結婚して家族になる。
その相手とは
長い時間を共有します。
その長い時間の中で
良好な関係であるためには、
「対等」であることが
とても大切です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/ef/94/j/o0640095914923012352.jpg?caw=800)
自分の不満を解消するために
相手がいるのではありません。
相手の不満を解消するために
自分がいるのでも、ありません。
お互いがお互いの不満を
解消しようと助け合うから
「対等」になるし、
夫婦関係も良好になっていく。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/26/0a/j/o0640042514923012937.jpg?caw=800)
相手が求めてもないのに
「教育してやる」と言って
あれこれ教える。
確かにその分野では
自分の方が優秀だ。
でも、他の分野では
相手の方が優秀だったりするけど
そこは知らないふり。
夫婦関係を良好にしたいから、と
大義名分を掲げてるが、
その実態は、
教えることで
自分が安心したいだけと
気づいてるけど、
これも知らん顔。
自分だけ安心したいために
相手を犠牲にしたら
夫婦関係が悪化するのは
自然なことですね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/b5/03/j/o0640041614923014683.jpg?caw=800)
相手はできるけど
自分にはできないこと。
相手がやるのが当然と
信じてる。
自分の非力を盾に
自分の期待に応えない相手を
責める。
こんなに努力しているのに
あなたは助けてくれない。
ときには、
パニックになったり、
体調が悪くなったり、
涙を見せたり。
そうして
「弱さ」によって
相手を支配しようとしたら、
良好な夫婦関係の実現は
いつまでもできません。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/07/6d/j/o0640042714923017130.jpg?caw=800)
「対等」は
放置していても実現しません。
今の自分たち夫婦の
目的と
その役割を
お互いが満足する形で
設定&共有することで
実現します。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/b8/8a/j/o0640042714923018494.jpg?caw=800)
相手は何もできないから
全部自分が決める、も
相手がいつも正しいと
自分は何も考えずに
全部相手に任せっきり、も
対等ではありません。
また、
わからない、とか
決めるの面倒とか言って
コミュニケーションから逃げても
対等ではありません。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/86/16/j/o0640042514923019622.jpg?caw=800)
例えば、登山。
この山をどんな感じで
登ったら、今の自分たちに
ふさわしいか。
どんな感じで登ったら、
今の自分たちは
最も楽しめるだろうか。
そして
それを実現するために
自分と相手は
それぞれ何をどうしたら
最適だろうか。
自分の資源と
相手の資源とを
テーブルに出して並べて、
自分と相手とが
最も満足する形を
パズルでもするかのように
見つけていく。
持てる力を
合わせること。
その力に
質や量の違いはあれど
合わせることで
「対等」は形になっていきます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/e1/14/j/o0640042314923020194.jpg?caw=800)
愛の課題は
夫婦どちらかではなく
ふたりの課題です。
自分の利益を優先して
相手に犠牲を出させて
一時はうまくいったとしても、
やがて関係は壊れてしまいます。
結婚は
愛の課題に向き合うことですから
一人のときの課題とは違います。
結婚前にはない課題ですから
困難と感じることも多いでしょう。
その困難をお互いに協力して
乗り越えて行った先に
一人のときでは感じられなかった
よろこびがあります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/79/e0/j/o0640042614923020627.jpg?caw=800)
山を登るのも
どれだけ歩けば頂上なのかが
わからずとも、
頂上に着ける人は
登り続けた人だけです。
よろこびも、
おんなじですね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/b6/78/j/o0640042614923020942.jpg?caw=800)
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ7年目、常楽でした。
《関連記事》
・自分の中に愛はない。愛の中に自分がいるんだよ。
・人生終わったときは、人生始まったとき
・見捨てるのか、と言われたら
・最後のときの感覚とともに進む
・幸福の3条件:自分は、自分が好き
その相手とは
長い時間を共有します。
その長い時間の中で
良好な関係であるためには、
「対等」であることが
とても大切です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/ef/94/j/o0640095914923012352.jpg?caw=800)
自分の不満を解消するために
相手がいるのではありません。
相手の不満を解消するために
自分がいるのでも、ありません。
お互いがお互いの不満を
解消しようと助け合うから
「対等」になるし、
夫婦関係も良好になっていく。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/26/0a/j/o0640042514923012937.jpg?caw=800)
相手が求めてもないのに
「教育してやる」と言って
あれこれ教える。
確かにその分野では
自分の方が優秀だ。
でも、他の分野では
相手の方が優秀だったりするけど
そこは知らないふり。
夫婦関係を良好にしたいから、と
大義名分を掲げてるが、
その実態は、
教えることで
自分が安心したいだけと
気づいてるけど、
これも知らん顔。
自分だけ安心したいために
相手を犠牲にしたら
夫婦関係が悪化するのは
自然なことですね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/b5/03/j/o0640041614923014683.jpg?caw=800)
相手はできるけど
自分にはできないこと。
相手がやるのが当然と
信じてる。
自分の非力を盾に
自分の期待に応えない相手を
責める。
こんなに努力しているのに
あなたは助けてくれない。
ときには、
パニックになったり、
体調が悪くなったり、
涙を見せたり。
そうして
「弱さ」によって
相手を支配しようとしたら、
良好な夫婦関係の実現は
いつまでもできません。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/07/6d/j/o0640042714923017130.jpg?caw=800)
「対等」は
放置していても実現しません。
今の自分たち夫婦の
目的と
その役割を
お互いが満足する形で
設定&共有することで
実現します。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/b8/8a/j/o0640042714923018494.jpg?caw=800)
相手は何もできないから
全部自分が決める、も
相手がいつも正しいと
自分は何も考えずに
全部相手に任せっきり、も
対等ではありません。
また、
わからない、とか
決めるの面倒とか言って
コミュニケーションから逃げても
対等ではありません。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/86/16/j/o0640042514923019622.jpg?caw=800)
例えば、登山。
この山をどんな感じで
登ったら、今の自分たちに
ふさわしいか。
どんな感じで登ったら、
今の自分たちは
最も楽しめるだろうか。
そして
それを実現するために
自分と相手は
それぞれ何をどうしたら
最適だろうか。
自分の資源と
相手の資源とを
テーブルに出して並べて、
自分と相手とが
最も満足する形を
パズルでもするかのように
見つけていく。
持てる力を
合わせること。
その力に
質や量の違いはあれど
合わせることで
「対等」は形になっていきます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/e1/14/j/o0640042314923020194.jpg?caw=800)
愛の課題は
夫婦どちらかではなく
ふたりの課題です。
自分の利益を優先して
相手に犠牲を出させて
一時はうまくいったとしても、
やがて関係は壊れてしまいます。
結婚は
愛の課題に向き合うことですから
一人のときの課題とは違います。
結婚前にはない課題ですから
困難と感じることも多いでしょう。
その困難をお互いに協力して
乗り越えて行った先に
一人のときでは感じられなかった
よろこびがあります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/79/e0/j/o0640042614923020627.jpg?caw=800)
山を登るのも
どれだけ歩けば頂上なのかが
わからずとも、
頂上に着ける人は
登り続けた人だけです。
よろこびも、
おんなじですね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210408/08/yurushino/b6/78/j/o0640042614923020942.jpg?caw=800)
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ7年目、常楽でした。
《関連記事》
・自分の中に愛はない。愛の中に自分がいるんだよ。
・人生終わったときは、人生始まったとき
・見捨てるのか、と言われたら
・最後のときの感覚とともに進む
・幸福の3条件:自分は、自分が好き