第 1 節  民事訴訟法の欠陥について(1)

 

 私が民事訴訟に関わって以来30年を過ぎた、私は弁護士ではないが立証責任を果たす関係で弁護士と多く事件に関わってきた。

 訴訟で重要なことは、まず弁護士が要件事実を理解していることである。この前提の上での事実確認であり証拠の収集である。

 裁判官は私の経験から言って要件事実をマスターしているとみて良い、ただその理解の深さがどの程度までなのかは定かでない、理由は簡単、裁判官と膝を交えて会話する機会を逃してからはその深さを理解する機会がなくなったからだ。高松高裁で機会があったんだが残念である。

 

 民事訴訟法上、裁判官に事実認定が任されていることに問題がある。原告は事実を主張し、否認されたら証拠を提出するわけであるが、実務上は相手方弁護士はほとんどすべてを否認する。事実関係を証明する証拠についての知識を裁判所はどのくらい持っているのであろうか。

 法律解釈あるいは法律適用と事実認定とはまったく相違する作業である、法律に関しては司法修習所を通し、さらに裁判所の研修等で研鑽するであろうが、事実に関する知識については各人の人生経験に任されているのみである。事実に関しての専門知識に欠けた状態で事実認定をすることになる。

 

 事実を確認する、あるいは事実を認識し判断するという作業において重要なことは確認、判断するための知識や経験、概念が必要である。白紙の状態で事実認定するなどというのはあり得ない空論に過ぎない。対象の経験や概念なくしていかに比較することができようか。したがっていかなる訴訟においても対象となる事実に関する知識、概念を必要とする。

 

 だが裁判官、裁判所はそのような知識、概念にかけた状況、あるいはわずかな知識、概念で対処するしかない場合がある、それが現実である。それは裁判官や裁判所の責任ではなく法律や組織の在り方の問題である。

 

そもそも原告の立証責任と言い、ローマ法以来の法律の原点を見直し、理解し改正していくことが重要である。ローマ法の凄さとその歴史的過程、物権や所有権の成り立ち、自然法や自然状態の法概念を理解することは重要である。ローマ法研究者は多いが深い理解を持つ研究者は少ないように思われる。

 

 イエ―リングやサヴィニーを超えなければローマ法研究は水泡に帰すだろう、やはりそこにはカントの研究が重要になってくるからまずはカントの法論の研究をすべきである。法の原理、自然法の研究は重要である。これの習得は基本概念だからだ。将棋や碁で言うなら、まず定跡や布石、定石を覚えるのと同じである。