第 1 節  それは高血圧から始まった

 

 私は健康に自信があったため、血圧も測ったこともなく、またその知識も疎かった。それがいつも行っているサウナが正月に休業で、開いているサウナがひとつだけ見つかり、「クアハウス」というホテルに行ったことから始まった。

 

 スチームサウナは初体験だったが、思ったより快適なサウナだったので、やがて会員になり毎日通うようになった。2階にはルームランナーやダンベルなどがあり、スポーツジムになっていた。そこに血圧を測る器具があって初めて自分で測定してみたが160前後で、血圧が高い方だと初めて知った。

 

 それから弟の友人が内科の医者だったので、そこへ診察に行くようになり、血圧を下げる薬や尿酸値を下げる薬を飲むようになった。診察の結果は腎臓が少し低下しているとのことで血圧の高さからこういう薬を飲むようになったのだが、1年くらい過ぎたころ、腎臓よりこちらが心配だとPSAの数値が4.6であることを知らされた。

 

 何のことやら判らずネットで調べてやっと少し意味が分かったのだったが、生検が発祥地であるカナダでは推奨されていないという情報をうのみにしてしまい、生検への偏見がとんでもない方向に向かうことになってしまったのである。

 

 今深い後悔をしている。あの時に、と。私は癌ではなく、前立腺肥大症だと決めてしまっていたからだ、この私が癌、、、、、

 

 私がこのブログを始めた目的のひとつは、今回の人生の終焉につまり死に際し、すべてを吐露しておくべきためのものであり、いつか前世の記憶について語るつもりであったからだ。

 そういう時期がこうも早くやってこようとは想像すらできなかった。残念である、まだやり残した仕事があり、このまま簡単に死ぬ覚悟ができないからだ。

 

 死というものは、人が死ぬべきでない時にやってくるように思われるが、そうではなく死ぬべき時にやってくるものなのである。トルストイの「人生論」にそういったことが書かれてあったがそのとおりである。人はその与えられた人生を、すでにその目的を達成したと思われたとき、創造者がそれを決定するのである。

 

 したがって、運命には逆らえないということだ。

 

 今ここで告白しよう。私は前世の記憶をもっている、と。この地(日本)に生を受けたとき私は前世の名前を記憶していた。

 小学生の頃友人の母親たちに前世の記憶があることを言うと、変人を見るような雰囲気を覚り、それからは決して人に語ることをすまいと誓ったものだった。

 

 ネット社会になり前世の記憶を持つ人やら、いやそれ以前にも前世の記憶を持つ人間の話が報道されたりしていたが、こういう記憶は現世を生きていくためにはほとんど役に立たないので、記憶を持つ人もやがてその記憶を忘れ去っていくものである。

 

 実は、私のブログのタイトルには謎解きが組み込まれていてyslntjjr19481910というのは現在と前世、更にその前世の名前と関連する文字を綴ったものである。

 永久の記憶というタイトルも、もちろん前世との関連から採用したものである。よもや日本に生まれてこようとは、誕生地が日本と知った時はがっかりしたものだが、今はその日本が恋しい土地になってしまった。わからんものだ。

 

 死んでも人は、いや人というより生命原理(意識のことだが)は滅ぶことはない。そういった真理を語る賢人や思想家、哲学者は多い。だがそれを信じることのできる人間、あるいは知っている人間は少ない。この知識はウパニシャッド、つまり秘密の教えなのだ。

 人から教えられて把握できるものではなく、民法の原理と同じく自分自身で研究して発見する知識なのである。

 

第 2 節  医者と弁護士の実力について

 

 神の手と称される医者にかかることのできた人は幸せである。弁護士は神の手とは縁がないが、高額な訴訟に敗訴すると依頼人に、金銭的な損害をかけることとなる。だが医者と違って弁護士に命を取られることはほとんどないだろう。

 

 医者はこの点がまったく相違する。できる医者と資格だけの実力しかない医者ではとんでもない相違がでてくることになるからだ。

 これは恐ろしいことだ、その医者が「俺のさじ加減でお前の命はどうにでもなるんだぞ」などと考えていたりしたら、口に出さなくても腹の中でそう思っていたとしたら恐ろしいことだ。

