大国主と宗像女神の楯崎神社 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。




海の向こうに島が見える。



あれが沖の島か⁉︎



楯崎神社

福岡県福津市渡946-1


楯崎神社御縁起

それ当社は宗像宮に摂する所の七十五社の其の一にして、楯﨑神社は以下詳かに説く古宮なり。


この楯崎神社は、宗像大社の摂社ってポジションなのね。



祭る所の神は、大己貴命、少彦名命なり。

又、飛龍権現を以て相殿と為し三座となす。


オオナムチ(大国主)とスクナヒコナと、

飛龍権現ってカッコいいな🐉

龍だけでなく、飛龍ってとこも含めて。



相伝えて云う、荒洪草眛の世、草木、言い語りの時、夷の類凶暴なる鬼神、吾が北海の浜に来寇し、人民を殺略す。


昔々、異民族が北の浜辺から上陸して来て人々を殺したそうな。

海辺には、海から悪者がやって来る話が多いね。



時に大己貴命及び妃宗像姫大神自ら神軍を率い稜威を振い、楯を立て、鼓を鳴らして夷賊を防御し、遂に誅滅し類、無きなり。


オオナムチと宗像三女神の誰かが、楯を立てて戦ったんだって‼️

大国主の妻としてタギリヒメがいることは古事記なんかにも書いてはあるけど、2人で何かしたというようなエピソードって載ってなかったから、知れて嬉しい😊




楯﨑及び加羅船等の名、蓋し此れより起る。


加羅船の名がここから起こったってのはどういう事かよく分からない。


※さっきから書いてる楯崎神社縁起は、社殿の前にあった↑コレより引用。


ここから先は、オオナムチとスクナヒコナの説明なので小さめに。


按ずるに大己貴命は素戔嗚尊七世の孫天之冬衣神子、母刺国若比売神、此の大神、亦の名を大国主神、亦の名を葦原醜男神、亦の名を八千戈神、亦の名を顕国玉神と謂い、併せて五名の若夫あり。大三輪社に祭る。大物主命は大倭神社に祭り、之を称して大国売神と謂う。故に此の大国主神は、千早振神等を追撥し而して始めて国を作る。其の子凡そ一百八十一神あり。後に天の下、皇御孫尊を避け奉り、日隅宮に永隠す。即ち出雲国杵築大神なり。

少彦名命は神皇産霊尊の子なり。日本紀に按じて曰く、大己貴命の国を平ぐるや行きて出雲五十狭の小汀に到る。而して朝、まさに飲食せんとす。是の時、海上忽、人声の驚くありて、之を求む。すべて所見無き頃、時に一箇の小男あり。白斂皮を以て舟と為し、鷦鷯の羽を以て衣と為し、潮水に隋って浮き、大己貴命に到る。即ち掌中に取り置き、而して之を玩ぶ。則ち跳びつき噛む。其の頰の怪、其の物の色なり。遣使天神に白す。時に高皇産霊尊、之にこたえて曰く、吾が所に産児凡そ一千五百座あり。其の中の一児、最悪にして教養に順わず、指間より漏るる堕者は必ず彼なり。爰に於いて之を養うべし。此れ即ち少彦名命、是れなり。又、云う、大己貴命、少彦名命とともに勠力一心、天下を経営し、またあきらかに、蒼生及び畜産を見んがため。其の療病の方法を定め、又、鳥獣昆虫の災異の壌を為す。即ちその禁厭の法を定め、此れを以て百姓、今に至り咸、恩頼を蒙る。嘗、大己貴命、少彦名命に謂りて曰く、吾等造る所の国、豈に善成と謂や。少彦名命、対えて曰く、或は成す所あらんか、或は成さざるにあらんか。其の後、少彦名命、行きて熊野の御碕に至り、遂に常世郷に適す。今、天下諸国に温泉地あり。是の二神を祭り奉るは、この縁なり。


次から宗像三女神について‼️


宗像三前大神は、天照大神と素戔鳴尊、誓って久しき後に生座の御子なり。

即ち〼して曰く、田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命は沖津宮、中津宮、辺津宮の三所に厳重に鎮座し、奇瑞、古今不変、国家鎮護の大神なり。



旧事紀に案じて曰く、素戔嗚尊の児、大己貴神、先に宗像奥津宮に座す田心姫を娶りて、一男一女児、味鉏高彦根神 妹、下照姫命を生む。


タギリヒメ=タゴリヒメ。
は良いのだけれど。

次に辺津宮に坐す高津姫命を娶りて一男一女児、味歯八重事代主神 妹、高照光姫大神命を生む。

ここでは、大国主はタギリヒメだけでなく、タカツヒメ=タギツヒメ(なんで同じ文中で呼び名がかわってるのか謎)を娶っているよ!
しかも、味歯八重事代主神をうんでるのね!

古事記には、事代主の母親は神屋楯比売命となっている。
この楯の字ってもしかして、楯崎の楯?
分からないけど、タカツヒメ=タギツヒメ=カムヤタテヒメであり、この女神も大国主と結婚したらしい。


味歯八重事代主神は化して八尋の熊鰐と為り、三島溝杭女を通じて、玉依姫に生き一男一女児を生む。天日方奇日方命なり。此の命、橿原朝の御世勅して、食国大夫となりて供奉。


事代主も鰐になったの⁉︎ワダツミ系?

