③永久の記憶(芸術と哲学)H28・8・17 第1編 第2章草稿集(その2) 第1節物売りの老女
第2章 草稿集(その2) 第1節 物売りの老女(その1) 子供の頃によく物売りの老女がやってきたものだ。それは山のものであったり、海のものであったり。 そして物売りの声はこんな調子だった。「ニーナいりませんか・・・」、「ジュジュマイいりませんか・・・」、「ホキダ・・いりませんか・・・」と。 子供の頃ゆえ、記憶も定かではないものの、ま、こんな調子だったろう。父や母の後から興味本意でのぞきにいく。竹籠に入れた売り物をあれこれ言いながら、やり取りをするさまが面白かったし、何を買うのだろうか、何が食べれるのかなと楽しみでもあった。「もうちょっと負けなはいや」「いやもうこれ以上は負からんで」などと。 そんなある日の夕食に、物売りの老女から買ったものが出てきたのだが、それは吸い物の中に入っていた。とうふやネギと一緒に入っていた、何か海藻のような白い紙のようなもの。おつゆをすすってからひとくちぱくり、うん、美味い。海藻のような食べ物は、何なのかと母に聞いたのだが、なんやろねとの返事でわからずじまい。 そのうちすっかり忘れた頃に、またこの吸い物がでてきた。うん、やっぱり美味いな、これは何と聞くと、どうも海藻ではなく、ホキダ・・とかいうきのこらしかった。 それからこの吸い物のことはすっかり忘れて、遠い世界の話になってしまっていた。 私がきのこに興味を持つようになってから、ふと、この吸い物のことを思い出したことがあった。そういえばあの吸い物のきのこは何だったのだろうと。 そこで、きのこ図鑑を数冊出してきて調べてみると、あったあった、こいつだな。それは白いきのこで、確かにあのころ食べたものによく似ていた。 季節もちょうど秋のきのこの時期だった。で、さっそくきのこを探しに山へ出かけることにした。といってもまだきのことりを始めて間もないころのことである。そういえば以前あのきのこに似たようなのを見た記憶があった。そうだあの場所へ行ってみるか。ということで車を飛ばして開発されて間もない林道を走行した。 鞍部、俗に言うコルと呼ばれる峠についたので、車をとめて歩くことにした。今ではリュックサックではなく軽量のナップサックである。荷物もあってないようなもので軽い、軽い。 さてさて、以前見たと思われる場所にきては見たものの、どうもそれらしいものが見当たらない。きのこというやつは、だいたいがやせた土地に発生しやすいと言われている。この場所もその条件を満たしているようだ。 だがそれらしいものは見当たらないのだ。うーむ、これは勘違いか。そこでもう少し足を延ばしてみたものの見つからなかった。しかたがない、引き返すか。 と、木の根っこに白いものがちらりと見えた。おっこれは、私は座り込んでそのきのこらしいものを手にとってみた。うーん、よく似てはいるが。しばらく思案したあげく、見つけた数個の白いきのこを袋に入れてとって帰ることにした。 食べたことはあっても、とったことも見たこともないきのこである。やはり実際に山で見るきのこは、記憶や図鑑とは少し違っていた。 だが自分の知識と記憶それに勘を信じて、とって帰ってきたのである。帰宅してじっくりきのこを観察し、きのこ図鑑と比べてみる。1冊では不安なので、2冊、3冊と数冊の図鑑で確認する。 山で見た時と自宅でじっくり見るきのこが、場所がちがうとやはり違って見えるのだ。外の光のなかでのそれと室内での光とは同じきのこなのに違って見えるのである。 じっくり観察した結果、結論がでた。こいつは「ホウキタケ」に間違いない、と。そこで万が一間違った場合のため、よくゆでて食べることにした。 よくゆでたからといって毒が抜けるというわけではないが、慎重に越したことはない。それからゆでたきのこを冷水につけてから水気を切って冷蔵庫に保管した。 夕方になって、母にきのこを入れた吸い物を作ってもらい、晩飯で食べてみた。歯ごたえといい、まさにあのときのきのこの味だった。だがこのきのこは後日談があるのだ。 今では100種類以上の食用きのこをとって食べた経験をもっているが、このころはまだ初心者そのものであった。 きのこについては、知らないきのこは絶対に食べないというのが鉄則である。