 

 弁護士のプライドの高さは、接したものでないとわかるまい。私は弁護士と接して弁護士の持っているプライドの高さに驚いたものである。なんといっても司法試験と言えば難関中の難関であるから気持ちはわからんではないのだが。

 医者のプライドはそれと比較してどうなんだろうか。おそらくぴんからきりまでその高さは我々の想像を超えているのかもしれない。だからそこが余計に怖い存在なのだ。

 

 「生殺与奪の権限を握っているのだ」などと誇らしげに考えている医者が仮にいたとしたら、恐ろしいことだ。そういう医者がいるかもしれないと考えるだけでも恐ろしい。

 なぜこんなことをわざわざ言うかといえば、まさかこの医者は、、、

 

 子供の頃から医者は偉い人、患者を助けてくれる人と思っていたものだが。とんでもない医者がいたものだ。最近ではそのとんでもない医者の事件が報道されたりするからなおさら恐ろしい。

 

 私は訴訟に関与して弁護士の実力を見てきたが、これが残念なことに勝たなければいけない裁判に、いや勝って当然の裁判に負け、依頼人が自分の土地を取られ、大損害を受けた事件を知ったことがある。こんな裁判があるのか、と。運が悪い、普段の行いが悪いから負けたのかとかそういう問題ではないからだ。

 

 しかもこういう経緯について弁護士に反省の色が見られないことだ。要件事実、立証責任の問題がよく理解できていないからだなと思われても仕方ないだろう。訴訟において要件事実の理解、把握が重要なら、医者の知識でこれに該当するものは何なのだろう。

 

第 3 節 前世と前々世について

 

 私の前世は lnt であり、前々世は jjr である。現世の人生は前々世の jjr の生活指針と一致する。ふと気がついて死因を調べてみたら、なんと「尿毒症」だった。腎臓に関係ある病気のようで66歳没。

 66歳没は知っていたからこの歳をすぎても生きていたので、油断をしていたのが命取りになってしまった。病死の原因までは考えていなかったからだ。生命原理そのものにも遺伝的なものが組み込まれているのかもしれない

 誕生月が6月であることもどういうわけか一致しているし、死因も似ているところから尿に関係する病気で死ぬことは想像できたものを、今となっては遅すぎたか、、、

 

 現世で、前々世の jjr の時代に果たせなかった指針を完成させた。この時点で私の現世は終了に向かっていたのだろう。今はその余生に過ぎないということか。

 その指針とは、自然法の解明であり、自然状態の解明、民法の原理の発見であった。私はこれが、まさか最終的な指針であろうとは夢にも思わなかった、知らなかった。

 

 前々世の jjr の時代に、ついにこれらの法概念を解明できずに人生を終えてしまっていたのだ。論文を見ればそれは歴然としている。そこで現世において、その仕事を全うさせられたということのようだ。

 しかし私の記憶では、前々世の jjrの記憶はほとんど残ってはいない。ただ「ジャックと豆の木」という物語があったが、幼少の頃、この言葉を聞いた時に強い印象をもったことをおぼえている。そしてその印象は当たっていたのだ。

 

 私が、前々世の jjrであったとする根拠はこの感性による感覚だけではなく、前世の lnt の論文等で lnt 自身が jjrであったことを思わせる記述があるからだ。これは信仰を超えた生命原理における記憶、感覚である。

 前世の記憶を現世にもちこむことは、生命原理の活動として当然であり、私はその経験をもっている。しかしその記憶はそれほど多くはないのだ、残念ながら。

 おそらく人間が誕生した初期の頃は、昨日の記憶さえはっきりしなかった時代があったに違いない。睡眠と死は酷似している、まるでその縮図のようだ。

 

 私が現世YSで、日本に誕生したときの印象はかなり記憶している。生命原理(意識)が肉体に投与され、その頭脳のなかに入り込むや肉体と生命原理の結合からくる反動なのか、あのガンガンとくる頭の痛さ、たとえて言えば二日酔いに酷似したあの頭通なのだ。

