■子の社会適応能力

失敗しない親はいません。

子育てを何百回もすれば
失敗をほとんどせずに
子どもを自立できるまで
育てることができるかも
しれませんが、
寿命があるので無理です。

だから失敗があることは
自然なことです。

失敗したからといって
親の自分を責めることは
感じるしあわせを増やすことに
役に立ちません。

自分を責めるよりも
失敗後の関心の向け先に
注意深くなる方が
役に立ちます


なぜなら、失敗の後に
親が何に関心を向けるかで
子どもへの影響が変わるからです。

失敗後に
自分に関心が向くときと
子どもに関心が向くときとが
あるでしょう。

自分に関心が向くと
「こんなはずじゃなかった」とか
「悪気はなかった」とか
「自分はベストを尽くしたから
何も悪くない」とか
「子のお前は親の自分を
見逃すべきだ。なぜなら、いつも
親の自分に世話になってるから。」
とか、自分の無罪の証明
力を注いでしまいそうです。

親が自分の無罪の証明に
力を注げば、
子もそれが正しいと思って
よそで真似することに
なりがちです。

そして、この場合、
親の失敗によって
子が受けた損失については
度外視されています。

子から見れば、親は自分を
守ってくれない存在となり
親に対して緊張感を持ちます。

これでは子の
社会適応能力は養われません。

反対に、
子どもに関心が向くと
「ごめんね、間違えちゃった」
「ごめんね、大丈夫だった?」
「またやりなおしてもいいかな?」
みたいになって
親の自分が悪いかどうかが
度外視されており、
子が受けた損失に
関心が向けられることになります。

子から見れば
ちゃんと守られていると感じて
親が間違えたことは
特に問題とは感じずに
親に対しては信頼感を持ちます。

一緒に居て大丈夫なんだと
安心するでしょう。

この安心
子どもの社会適応能力を
養うことにとても役立ちます。

なお、
ここでは親子を扱っていますが
関係を立場の上下のあるものに
置き換えて見ることもできます。

例えば、
教師と生徒、
医師と患者、
役員と従業員、
上司と部下、
監督とコーチと選手、
先輩と後輩、などです。

■私、常楽の体験

私の幼い頃、
私の母親は失敗したことを
知らなかったから失敗にならない」と
言い張る人でした。

母親が根拠もなく
ただ信じていたことを
「事実」として私に教え、
信じた私は外でそれを
「事実」として使うと
恥をかく、ということが
何度もありました。

幼い私は
親に何をされているのかを
理解するまで時間がかかりました。

理解したときには
猛烈に怒りがわいてきました。
確か、小学生高学年のときでした。

「なんで事実と確かめても
いないことを事実として
教えるんだよ!」と。

その怒りの中身は、
自分のことを
もっと大切に扱ってほしい、
との懇願でした。

もし普通に言ったら
いつものように
「だっておかあさんは
それが事実と違うと
知らなかったんだもん」
と言って逃げられてしまいます。

だから怒りを使って
普通の状況じゃないんだよ」と
伝える他にやり方がわかりませんでした。

そうして怒りの感情を見せると
母親はそれを一笑に付します。

そんなこと言ったって
知らなかったことは
しょうがないでしょ。
はい、もう怒るの終わり。


その態度を見て
怒りの炎がさらに燃え上がります。

「ふざけんな!」などと
母親に詰め寄る私を見た父親が
横から、私の態度を注意します。

「そんなこといったって
おかあさんは知らなかったんだから
しょうがないじゃないか。
それくらいで、なんだ。
怒るんじゃないよ。」

ああ、この人たちは
私は恥をかいたことなど
まるで本当に
心の底からどうでもよくて、
自分たちが無罪であれば
それだけで安心できる人
なんだ
とよくわかりました。

まさに
見捨てられた感じです。

それからは
相談するときは
親以外に相談するように
なりました。

しかし、この時代では
親を差し置いて相談を
受けることは
でしゃばり」みたいに
悪く見られることだったようで
本腰を入れて私の相談を
受けてくれる人はいませんでした。

今思っても、不思議なのですが、
祖父母や親せきも
学校の教師も
誰も相談を受けてくれませんでした。

親、強すぎです。

相談すると、決まって言われるのが
親にちゃんと相談しなよ。
ちゃんと聞いてくれるから。

でした。

いえいえ、ちゃんと
聞いてもらえないから
相談にのってほしいと
言っているんですが...

だから30歳のときに
相談してみた人が
「そうだよ、君の言う通りだよ。
ぜんぶ親が悪いんだよ。
親が悪いって思っていいんだよ。
今苦しいのはぜんぶ親のせいにして
いいんだよ。
ふざけるな!って言っていいんだよ。」

と言われたときは
うれしい、というよりも、
びっくり仰天でした。

世の中にこんなことを
言える人がいるんだ、と
このとき初めて知ったからです。

ちなみに、この人も
相談する中で失敗してましたが、
関心を自分ではなく
私に向けてくれたので、
私の心の回復にとても役立ちました。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。



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