きのこに関するいろいろとあるあの迷信的な言い伝え、たとえば「くきがおれるきのこは食べられる」とか実にいいかげんなものばかりだからだ。 後日談というのはほかでもない、このきのこ和名は「ホウキタケ」である。ホウキタケを買っていた当時、やはりこのきのこを売りにきたおばさんがいた。初めて見る顔だったが、なにやら父や母とややこしい話をしているのだ。 これが本物のホウキタケで、それは毒キノコのホウキタケだとかなんとか。よく聞いてみると、以前から買って食べていたホウキタケは毒キノコで、その初めてもってきたおばさんのきのこが、本物のホウキタケだというのである。 いつも食べてるホウキタケと違う、ややおおぶりなきのこを、このおばさんが売りにきたのがそもそものはじまりだった。 本物のホウキタケは根元が太く塊り状になったもので、細い根っこのきのこは毒ホウキタケだというのである。 だが一度もあたったこともなく、このおばさんの方こそニセモノだろうと、やりとりしたあげくけっきょく買うことなく、そのおばさんも帰って行った。 さてさてそうなると、気になるのがいつもきていた物売りの老女である。そういえば近頃見んのうってなことになると、この老女に疑惑が湧いてきて。 そんな折のこと、知ってか知らずか例の物売りの老女がやってきたのである。で、さっそくその老女にその話をしてみて聞くことには、そのきのこ食べましたかと言うんで、いや買わなかったがと。 するとその老女の言うことには、あの初めて売りに来たおばさんのきのこが本物のホウキタケらしく、老女のきのこはホウキタケのまがい物らしいというのである。 だがそれはそのおばさんが言うのであって、この老女の話では買って食べた人も、老女もあたったことはないし・・・が、たまにあたったという人がいたらしいというので、そのおばさんの言うのが本当かもしれないがなーし、とまぁ後日談というのはこんな話だったと記憶している。 この話はその後真偽不明のまま立ち消えになってしまったのだが、その後きのことりのベテランになってから見たきのこの本によると、なるほどそういうことかと納得したしだい。 というのはきのこの産地である東北地方では、やはりこれと似たような話があるということなのだ。きのこの講習会などで、根元が太く塊り状になったものがホウキタケで、細い根っこのきのこは毒ホウキタケだと説明すると、いやそんなことはない、毒キノコならあたるはずだがあたったことがない、細い根っこのやつをホウキタケだとして食べているというのである。 それもあちこちでその話がでるので、説明に大いに困ってしまうというのであった。きのこ図鑑でも確かにそのように写真をそえて書いてあるほどだから、講習会の先生たちの説明は正しいのだが、納得しない人たちがいるのも事実のようである。第2節 物売りの老女(その2) 物売りの老女が売りにくるものの多くは海のものだった。海岸端に住んでいるらしく、魚や貝、タコやイカといった具合だ。 あるとき珍しいものをもってきたようで、なにやらにぎにぎしい。「この黄色いやつはなんぞな」と聞けば、「これはなウニよ」と老女が返事する。 「ウニってあの刺のあるやつかい、食えるんかいね」と父が疑うと、老女が答えて曰く「そこの料亭がもってきてくれいうんでな、もってきたのよ」 「ウニは食えるんか、知らなんだな、うまいんか」と聞けば、「人好き好きやが、私らはうまいがな」と。 「ちいと負けなはいよ、全部もらうけんの」と言うと、そこで父はひとくち味を見てから、青い色をしたセルロイドの弁当箱をもってきて、箱いっぱいに詰めてもらった。 代金500円とのことで、支払うと老女も満足したようすで帰って行った。 後で父が言うことには、この間のばあさんより安いは、上等上等うまいぞ、これはと言いながら冷蔵庫にしまうのだった。どうも以前に試食済みだったようだ。 今でこそスーパーや鮮魚店に売りに出ているが、このころウニを食べるものも、売るものも少なく、料亭と私の父が買うくらいだったのだ。 私の住む田舎ですらウニやナマコはまだこの時代には食べる習慣がなく、売りにくるのがめずらしいくらいだった。 イソモンといわれる貝類の類も、一部の人が好きで食べたりしてはいたが、食べる習慣がなくまたスーパーなどまだなくて、魚屋で売られることもなかった時代である。第3節 郷土料理(その1) さて私の田舎の郷土料理は数あれど、やはり高級品にして、今では割烹でもめったに出なくなった料理がある。 