2023年1月17日(火)防災とボランティアの日
本日も無事に終えることができました!
今日の28年前は、阪神淡路大震災が起きた歴史的な日です。
少し当時のことを振り返りたいと思います。
28年前、当時私は13歳、中学1年生でした。
朝5時46分人生最大の激震を味わいます。
朝方、ふと目が覚めて、何気に布団を見ると、暑かったのか布団を蹴ってしまって、
下半身丸出しの状態でした。流石に寒かったので布団を敷き直しました。
その直後、下から「どん」と突き上げられ、間髪を入れず大きな横揺れが起きました。
咄嗟に、布団の中に潜ったことを覚えています。
そして、まだ暗かったベランダの外が一瞬ピカっと明るくなるシーンを見ました。
当時、熱帯魚を飼っていたんですが、水槽の水が揺れに伴い、溢れて私の枕の上に降り注いで
びちゃびちゃでした。
大きい揺れが一回、その後も間隔は覚えていませんが、何度も何度も大きく揺れました。
しばらく動けず蹲っていたんですが、しばらくしてライターを片手に親父がゆっくりと無事を確認しにきます。
幸い、私含め家族4人、無事でしたが、明るくなって気づきました。
親父は頭から血を流し顔面血だらけだったことを‥大きな怪我ではなかったので本当に良かった。
家のベランダから南東の方を見ると、黒煙が上がっていて、
テレビをつけて愕然とします。地震の恐ろしさ、大きい人揺れでたくさんの人が犠牲になりました。
私も、この揺れで今後の生活が一転します。
幸い、自宅は半壊、引き続き問題なく住むことはできましたが、
貯水槽が地震の影響で壊れ、1ヶ月断水になりました。当面の間、学校も休校だったので、ずっと水汲みの生活でした。
また、私の祖母、叔父さん、従兄弟はみんな神戸市長田区在住でしたので、私の家に避難してきます。
後日、私も祖母の家を見に行く機会があり、長田区まで歩いて行ったことがあります。
とても、小さい頃見た懐かしい景色ではなく、傾いた家・全壊した家ばかりでした。
その後、年月が経ち、高校・大学と進学し、兵庫県内の学校だったので、
どこを見ても震災の爪痕が残っていました。
28年という年月が経ちましたが、今でも当時のことは心に残っています。
死ぬまで忘れることのない出来事でした。
やっぱり地震は怖いです。
2011年3月東日本大震災の時、大阪にいましたが、揺れを体感しましたし、
2012年に淡路で大きい地震があり、飛び起きました。
2018年大阪北部地震では、大阪環状線の中に閉じ込められました。
地震は切ってもきれない関係です。日本に住んでいる以上‥
南海トラフ地震もいつ起きてもおかしくない状況です。
当時の震災の経験を忘れることなく、受け継いでいかなくてはならいのだなと
年を追うごとに感じています。
今回は、少し暗い話になりましたが、私自身、阪神淡路大震災の記憶を絶やさぬために
敢えてブログに残しました。
さて、本日はこの辺で♪