古式五月飾り「檜兜」 | 筑前由紀のプチトリップ

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檜兜とは?


総檜で作られる古式の飾り兜。 
削り掛け兜とも称される。

しころ(主に後頭部から首を守るための部分)に檜を細長く短冊状に削ったものを垂らす。 

頭頂にはダシと呼ばれる有職造花(京都御所を中心に発達したといわれる絹の造花)を飾る。



端午の節句(5月5日)に飾られる。

造形は、神事に用いる幣帛の形を転用したものと考えられており、そこには神の力によって災厄を祓う節句の本義が込められている。

主に天皇家、上級公家の依頼により有職御木具師が作成した。
今でも皇室では、男子が誕生すると檜兜を誂えるしきたりがある。

2007年5月5日に初節句を迎えた悠仁さまに、天皇・皇后両陛下から檜兜が贈られた。





端午の節句


昔は月の初め(端)の午の日をすべて端午と称し、「午」と「五」が同じ発音なので「五の日」を意味するようになった。
五節句を背景に5月5日が端午の節句として定着したのは平安時代。


当時、宮廷で菖蒲を軒にさして邪気を祓ったところから「菖蒲の節句」とも称された。


 


鎌倉時代に入り、武士の時代が訪れると、「菖蒲」が「尚武」に通じるところから男子の勝運、成長を願う祭礼になり、江戸時代には男子の厳粛な儀式として盛大に祝うようになり、一般にも大切なお祭りとして広まった。



上の写真は、筑豊の炭坑王 伊藤伝右衛門が孫の剛平の端午の節句に贈ったもの。

大正10年(1921年)作。




五月飾りの歴史


五月人形の源流は平安時代。宮廷の貴族たちが邪気を祓うために用いた菖蒲鬘という飾り。


鎌倉時代になると、この菖蒲鬘から菖蒲兜が生まれる。

菖蒲や柏の葉などで作られ、頭部に紅白の花を飾り、その前に菖蒲の花を立てて作る。




続けて、菖蒲兜から檜兜が誕生する。

菖蒲兜同様、頭部に花や菖蒲を飾り付ける。


江戸時代に入ると、甲冑の揃いを並べ、これに武具や幟などを飾るようになる。