■3つの勇気

アルフレッド・アドラーは
自己受容のために
3つの勇気を使うことを
勧めています。

それは次の3つです。
「不完全である勇気」
「失敗する勇気」
「間違いが明らかになる勇気」


これら3つの勇気を使うと
”今の自分はこれでOK”と
無条件で自分を受け入れることが
できます。

■不完全である勇気

「できる自分」もいれば
「できない自分」もいます。

例えば専門家は
その道では一流ですが、
すべての道で一流という
わけではありません。

ひとつの専門分野を極めて
それを使って他者貢献するだけでも
共同体感覚は高まります。

すなわち、感じるしあわせを
増やしていくことができます。

その専門家が
他の分野が苦手だからといって
存在価値がなくなることは
ありません。

つまり
「できる自分」も
「できない自分」も
どちらも存在してOKです。

こんな感じで完全でない自分を
見ていくことで
「不完全である勇気」を使うことが
簡単になります。

■失敗する勇気

やってみたら
最初に思ったのと違った。

よくある話です。

ナメてかかって
痛い思いをすることも、
注意深く入念に準備したけど
想定外の事態となって失敗することも
あります。

同じ失敗ですが
どちらも「あってはいけない失敗」
ではありません。

そんな失敗をしない方法として
「そもそも取り組まない」を
すれば良いと思ってしまうことも
ありますが、
それは生存可能性を増やしていくことが
できないので、すでに考え方が
失敗していると言えます。

つまり、私たちは
前に進んでも動かなかくても
「思ったのと違った」という状況に
必ず出会うわけです。

すべてが思い通りになったとしても
それは起きます。

なぜなら当初に思ったことと
実際にやった後に感じることは
違うからです。

一度やったことがあれば
「これをするときっとこんな気持ちになる」
とわかりますが、
初めてやるならやった後に感じることは
やった後でないとわかりません。

そんな失敗は
言い換えると”経験”です。

そして経験値を言い換えれば
”失敗値”です。

どれだけ失敗したかで
次の回の成功する可能性が
高くなります。

今まで何度もやっことがあることでも
厳密に言えば毎回全く同じ状況では
ないので、毎回初めてなわけです。

「試して、どうなるかを見てみよう」
という姿勢は失敗することも
織り込み済みです。

こんな見方をすることで
「失敗する勇気」を使うことが
簡単になります。

■間違いが明らかになる勇気

人は不完全であり、
活動すれば失敗も
することが自然です。

そんな中で何かを間違えたら
その間違いの影響を受ける人たちに
間違ったことを共有することは
他者貢献です。

間違いを素早く共有できれば
その分、その後の改善にも
素早く着手できます。

「なんで間違えるんだよ」
なんて責めてくる人がいたりしますが、
それは単にそう言って
”間違えてない自分”を
強調して感じることで
優越感を得たいだけです。

「相手より自分優先」な行為なので
”どちらが上か”をその相手と
競ってしまうと「間違いの改善」
ではなく「優越感を感じること」へと
目的が変わってしまうので、
注意したいところです。

そんな競って止まることなく
間違えたことは
多少なりとも迷惑をかけるので
「すみません」など謝っておいた上で
関係者とともに間違いの改善に進み
共同体の利益に貢献していくことで
共同体感覚を高めていけます。

こんな感じで
”共同体の利益”を指標として進めば
「間違いが明らかになる勇気」を
使うことが簡単になります。

■無条件の自己肯定

条件つきの自己肯定は”評価”です。

それは
何かを基準に「存在して良いもの」と
「存在してはいけないもの」に
わけてしまうことです。

こんな裁きを下されるような状況では
なかなか安心できません。

一方で
無条件の自己肯定は
アドラーの提唱する”自己受容”です。

「他者信頼」「他者貢献」と並ぶ
しあわせの3つの条件のひとつです。

”自己受容”においては
「存在してはいけないもの」が
ありません。

すべてが存在して良いのです。

自分の中には
”いろんな自分”がいます。

今までもこれからも
それは変わりません。

その”いろんな自分”のうち
何かの目的に照らして
役に立つ自分と役に立たない自分とは
確かにいます。

その”役に立たない自分”と見える自分は
他の目的では役に立つことも
あるから存在しているのです。

そんな
あらゆる自分の存在を肯定し
それらを心から信じることが
「自己受容のために勇気を使う」
ということです。



お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。



人の目が気にならなくなる方法とは、勇気を使うこと。
勇気は「所有」ではなく「使用」するもの
勇気を持てるのは、貢献を確信したとき