■社会的な生を得るため

関心を他者に向けて
行動したときは、
自分は勇気を使っています。

それは
そうした自分が他者に
どう見られるかわからない
という困難を乗り越えて
行動しているからです。

他者に関心を向けて
行動を起こすことは
様々な可能性があり、
事前にどうなるかは
わかりません。

とても素敵なこと
起きるかもしれませんし、
とても面倒なこと
起きるかもしれません。

どうなるか
わからないことには
怖れを感じます。

怖れを感じることは
なるべく避けた方が
生き延びる可能性が
高まります。

しかし、
人間は社会的な生き物なので
ただ生きているだけでは
安心できません。

社会的に生きている、
つまり「社会的な生」
感じたいと思うわけです。

その目的のためなら
生物的な怖れを
乗り越えようとするわけです。

■「他者は仲間」の感覚

その「社会的な生」
実感するためには
対人関係を持つ必要があります。

対人関係を持たずに
ただ自分が安心したいだけなら
他者を「敵」と扱って
排除すれば済む話
です。

しかしそれでは
対人関係を持たないので
「社会的な生」を感じられません。

反対に孤立へと進み
「社会的な死」
感じてしまいます。

他者の一部を
「味方」とすれば
自らは孤立しないことになりますが、
「味方」の中では孤立せずとも
「味方」という共同体として
他者を排除
しているので、
やはり孤立に向かうことには
変わりません。

一人で孤立するより
「味方」として孤立する方が
「社会的な死」を感じるまでの
時間の差はあっても
他者を排除して安心したい構造は
同じ
なのです。

その上で、
他者を「敵・味方」に分けずに
「仲間」であると扱いたいのですが
それを困難に感じます。

その困難を乗り越えて
他者を「仲間」として
関心を向けて行動を起こし
対人関係を持とうとするので、
勇気を使っているわけです。

そのときに役に立つのが
「仲間といっても
いろんな人がいること」

という発想です。

相手も他者への関心
持つ人なら
自分のはたらきかけに
驚くことなく応じてくれます。

そんな人は近くにいても
安心できる人なので
「近い仲間」です。

しかし、
未熟な人
ささいなことでも
自分が処理できないと思えば
怒りの感情を出したりして
相手にその処理をさせようと迫ります。

怒りで迫られる方は
処理の責任
押し付けられるので
良い気持ちにはなれません。

そんな人がいると
つい「敵」としたくなりますが
そんな人も「遠い仲間」
扱うことです。

今は近くにいると
安心できないので
遠くにいる方が
お互いにとって利益となる

と見るということです。

処理の責任を
押し付ける人が
近くにいなければ、
その人は自分ですることになり
未熟さを克服する
機会を得ますから。

■自分には能力がある

対人関係を自ら持ち掛けるとき、
相手がどんな反応をするのか
わからない困難を
乗り越えることに
自分は勇気を使っています。

そのときは
相手がどんな反応をしても
対処できる能力が
少しでも自分にあると
思っている自分
がいます。

事実、その能力はあるので
これはとても自然なことです。

そして、
ここで役に立つのが
「対等な関係」です。

「対等な関係」を築けば
お互い安心して対人関係を
継続することが簡単
になります。

未来の相手の反応を
処理する自信がなければ、
関心ではなく
大砲の筒先を向けたりして
相手を支配しないと
安心できなくなります。

支配してしまえば
相手が何を言おうとも
自分の思う通りに
してくれますから。

また、相手が自分の
思う通りの反応をしなければ
その態度を悪評価するなどして
「悪」としてしまえば
自分は自動的に「善」
なることができて安心です。

相手は自身も「善」となるためには
こちらの思う通りの態度に
ならないといけなくなります。

でもこれでは
対等な関係ではないので
相手は自分との対人関係を
「そんな関係はごめんだ」
避けたくなってしまいます。

対人関係を継続するには
「対等な関係」とすることに
力を注ぐことです。

相手が「対等な関係」を好まず
上下関係や支配関係を
好む人
であれば、
その支配下に入らずに
「対等な関係」を
持ち掛け続ける
ことです。

相手はそれに抵抗を示しますが
やがて諦めて離れていくか、
「対等な関係」の利益を理解して
歩み寄ってくれるかします。

そこに踏みとどまることにも
勇気を使うこと
になります。

ここでも
相手が離れていったら
「遠い仲間」であり
歩み寄ってくれたら
「近い仲間」です。

勇気
良好な対人関係を築くこと
すなわち「自立」
「社会との調和」
本当に役立つ力です。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。



心の不健康は「対人関係を避ける目的」から来る
他人と他人の間で生きる人。それが「人間」。
生きるのに役立つ道、役立たない道
教育とは、他者に関心を向けるよう援助すること