「無関心」と「他人事」は違う?

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こんにちは!ゆきです。

今回は『「無関心」と「他人事」は違う?』について書きます。


突然ですが、あなたは「無関心」と「他人事」についてそれぞれどんなイメージや考えを持っていますか?

一見すると同じように感じるかもしれないこの2つの言葉。

わたしは、自分軸で考えた結果の「無関心」と何も考えていない「無関心」は違うと思っています。後者は「他人事」とも近いかなと思うんです。


「無関心はひどい、冷たい」とか「愛の反対は無関心」と一般的にも思われがちに思います。

主語が大きいですが、日本の教育では無関心はひどいことだと認識されるように、子どもたちに刷り込んでいるように思います。だから、お互いが干渉し合う窮屈な社会を体験しがちではないでしょうか。人に自分のやり方や意見を押しつけたり押しつけられたり…自分には関係のないことであってもお節介をやいたり…過去自分も同じことをしていたなと思い当たる節があります(苦笑)


ただ、わたしは昔から今の社会システムに馴染めていなかったので(笑)、面倒なことには極力関わらないようにしたり、合わない人たちといるより一人でいることを選んだりしていました。

時におかしいことをおかしいと言おうとしたり、悪意なく自分の思ったことを素直に言っただけなのに周りから白い目で見られたり(苦笑)…同じ土俵にいたら力の強い人たちに敵いませんでした😓


今は同じ土俵に上がったら力の強い人たちが勝つことを知っているし、対立のエネルギーで相手に対峙するのではなく、ただ関心を持たずにエネルギーを流さずにそっと離れるという手段があることを知ったので、わたしは「合わない」と思った人やものにはあえて関わらずそっと離れるようにしています。自分にとってどうなのかを考えて合わないから離れるだけ。合わないと思っている人やものにもそれぞれ意思や正義があるので、そのことを理解していると、自分と合わないことがあっても苛つくことが減り、「合わないだけ❗」と思えるようになりました😄だから、そういう意味で相手が何を思っても言ってきても「そうなんですね」と思うだけなので、対立のエネルギーではなく、関心を持たないようになりました。

だって、相手がどう思おうと相手の問題でしょう?

わたしが相手の思うことにコントロールされる必要があるのでしょうか。わたしはないと思うのです。わたしはわたしが大事だし、自由でありたいから、相手のことも同じように尊重したいと思っています。

相手が困っているときや手助けが必要な時はそっと手を差しのべることができて、だけど、いつもは相手が何をしていようが気にしない、それがわたしの好きなスタンスです。


だけど、何に対しても「ふーん😒」という他人事な姿勢は、わたしの挙げた「無関心」とは違うのです。他人事って、何に対しても自分には関係ないという意思表明ではないでしょうか。「何に対しても」が肝です。自分のことであってもどうでもいい、そういうスタンスなんです。わたしにはなげやりで自分を大事にしていないスタンスに見えるんです。そういうなげやりな考えを持っている方は、きっと自分だけでなく相手に対してもそういう態度で接するのではないかと推測します。

そういう人がそうあったとしてもわたしには関係ありませんが、自分を大事にできる方とわたしは付き合いたいなと思うのです。

「無関心」と「他人事」、この2つについて今回は書いてみました。

あなたの考えがあったら、コメント欄で教えてもらえるとうれしいです😊