■見下している

叱らずにほめれば善い
と思うのは誤解です。

叱るもほめるも
相手を見下す行為だからです。

ほめる、とは
相手ができないと思うことを
相手が実際にできたときに
その差を埋める行為
です。

例えば、
普通に歩いてるいい大人に向かって
「ちゃんと二足歩行できるなんて
えらいですね」
なんてほめたら
その人は喜ばないでしょう。

二足歩行を自然としている人を
二足歩行できない前提で見たことが
伝わる
からです。

言われた側は
なんだかバカにされたようで
いい気持ちはしません。

それが本当にできないことが
できたときに「えらいね」
伝えると喜ばれたりします。

だからその人にとって
役立つことをしたのかといえば
違います。

「えらいね」と評価をして
嬉しい人は
同じことをすると
また「えらいね」と評価を
もらえると思います。

それはつまり
行為の目的が
評価されることになり、
評価する人への依存度が
高まる
ことを意味します。

依存度が高まる、とは
自立が低まることになり
誰も見ていないと
やる気が起きない傾向

強めてしまうことです。

思考や行動の目的が
「評価をもらうこと」
なりがちで、
評価する人が
評価する/しないによって
相手を支配することになります。

感じるしあわせを増やしてくれる
共同体感覚を高めるには
「自立」が役に立つのですが、
ほめる行為はこの「自立」
低めてしまうために、
ほめるを使えば使うほど
相手をしあわせから
遠ざけてしまう
ことになります。

■勇気づけとの違い

ほめる、と勇気づけが違うのは
その対人関係が
上下関係か、対等な関係か
、です。

ほめる、は
上下関係であり、
上の人が
下の人にする行為です。

そして勇気づけは
対等な関係であり
横の人が横の人にする行為です。

ほめる、をされると
受け取らないと
その後の対人関係に
悪影響が出そうで
受け取らない選択をしにくいです。

なぜならほめる人は
ほめられる人の上の立場の人で
継続した関係にあると
その後の自分の扱いが
悪くなると怖れを
感じたりするから
です。

そういう意味で
「ほめることは善いことだ」
信じている人は
扱いづらいです。

しかし勇気づけは
受け取らない選択が
簡単
です。

勇気づけとは
相手が自身の直面する課題に
困難を感じているときに、
その困難から逃げるのではなく
立ち向かっていく勇気を
使いやすくするための
はたらきかけ
です。

ほめることの中にある
「ほめてる私はえらいでしょ」と
承認を迫っているような要素

勇気づけにはありません。

なぜなら勇気づけは
相手の課題を相手のものと
扱う
からです。

相手が課題に感じる困難に
立ち向かうかどうかは
相手自身が決めること、という
前提
でいるからです。

あくまで援助であって
要請ではないからです。

そのため勇気づけは
相手の自立を減らしません。


自立を減らさず
むしろ相手の自立を
育てることを手伝う行為なので
相手の共同体感覚
高めることにつながり、
感じるしあわせを増やすことに
協力
していることになります。

■関心の向き先も違う

他者への関心
という点でも違います。

ほめる、は
ほめる自分に関心が
向いています。

ほめても
受け取られないと
悲しくなるのは
そのためです。

相手にはできないと
思っていたことを
相手ができたと認めた自分に
価値があると感じたいから
ほめたくなる
わけで、
相手に価値があると
見ているわけではないのです。

ほめる自分に利益があると
感じたからほめたくなる、
という仕組みであり、
ほめても自分に利益がないと
感じたらほめたいとは
思わない
わけで、
自分の利益が基準であり、
それはすなわち
相手ではなく自分に関心が
向いている
ということです。

相手をその材料として
利用しているだけなのです。

一方で勇気づけ
自分よりも相手に関心が
向いています


勇気づけをしても
相手が課題の困難に
立ち向かうかどうかは
わかりません。

そして勇気づけを
したからといって
すぐその場で
その効果が出るかどうかも
わかりません。

その後に効果が出ても
いつ出たのかも
よくわかりません。

勇気づけという
自分の努力が無駄に終わる
可能性
もあるわけです。

それでも
勇気づけをすることは、
すなわちそれは
見返りを期待しない奉仕です。

自分の勇気づけが
相手の役に立つかどうかは
わからないけど、
勇気づけしたいからする
ということです。

関心が自分に向いてる、
すなわち自分の利益ばかりを
気にしていたらできない行為
です。

相手の課題を
相手のものとして
扱おうとすることは
関心が相手に向いている、
すなわち相手の利益に
注目
しているわけです。

勇気づけをする自分って
すごいだろう、と
自分の力を相手に示して
優越感を得ようとしても
勇気づけになりません。

そうして
適切な勇気づけされる側は
自身の課題を自身のもの、
すなわち
自分で決めることに
誰も口をはさまず
自分で決めることとして
扱ってもらえており

それは
自分が大切に扱われている
感じます。

大切にされると
今ここに居ても大丈夫なんだ
思えます。

そんな居場所がある感覚があれば
困難にも立ち向かえるかも、と
思えてきます


もしうまくいかなくても
ここに居場所がある限り
居場所を失うことには
ならないとも
思えてきます。

勇気づけは
そんなすてきな行為です。

相手に役立つことをするなら
ほめる、ではなく
勇気づけ、をすることです。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。



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