石清水八幡宮の創建に際して生まれた正ノ宮正八幡神社 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
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お寺や神社に行ったりしています。



正ノ宮正八幡神社

福岡県行橋市行事7-17-1



正ノ宮正八幡神社とか、単に正八幡神社とか、

過去には草野正八幡宮とか呼ばれていた様子。



平安時代、奈良市大安寺に行教(ぎょうきょう)という僧侶がいた。



行教は天安2年(858年)、藤原良房(皇族以外の人臣として初めて摂政の座に就いた人)の孫である惟仁親王(後の清和天皇/武門の棟梁となる清和源氏の祖)が天皇になるよう祈祷するため、山口県宇佐市の宇佐八幡宮へ派遣されることとなった。




しかし派遣前に、55代文徳天皇の急死により親王が56代清和天皇として9歳で即位した。


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え、なんかものすごく、藤原良房の孫を天皇にしようという強い圧力を感じる。


行教は、貞観元年(859年)改めて、天皇護持のため宇佐八幡宮に90日間参篭した。




このとき神託を受け、翌年、京都府八幡市に石清水八幡宮を創建する事となる。


石清水八幡宮を創建するにあたり、宇佐八幡宮から八幡大菩薩を勧請(神仏の分身・分霊を他の地に移して祀る)する。



行教が宇佐八幡宮から京都に向かって行く途中、仮殿を構えて駐輦した跡に榊が1本残存していた。

これを八幡大神の神慮であるとして「宇佐八幡大神」と唱えて創建したのが、この正八幡神社と伝わる。



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石清水八幡宮の創建の副産物として出来た神社という事?



綾杉るなさん曰く、福岡県神社誌にはそれ以前のことも書いてあるという。



福岡県神社誌によると、八幡正宮は、草野村、行事村など六村の土地の霊魂をこの地に集め、土地の神霊を地底に封じ小祠を営んだ霊地だったという。


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神霊を「地底に封じ」って結構珍しいような…。埋葬?共同墓地?



そしてその小祠があった地に行教がやって来て仮の神殿を構え、1本残っていた榊を八幡神の御璽(みしるし)として祠内に納め、八幡宮を創建したという。


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なし崩し的に乗っ取られちゃったような…(笑)

なるほど、こういう手口で主祭神が変わるのか、と思ったりなどした😆😆😆



(八幡神やこの神社自体に罪はないよ。)



こちら、水神社(祭神:罔象売命、高龗神、闇龗神)。

反対側は火祖神社(祭神:迦具土大神)だったようだけど、鳥居もなかったので見逃した💦

ついでにいうと厳島神社(祭神:市杵島姫命)も、見逃した。




こちらが菅原神社(祭神:菅原道真公)らしい。



こちらは何も書いてない様子なのだけど、祖霊社とかかなぁ。元々祀られてたってやつ。

団体行動だったので、ゆっくりじっくり見て回れてはいない😣



でも花(牡丹)は見た。








ちなみに、今回ここに来たのは、26代継体天皇の時代(507〜531年頃)に豊国に設置された屯倉(みやけ)鎮守社ではないかということで来た。


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屯倉って何?


時代によって性格が違うらしいけど、ざっくりいうと、天皇(ヤマト王権)の直轄地。

地方の豪族が天皇に差し出したものであったり、天皇が地方の豪族から奪ったものであったりするとか。


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天下統一の為に、地方の力を削いでおきたいっていう意図と考えられる。




主祭神が変わるというのは、敬う対象が変わるという事。


その地域の人々を精神的に支配したい人の意思によって、主祭神が設定されるという面があるのだろう。









説明の都合上、順番を変えてお届けしております。

次が正八幡宮。