ニギハヤヒの白庭神社と御所山古墳・番塚古墳 | 筑前由紀のプチトリップ

筑前由紀のプチトリップ

2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
着物を着たり着なかったり
たまにバイクに乗ったり
季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。



白庭神社

福岡県京都郡苅田町与原字御所山868



御祭神

饒速日命(にぎはやひのみこと)

大己貴命(おおなむちのみこと)

罔象女命(みずはのめのみこと)


※ニギハヤヒは天孫ニニギとは別に天降りして来たとされる、初代神武天皇より前に大和にいた神。

※オオナムチは大国主の別名。

※ミズハノメはイザナギの死ぬ間際に生まれた水の神。



由緒(京都都神社明細帳より)

古老口碑云、此の社地を御所山と号し、東西三十一間、 南北四十八間の一小山にして老松枝を連ね、境域に堀を穿ち、自然凹の形をなし南丘は古豊前國造大原足尼命の榮域にして、窟中方二間四間北に面し、畳石朱を以て塗し実に古墳榮の景をなせり。 


ここは、豊前を治めていた大原足尼(おおはらのすくね)という人のお墓だったそうな。


「すくね」って「宿禰」と書くものばかり見てたから最初全然読めなかった💦

この大原さん、「尼」って字が使われているから女性なんじゃないかとも考えられているそうな。



北丘の一層高き所は饒速日命の社地にして、此の神を祭り奉る由来は、北を去る三町にして番塚とす守戸の古跡あり、今尾倉に属す。守戸をこの地に移すに際し、守護神とし遠祖饒速日命を祭り奉る。この当社の草創也。


而るに後、大己貴命、罔象女命を相殿に奉る。 守戸星霜を経て一佛庵となる。明治維新の後、他に移すと云えり。

以て現在に至る。




階段の途中から逸れたところに、小さな祠があった。



天一新皇ってなんだろう?



上っていくと、社殿あり。



「御所山古墳」の記載あり。




国指定史跡 御所山古墳

昭和十一年九月三日指定 

古墳を廻らした前方後円墳で、応神、仁徳陵と同 形式で五世紀の築造と推察される。(中略)採取にあい今日まで実態不明である。




この古墳が何なのかよく分かってないという事だけど、この社殿は結構立派。






社殿の横を通って奥に行くと、祠あり。


こっちが本殿という事かな?






番塚古墳

苅田町大字尾倉433-5



住宅街も住宅街にしれっとある古墳。

気を付けて探さないと分からない!



御所山古墳の由緒「北を去る三町にして番塚とす守戸の古跡あり、今尾倉に属す」の番塚古墳でございます。

ここが元々あった場所って事なんだけど、その後が大変分かりにくい💦



埋葬者が誰とかは、古墳からはやっぱり分からないわけだけど、御所山古墳のからすると、大原足尼のって事になるんだろう。

で、何で白庭神社にニギハヤヒを祀っているかというと、大原足尼の先祖がニギハヤヒって事らしい。


ちなみに、ニギハヤヒの墳墓があるのが奈良県生駒市白庭台にある白庭山らしい。

白庭神社って名前はそこからとっている様子。



番塚古墳から出土したもの。

月の世界にいるヒキガエルってのは、中国の神話らしい。

そういうところから、朝鮮進出政策に関わっていた人物のお墓ではないかと推定されるそうな。

ふーむ。


神社と古墳と比べながら見るのは頭使う😣

そして断定も出来ないし分からないままなわけではあるけれど、噛めば噛むほど味が出る感じがして面白い😆

面白いが、万人受けする話題ではないよねーこれ、書いてて自分でもわけ分かんねーわって思いながら書いてます(苦笑)