリだな

できるかどうかやってみよう、と思い

当時、会社で初めての産休・育休取得者となりました

 

 

 

新米ママ、理想と現実のギャップを知る

 

初めての妊婦生活はとても楽しく

日々大きくなるお腹は大変だったけれど

出産ギリギリまでスイミングに通ったり

車を運転して出かけたり

旅行に行ったりするアクティブ妊婦

経験したことのない出産は怖いけれど

自分の赤ちゃんに会えるのは楽しみでした

 

 

時々、お隣のお母さんが小さい男の子をきつく叱る声を聞くと

「私は、ちゃんとダメなことは言葉で諭し、声を荒げることはしないぞ」と

思ったりしていました

(それはありえないことだったと、後々気づきますが…)

 

 

そして無事に出産

150センチの私にとっては

大きな3200g超えの男の子でした

 

 

そこから、幸せキラキラの出産・子育てを

夢見ていたひろこママの戸惑いが始まります

 

 

私には、出産するまでのイメージはしっかりあったのですが

産まれたあとの事が全く想像できていなかった

「出産すること」がゴールになってしまっていたのです

 

 

産まれた可愛い我が子

この子をどう扱えばいいのかが、全くわからないのです

(そういえば、私小さい子が苦手だったし…)

 

 

看護婦さんに

オムツ替えてあげてくださいね〜と言われたものの

どうやって替えていいかもわからない

泣いている我が子の抱っこの仕方がわからない

ましてや、お風呂に入れるなんて

こわくて絶対無理!

 

 

完全にお手上げ状態です

たまごクラブは何冊も

熟読していたはずなのに…


 

だから、自宅に帰るのがとても怖かった

最初のは1ヶ月間は実家に戻っていたのですが

初日は一日中

この子が息をしているか気が気じゃなくて

ずっと横で呼吸のチェック

 

 

泣いたら母にお願いするし

お風呂ももちろん母

その頃母は働いていたので

昼間は私と息子と2人きり…

不安で不安で仕方がありませんでした

夕方になるとずっと泣き続ける息子と共に

私まで泣いていました

 

 

子育てって予想と全然違うな…

こんなに思い通りにいかないとは…

 

 

完全に自信喪失です

新米ひろこママは

大きな大きな壁にぶち当たっていました

 


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【プロフィールストーリー②】30代は暗黒期<前編>