”未病”って何~に?? | 頭痛 あれこれ

頭痛 あれこれ

 「慢性頭痛」は私達の日常生活を送る際の問題点に対する”危険信号”です。
 このなかで「片頭痛」は、どのようにして引き起こされるのでしょうか。
 慢性頭痛改善は、「姿勢」と「食生活」の改善がすべてであり、「健康と美容」のための第一歩です。

未病との出会い


 未病という言葉は約2000年前の『黄帝内経』という本の中に登場します。黄帝とは中国の歴史上の開祖として登場する人物で、日本ではヤマトタケルの様な人です。この黄帝が岐伯という名学者と医学から天文学、社会学、運命学さらにこの世の森羅万象について問答したのをまとめたのがこの黄帝内経です。岐伯は機知に富んだ人と思われ多くの逸話があります。例えば、黄帝が「最近の若者はどうしてこうも弱くなったのであろうか。昔の者は100歳までしっかり生きたのに最近は50歳ぐらいで病気になっているではないか」と聞かれますと岐伯は莞爾として「それは美酒、美食におぼれ、運動不足のうえにSEXにも溺れているからなのです。」とまあ、切れ味よく解説を下しております。生活習慣病はこの頃から有ったのですね。なんだかホットするような、情けないような話しですが、しかしこの本はただ者ではないと感じました。さらにこの本をめくって行くと文中に『是故聖人不治巳病、治未病』を見つけたのです。ちょっと訳をしますと、「名医は病気になってからの患者を治すのではなくて未だ病気になっていない人を治す。」と書かれています。


 日本では江戸時代、貝原益軒の「養生訓」に、この「未病」について書かれた箇所があります。

 

 それは、以下のように・・


 聖人は未病を治すとは、病いがまだおこらざる時、かねてつつしめば病いなく、もし飲食・色欲などの内慾をこらえず、風・寒・暑・湿の外邪をふせがざれば、其おかす事はすこしなれども、後に病をなす事は大にして久し。内慾と外邪をつつしまざるによりて、大病となりて、思ひの外にふかきうれひにしづみ、久しく苦しむは、病のならひなり。病をうくれば、病苦のみならず、いたき針にて身をさし、あつき灸にて身をやき、苦き薬にて身をせめ、くひたき物をくはず、もにたきものをのまずして、身をくるしめ、心をいたましむ。


「未病」とは


 「未病」とは、一言でいうならば「半健康で、病気に進行しつつある状態」とされています。しかしながら、この「未病」という言葉は前述のとおりかなりポピュラーになってきてはいるものの、概念的にまだ統一され、確立された日本語となるまでには至っていません。
 専門組織である「日本未病システム学会」の定義によりますと、「自覚症状はないが、検査で異常がある状態」および「自覚症状はあるが、検査では異常がない状態」の二つをあわせて「未病」としています。
 こちらのほうが、より具体的なイメージができる、現代的な説明と思われます。
 (ちなみに同学会では、前者を「西洋型未病」、後者を「東洋型未病」に分類しています。)


 このような分かりにくい表現ではなしに、端的に言えば・・


 私達は、仕事が忙しかったり、ストレスが重なりますと日常的に「体調不良」を感じます。このような「体調不良」は、具体的には、疲れやすい、胃腸の調子がよくない、身体が冷える、身体がだるい、疲れがとれない、よくめまいを起こす、肩こりが酷い、食欲がない、よく眠れない、頭が重い・頭が痛い、足がつる、耳鳴りがする、夢をよくみる、喉のつかえ、むくみやすい、風邪をひきやすい、顔色が悪い、気分が落ち込む・優れない、活力がでない、元気がでない、何となく調子が悪い、寝起きが悪い、等々の訴えです。
 (このように頭痛とは、「体調不良」のなかの訴えの一つに過ぎないものです)。


 「体調不良」とは、病気とは診断されませんが、健康でもない、謂わば、“半健康・半病気”の状態に身体はあるのです。半健康・半病気の状態を、東洋医学では病気になる一歩手前だとして、「未病(みびょう)」と言っています。
 絶対的な健康ではなく、私たちの身体のバランスがどこか歪んでいるのです。
 これは「ホメオスターシスの乱れ(自然治癒力の低下)」を意味しています。

