■「最初の仲間」の役割

アルフレッド・アドラーは、

人生の最初の課題である

交友の課題としての共同生活をする

最初の仲間は、母親である

と説明しています。

 

通常であれば、

生まれた子どもの世話は

母親がするために、

母親が「最初の仲間」となるのです。

 

その「最初の仲間」は、

子どもに大きな影響を与える立場に置かれ、

そこに2つの困難があると

アドラーは指摘しています。

 

2つの困難の1つは、

母親が鈍くて無知であったり、

自分が子どもの「最初の仲間」

であることを軽視したために、

子どもが他者と接することを

困難にしてしまうものです。

 

もう1つは、

母親が子どもに

他者を援助することや協力することを免除し、

常に愛撫を与えて、甘やかすことで、

子どもが他者と接することを

困難にしてしまうものです。

 

1つ目の方は、

「最初の仲間」の役割を

”やらなさ過ぎ”で、

もう一つの方の方は、

「最初の仲間」の役割を

誤った方法でする、といった感じです。

 

それぞれ見ていきましょう。

 

なお、

「最初の仲間」の役割とは、

子どもの「他者への関心」が養われるように

はたらきかけることです。

 

アドラーはこれを「教育」と言っています。

 

また、

以下に出てくる”共同体感覚”とは、

端的にいえば、

自分の居場所がある感覚です。

 

この感覚が高ければ高いほど

感じるしあわせが多くなります。

 

■”やらなさ過ぎ”の場合

母親自身の共同体感覚が不足していると

「最初の仲間」の役割をしようとしても、

何をすればよいのかがわからなかったり、

自分自身のことで精一杯だったりして

結果「最初の仲間」の役割をせずに

時間が経過していくことになります。

 

そうなると、

子どもの共同体感覚は高まらないため、

いつまでも子どもの関心は

自分自身に向き、

自分のことばかりを心配するように

なりがちです。

 

 

子どもの共同体感覚が

高まっていないからといって

時間は待ってくれません。

 

そのため子どもは、

年齢を重ねるにしたがい

共同体感覚が高まらないままで

次々に課題に直面していくことになります。

 

共同体感覚が乏しく、

「他者への関心」も養われていないために

どの課題も解決することが難しくなり、

専らの心配は自分のことばかりなため、

孤立へと進みがちになります。

 

そこで子どもは、

他者によく見られることで

孤立を防ごうとすることになり、

結果、劣等コンプレックスや

優越コンプレックスを使わざるを得ない

信じるようになりがちです。

 

課題の解決に必要なのが

「他者への関心」なのに、

それを教えてくれる人がいないため、

教えてくれる人に出会うか、

自分でそれに気づけるまでは、

課題に直面する→避ける→また直面する、

という無限ループの中

苦しい時間を送ることとなります。

 

■誤った方法でする場合

母親が子どもを溺愛するなどで

甘やかすことになると、

子どもが自立する機会を

奪ってしまうことになります。

 

そして子どもは、

母親の注目の中心に居さえすれば

すべての課題は解決される

学ぶことになるのです。

 

アドラーは、これについて、

次のように指摘しています。

 

母親がいつも子どものために

考え、話すなどの行動をすることで、

子どものあらゆる成長の可能性を阻み、

すべてのことは他者がやってくれるものだ

という非現実的な世界に子どもを

慣れさせることになる。

 

つまり、

「最初の仲間」である母親が、

子どもを甘やかせば甘やかすほど

自分の課題を解決するのは母親である

との信念を子どもは強めることになる、

ということです。

 

そうしてそんな信念が強まると、

母親との間だけに共同体感覚を感じ、

母親との関係を強化しようとし、

母親と同じように自分に接しない人、

例えば、父親やきょうだいなどからは

離れようとします。

 

その後、年齢を重ねると、

それにつれて母親と一緒にいない時間も

増えることとなり、

母親不在の場で課題に直面すると、

その課題の解決に要求される程度の

共同体感覚を備えていないために、

母親への依存が軽い場合は

一時的なショックを受け、

重い場合は永続的なショックを

受けることになる

とアドラーは指摘しています。

 

 

その後の人生において、

人生の課題の解決は、

「他者への関心」を基礎としないと

解決できないのに、

他者の関心を自分に集める、

という誤った方法で解決しようとするため、

いつまでも課題は解決されることはありません。

 

「他者への関心」が養われない限り

未解決の課題ばかりが増えて、

やがてはコンプレックスを使い出し、

それでも課題未解決によって感じる劣等感を

解消できない場合には、

神経症を使うこととなり、

さらに深刻になると精神病や犯罪の方面へと

進むこととなったりするのです。

 

■適切な「最初の仲間」の役割をすること

母親が、

適切な「最初の仲間」の役割をすれば、

子どもは自然と「他者への関心」を養い、

共同体感覚を高めていくことができます。

 

それは、

社会適応能力が向上していく、

ということでもあります。

 

そうなると、

社会に適応できるために、

他者との良好なつながりを持ち、

孤立せず、

新たな課題に直面すると、

他者との協力関係を軸にして

勇気を使って困難を克服し、

解決へと向かっていくことが

自力でできるようになっていきます。

 

適切な「最初の仲間」の役割をしなければ

子どもは自分に都合の悪いと感じることは

すべて他者の責任とみなすように

なってしまいます。

 

そして、

子どもをそのようにさせるには

ほんの少しの時間があれば十分だと

アドラーは指摘しています。

 

それだけ「最初の仲間」の役割の

子どもへの影響の大きさを感じます。

 

 

しかし、

共同体感覚が発達するような育て方を

母親自身がされていなければ、

その母親が子どもに

適切な「最初の仲間」の役割をするのは

困難なこととなるでしょう。

 

言い方を変えれば、

母親自身の「他者への関心」が

養われていなければ、

その母親が子どもの「他者への関心」を

養うのは困難となりがち、ということです。

 

自分にできないことを

子どもに教えようとしても

まず無理である、という感じです。

 

だから、母親は、

子どもの「他者への関心」を

養うことよりも、

自分自身の「他者への関心」を

養うことを優先することの方が、

結果として子どもの「他者への関心」を

養うような接し方となりやすくなる

と考えられます。

 

なぜなら、

母親の共同体感覚が十分に発達すれば、

子どもの共同体感覚の発達を

助けることがそれだけ簡単になるからです。

 

 

「悪いのは誰」と考えることは、

劣等コンプレックスや

優越コンプレックスを

使おうとしていることと同じであり、

共同体感覚を発達させることに

役に立ちませんから、

もし浮かんできてもとっとと捨てることです

 

現況がどうであれ、

母親自身の共同体感覚を発達させながら、

子どもとの協力関係を大切にしながら、

子ども接することこそ、

子どもの共同体感覚の発達に

役に立つことです。

 

つまり、そうすることで、

母親の2つの困難どちらもが

克服されていくのです。

 

 

 

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ11年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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