5月20日2020年のアメリカの状況/英文作成能力を磨くクラス開講
(C) 2020 CNYここ数週間での主な話のタネは、「本当の意味で、生きる上で必要のないビジネス(nonessential businesses)」、たとえば床屋やギャンブルなどを、いつ再開するか。でもって、市民へのレクリエーション関係(recreation sites)、たとえば公園や図書館にゴルフコース、といった施設も、いつオープンするのが適切か。様々な街や州で、多岐に渡った議論が行われており、それぞれタイミングは違うものの、そうしたサービスや施設を、徐々に再開しては、いる。ただリ・オープンと言っても、当然ながら、客が入らない。「この新型コロナはワクチンがまだ無く、感染率がゼロじゃないどころか、他の風邪系とまるで違う」という、今では一般的な認識が、ひとびとに心理的なブレーキをかけているから、だろう。私だったら無用な感染を防ぐべく、一家をうかつに外出させない。どうしても外出しないとならない瞬間は無論あり、たとえば食料の調達。我が家は自炊にこだわる、というか奥さんには仕事に集中してもらいたいので、彼女より労働時間が少ない私が、炊事洗濯その他、一家に関わる全般を担当。子供たちはまだ鍋やらガスコンロやらを使える年齢じゃないので、皿洗いだけ、手伝わせている。なので食料を買い込んでも、それぞれの鮮度もあり、持って一週間。(C) 2018 Cancer Treatment Centers for Americaだから週に一度は、スーパーに出かけないとならない。それ以外で外出が必要なのは、家に引き籠もりすぎて自家中毒になるのを防ぐため。人間は吸血鬼と違って、日の光を定期的に浴びないと、思考がどんどんネガティブになるから、せめて3日に一度は、散歩が必要。ジョギングに関しては、5年ぐらい前に奥さんが「家で運動できるから」と購入してホコリを被っていた踏み台昇降機(ellipticalと呼ばれる)が、現在は絶賛毎日稼働中で、ドラマやアニメなどを見ながらこれを使って運動(30分番組は区切りがしやすい)、との形で代用できている。さらに我が家にも、ルームランナー(treadmillと言い、ルームランナーは日本語英語)が届いたので、この2つの、我が家にとっては「2種の神器」を使って、1日1万歩のノルマはクリアできるし、運動不足も解消できる。というか、先日、お隣のジョンソン一家のご主人さんと雑談したとき、「今回の騒動で、健康になるひとと、不健康が進むひととで、差がはっきり出るよね」と意見が一致したもの。たとえば、美味しいけど身体に悪い食べ物を、ほんの2か月前なら気軽に買えたので、それによってストレスが解消されたものだ。ところがいまは、色々と面倒な手順を踏んで→「ついこないだまでの日常」に辿り着ける状況→じゃあなんでそんな苦労をしてまで?→やっぱ逆にストレス溜まんじゃね?で、いまだと、そうしたストレスを解消する手っ取り早い手段は、身体を動かしたり、頭を使って何か代案を考えたり。前回も少し触れたが、私も尊敬するウィルス研究専門家のアンソニー・ファウチ先生が、「どんなに早くても、新型コロナに対するワクチンの完成は2021年1月」と明言しているし、あれはあらゆる角度からの検証の上での発言だろうから、信憑性が高い。(C) 2020 ELEPHANT IN THE LABつまり、世界が日常に戻れるのは、どうしても来年になる、との、明るいのか暗いのか判断に難しい見通しが、出てくる。まあ今回のコロナ騒動で、たくさんのひとびとが仕事を失い、特にその日暮らしのバイト(part time jobと言う)で凌いできたひとたちにとっては今が地獄へ一直線、死活問題だと思うが、アメリカはその点、救済措置を設けており、スーパーマーケットに勤務するひとたちの数を増やしたり、時給も上げている。ドメイン名が全てを表す「Sarary.com」によれば、2020年4月の時点で、スーパーで働く、それこそ命を捧げている、献身に溢れたスタッフの時給は、平均1時間$15(=1,500円)。