「愛してる」と言うと
自分って善いことしてる、と
言ってる自分に酔ってしまいそう。

まさか
責められることなどないと
信じたくなります。



しかし
本当に「愛してる」が
役に立つのは、
言われる側が
言われて嬉しいときです。

言われて納得のいく
ときだけです。



ある映画の中で
少女が父親に話す場面。

「お父さん、私ピアノやめたい」

すると父親は
「高名な先生だから
やめることはできないよ」と
返します。

さらに父親は続けます。
「愛してるよ」

見ていて少女が
愛されてるように
見えませんでした。

父親は少女に
一方的にダメと言うだけで
彼女の気持ちも聞かず
ないがしろにしているからです。

少女は複雑な表情をして
その場面は終わります。



習い事のピアノを
少女には何か嫌なことがあって
やめたいと言っています。

その「何か」は
少女にとっては
とても大切なものです。

少女にとって大切な
その「何か」を
父親も大切にしてくれるなら
父親は娘である少女を
言葉の通り「愛してる」ことに
なるでしょう。

しかし、その「何か」は
横に追いやられて
「高名な先生だから」という
父親の都合が優先されています。

あなたの大切なものは
大切にできない。
でも自分はあなたを愛してる。

言ってることと
やってることが
違うので、違和感あります。

それで、いくら
「愛してる」と言われても
嬉しい気持ちになるのは
難しいことでしょう。

納得もできずに
その後も気持ちは
もやもやし続けてしまいます。



「愛してる」は
上下関係の上から下に
言う言葉ではありません。

「愛してる」から
何をやっても許される、と
ただの免罪符に
なり下がるかもしれませんから。

そんな状況で言われても
言われる側は
自然な納得ができず、
生き延びるために
無理に納得しようと
努力するかもしれません。



対等な関係であれば
普段から互いに相手を
大切に扱いますから、
わざわざ「愛してる」なんて
言う必要がありません。

でも気持ちは
言わないと具体的に
相手に伝わりませんから
具体的に伝えたいときに
言いたくなります。

言われる側も
普段から大切にされてるので
相手の言ってることと
やってることが一致しますから

「愛してる」って言われたら
受け取りやすいし、
なにより嬉しいし、
自然に納得もできます。



「愛してる」って
気軽に使えそうだけど
取扱い注意な言葉です。

使うときには
言われる側の納得も
感じた上で使いたい言葉です。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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