 私は28歳ころまで酒類を好まなかったので気がつかなかったが、あの頭痛はまさにこの痛さだった。そしてそれは睡眠を繰り返すことでなくなっていった。忘れることのできない記憶だ。

 

第 4 節  現世の心境

 

 私が、人類史上において最も尊敬する学者はカントである。この学者の哲学が私の人生にこれほどまで多くの知識、それも重要な知識を与えてくれようとは思いもしなかった。

 思い返せば、初めて「純粋理性比判」を手にしたとき、書いている論文がまったく理解できず、放り投げた記憶がある。これは我々が学んできたものとは別世界の学問だと。

 
 カントは言う「人が、自分は本来いかに生く可きであったかということを覚り始めると、その時にはもう死なねばならぬというのは、いかにも残念である」と言ったギリシャの哲人の嘆きは、必ずしもまったく故なしとしないのである、と。
 そしてさらに
 ところが自然は、学問を促進するという観点とは別個の観点に立って、人間の寿命を規定する決意をしたのである。そこで聡慧な頭脳に恵まれた人が、彼の練達と経験とから期待し得る最大の発見を成しとげようとする間際になると、早くも老衰が始まるのである、とも言っている。(人類の歴史の臆測的起源)
 
 カントの哲学の凄さを証明するもののひとつが「法論の形而上学的基礎論」である。しかし、この論文の凄さを理解できるものは少ないのではあるまいか。
 と言うのはほかでもない、カントを称賛するあのショーペンハウエルですら「カント哲学の批判」の中でカントの法論について次のように言っているからだ。
 
 『法律学』はカントの最晩年の著作の一つであって、私はそれに全然同意できないが、非常に貧弱なものであるから論駁する必要もないと思う。なぜならこの書は、この偉大な人物の著作でなく、平凡な人間の作品であるかのように、それ自身の弱さのために自然に死滅するにちがいないからである。
 
 ショーペンハウエルは、この文章の後さらに続けて批判しているが、論外である。ショーペンハウエルは、カント哲学を読みこなすことができなかったということを証明しているに過ぎない。
 
 ショーペンハウエルは二元論であるが、カントはそうではない。そしてカントは、カント哲学は正しい。哲学は、二元論ではないからである。いや、二元論では解明できない分野が存在するということだ。
 
 世界は、意志、物、そしてその結合体によって構成されているからだ。その結合体こそ生き物であり、そのなかに霊長類の長たる人間が存在しているのである。
 歴史上現れる聖賢哲人と呼ばれた人達は、その現象をまるで見たかのように理性の言葉を発する。輪廻転生だとか、初めにロゴス(理性)ありきとか、ブラフマンやアートマン、福音書にウパニシャッド、バラモン教典、等々。
 
 私がカントを研究する前は、私にとってショーペンハウエルは枕頭の書だった、いや今でもショーペンハウエルの論文は、私に活力を与えてくれる、特に晩年の論文はすばらしい、晩年の論文からお気に入りを抜粋しよう。
 
 
そこで日常の会話などで、なんでも知りたがっているくせに少しも勉強する気のない例の多くの連中のひとりから、死後の生命のことを訊かれたら「きみは、死んだら、きみが生まれるまえにあったところのものになるだろう」と答えるのが、たぶん最も適切で、さしあたり最も正しい答えであろう。
                 ショーペンハウエル全集13 哲学小品集(IV)
 
 自分がかつて、ある他者によって無から創られたものとは多少違ったものだということは、だれでも感じている。このことから、死はなるほど自分の生命を終わらせはするが、しかし自分の存在にとどめをさすことはできないのだという確信が、めいめいに生まれてくる。
                 ショーペンハウエル全集13 哲学小品集(IV)
 
 
 前世を記憶しているなら、死は生命現象のひとつの変化に過ぎないから、たとえ癌であろうと死を恐れはしないだろうって? いやいやどうして、パソコンやインターネットというすごい時代に生きていて、簡単に死ねますかい。
 日本に生まれてきたと知った時、つまらんところに来たものだとがっかりしたものだが、今や離れがたい愛着を持った場所になってしまった、わからんものだ人生って。昔の人は上手いことを言ったものだ、「住めば都」と。
 
