結婚して家族になる。
その相手とは
長い時間を共有します。

その長い時間の中で
良好な関係であるためには、
「対等」であることが
とても大切です。



自分の不満を解消するために
相手がいるのではありません。

相手の不満を解消するために
自分がいるのでも、ありません。

お互いがお互いの不満を
解消しようと助け合うから
「対等」になるし、
夫婦関係も良好になっていく。



相手が求めてもないのに
「教育してやる」と言って
あれこれ教える。

確かにその分野では
自分の方が優秀だ。

でも、他の分野では
相手の方が優秀だったりするけど
そこは知らないふり。

夫婦関係を良好にしたいから、と
大義名分を掲げてるが、

その実態は、
教えることで
自分が安心したいだけと
気づいてるけど、
これも知らん顔。

自分だけ安心したいために
相手を犠牲にしたら
夫婦関係が悪化するのは
自然なことですね。



相手はできるけど
自分にはできないこと。

相手がやるのが当然と
信じてる。

自分の非力を盾に
自分の期待に応えない相手を
責める。

こんなに努力しているのに
あなたは助けてくれない。

ときには、
パニックになったり、
体調が悪くなったり、
涙を見せたり。

そうして
「弱さ」によって
相手を支配しようとしたら、
良好な夫婦関係の実現は
いつまでもできません。



「対等」は
放置していても実現しません。

今の自分たち夫婦の
目的と
その役割を
お互いが満足する形で
設定&共有することで
実現します。



相手は何もできないから
全部自分が決める、も

相手がいつも正しいと
自分は何も考えずに
全部相手に任せっきり、も

対等ではありません。

また、
わからない、とか
決めるの面倒とか言って
コミュニケーションから逃げても
対等ではありません。



例えば、登山。

この山をどんな感じで
登ったら、今の自分たちに
ふさわしいか。

どんな感じで登ったら、
今の自分たちは
最も楽しめるだろうか。

そして
それを実現するために
自分と相手は
それぞれ何をどうしたら
最適だろうか。


自分の資源と
相手の資源とを
テーブルに出して並べて、
自分と相手とが
最も満足する形を
パズルでもするかのように
見つけていく。


持てる力を
合わせること。

その力に
質や量の違いはあれど
合わせることで
「対等」は形になっていきます。



愛の課題は
夫婦どちらかではなく
ふたりの課題です。

自分の利益を優先して
相手に犠牲を出させて
一時はうまくいったとしても、
やがて関係は壊れてしまいます。

結婚は
愛の課題に向き合うことですから
一人のときの課題とは違います。

結婚前にはない課題ですから
困難と感じることも多いでしょう。

その困難をお互いに協力して
乗り越えて行った先に
一人のときでは感じられなかった
よろこびがあります。



山を登るのも
どれだけ歩けば頂上なのかが
わからずとも、

頂上に着ける人は
登り続けた人だけです。

よろこびも、
おんなじですね。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。



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