■元配偶者の特権階級

「特権階級」とは
アルフレッド・アドラーの言葉です。

対人関係において
自分が相手を支配する側に
なっている状況のことです。

支配している側ですから、
自分が支配している人に
あれこれ指示を出すだけで
他に何もせずに
自分だけの利益を得られます。

神経症(心の病)の人が
症状を出して
他者を動かすのと同じです。


例えば、
自称・専業主婦の元配偶者は当時、
「働かないが、
気が向いたときには働く」
という特権階級で生きていました。

その「働く」は
どこかに就職する、とか、
アルバイトをする、とかも意味しますが、
家事や育児も入ります。

とくに私の世話は
「やりたくないから」という理由で
ほぼしてくれませんでした。

なので、私は
家計の支出を全部負担しながら
自分と子の食事の世話をしたり
あまりに汚いと家の掃除を
したりしてました。

洗濯は元配偶者が
洗濯機に洗濯物を放り込んで2日、
洗濯機を回してそのまま2日間放置。

洗濯機内に放置された洗濯物は
ヘンなにおいがするからと
もう一度洗って出すまでまた2日で、
残る1日だけが洗濯できる日でした。

その1日に
自分の洗濯をしてました。

家の中はごみ屋敷で
居心地悪かったです。

仕事が終わって家に帰ると
子どもが泣きながら玄関まで
走ってきます。
助けを求めるかのように。

しかも、
いつもうんちとおしっこが
たっぷりのおむつ姿で。

おむつの交換をして
子と一緒に食事して
子と一緒に風呂に入って
寝支度をして子と一緒に寝ます。

元配偶者は
ネットゲームにはまってて
一日中やってました。

あとは「安いから」という
理由だけで使う目的もないものを
買ったりしてました。

そんな心の負担が大きい日が続くと
どんどん荒んできます。

家計の負担についてや
家事・育児の分担について
話し合いができて
お互いの役割を決めて
協力して生活できたら
どれほどよかったでしょうか。

しかし、話し合いはすべて
「症状」のために
応じてくれることは
ありませんでした。

最初の頃は
「首が痛い」とか「頭が痛い」とか
「腰が痛い」とかで
なかなかうまくできないから
あなたに依存することになって
申し訳ない、みたいな話に
なっていました。

そのうち、
話し合いを持ち掛けると
怒り出すようになりました。

症状が「気分を害された」に
置き換わってきました。

気分を害されると
やる気になれなくなるから
やれない、そんなやる気を
失くさせたのは
気分を害したお前だ!と
私の責任になるわけです。

しかし、
それでも話し合いが続くと、
話し合いに無関係なことを
持ち出して私を責めます。

「お前がやってほしいと
言ったからやってやったことは?
まず、その話をするべきだろ?」

女性ですが、
よく男言葉になります。

怒っても
冷静に脱線した話を
元に戻して続けようとすると
さらに怒ります。

泣きわめいたり、
返す言葉がなくなると
ひどい扱いを受けたと
泣きながら自室に閉じこもります。


その後に「特権階級」を
決定づけたのが
子どもへの暴力です。

機嫌のよさそうなときに
話し合いを持ちかけては玉砕する、
が続いていたのですが、
話し合いをして機嫌が悪くなると
元配偶者は子どもにその怒りの
矛先を向けるようになりました。

冷静な話し合いになって
私の話題を進めてしまうと
家計の負担への協力や
家事・育児の役割分担の話に
なってしまいます。

そうして、
働いて家にお金を入れる約束をしたり
家事・育児で決まった役割を
約束してしまうと
「特権階級」である
「働かないが、
気が向いたときには働く」の特権を
失ってしまいます。

つまり、
私を支配する側に居続けられず
私と対等な関係になってしまいます。

これは元配偶者にとっては
今までのように
「寝て暮らせる」みたいな
自由きまま(?)な暮らしが
できなくなって、
とても都合が悪くなります。

とくに
「対人関係を持つ」を
しなければならなくなります。

今振り返ると
この「対人関係を持つ」を
ものすごく怖れているように
感じます。

継続的な対人関係を持つと
「よい顔」ばかりを
してはいられなくなります。

それで自分の株が下がって
生存可能性が低まることが
怖いのかもしれません。


話し合いを持ち掛けたことで
元配偶者の機嫌を損ねると、
その怒りを子どもに向けます。

まず、子どもに因縁をつけます。

「おい、何だこれは?」みたいに。

そこからすさまじい怒りを
子どもにぶつけます。

立たせたまま2時間も
怒鳴り続けたことも
ありました。

ひどいので最初は止めました。

でも、止めるとさらに
機嫌が悪くなり、
その場では子どもは守られますが
私が仕事で出かけて不在になると
改めて子どもに因縁をつけて
怒りをぶつけることを
するようになったので、
もう止めることさえ
できなくなりました。

私が不在のときの方が
止める人がいないからなのか、
怒鳴る強さが強くなるようで
子どもへの被害が
深いと感じたので、
どうせなら私の在宅時に
やってもらって、
怒鳴ることが終わってすぐに
子どもを保護できた方が
まだましだったからです。