 このような”未病”とされる病態は、本来、生活習慣の問題点から引き起こされ、ここから「病気」へと進展するものと東洋医学では考えられています。
 このように考えれば、”未病”の段階にある、このような「体調不良」の訴えとは「健康的な生活」を送ることを阻害する”生活習慣”に根本的な原因があるということです。


未病、そして生活習慣病


 単なる東洋医学の言葉として捉えられていたこの「未病」、最近になってクローズアップされてきているのは、いったいナゼでしょうか。
 その最大の理由は、現代社会に暮らす私たちの健康をおびやかす高血圧・高血脂症・脂肪肝・糖尿病などの代表的な「生活習慣病」における危険因子が、日本人の全死因の6割を占める「三大成人病(がん・心臓病・脳卒中)」につながる、まさしく「未病」そのものであるからです。
 しかしながら、現代西洋医学の世界でも、今まさに問題とされているこれらの病に至る状態こそは、まさに「未病」そのものであり、洋の東西を超えて今、その治療が求められているのです。
 「未病」を病気に進みつつある状態と捉えるならば、はやい段階で「未病」のサインを認識し、しかるべき手を打てばその進行を抑え、本格的な病気に移行することを防ぐことができます。
 冒頭の中国最古の医学書に「未病を治す」という表現があらわれているのですが、未病は病気ではないのに、「治す」というのはどういうことなのでしょう。
 これは、健康であろうと病気であろうと、つねに自らの生活習慣に気を配り、より本来の姿に近い心身の状況にもっていこうとする、生き方の姿勢をあらわしている表現なのです。
 この人間本来の姿を、東洋医学(漢方)の世界では「中庸」と呼んでいますが、これはすなわち、健康と病気のまん中あたりのことを意味しています。
 つまり、健康すぎても、また病気だらけでも、いけない。
 からだの状態とは、どちらか一方向への偏りがないのが一番よいのだ、ということを意味しているのです。


未病への意識を高めることこそが、大切


 私たちのからだは本来的に、治癒力・自己回復力が備わっています。
 ですから、それを活かす方向、もともとの生命力を十分に活かす方向にもっていくように意識して、それとなく導いてあげるようにするだけでも、その本来の力を発揮しはじめるようにできているのです。
 私たちの日々の生活をちょっと振り返っただけでも、このからだがもともと持つ治癒力・自己回復力を、私たちはなんのかんのと都合のよい理屈をつけ、まったく逆の方向に導いていることが珍しくありません。
 たとえば、肝機能の低下を示す数値がでているのに、仕事のつきあいだからと、毎晩の飲酒を止めようとしない。
 睡眠不足で食欲もなく、過労を自覚していながらも、仕事が終わらないからと家族の心配も振りきって、休日も会社に出かけてゆく。
 このような、自らのもつ本来的な回復力を、知りながらあえて阻害する方向にもっていくようでは、「未病を治す」ことはいつまでたっても、難しいままでしょう。
 健康診断などで数値の異常が認められたなら、体調の悪化に自覚がなくとも、その数値改善に向けて、生活習慣を改めていく。
 健康診断で数値に異常が認められなかったからといって、気を緩めてしまい、カラダに無理をかける生活を続けたり、喫煙や過度の飲酒にも「少しぐらいいいか」などと、自分自身を甘やかしたりしない。
 これからの時代、「未病」に対する意識を高めることこそ、「生活習慣病を予防するための最短距離」である、と言えるかもしれません。


日常生活に潜む“未病”


 病院で検査しても、異常がみつからない。だけども“頭痛、肩こり、めまい、耳鳴り、目がかすむ、喉が詰まる、心臓がドキドキする、ご飯がおいしくない、手や足にしびれ感がある、生理痛が酷い”などの体験をした方もいると思います。
 病気とは診断されないが、健康でもない。いわば、“半健康・半病気” の状態に身体はあるのです。半健康・半病気の状態を、中国漢方では病気になる一歩手前だとして、「未病(みびょう)」と言っています。
 絶対的な健康はなく、私たちの身体のバランスがどこか歪んでいるのです。
 これが”ホメオスターシスの乱れ”を意味しています。
 病院で検査しても異常なかったから、私は大丈夫では済まされないのです。
 西洋医学では、体の状態は「病気」か「健康」かの2つに区別されます。東洋医学では、病気と健康の間に「未病」という状態があります。「病気ではない=健康」ではないという考え方です。肩こり、腰痛、頭痛、不眠、じんましん…病気というほどではないけれど、体調が悪いことはあります。それがまさに「未病」の状態です。


