大原八幡神社
福岡県京都郡苅田町新津1427
御祭神
大原足尼命 現在の豊前・豊後の国造
饒速日命 大原足尼命の祖先・物部氏の祖神
応神天皇 第十五代天皇・八幡の大神
仲哀天皇 第十四代天皇・応神天皇の父君
神功皇后 応神天皇の母君
由緒
御祭神大原足尼命が神功皇后の御代(西暦209年ごろ)豊前、豊後の国造として、民を安じ徳望あり、とくにこのころ新津に港を造り公私船舶往還の港となり大いに栄える。
なんと、大原足尼は神功皇后の時代の人だった⁉︎
この人が豊前・豊後の長として港を作ったおかげで大いに栄えたそうな。
命が亡くなると住民は、この徳を慕い大字新津字祖父墓の地に命の塚を造り祭る。
其後六世紀後半(西暦570年ごろ)この京都地方を治めていた物部氏が祖先を同じとする命を、港の正面に恩塚山に大いなる塚(廟所)を造り氏神として祭る。
その後570年頃、この地方を治めていた物部氏が港の正面に大きな塚(廟所)を作り、祖先が同じ(ニギハヤヒ)である大原足尼を氏神として祀ったって事なんだけど、いやいやちょっと、大原足尼関係の塚が多過ぎじゃない?
御所山古墳も番塚古墳も恩塚古墳も大原足尼のなの?
…でもそんなこと言ったら、八幡宮だとか天満宮だとか同じ神様を祀る神社って全国に大量にあるんだから、それに比べたら少ないか💡
古墳を神社と同じようなものだと考えたら納得。
その後、饒速日命・応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を御観請し現在に至る。
階段を上っていく途中には、注連縄のある石が点在していた。
すごい祀るなー。
一の鳥居の場所までが昔は波打ち際だったらしいから、「波よ、これ以上来ないで‼️」って感じなのかな。
社殿。
なかなか立派な建物。
「大波羅野御屋新呂」=大原のお社💡
大々式稲荷神社⛩
鳥居の足元には石。
地鎮大神の字あり。
小さな祠もある。
稲荷神社の奥には、仮設って感じの階段がある。
実はこれ恩塚古墳に続く階段で、階段登って右を更に登っていくと、石室に入れるような類の古墳があったらしい。