 自然は、あるいは創造者は、生き物にその生命体を保存する能力を与えると同時に、死の恐怖感も与えたということだな。私はこの1か月の間、死の恐怖と直面して、この世を去り来世へ向かう準備を考えたとき、まだこの世つまり現世の未練を断ち切れないでいた。やり残した仕事や母のことやまだまだ未練たらしい自分自身を見つめていた。
 
  現世で獲得した知識、その多くは現世を去る時、記憶にとどまらず消滅してしまう、残念ながら。ある知識をのぞいて、すべて忘却の一途をたどるのだ。誕生地の生活経験や学び取った知識すべてが消え去るのだ、思い出もすべて。
 
 現世を去るということは、時間から去ることを意味する。時間や空間は各個人に属するものであり、それは別の名称でこう呼ばれている。
時間は年齢であり、空間はその肉体の大きさ、体重や身長である。その肉体から生命原理が遠ざかる時、我々は時間から遠ざかることを意味する。
 
第 5 節   白い巨塔を見ての感想
 
 若い頃、映画で有名な「白い巨塔」を見たことがあった。名優の田宮二郎主演の山崎豊子原作の作品である。これほどの作品を女流作家が作り上げたとは、当時若造の分際でありながら私はそう思って感心した記憶がある。
 裁判のなんたるかも知らず、また裁判の本質も知らなかった当時の私と現在の私とでは、全く見る目が違っていて当たり前である。しかも映画での感心もさることながら、TV放送で同じ主演者たちで放送されていたことをすっかり忘れていた。
 
 なるほど、この作品はよくできている、映画であった以上の細かさで表現されていて感心した。脚本家の優れた技能、つまり原作を忠実に表現するという無私無欲な精神が顕示されていると言っていいのではないか。
 
 人間社会の高邁さと卑しさ、いやむしろこう言うべきか世間の甘さも酸っぱさも知悉した人間のどうあるべきか、そしてそれは道徳問題を関与すべきレベルのものか、と。
 
 この作家の意図は隠していても明白である。登場人物の一部に巧妙に作家の顔がところどころ表現されているからだ。被害者である原告の立場に立っての観察の鋭さといい、また被告の立場に立っての物語の進行と言い、我々に考えさせるストーリーの展開である。
 
 作家は、あるいは脚本家は、この作品を観察する対象者をどのレベルの人間においているのか、それは一般意思としての対象者か、それとももっと高度な人間を対象として書き上げたのか、それとも単なる一般市民を対象としたのか。
 
 それにしてもよくできている、賛否両論を予期してそのような意見に対応できるように、対策を考慮したうえでの作品なのだ。ここで作家の本心は隠されたまま仕上げられている狡猾さ、いやこの表現は拙いだろう、世間の何たるかを知り、かつ民主制と衆愚制の本質をわきまえた賢明な作品と言っていいだろう。
 
 権利ばかりを主張し義務を果たさない人間が多くなっている現代においては、なおさらこの表現の仕方は重要である。あの偉大な古代ローマですらこのようにして滅んだのだということを銘記すべきである。衆議院と参議院の二院制の存在の意味のわからない人間には、この意味を解明してから講釈を論ずべきであろう。
 
第 6 節 二院制について
 
 この制度の起源は古代ローマに遡る。
 
第 7 節 一人酒
 
 いつの間にか、一人酒のうまさが身についてしまったようだ。28歳ころまで一切酒類をたしまなかったのだが、ジョギングをするようになってコーラやサイダーといった炭酸類から麦酒(ビール)を飲むようになった。
 理由は簡単だ、コーラなどの炭酸類はすぐに腹が張って量が飲めなくなるからだ。そこで麦酒を飲むようになったのだが、要するに冷たい飲み物を少しでも多く飲みたいという欲望からだった、それでも麦酒も、中瓶1本で十分だった。
 