 緊張性頭痛、片頭痛は、頭部のCT・MRIなどの画像検査では何も異常がみあたらず、これはまさに、典型的な”未病”と考えるべき頭痛です。
 統計学的な調査によると、日本人の15%ほどが大なり小なり、定期的な片頭痛に悩まされているということです。その15%全体のうち、85%の人は薬に頼って症状の改善を試みているとも言われています。
 薬で症状の改善を試みている人の多くは、生活の中に片頭痛が居座ることで、薬で対症療法をしながら長く付き合っていくことを半ば覚悟しているのではないでしょうか。
 片頭痛がビタミン、ミネラルなど栄養素の過不足に深くかかわっていることと、それらの栄養素を必要とするミトコンドリアの働きや状態にかかわることがわかってきました。 もう少し詳しく言えば、ミトコンドリアで作られるエネルギーの生産にかかわる栄養素が片頭痛の原因である可能性が少なくないということです。
 その栄養素と補酵素をあげると以下の成分になり、いずれもミトコンドリアでエネルギーを生産する際には不可欠な成分です。


・マグネシウム
 エネルギー源であるATP(アデノシン三リン酸)の合成に不可欠なミネラル
 ・リボフラビン(ビタミンB2)
  エネルギー生産過程で生まれる電子を運搬するために不可欠なビタミン
 ・Co-Q10
  エネルギー生産過程で生まれる電子を運搬するために不可欠な補酵素


医食同源、未病の考え方と薬膳料理


温故知新・医食同源とは


 日本人はその昔、栄養の知識などろくにない頃から、胃がもたれたときは大根おろしを食べるとか、疲れたらレモンをかじるなど、食品の持つ栄養素以外の効果を知っていました。
 西洋にも「トマトが赤くなると医者が青くなる」ということわざがあるように、人類はその長い歴史の中で、身近な食物の持つ薬学的な効果を経験的に知っていたといえるでしょう。
 ただし経験的にはかなり高い確度で正しいとしても、化学的・生理学的に効能物質が突き止められてその仕組みがわかるまでは、科学的ではないという理由で軽視されてきた面もあります。ときには「迷信」扱いされてきた生体機能食品も少なくないでしょう。
 近年の著しい研究成果で、昔からの言い伝えが正しいと証明された健康によい食品が数多く「発見」されました。まさに温故知新です。


薬食同源と薬膳


 日常の食品を薬と考える思想は、漢方の国、中国で古代から発展してきました。
 古代中国、周の時代には王の食事治療専門医がいました。しかもその医師は他の専門医よりも上位にランクされていたようです。「神農本草経」という当時の書物には、穀物や野菜、魚貝などの薬物治療に使われない食品についても効能が記載されています。その根本にあるのは食事と薬は同じであるという考え方です。そこから薬食同源という言葉が生まれました。
 医食同源は1970年代前半に、薬食同源の替わりの言葉として紹介された日本での造語ですが、今世紀に入って急速に一般に浸透してきました。今日の健康ブームを象徴する言葉といえるでしょう。
 その医食同源の思想を実践し、考案された料理が薬膳です。本来の薬膳は、漢方薬としてなじみの食材も使われますが、それだけでなく日常の食材のもつ効能をうまく組み合わせてバランスよく相乗効果を上げるところに妙があります。
 また、最近は和食も取り入れた、中華料理とはまったく趣の違う薬膳料理も多くなってきました。素材の持つ効能をうまく生かせば、普通の家庭料理でも立派に薬膳料理になるということです。


