今日は、
大人がする「子どもの教育の失敗」
について書きました。

教育の失敗とは何か、を
知っておくことは、
それを知らず知らずのうちに
やってしまわないように
することに役立ちます。

目次
・するべきは「勇気づけ」のはず
・劣等感を育んだ子ども
・「嘲笑」という毒
・適切な教育でしあわせ増やす


■するべきは「勇気づけ」のはず

アルフレッド・アドラー
大人が子どもを教育するときに
よくする失敗について
説明してくれています。

子どもは大人に囲まれて
生活をします。

そこで子どもは
自分が大人より劣っていること
よく感じます。

自分は小さくて、弱く、
不完全であると自己評価するのです。

そんな自己評価を
劣等感と言います。

大人が何もせずとも
子どもはそんな自己評価を
してしまうため、
大人が子どもの劣等感に
配慮した接し方をしなければ
教育は簡単に失敗します。

逆に劣等感は補償できるものであり、
子どもにそれができる力があると
支える接し方は
勇気づけ」となります。

子どもに、
心身ともに健康で育ってもらうには
教育での失敗は避けるべきであり、
勇気づけ」こそするべきなのです。

■劣等感を育んだ子ども

アドラーの指摘する
教育の失敗について共通することは、
親をはじめとした
子どものまわりの大人が
相手より自分優先」となったときに
起きています。

端的にいえば、
大人は子どもを利用すると
簡単に優越感を搾取できるので、
その魅力に魅了されて
優越感を貪ってしまうと
教育は失敗し、
子どもの心を傷つけることになります。

その傷は深く、
子どものその後の人生に
影響することになります。

それは例えば、
子どもに過剰な期待をすることです。

あれもできるよね、
これもできるよね、と
期待を次々に示すと、
子どもに心理的圧力を
かけることになります。

大人にとって簡単なことであれば
期待をする大人は簡単なので
いくら期待されても
何も問題ありません。

しかし、子どもにとっては
簡単でないことなので、
大抵はうまくいきません。

何も問題ない自分と
大問題の子ども、という構図

ができます。

大人はこの構図において有利なので
この「」が優越感を
感じさせてくれるわけです。

実際にそれをしてみて
子どもがうまくいかなければ、
子どもは自分には力がないとか、
自分は価値のない存在だとか、
感じることとなります。

さらにそこで大人が
なんだ、できないのか
なんて追い打ちをかければ、
その大人は優越感を得られますが、
子どもは劣等感を深めることと
なってしまいます。

そうして子どもは
自分は大人に守ってもらわないと
生きていけない存在だとの
信念を深めて、
大人に過度に従順になったりします。

そんな態度に大人が満足を示せば、
子どもは自分が
大人の満足に利用されてると感じます。

大人なしに生きていけないと
思う子どもは、
大人を満足させないと
見捨てられてしまうかもしれない
と信じてしまうと、
大人の顔色伺いを始めることになります。

そうして、
子どもは本音を隠して
大人の顔色をうかがって、
どうすればこの大人は満足するのか
ばかりを考えるように
なってしまうわけです。

こんな状況は
明らかに教育の失敗です。


そうして、
劣等感を育んだ子どもは、
その後も失敗した教育によって
その劣等感を深めます。

人生の目的が
「大人の満足」となり、
不当に扱われたり、
子どもには何の権利もないとされたり、
大人の指示には無条件で従うように
言われたりすることで、
さらに深まるのです。

「生まれなきゃよかった」
「余計なお荷物だ」などと示すことも、
子どもの劣等感を深めます。

■「嘲笑」という毒

また、そんな子どもは
おどおどしていたり、
適切に教育された子どもなら
失敗しないようなことでも
簡単に失敗したりするので、
大人に「嘲笑」されがちです。

アドラーは、
嘲笑という悪習は、
子どもの成長に有害である
」と
指摘しています。

子どもは、
行為として失敗したときに、
それをさらに「嘲笑」されることで
追い打ちを受けるわけです。

行為の失敗だけでも
劣等感を深めるのに、
さらに「嘲笑」をされることで
より深まってしまうのです。

そんな子どもの劣等感が
深まるときは、
大人が優越感を得られる好機です。

大人が
「相手より自分優先」にしている限り、
子どもから優越感を
貪り食えてしまえるわけです。

これは子どもが
幼い頃だけではなく、
子どもが成熟した年齢に
なってからも続けることができます。

80歳の親が60歳の子に
劣等感を感じさせることで
日常的に優越感を貪り食っていることも
あるくらいですから。

教育の失敗は、
おそろしいです。

■適切な教育でしあわせ増やす

適切な教育とは
子どもの関心を
他者の関心事に向けるように
援助すること
」です。

当然ですが、
その適切な教育をする大人が
子どもの関心事に関心を
向けていなければ、
この援助はできません



子どもの関心が
他者の関心事に向いても
それを援助した大人は
優越感を得られません。

むしろ、
子どもが適切に
他者の関心事に関心を向けられて
良好な対人関係を持てたり、
その他者に貢献できたりすると、
教育をしている大人が
劣等感を感じてしまいがちです。

この状況で子どもは
優越感を得られている一方で、
大人は得られていないので、
自然と劣等感を感じてしまうのです。

もっと簡単にいえば、
子どもには利益があるけど
大人の自分には利益がないと
見えてしまうので、
利益がないのに
そこに力と時間を費やしたことに
損した感覚」を感じてしまうのです。

しかし、
こう感じる人は
「相手より自分優先」な人です。

「自分より相手優先」となっていれば
子どもに利益が出たら、
大人の自分はそれを援助できたのだから
嬉しい」という優越感を感じるのです。

「子どもと自分」という
ひとつの共同体と見ると、
自分が子どもに協力して
子どもが利益を得られたなら、
この共同体として利益を得たと
感じられるのです


そうして
子どもに利益が出て
「嬉しい」と感じられると
共同体感覚が高まります。

すなわち、
「自分より相手優先」な自分で、
適切な教育ができると、
感じるしあわせが増えるのです。

適切な教育は、
すればするほど
子どもに利益が出るし、
大人にも
感じるしあわせが増える
という尊い利益をもたらしてくれるのです。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。



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