児童虐待だからと
役所の子ども関係の機関に
相談を持ち掛けても、
なぜか取り合ってもらえませんでした。

父親の私が子どもを連れて
避難できる場所はないそうですが、
母親が子どもを連れて
避難できる場所はあると
私にはありがたくない説明をくれたり、

いくら暴力をしても
離婚したら親権は必ず母親に
なりますよ、ともご丁寧に
ご説明くださいました。

私に役に立つことは
言われた記憶がありません。

相談するだけ無駄だったと
落胆したことはよく憶えています。

怒鳴っている音声を録音して
役所の人に聞かせたことも
ありましたが、
怒鳴っているだけで
母親と引き離すのはできないと
言われて終わりました。

母親、強すぎです。

どうすることもできない私は、
家計のすべての負担も
自分と子どもの世話をするのも
継続するほかありませんでした。

子どもは食事も与えられず
毎日怒鳴りつけられます。

立っているのが大変になり
「座っていいですか」と
子どもが懇願すると
「ふざけんな!
すわっていいわけないだろ!」と
子どもが倒れる寸前まで
立たせて怒鳴りつけることも
ありました。

気が済むまで怒鳴りつけると
元配偶者はとても清々しい顔に
なっていました。

そんな日常に、
もし私がいなくなれば
誰が子どもの命を守るのか、
その思いだけが私を支えてました。


元配偶者は
まるで魔法の杖を得たかのような
状況となりました。

私が話し合いを持ち掛けようと
すれば、子どもへの暴力を
チラつかせるだけで
私が黙るからです。

つまり、
「特権階級」が盤石な状況と
なったわけです。

何をするにも自由きままです。

私に「何してほしい?」と
訊いてくることがあり、
「ごみを捨ててほしい」とか
「キッチンのシンクをきれいにして」
とか言いたくなりましたが、
言ったらきっと激怒するので、
「今はとくにないよ」と答えました。

すると今の私には
「やってほしいことがない」が
事実となり、公然と家事も育児も
やる義務がなくなり
好き勝手にできる状況になる
というわけです。

そんなときは
決まってすごく
気分よさそうでした。

そうして私を
よくからかいに来ました。
まるで支配していることを
楽しむかのように。

私の精神はその度に
ゴリゴリすり減りました。

子どものおしりを
手で叩くと
自分の手が痛いから
最近はふとんたたきで
叩いているんだ、と
”いいこと思いついただろう?”
みたいに言われたときには
絶望を感じました。

もうやだから
死にたいけど、
子どもを守れるだけ守りたい、
そう思って生きました。


転機となったのは
子どもが児童相談所に
保護されたことでした。

その頃には、
元配偶者による虐待で
子どもの身体には傷やあざが
できていました。

そんな傷やあざがあっても
役所の子ども関係の機関は
「それだけでは何もできない」と
何もしませんでした。

でも、
さすがに児童相談所は
動くだろう?と思ったら
違いました。

児童相談所はまず
私が虐待しているのでは?と
疑ってきました。

警察の罪人の取り調べのように
尋問されました。

子どもが「父親は違う」と
言い続けてくれたことで
疑いは晴れましたが、
嫌な気分は晴れませんでした。

そして虐待の証拠として
傷やあざを話してみても
児童相談所の人は
それだけでは母親と
引き離すことはできないし、
離婚したら親権は母親ですよ、と
言われただけでした。

本当に母親、強すぎです。

しかし、元配偶者が
「自宅で子どもを叩きました」と
自己申告したことで
児童相談所はようやく母親から
引き離すことを決めました。

本人の自己申告は虐待の
証拠となるそうなので。

その瞬間が
元配偶者の「特権階級」の
終わりの始まりでした。

その後に私との話し合いが
できるようになって、
協議離婚が成立することなり、
6年半続いた暴力的な日々が
やっと終わることとなりました。


当時の我が家には
支配者である配偶者・母親は
いましたけど、
仲間としての配偶者、
そして、仲間としての母親は
いませんでした。

元配偶者は
支配者で居続けるための
簡単な手段を得たことで
何年間かは楽に暮らせたでしょう。

しかしその間も自分の
「特権階級」がなくなることを
心の底では常に不安に感じて
いたのでしょう。

その不安も
私や子どもに暴力することで
うっぷん晴らしのようにして
発散していたのかもしれません。

でも、それで不安が
消えるわけではないので
発散活動が終われば
また不安を感じることになり、
また私や子どもに暴力する、の
繰り返しだったのでしょう。

「特権階級」で生きるのは
自分もまわりも大変です。

自分にしか関心がないから
そうなるのであって、
他者の利益に関心を持てば
そうはなりません。

他者の利益に関心を持つことは
相手に得させる、よりも、
何をすると一緒に安心できるのか?
を見ていくことが
ふさわしいと感じます。

自分だけ安心できて
それで良し、としたら
自分にしか関心がありません。

自分も安心できて
関係する人たちも
安心できる方法は何だろう?と
興味を持ったら、
他者の利益に関心を持っている
状況です。

相手を自分に仕えさせて
自分の利益を生ませる道具
みたいにこき使うよりも、
一緒に安心する方法を
実現するなどの
相手の利益になる活動を
する生き方の方が、
感じるしあわせは
格段に多いです。

「特権階級」に固執することは
感じるしあわせを増やすことに
何の役にも立ちません。

つまり、
他者の利益に関心を持つことは
自分がしあわせに生きる基礎
というわけです。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。



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