春先になると升売りがやってくるのだが、これが何よりの楽しみだった。父の頃から売りにきていたので、その食べ方は周知のとおりである。 「いらんかいな」と言っては桶に入れて売りにくるのだが、升での量り売りである。1合升いっぱいで1500円だ。少々おまけして余分に入れてはくれるが、高価な値段だ、だがそれだけの値打ちはある。 値切ったりせず買うのだが、一家族1合分もあれば量は十分である。これが夕方のおかずの一部となる。 どのように料理するかというと、鍋に水を張り湯をわかすのだが、わいたところで鍋に放り込み、豆腐を手で軽く握りつぶして入れる。 それからしょうゆをいい加減な量入れてから再度沸騰させ、そして味を見る。味加減がよければできあがりだ。 煮込み料理やおでんなど和風料理のおかずによく合う食べ物だ。何かって? うん、それは吸い物なんだが、「しらうおの吸い物」というやつである。 しらうおは春先に川でとれるのだが、漁をする人が少なく、またとれる量も少ないので高値になるというわけだ。 しらうおを踊り食いにする食べ方もあるが、酢醤油で飲み込むだけのもの、風流な食べ方ではあるが、すぐに飽きがくる。 やはりしらうおの定番は吸い物だ、これが一番美味い。豆腐も包丁を使わずに、手で軽くつぶして入れるのが美味い食べ方である。 この吸い物はしらうおの魚の美味さもさることながら、だし汁が実に美味いのである。豆腐も固いものよりやわらかめのもの、卵はだし汁の美味さを殺すので入れない。 このあっさり風味の吸い物が、長続きする食べ方の秘訣である。 はっきり言って、マツタケの吸い物よりはるかに美味い。春先に手に入ったときは3度ばかり作って食べる。 最近は漁をする人が減ってきたらしく、手に入りにくくなってきたのは残念である。第4節 郷土料理(その2) 海あり山ありの田舎ならではの郷土料理,、今でこそスーパーや鮮魚店に並ぶようになって久しいが、それ以前は家庭で魚を使って料理したものだ。 そんなものの一つに美味い汁物がある。汁物といってもこれがちょっとばかり一般的な汁物とちがうのだ。 魚はアジかタイが良い。こいつをさばいて処理した後、一匹まるまる網で焼く。焼いた魚を冷ました後で、手や箸でつついて身をほぐす。 ほぐした身をとり、こいつをすり鉢に入れて、すりこぎで身をつぶしながら細かく砕いていく。こういう作業は念入りに丁寧に行うことが肝心だ。 それから事前に用意していた麦みそを、大さじで1、2杯をすり鉢の魚の上にのせ、さらにすりこぎでつぶしていく。あるていどすりつぶしたらぬるくなった白湯を入れながらすりこぎですって、だし汁を薄くのばしていく。 この作業を味加減をみながら続けていき、すり鉢3分の2ほどの量になったらできあがりだ。これをさつま汁というのだが、これを飯にかけて食うのである。 麦ご飯が原則だが、ま、白飯でも悪くはない。ご飯の上に輪切りに切って塩抜きしておいたキュウりやミカンの皮の刻み切りしたものやネギのみじん切り、そのほかミョウガやセイソの細切りなどをのせ、その上からさつま汁をかけていただくというわけだ。 こいつが実に美味い、さつま汁のだし汁は麦みそ臭くなく、また濃いすぎず薄すぎずの味加減が決めてだ。好みで他の具材を入れる食べ方もあるようだ。第5節 郷土料理(その3) さつま汁が海のものなら、山のものを使った汁物がある、こいつも美味い。だし汁は干しシイタケを使う。 半日小鍋に干しシイタケと水を張り、色がでたら火にかけ沸騰させ、砂糖少々と醤油を入れて濃い目のだし汁を作って冷ましておく。 すり鉢に山芋をすっていれ、山芋だけをすりこぎでよくする。じっくり時間をかけて粘りが出るほどすっておく。 それから干しシイタケ汁を少しずつ山芋に入れてはすっていく、これを何度も繰り返しすり鉢の3分の2ほどの量になったらできあがりだ。これを飯にかけて食うのである。 ご飯は白飯が原則だが、麦飯でも悪くない。ご飯の上に山芋汁をかけて食うだけなのだが、これが実に美味い。食べだしたらやめられないというやつである。この山芋汁はだし汁を少なくして、山芋を多めにする地方とだし汁多めにしてする地方があるようで、お好みしだいである。 私の田舎ではだし汁多めにして山芋をすって食べる、だからだし汁が美味さの決め手となる。