(C) 2020 Business Insider何しろいま、アメリカで最も尊敬されている職業は、警察関係、医療関係に並んで、スーパーマーケットのスタッフが挙げられているし、NBCの報道によれば、ミネソタ州やヴァーモント州では「essential emergency workers」とのように、カテゴリ分けが見直されている、とのこと。カリフォルニア州は、それぞれの街のホテルに援助要請し、ウィルス感染拡大の可能性が高いホームレス層を一定の間、空いている部屋に格納する対処を取っている。(C) 2020 DevOpsこうした処置の速さがアメリカの素晴らしさだ、と私も素直に思う。みんなが困っていたら、なんとかしてそれに対応。無論、アメリカ全土でこうした善意が働いているわけじゃないが、少なくとも多くの街で、そうした意識が働き、市民を「狂わせない」方向に進んでいるのが、アメリカ社会だ、と今の時点では痛感する。(C) 2019 nurse.org医者や看護師への需要も、これからは増す一方なのは容易に想像できるし、Noriko-sanも同じことを言っていたが、これからアメリカで看護師になることを目標としているひとたちにとっては、逆にモチベーションが上がる流れに、アメリカは徐々に向かっている、というのが私の考え。よって、遠くない未来に渡米を真剣に考えている、日本在住のひとたちにはより一層、アメリカの短大程度ならGPA3.0は余裕で取れるぐらいに英語力を磨いてほしいし、英会話のプログラムに関して言えば、先週から新たに追加した小論文のレクチャーが、今後は重要になってくるだろう。このレクチャーは、他のユニットとは異なる形態を取っている。授業の日に先生が、履修した生徒にお題を提案、それに対して生徒が、小論文形式のエッセイを1時間以内に書いてワード形式で提出、それを先生が添削し生徒へ返却して、次のレッスンで添削内容を吟味する、というもの。トピック選びは先生たちに、それが常識の範囲内で問題ないと判断できれば、自由に任せている。(C) 2020 Samaritan Health Services私はいまアメリカ社会でリアルに起こっている、現在進行形の事柄にこだわるので、「新型コロナに関する情報をあなたが知っている範囲内で教えてほしい」や「ソーシャル・ディスタンシングという新しい非日常に関して、どう思うか」といった、生徒側でも興味を持って答えられるお題が中心。担当の先生が提示したお題に対する質疑応答は、最大3分。よって1回目は、通常の英会話レッスンでは、ない。質疑応答が終わったらコールも終了で、そこから60分以内に、生徒にはエッセイを書いて提出をしてもらうが、提出した時間にタイムスタンプがつくので、先生は別にオンラインである必要はない。(C) 2019 ThoughtCo.先生側には可能な限り、詳細な添削や書き足しを行い、最後は100点満点で採点してもらう。時間内にエッセイの提出ができなければ、その時点で、私ならば10点マイナス。添削に関する2回目のレッスンは通常通りの25分なので、直しが多いほど、先生にとってはレッスンを進めやすくなるし、私も予め他の先生方には伝えている、「容赦するな」と。アメリカには「学術的な」エッセイの書き方に確固たるルールやフォーマットがあって、それらに丁寧に沿っていけば、どんなに文法がデタラメでも、40点ぐらいは取れる仕組みになっている。ただ単に思いついたまま文章を書くのではなく、序文とまとめがきちんとあって、理路整然と自分の意見を述べないと、ならない。加えて、「きちんとした」「教養のある」英作文の作成には、細かいテクニックが必須。(C) AJEここからはあまり「実践で通用する」ヒントを、誰でも読めるブログ上で与えたくないが、ひとつだけ。英語の文章は、適した動詞を持ってこれるかどうかで、力強さと説得力が50%決まってしまう、というのが私の経験からくる実感だ。あまりに日常的な単語、たとえば「have/talk/take」などを連発していると、無教養な馬鹿だと本当に思われるが、「possess/discuss/retrieve」と言い換えれば、生意気なネイティブでも、こっちの話に耳を傾けるようになる。