 そのおかげで16年間も毎日6キロのジョギングを続けることができたのだろう。そのまま続けるべきだったと今思いはするが、継続というものはなかなかむつかしいもので、少し休憩時間が欲しいというより、もう十分だろうという気分でやめてしまった。
 健康だったので、健康のために続けたいという気はさらさらなかった。健康がこれほど重要だとは思わなかった、いつまでも健康でいられると思っていたようだが、つまりキノコ採りやら山菜取り、キャンプや山歩き、それに海や渓谷での楽しみもあったので、ジョギングはもういいだろうということで。
 
 将棋のような頭脳ゲームが大好きで、頭がぼけるというか頭脳を麻痺させるようなアルコール類は毛嫌いしていた。だが頭脳の使い過ぎで眠れぬ日が続いたりするうちに、偶然酔っぱらって眠る快適さに気が付いたのである、それが麦酒を飲む生活習慣の始まりとなったようだ。
 
 ジョギングをやめてからは、サウナで汗を流すのが快適な習慣となった。またこのころに、ソフトボール連盟で30歳ころから42歳まで硬式ソフトボールをやったりして団体競技のおもしろさや複雑さ、そしてなにより人間関係のむつかしさを知ったものだ。
 試合の後に一杯飲む楽しさも知るようになり、完璧に酒飲みの世界を味わうこととなった。サウナとスポーツ、そして一杯飲むうまさが新しい世界の始まりだった。
 以前のようにこんなことしてて、いいのかなどという疑問もわくことはなくなった、前進してるのか退廃的になったのかわからんが、ま、とにかくこんな生活も進んでみようと、まだまだ人生は長い、と。
 
第 8 節  短編小説 (友人 その1 )
 
 なにか面白い話をしてくれって、そうだなタケダ君に聞かせる面白い話ってあるかな。うん、そうだ僕の大学時代の話をしたことがなかったようだな。
 じゃあ、その話でもしてみようかな。もう随分と昔のことになるのだが、今でも忘れることのできない青春の思い出でも話して聞かせようか、君の知らない僕の一面をね。
 
 若い頃は誰でも憧れたように僕も都会の生活に憧れていたので、都会の大学に進学することにしてなんとか大学に入学した。
 目的が大学で学問をすることにあったわけではなく、別の目的があって都会生活をすることになったのだが思うに都会は金持ちと貧乏人の格差が激しく、いわば金持ちの住む町であって貧乏人が住む町ではなかったようだ。
 
 ときおり大学へ行きはしたが、ほとんどがアパート暮らしの日々だった。高校時代の友人も東京の大学に入学していたので時々連絡しては会っていた。
 その友人の親戚が友人のアパートの経営者であり、友人に誘われては親戚の家で食事をごちそうになったりした。
 
 その友人の親戚はかなりの金持ちらしく、お相撲関係の仕事をしていたようである。女給さんを雇ったりしていて、食事の時には膳を運ぶ姿を見たりしたものである。
 食事も僕の父親同様に食通で、今で言うところのグルメ家族だった。母親と娘夫婦と生まれたばかりの赤ん坊と4人家族であったようで、食事の時はその家族と友人に僕の5人で食事をしたものだ。
 
 娘さんの歳は28歳くらいで、美人だった、そのうえ良家のお嬢さんらしく品があった。旦那さんはどうも養子のようでその言動には遠慮がちな養子独特の雰囲気があった。
 
 あるときその娘さんから電話があって、何か話したいことがあるとかで友人より先に来てほしいということだった。そこで友人には内緒で早めに出かけて行った。
 
会うと娘さんは妙に色っぽい声で話しかけてきた。するんですって「ねー、Sくーんあなたの住んでる近くに果物屋さんがあるでしょう。時々果物を買ったりするんですって・・・」
 「はい、買ってますよ。
 「S君は彼女はいるの?」
 「彼女ですか?・・・うーん、はい、いますけど」
 
(続く  時間が空き次第続けることにする)
 
第 9 節 公表をひかえる理由
 
  私は現世で「自然法」「自然状態」「民法の原理」を解明、発見した。これは人類史上で二番目の快挙である。現最高裁の判事15名、あるいは過去の最高裁判事でもこの快挙を成し遂げたものは皆無であろうと思われる。
 