「三島溝杭女を通じて、玉依姫に生き」っていう謎の文章、他の記述と照らしあわせると、「三島溝杭の娘、活玉依姫を娶り」の書き間違いだと思われる。

一女の方の説明が書かれてないけど、ヒメタタライスズ(神武天皇の妻)らしい。

神武天皇以下はワダツミだけでなく宗像三女神にも繋がってた事になるのね。


六世の孫阿田賀田須命は、宗像朝臣等の遠き祖なり。




宗像社記に曰く、当神、異賊に対し、最初、御合戦地の〼、御楯を築き始められし処を楯崎と号す。其の御楯、石と成りて今にこれあり。軍に御勝ちあり。勝鼓を打ちたまえる処を鼓島と号す。其の鼓、石に成りて今にあり。それ神山の峻嶺上、草木蓊蔚楯板、石と化し、今猶其の石あり。面の径二尺五寸、高さ五尺恰も削成せるが如く、東方に向きて立つ。三方石壁を築き、之を囲続す。土人之を敬畏し能く登歩する者あらんや。社の後に一岩窟の口あり。方二尺五寸、深さ一丈二尺、乃ち神霊の窟宅とする所なり。西は海岸に面して巉巌千尺、ここに萬里の冥遼に絶するに臨み、心目の寥朗を恣し、それ岸下の礒悉く龍蟠り、虎蹲り、怪異萬状、若し夫れ且夕、潮水、懸崖に〼がば、奔〼絶壁を撃ち、怒りて〼噴し、神を驚かし、魂を焇し、人を騒がす所、永吟の雅人、愛賞する所、楯石崎は即ち此れなり。




 夫木集 西行法師

 さかおろす楯石崎の白浪は あらしきほにもかかりけるかな


西行法師が歌にも詠んだ場所なんだぞ!って😆




古老相伝えて曰く、往昔、息長足姫尊、将として西征の時、斯の山に登り、而して神の冥助を請わんことを祈り、御船、これに泊する処を京泊と曰う。社北、御手を洗いし処を御手水の曝布と曰う。其の側に一大巌あり。形状艨艦の如し、所謂加羅船なり。又、三嵓瀬あり、その中間は之を湯壺と曰う。温泉ありて湧出す。今廃し其の海中に多藝理瀬あり、潮汐將に盁涸の時、猶温井沸湯の勢を見る。因って之を社北の礒浜と名づけ、之を五色浜と曰う。細石、悉く五色鮮明なり。又、楢葉浜に神紋石あり。〼々、楢葉の文あり、隠れし名は、浜に起因す。鎮子と為すべし。この岸の西二町許り一岩嶋あり、形状は鼓に類し、草木なし、所謂、鼓島は凡そ、斯の山海の竒勝、言に尽すべからず、皆神明の霊蹤なり。


神功皇后の伝承地でもある☀️




皇統彌照、天皇桓武天皇の御世、釋、最澄師、求法の為に將に唐国に赴かんとし当社に詣で宿願を達せんこと祈り、自ら薬師彌陀観音像を彫剋し、以て之を安置し号して楯崎寺と曰う。今俗に楯崎薬師と称する所は即ち此の新宮なり。誤って古宮を称して薬師となし、神山を称して薬師山と曰う。曽って大神の本跡を知る者なし。


桓武天皇や最澄まで出て来た‼︎


本当は、この時に新しく作った方が楯崎寺、楯崎薬師だったのに、大国主達が楯を立てたこの山を薬師山って呼ぶようになったそうな。そうなのか?


後半は豊臣秀吉とか出てくるけど、長いので小さく記す。

曩に、宗像神社の盛んなるや、末社、修造用途は葦屋新宮浜の漂涛物を充てらる。其後、勅を以て、同郡曲村田地、四拾町修造料と為す。当社亦、これを与う。又、田、貮町を寄せられ、今、社東の田字、御田及び御園と称するは古の遺名なり。又、毎年、正月七日、九月廿九日、宗像末社の神座を本社に於いて設け、神饌一百八膳を献じ、又、三月八日より同十五日に至り修法ありて、之を為す。恒例の神事宗像大宮司家、世掌礼典甚だ厳かなりと云う。天正十五年豊臣関白、九国、征伐の時、悉く神田を没収す。これより以後、神殿、傾覆し、神人、緇素、四方に散去し空しく神体佛像を岩窟中に遷し奉りて、祀らず。年ありここに於いて、元禄年中に至り、村民等、旧祠の廃絶を歎き、再造の志を企て、僅かに、一宇の祠を造立し、神佛を同檀に祀る。時に、本山派修験仙光院某なる者あり。衆力を募り而して春秋二祀を再興し、国家の為、永く擁護の神力を懇祈し、黎〼の為恢く発願し、快楽の誓いを弘め、今に一百有余年、祭典、欠さず幣帛、増加して惟れを伏す。大神園を造るの勧めあり。則ち、天下蒼生孰く其の恩光を戴かず。嗚呼、神の徳上下を徹し遐邇を隔てず、爰に感じ、爰に応じて鎮まる。国家、群生を護るや、大なり。誰か神風の余化を仰がざらんや。


長かったけどとにかく、かなりの歴史ある神社だということですね。




あれに見えるは沖ノ島❗️







赤い鳥居⛩





薬師神社と書いてあるここが古宮だね‼️


脇にあった祠。




「楯崎宮」の扁額もある。


これはどなた?

薬師如来でもなさそうだけど。


降りる際に再び海を見る。



ところで社殿前にあったもの。

主祭神と、本地仏って書いてあるよ‼️


縁起には「誤って古宮を称して薬師となし」って、誤り扱いされているけど。

最澄のいた時代としては誤りでなく、ただ、大己貴神・少彦名神=薬師っていう、本地垂迹:神道の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた存在であるとする考えだったって事なんだろう、と理解。