ゆえに、ネイティブだけでなく、他所の国から来ていてもきちんと英語力を身に着けたひとたちからも、話し方ひとつひとつに注意しないと、すぐに底の浅さを見抜かれ、舐められるのだ。商売抜きで言うけど、ウチの英会話レッスンを順調に受けている生徒と、まったく受けないひとたちとで、現実的な意味で、数か月ですでに大きな差が、ついてるよ。私を含めた先生方は、時給を無視して、生徒が少しでも向上できる情報を、毎回のレッスンで提示できるかどうか、に焦点を置いているから。(C) Wikpedia私は初見の相手と英語で会話をするときは神経集中するが、6分も話すと、「あ、このひとはまだ2,000単語に届いてないな」「このひとは5,000単語ギリギリかな」「ああ、このひとは10,000単語を超えてるわ」と、リアルな数字が見えてくる。別に偏見とかでもなく、個人個人の持つスキルを冷静かつ客観的に判断したらこうなる、のの典型だ。この10日ほどで今回の小論文練習を7人に受けてもらったが、平均点は50点前後で、私がつけた一番高い点数でも、56/100。提出されたエッセイを私は、細かい部分までひたすら添削し、返却原稿は真っ赤どころか血まみれ、それこそ「屠殺場」はたまた「悲惨な殺人現場」の状態に、する。こればっかは、しゃーない。だってみんな、アメリカの高等教育で通用する学術的な小論文を書くノウハウを、教えられてなかったから、だもの。さっき、「あ、このひとはまだ2,000単語に届いてないな」と書いたが、私がこのブログ上で自由に言いたい放題してください、とNoriko-sanに頼まれたとき、一番最初に書いたのが、この2,000単語に関するネタ。実際、2,000単語をマスターすれば、アメリカで日常生活を送る上で、何の問題もない。で、日本の、中高ふくめた6年間の英語教育では、3,000単語を平均で学ぶと、多種のソースで言われている。残念ながら、日本の英語教育は、他のアジア諸国と比べて、悲しいぐらいに劣っており、これら3,000単語は、アメリカで日常生活を送るのに必要な2,000単語から、かなりズレている感が強い。日本の高校を卒業して渡米しても、アメリカの日常を過ごせない若者が、少なくないどころか圧倒的多数。しかもたとえきちんとしたカリキュラムを組んでも、それらを効率的に教えられる先生らがいまの日本には、断言するけど皆無。だってもしそうした先生たちが活躍してたら、いまのこの、英語に関する国際的体たらくぶりには、ならなかったでしょ。日本の英語教育のカリキュラムは、ここまでの話である程度の「そうか、そうだわな」感を察したひとならば、覚えた単語を全く持って使えない、所詮は「穴埋め」教育、だから小論文のひとつも書ける技能を習得できない、という根本的なカラクリが見えてくる。なので、それを少しでも向上するべく、私は細かい直しに徹底するし、全ての生徒に「月に2回はこのクラスを履修すること」を、案内している。月に2回ならば、定期試験としてのイメージができるし、なによりここで得た、アメリカの学術的小論文のコツによって、過去のレッスンに戻っても「なんでこの文章はこういう構造なのか」がきちんと分析できるから、次のエッセイ・ライティングまでに、準備できる項目が増える。(C) 2018 Medium必然的に短期間で、個々の生徒の英作文能力を、ある程度はネイティブ及びレベルの高い留学生たちと、勝負できるまでに、アップできるのだ。果たして現行の生徒たちがどこまで伸びるか分からないが、少なくともこの授業を今の段階で受けたみんなが、どうやったら、アメリカの高等教育で通ずる平均的な学術小論文を書けるか、の基礎が分かってくれた、と思う。あとは、個々の努力次第だし、たとえ日本に居ても、英語力を伸ばす機会は、いくらでもあるのだ。まあ、そこに「生徒のことをきちんとケアしてくれる良い先生がいるか」が、一番の壁ではあるけど、それに関しては次回の投稿時にでも。(Stephen)