Serenity Prayer
日本では「ニーバーの祈り」として
知られているそうです。



ニーバーとは
作者とされている
アメリカの神学者の
ラインホールド・ニーバー氏のことです。

『神よ、
変えることのできないものを
静穏に受け入れる力を与えてください。

変えるべきものを変える勇気を、
そして、
変えられないものと
変えるべきものを
区別する賢さを与えて下さい。

一日一日を生き、
この時をつねに
喜びをもって受け入れ、
困難は平穏への道として
受け入れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、
イエス・キリストがされたように、
この罪深い世界を
そのままに受け入れさせてください。

あなたのご計画に
この身を委ねれば、
あなたが全てを
正しくされることを信じています。

そして、
この人生が
小さくとも幸福なものとなり、
天国のあなたのもとで
永遠の幸福を得ると知っています。

アーメン』




Serenity Prayerは
受容することの
大切さを教えてくれています。

受容したら
その先があります。

「これからどうしたいのか」です。



怒る人の特徴に
「変えられないものに注目する」
「変えられないから、
これ以上無理と信じている」
があります。

変えられないものは
変えられないから
変えられないものと
なっています。

その「変えられない」に
いくら執着しても
状況は変わりません。

最後の手段として
選ばれがちなのが、
暴力です。

典型的なのが
「思い通りにならない相手」を
変えようとして
暴力を使うことです。

暴力を使って
相手を一時的に
思い通りにしても、
その関係は支配・被支配の関係です。

苦しさが増えていく関係です。



私たちは
変えることができないものを
受け入れることができます。

思い通りにならない相手を、
そのまま受け入れることができると
「思い通りにならない」がはずれて
ただの「相手」になります。

その相手と対話することで
相手との合意を形成していけます。

思い通りにならない相手に
自分の思う通りにしてもらうには
困難があります。

言って簡単に変わるものではなく
言ったことに相手が納得したときに
はじめて相手は変えてくれます。

例えば
子供が刃物を振り回して
遊んでいたら
やめて欲しいです。

暴力を使って
やめさせるのは簡単です。

でもそこには
相手の納得がないので
また振り回したら
また暴力することに
なります。

暴力する側も
される側も
苦しさが増えていきます。

一方で、
「なぜ刃物を振り回さないことが
振り回すことより優れているのか」を
説明して相手に納得してもらえたら

相手は
刃物を振り回そうとは
しなくなります。

つい忘れて
振り回しちゃうかもしれないけど
その時も再び説明して
納得してもらうことで
振り回すことはしなくなります。

暴力を使ったときのような
苦しさはここにはありません。

ただ「話し合い」が
あるだけです。



「変えられないもの」に
執着していると
どうしても変えられないので
最後には怒るしかなくなります。

変えると自分の都合が悪くなるから
「変えられないもの」と
かたくなに信じていることが
あるときも同じです。

怒ることは
人と人との距離を
遠ざけます。

なので
「変えられなもの」に
出会ったときには
その「変えられない」に
執着するよりも、

「これからどうしたいのか」を
見ていくことで
自分にふさわしい
「進むべき道」が見えてきます。



私の場合、
変えられないものは
「父親に性被害を受けたこと」
「DV・虐待する人と結婚したこと」
「子がいること」
「今の年齢」
「過去に自分がしたこと」
などです。

いくら「違う」とか
「ダメ」とか
「ありえない」とか
拒否してみても
変わりません。

しかし、
これからどうしたいかを
思うとき、
これらはすべて
「自分を説明する要素」であったり
「今後の活動の資源」になります。

モノは変わらずとも
役立つものにできた感じです。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。


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