 推測どおりなら、私が二番目ということは一番最初に解明、発見した偉大な学者がいるということだ。もちろん私は彼の論文を解明したからこそ、その栄誉を勝ち取ることができたのだが、かつて誰もそれをなしえなかったのは事実であろう。
 
 私が実力で生存中に世界的名声を博することができたなら、現世で前世、前々世の名前を公表することができるが、その望みかなわぬ時はその公表は私の死後になる。理由は簡単、売名行為と曲解されることを恐れているからだ。
 
 前世、前々世の公表は来世における私自身のためのものであり、一般の人や読者のためのものではないからである。つまり来世における私の生活指針のためであり、この記憶は人生に深みを、そして私の心の支えになるからである。
 
 どのような結末が待っていようともそれは神のみぞ知るもので、私自身が決定できるものではない。私はただひたすら運命に従うだけである、騒がず焦らず。
 
 これからの私の仕事は、癌と食生活の関係を追求していくことであろう。残された時間と新しい分野の知識の研究にどれほどの効果が発揮できるかわからないが、これもまた神の試練であるかもしれない。
 生活習慣病、これこそわれわれが解決していかなければならない懸案事項である。
 
第 10 節  現世をふりかえる(その 1)
 
 ここは日本か・・・ ここへやってきたのか。こう気がついてから思った人生設計、甘いな、この決断が私の人生を決定してしまった。
 
 「未来の芸術家は、他の仕事をしながら芸術の仕事に携わるであろう。」この意識が前世から継続した意識として私を支配し、「今度の人生は流れに任せて生きていこう。」と決意したのだった。
 
 この決断がそのまま私の人生を運命づけてしまったのだ。今更後悔しても始まらない、やはり自分の好きな仕事を目指して生きていくべきであった。
 己自身の力量をわきまえず過信して、なんでもやれるなどと、とぼけた思い上がりがこのような人生をたどる結果となってしまったのである。
 
 今度の人生は失敗ばかりの人生であった。好きでもない仕事に着き、優柔不断の決意のなさから流れるままに生きてきた。人様に自慢できるものは何ひとつない。
 
 せめてもの慰めは、前述の「自然法」「自然状態」「民法の原理」を解明、発見したことだけである。このためだけに与えられた人生だったのか、と。運命というものは厳しいものだ。
 
 何を好き好んでこの地にやってきたのか、誰がこの地に連れてきたのか、謎は深まるばかりだ。カントが「純粋理性批判」で証明したようにわれわれの認識能力には限界がある。
 
 
 実をいうと、この謎を解く鍵がある。それは「自然界の食物連鎖である」。この理論は現象を拾い集めて説明したものであるが、あるものが欠けている。それは生命原理との関係である。
 生命原理に基づいてこの現象の説明をしないと、その原因がどこにあるのか解明できないであろう。それではそもそも生命原理とはいかなるものなのか? 説明、解明してみよう。
 
第 11 節 生命原理と自然界の食物連鎖について
 
 ある論文で生命原理について下記のような記載があった。その論文では生命原理という言葉は使っていないのであるが、明らかにそれは生命原理についてのものである。たぶん、その論文のその部分は、誰にも理解されることなく現在に至っていると思われる。ちょうど自然法の解明者の論文が、今日まで私以外の誰からも読解されずに来ているようにである。
 
 
第 12 節 今最大の楽しみ
 
 それは睡眠不足にさせているエンゼルスの大谷である。鳴り物入りでエンゼルスに入団、オープン戦の不振から信じられない活躍でメジャーに旋風を巻き起こしている。
 まだまだ始まったばかりで今の大谷は手探り状態、バッティングもピッティングもだ。大谷の能力は今から徐々に発揮してくるのは間違いない。しかし今となって二刀流のやりかたを見て感心するのは日ハム時代の監督やスタッフの先見の明と、画期的なアイデアだ。
 こんな野球が存在していたなんて想像を絶するものだった。
 
 何かわけのわからん二刀流とかなんとかやってるようだが、と思っていたんだが日本よりアメリカのメジャーが驚嘆するほどの試みだったとは、革命的な野球そのものである。さてさて大谷のショータイムはいつまで続くのでしょうか