第 1 節 

 

 私が感動したものの一つが「格言」の言葉だった。私は以前に、どこかでこれに関する仕事をしていたに違いないという確信をもっていたが、それはどこからやってきたのだろう。

  しかも格言の仕事とはいったいどんな仕事なのか、漠然としたこの感覚。にもかかわらず、私は格言に関する仕事を過去にしていたという確信を持っているのだ。

 
 この感覚は現世のものでありながら、その確信は前世のものであることは疑う余地がない。すばらしい格言を目にすると私の心、感性が勝手に活動するのである。そうだ、格言というものがあった。そうだ、格言だ、と。
 
 格言に対する感動は後天的なものつまり、ア・ポステリオリのものではなく、明らかにア・プリオリなものである。いやむしろこの感動は信じがたいことだが、ア・ポステリオリなものとア・プリオリなものの合致、つまり二つの結合からやってくる感動に違いない。(ア・ポステリオリとア・プリオリはカントが使用する得意の用語、私のブログ自体がすべて謎解きになっているので、この用語についても説明は省くことに。)
 
 私は初めて格言の言葉を耳にしたとき、直ちにこれまでにない感動と現世を超えたある存在を呼び起こしたのである。私はそのことを確信し、そのことをはっきりと覚えていて忘れることができないのだ。
 
 その出来事は幼少時だったので、それからすっかり忘れてしまっていたのだが、思春期になり再びその機会にめぐり合うや、以前の記憶、格言に感動したときのことを思い出したのである。
 
 それからははっきりと意識をして格言を探し求める行為が始まった。そして格言を見つけるたびに、もっとすばらしい格言はないかと格言を探し求めるうちに、いつしか私はその出自である論文を読むようになっていた。
 
第 2 節
 
 格言の好みの世界も、時とともにまた、力量の上昇とともに変化してくるものだ。初めの頃は思考的世界のものでなく、直感的な感性による好みが中心だったようだ。つまり自分ではなぜその格言がお気に入りなのか、その理由もまったく気がつかなかった。
 
 初めは「格言の花束」とか格言集がそのすべてのものであったが、その出自が小説なり論文なりだということがわかってくると、格言だけで構成されている書物は必要でなくなった。そしてそれも論文を中心に読むようになってくると、格言というよりも論文そのものが私の対象物に変わってしまっていた。
 
 それにしてもこういう流れになっていたとはわからんものだ、格言の追求から論文を読むようになろうとは想像さえしていなかった。
 
 思想家や哲学者といった著作家の作品をどれほど研究したことだろうか、こういった書物は力量が有段者クラスにならないとまったく研究した意味がなくなってしまう。しかも哲学的思索の原点あるいは基礎、ま、将棋で言うなら定跡、囲碁で言うなら布石や定石というやつが重要で、あえてたとえてあげるならばやはりカントの「純粋理性批判」というところか。
 
 これはカントの三大批判書の一つだが、ま、読んでも何のことやらわからなくても当たり前の著作で、辛抱、忍耐、努力なくして読みこなせないシロモノと言って良い。要するに諦めないことだ、辛抱する木に花が咲くということだな。それと確かに才能というものも必要だ。
 
第 3 節
 
 格言集から論文の方向に進むことになったきっかけは、トルストイの格言や論文であった。まだ20代の初めのことで「人生論」、「芸術とは何か」、「われら何をなすべきか」等、今思い出してみると異常なほどに熱を入れて読んでいたものだ。
 
 「人生論」はいとも簡単に読みこなした、なんら思想的にも問題はなかった。「芸術とは何か」これについては、まったく関心のなかったモーパッサン論の影響を受けて、モーパッサンの短編集を読むきっかけとなった。
 
 意外や意外、トルストイの批判や評価とは別に、この作品は私を思わぬ別世界につれていってくれた。私の感想はトルストイのそれとは視線の方向がまったく違っていたのである。
つまり、モーパッサンの短編を読んで初めて、短編小説のおもしろさとその物語りを読ませる上手さに感心した。
 
 言葉の使い方と言い、物語りの展開と言い、私はその手法の上手さに感動したのである。これこそ短編小説の傑作であり、鏡だと。
 
 ポーの名作「黄金虫」とはまた違った上手さがあった、モーパッサンによって私は短編小説のおもしろさを初めて知ったのである。短編小説というのはこういう風にして作るものなのかと。そしてそのおもしろさに短編集を三冊も読んでしまった。しかも何度となく繰り返しては読んだのである。
 
 トルストイの影響で読むようになった哲学者の一人が、アルトゥール・ショーペンハウエルである。その哲学者然とした風貌が特にお気に入りとなったわけであるが、単行本だけでは満足できず、全集発刊を知って初めて全集ものを手に入れた哲学者でもある。
 
 思想家や聖賢と言われた人たちの著書は、片っ端から読んではいたが、哲学者の書物となるとやはり物が違うので、それ相応の心構えが必要であった。まさか哲学書まで読むようになろうとは。
 
 ショーペンハウエルは「意思と表象としての世界」が有名だが、晩年の論文の中に特に良いものがある。哲学的思考としての二元論は、一見とてもわかりやすくみえるのだが、大きな欠陥を秘めているので注意が肝要だ。
 
 この事実に気がついたのはカントの「純粋理性批判」が、ある程度理解できるようになってからだ。カントはまったく別格である、なんといっても人類史上ナンバーワンの哲学者である。
 それはカントの晩年のある論文の凄さが、逆に純粋理性批判の凄さを証明しているからである。詳細はいずれ論述する機会があるが、今はこの程度にとどめておく。
 
 カント哲学の理解によってすべてが闇夜から光に向かって進む。とてつもない学者がいたものだ。
 
 私がトルストイの「人生論」を軽く読みこなした頃に、手にしたのがカントの論文だった。どんなことを書いているのだろうかと、興味半分でページを開き、目次を見てから序文を見たのだが、第一版序文、第二版序文と何を書いているのやらさっぱりわからず、いったいこれは何を書いている本なのだと放り投げた記憶がある。
 
 それからしばらく経ってから再度その論文を手にしたのだが、やはり同じで序文から先に進むことができなかった。これはわれわれが学校教育で学んだ知識などでは、まったく歯が立たないシロモノだなと思った記憶がある。その論文は「純粋理性批判」という本だったのだ。
 
 それから28歳の頃、ルソーの「社会契約論」を読みこなしたついでに、再度カントの論文を手にしたのだが、そのときはいきなり「緒言」に目をやった。そこには次のような書き出しで始まっていた。
 
 「我々の認識がすべて経験をもって始まるということについては、いささかの疑いも存しない。我々の認識能力が、対象によって呼びさまされて初めてその活動を始めるのでないとしたら、認識能力はいったい何によってはたらき出すのだろうか。」
 
 これは人間の認識能力について書かれた論文だったのだ。しかもこの著作を読みこなせるようになったのはこれから10数年も後のことだったのだが、このときこの論文を研究する日がやってこようとは夢にも思わなかった。