西洋医学と東洋医学の違い


 古くさいイメージだった漢方が今、見直されています。日本では漢方薬でおなじみの東洋医学は、西洋医学とどう違うのでしょうか。
 西洋医学は、物質と精神を別物として扱うキリスト教的世界観と、徹底した合理主義を背景に、解剖学を基礎とした実証主義と分析的手法で高度に発展してきました。西洋医学では病気をからだの部分の問題として扱います。もっぱら身体の悪いところを直す、いわば対症療法が中心です。どうしても直らなければ悪い部分を摘出してしまう、という考え方のできる医学です。
 一方、東洋医学は人間の体を宇宙や自然になぞらえて考えます。東洋医学の基本概念に陰陽五行説というものがありますが、これは自然界の光と影を「陰と陽」で、また植物、熱、鉱物、土壌、液体を「木、火、金、土、水」の五行で表現したものです。こうした思想に基づいて発展してきた東洋医学は、現代の医学から見れば一部に不合理な面も見られますが、人間を哲学的、総合的に把握し、臨床的、内科的に対処するという基本姿勢は、西洋医学の苦手な分野を補う大きな可能性を持っています。


未病と異病同治


 これまで述べてきましたように、漢方と西洋医学の違いを端的に表す言葉に、未病という概念があります。未病とは読んで字の如し、いまだ病気になっていないという意味ですが、漢方では未病の状態から病気を治すという考え方をします。
 たとえば、便秘や不眠、肩こり、肥満、むくみなどがあっても、痛みなどのはっきりした症状がないため、病院では病気と診断されない場合が多々あります。西洋医学では「健康」の中に入ってしまうこれらの状態を、東洋医学では未病、つまり半病人として考えるのです。明確な病名がない未病の状態でも、漢方では顔色や脈拍,舌などの状態を併せて診ることによって、どこに原因があるかを突き止め、漢方薬や針などで「治療」を施します。
 また東洋医学では、ときには異なる病気でも同じ漢方薬を使うこともあります。これを異病同治と呼んでいます。


予防医学と東西の融合


 未病を治すという考え方は予防医学そのものです。そのことは漢方薬の原料の中に、普通の食材と同じ原料が使われているものが結構ある、ということからも伺えます。
 たとえば山薬はヤマノイモ、大棗は果物のナツメ、紅花はベニバナが原料です。これらは食物が文字通り薬になっている例ですが、このことからも漢方と薬食同源の考え方が同根だということが理解できるでしょう。
 細菌やウイルスに感染することによって起こる病気は、前世紀から西洋医学が目覚しい成果を上げてきました。しかし一方、食生活やストレスなどから生ずる生活習慣病は因果関係も明確ではなく、これまでの悪い部分を直す考えから、予防医学的アプローチが注目されてきました。
 実際、西洋医学の先進国アメリカでは、1990年から米国国立がん研究所を中心にがん予防の疫学的な研究を重ね、デザイナーズフーズ・プログラムというものを発表しました。 そこに挙げられている約40種類の「がん予防効果が期待される野菜や果物」の中には、漢方で古くから利用されてきた食材や薬の原料も多く含まれています。
 たとえば、最も重要度が高い食品にはニンニク、ショウガ、甘草、キャベツ、大豆、セロリ科植物(ニンジン、セロリなど)が挙げられています。食品の中には病気予防効果のある成分が含まれている、という民間療法的な考えを西洋医学が認め、予防医学として確立させようとしているのです。
 日本の病院や大学でも、漢方薬を取り入れて治療をする医師が増えており、今後、東西の医学の融合は進んでいくと思われます。


未病の状態に薬膳の力!熱をとる食材、冷えをとる食材を知って、体の不調を取り除こう!


 夏の暑さは体力を奪います。病気とまではいかない体の不調は、東洋医学では未病という状態です。病気ではありませんから、病院に行って何かをしてもらえるわけではありません。しかし放っておけば本当に病気になってしまうかもしれません。そんな未病の状態に効くのが、薬膳です。


夏は人を不健康にする!


