見えぬもの | 1級フードアナリスト ユピロ菌の迷える子羊達へ

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悩んでいたときに救ってくれた言葉や料理をおすそ分け。仏教に自分で掛けた首輪は自分でしか外せないという言葉がある。悩みを解決してくれるのは宗教でも他人でもない。自分自身でしか解決できない。


僕のBlogのテーマでも

一番反応を頂くのが

シスター渡辺和子(前回記事)

の言葉を紹介するシリーズ!

最近、このテーマで書かないね

と言われたので久しぶりに・・・

書こうかなぁと思い、少し著書を読み返す

心にズシンとくるなぁ

そんな時にかぎって他の本に目を通すと

こんな言葉が目に飛び込んでくる





愛とは相手に変わることを要求せず

相手をありのまま受け入れることだ


         -ディエゴ・ファブリー

う~ん、深いなぁ


愛することを教えてくれた貴方

 今度は忘れることを教えて下さい


         -アイリス・マードックー

心からお願いしたい



では、気を取り直して

PHP文庫 渡辺和子著

「忘れかけていた大切なこと」から

「見えぬもの」

青いお空のそこふかく、

海の小石のそのように、

夜がくるまでしずんでる、

昼のお星はめにみえぬ。

 見えぬけれどもあるんだよ、

 見えぬものでもあるんだよ。

これは、金子みすゞの「星とたんぽぽ」

という童謡の一節です。

この節に続けて、みすゞは

たんぽぽの茎はすがれていても、

その見えない根は瓦のすき間に生きていて、

春が来たら、たんぽぽの花を咲かせるのだ、

と謳っています。

いまから七十年以上前に、二十六歳の若さで

一人の娘を残して自死した童謡詩人、

金子みすゞの存在は、死後五十年経って

世に認められ、人の心を浄化する

不思議な力をもった童謡詩の数々が、

多くの人を魅了しています。

「見えぬけれどもあるんだよ、

 見えぬものでもあるんだよ」と、

昼間の星について断言し、

瓦のすき間のたんぽぽの根について

語る童謡は、

見えるもにばかり心を奪われている

私たち一人ひとりに”忘れもの”

を思い出させてくれます。

(中略)

幼い子どもたちに神様のお話をすると、

「神様がいるのなら、どうしてみえないの。

 どうして一度もテレビにでないの」

と尋ねられて、返事に窮したものでした。

そこである時、物理学者としても高名な

カトリック神父に

「神父様、目に見えなくても存在するもの

 あるのでしょうか」と尋ねました。

すると、いとも簡単に、

「ありますよ。がそうでしょう

との答えが返ってきたのです。

「神は愛なり」と聖書に書かれていますが、

神も愛も、それなしには生きてゆくことが出来ないほど

大切なものなのに、私たちの目には見えません。





『星の王子さま』という本の中で、

王子と仲良しになったキツネが言っています。

「大切なものは目に見えない。

 かんじんなことは、

 心の目でみないと見えないだよ」


生前、日本を訪れたこともあるマザー・テレサ

(中略)

1997年9月に帰天するに先立って、

マザーは何回か手術を受けなければならなかったのですが、

マザーを生かしていた愛は、外科医のメスに触れることは

ありませんでした。

私たちが大恋愛している最中に、レントゲンにかかっても、

愛は写りません。では無いのかといえば、あるのです。

レントゲンで見え、メスに触れられたものは全部、焼場で

焼けて灰になってしまいます。

しかし、見えなくてもあったものは、焼けることなく

永遠に生き続けるのです





たったこれだけの章ですが

僕の心には大きく響くものがあります。

自分にとって一番大切なものはなんなのか?

では、その一番大切なものを守るには

どうしたらいいのか?

日々、そんなことばかり考えています。

そして、愛する人から、

ただいるだけで、貴方が近くにいるだけで

幸せだと言ってもらえるような、

貴方のようになりたい。