第6節 郷土料理(その4)ずいぶんと昔のことだが、夕方に父と母があれこれと言い合っていたことがあった。何だろうと思ってそばに行くと、料理の良し悪しでの論争だった。 母が、新しく覚えてきた茶碗蒸しのやりかたで、裏ごしした茶碗蒸しと今まで通りの茶碗蒸しと、どちらが美味いかというものだった。 そして2種類作った茶碗蒸しを食べ比べて、どうのこうのと言っているのである。そこへ私が来たものだから、ひとつ味比べをしてくれということになった。 味見の大好きな私が断る理由はない、渡りに船とばかり御相伴することになった。まず新商品である裏ごしした茶碗蒸しをいただく。 うむ、よくわからんってな顔してふたくち、みくちと味を見る、それから食べなれた茶碗蒸しに手を付ける。どちらも美味い、さてさて、味はともかく父の意見にしたがうか、母のそれにしたがうかこれが問題だ。 というのも、正直者が馬鹿を見るとはよく聞く言葉である。この際味はどちらも美味いので問題はない、こういう争いは味見の最中にも続いているとこからしても、慎重な態度が必要である。 たかが家庭料理というなかれ、下手な返事をして権力者に逆らうようなことは、後々まで影響してくるというものだ。 家庭のいざこざであれ、市民のそれであれ、国家の争いであれ、事は慎重を要すというもの。要領の悪い男よと言われていた私も、さすがにここは味見しながら考慮した末、こっちの方が美味いな、と。 どっちが美味いか? との父の問いに答えて曰く「どちらも美味いが、今までの方がより美味いかな。」 「ほーれ見たか」と父は得意顔である。母は私の返事に逆らうことなく、父の言葉にしたがうのだった。 それから我が家の茶碗蒸しは、ときには裏ごしの茶碗蒸しの日もあったが、今まで通りの裏ごしなしの茶碗蒸しが主力となったのである。 今思い出しても懐かしいひと時であった、もうこの日は二度と戻ってこないし、私の思い出のなかだけの出来事になってしまったのだ。 今やその父も亡くなり、母も・・・第7節 物売りの老女(その3) 子供の頃、よく売りにきたものにニナがある。磯ものの貝のことをいうのだが、これが実に美味かった。 決まって「ニーナいりませんか、ニーナいりませんか」と言って売りにきたものである。それを聞くと「おっ、ニナ売りに来たか」といっては物売りの老女のもってきた籠の中をのぞきこみ、ニナを買うのだった。 買ったニナを夕方になると母が塩ゆでしては家族で食べたものである。ニナの種類はタマイシが主でニシやらクロニナやタタミガイやらが混じっていた。 これらを塩ゆでしただけで、針でぬいて食べるのだが、実に美味いのだ。小さな貝なのでいくらでも食べれる、少々手間なようだがこれがまたいいのだ。 少年のうちは物売りの老女から買ってはニナを食っていたのだが、さてさて青年になって海へ出かけることのできる年齢になると、大潮の時期を見計らっては父親とニナ取りにでかけるようになった。 人から聞いた場所へ出かけたり、ありそうな海岸端をうろついてみたりして、穴場を見つけるようになった。なんといってもまずはタマイシ取りが主であったが、取っているうちにいろいろなニナがあることを知り、あれもこれも取るようになった。ニナの種類は多い。タマイシ、クロニナ、タタミガイ、サンカクニナ、ボロニナ、アマニナ、ニガニシ、カメノテ、ヨコメ、フジツボ、バテイラ、ハシリコ、トコブシ、ギンタカハマガイ、マツバガイ等々。 このほかカキ、岩ガキ、カラスガイ、ナマコ、ウニ、なども時に取ったりするが、ニナという磯ものの貝が中心なので、これらはちょっと趣向を異にする。いわばまとめて塩ゆでして食べる貝のことが中心で。 カキは、養殖のカキより天然のカキ(地ガキ)の方が美味い。いや美味いというより養殖のカキはカキフライで食べるくらいで、地ガキとくらべると酢ガキにしても味が落ちる。美味さそのものからいって、カキの味はニナの美味さの比ではないからだ。 これはサザエやアワビにも共通して言えることで、大味な点が欠点だな。何度か食べると飽きる、これだな。値段は高いが。いや今はこれら磯ものも高くなってきて馬鹿にならなくなってきた、庶民の口が肥えてきたということだな。これらは一部の人間の嗜好品だったのだが。( 第 1 節 ~ 第 6 節 終了 )第7節 物売りの老女(その4)に続く