セカオワ「Habit」感想&レビュー【歌詞の意味をひも解いていく…分類しようとする本能に逆らえ】 | とかげ日記

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●分類しようとする本能に逆らえ

辞書サイト(Weblio)で、habitという単語が検索ランキング一位なのは、セカオワの新曲「Habit」の影響だろ笑

「Habit」は音楽的でありつつ、社会、文化、個人に対して問題提起する良曲なのでぜひみんなも聴いてみてね。
(セカオワが音楽的に底力があることは、2016年に発表されたSpotify Sessionsの4曲で証明済み。どんなに音楽的偏差値の高い人でも、このバージョンの4曲を聴けば、彼らの才能の豊かさが分かるはず。ところで、僕は今、サブスクをSpotifyからApple Musicに乗り換えているのだけど、唯一残念なのはこのセカオワのSpotify Sessionsを聴けなくなったことなんだよね。)



以下、この曲の歌詞の解釈を書いていきます。セカオワの伝えたかったメッセージの意味を自分なりにくみ取ってみたいと思います。

まず、冒頭の歌詞6行がこの曲で彼らが言いたいことを端的に示している。(以下、太字部分は引用歌詞。)

君たちったら何でもかんでも
分類、区別、ジャンル分けしたがる
ヒトはなぜか分類したがる習性があるとかないとか
この世の中2種類の人間がいるとか言う君たちが標的
持ってるヤツとモテないやつとか
ちゃんとやるヤツとヤッてないヤツとか


「モテ(モテている人)と非モテ(モテない人)」、「真面目(ちゃんとやるヤツ)と不真面目(ヤッてないヤツ)」「陽キャと陰キャ」など人間を2種類に分けたがる人へのメッセージなのだ。

(「ちゃんとやるヤツ」とはコンドームを着用する男性を指すのかもしれないし、「ヤッてないヤツ」は童貞のことを指すのかもしれない。これらの歌詞の解釈は自由度が高く、どう捉えてもよいだろう。ただ、重要なのは全てのことを2種類に分類しがちなHabit【習性】を僕らが持ちがちだということです。)

そうやって分類する習性(Bad Habit)は、動物的な本能によるとFukaseさんは歌っているのだ。その上で「そんなHabit捨てる度 見えてくる君の価値」と歌を紡ぐ。つまり、自分や他人を属性で分類する悪習は、自分や他人の可能性の幅を狭めることでもあるのだ。(例えば、自分は非モテという属性だから永遠にモテないと自分の価値を決めつけることとか。)

そう、僕らの存在は2種類に綺麗に分類できるほどシンプルではない。本能は複雑性を嫌い、シンプルな分類を好む習性があるが、事実はもっと曖昧で繊細で不明瞭な何かなのだ。この曲の次の歌詞のように。

つまり それは そんな シンプルじゃない
もっと 曖昧で 繊細で 不明瞭なナニカ


本曲では、「ギフテッド(先天的な才能の持ち主)と普通の主婦」という2分類も歌われている。そして、「普通」を自認するのなら「普通の箱」でずっと燻(くすぶ)っていろと歌い、Fukaseさんは僕らを鼓舞して扇動するのだ。「壊して見せろよ そのBad Habit」というラインが強烈なメッセージとして響く。

さて、僕が2分類で真っ先に考えるのは、①「男性と女性」、②「正義と悪」だ。

まず、「男性と女性」。体内の男性ホルモンと女性ホルモンの比率は、その人のセクシャリティーにも密接に結びついているのではないかと僕は思う。その振れ幅で個々人のジェンダーのグラデーションが出来上がっているのではないか。だから、男だからとか女だからとか、そんな二極で分類されるような言葉で自分の可能性を狭めてしまうのはもったいないと思う。

セカオワと親交のある神聖かまってちゃん「ズッ友」のMV、素敵で素晴らしいので是非見てください。これほどジェンダーフリーを切実に訴えるMVは他に無いと思うくらい、強くしなやかなメッセージが込められています。LGBTでラベリングすることができないくらい、愛は自由なのです。


神聖かまってちゃん「ズッ友」

また、「Habit」のMVでは、学校を舞台してセカオワの4人のメンバーが先生役となり、生徒役は全員男性が演じている。このシチュエーションは性別による分類の最たるものだろう。かくいう筆者の僕も男子校出身の雑食系男子であり、楽しい思い出もたくさんあるが、やはり男女のいる多様性よりも、男性だけの同質性という側面が大きかったと今は回顧している。

そして、「Habit」のMVに出演している全員が同じ奇妙な振付でダンスする。このMVと対極にある、個人的な平成のベストMVはコチラ↓。恋ダンスやゲス不倫、ピコ太郎をパロったシュールさが魅力的で爆笑必至。MVに出て来る4人が四者四様のダンスを踊っていて「お前のダンスはどこにある?」という歌詞への回答になっている。


笹口騒音&ニューオリンピックス(現:NEW OLYMPIX)「NO MUSIC, NO DANCE」

続いて、「正義と悪」。初期の曲「天使と悪魔」など、セカオワが今までの活動で掲げていたテーマでもある。対象が「悪」と決まったら、悪が滅びるまで荒ぶる「正義」。正義は危険なのだ。宮崎駿の映画があんなにも魅力的なのは、単一的な正義や悪を描かず、もっと複雑なものとして人間を描いているからなのだ。 

当たり前を疑うのは学問だけの専売特許ではない。歌だってそうだ。セカオワの「Habit」は「陽キャと陰キャ」のような安易に人間を二分してしまう当たり前(習性)を疑う。僕は学問の知的誠実さと共に、人の感性に挑戦する「Habit」のような歌も好きだ。


大人の俺が言っちゃいけない事言っちゃうけど
説教するってぶっちゃけ快楽


歌詞にある言葉に掛けていえば、この曲も説教なのかもしれない。メッセージを伝えることは説教と共通する要素を含む。説教と昔話と自慢話は嫌われる3つの話だが、この曲に耳を傾けてほしい。人と世の中を「良い」方向に導こうとする優しい熱さが辛辣なメッセージとなって胸に響く。「おこがましい」と言われるのを恐れて何も変えようとしない歌よりも、何かを変えようとする勇敢な歌の方が僕は好きだ。


すぐ世の中、金だとか、愛だとか、運だとか、縁だとか
なぜ2文字で片付けちゃうの


感情と概念とアイデンティティの粒度と明度を上げていこう。複雑さを複雑なままで受け止める量子コンピューターのように。僕たちは動物から進化できるはずなのだ。


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