 夏の暑さは、人の体に熱を蓄積させます。説によって体のエネルギー消耗が激しくなり、その消耗したエネルギーを補えなくなると夏バテの状態になってしまいます。
 薬膳の考えでは体に熱が溜まったら、その熱をとるものを摂る必要があるとされます。
 また、最近は冷房病などのように、夏にかえって体の中に冷気をため込んでしまうということもありますので、その場合には体の中に熱を蓄えさせる食材を摂った方がよいということになります。


熱が溜まった体に摂りたい食材・生薬


・体内の熱を発散させる→菊花・ミント・桑の葉・葛・ゴボウ
・熱を冷ます→大麦・小麦・そば・はとむぎ・ゴーヤ・キュウリ・冬瓜・レンコン・セリ・セロリ・トマト・ナス・カブ・ゴボウ・梨・ブドウ・緑豆・緑茶・ハスの葉・金銀花
・心熱を冷ます→ハスの実・スイカ・ゴーヤ・ユリ根


※金銀花(キンギンカ):スイカズラとも言い、熱を抑える効果のある生薬です。


冷えが溜まった体に摂りたい食材・生薬


・体を温め、冷えをとる→からし菜・ネギ・ピーマン・ラッキョウ・カラシ・コショウ・山椒・生姜・トウガラシ・ニンニク・黒砂糖・羊肉・酒・紅茶・茴香・肉桂
※茴香(ウイキョウ):フェンネルとも言い、停滞しているものを動かし発散させるという生薬です。
※肉桂(ニッキ):シナモンとも言い、漢方薬でよく使用される桂皮の皮を指します。体表部を温める作用が強い生薬です。


 生薬と言われると難しそうに聞こえますが、普段食べているものも多く含まれます。調子が悪い、不健康だと言った状態を放っておけば、当然体はどんどん悪い方へ傾いていきますから、こうした食べる薬、薬膳の力を借りて体を元気にしてみてはどうでしょうか。

 

 


慢性頭痛は”未病”


 皆さんは、西洋医学と東洋医学の考え方の基本的な相違をご存じでしょうか。
 西洋医学とは、現在の日本の医療機関で主として行われているものです。
 これに対して、東洋医学とは、漢方に代表とされますが、主にカイロプラクター・整体師・鍼灸師の方々の基本的な考え方を指しています。


      西洋医学  健康        →       病気
     東洋医学  健康 → 
未病 → 病気


 先述のように、西洋医学では、「健康」か「病気」かの、どちらかしかありません。
 ところが、東洋医学では、健康と病気の中間には”未病”という概念があり、この3つが連続しているものと考えています。すなわち、健康→未病→病気といったように連続していると考えることにあります。
 このような”未病”とされる病態は、本来、生活習慣の問題点から引き起こされ、ここから病気へと進展するものと東洋医学では考えられています。
 ということは、”未病”は、生活習慣の問題点を改善・是正(”養生”)することで、治るものとされ、治すべきものとされています。


 これを先程の「病気か健康か」に当てはめますと、脳神経外科領域では、一次性頭痛は「健康」であり、二次性頭痛が「病気」であることになっていました。
 このように、西洋医学の立場をとる「頭痛診療」の場面では、脳のなかに異常のない一次性頭痛(慢性頭痛)は、本来なら、健康の領域にあります。


 しかしながら「健康」の領域にあるととされている一次性頭痛の中には、さまざまな”程度”の頭痛が含まれることになっています。
  日常的に感じる極く軽度の頭痛や緊張型頭痛のように、日常生活にほとんど支障のない頭痛があります。
  さらに、片頭痛や群発頭痛のように、日常生活に支障を来す程の激しい頭痛があります。これらにしても、片頭痛では長くても3日間、群発頭痛では、3時間ばかり、我慢に我慢をしておれば、また軽快し、また元通りに回復してきます。
 ところが、薬物乱用頭痛になったり、慢性片頭痛になってしまえば、それこそ毎日毎日辛い頭痛に苦しめられる状態に至ります。ここに至れば、果たして「健康」とは”程遠い状態”を意味しています。


 このように考えますと、西洋医学で「慢性頭痛」とされる頭痛は、東洋医学でいう「未病」の範疇・領域にあるものと考えなくてはなりません。
 慢性頭痛とは、頭痛という自覚症状はあるが、CTやMRIなどの画像検査では異常のないものをさしています。脳のなかには異常はありません。


 このように、現在の「国際頭痛分類 第3版β版」で一次性頭痛として分類される緊張型頭痛、片頭痛、三叉神経・自律神経性頭痛(ここに群発頭痛が含まれます)、その他の一次性頭痛はすべて、東洋医学でいう「未病」の領域にあることを忘れてはなりません。
 このように、慢性頭痛を”未病”と考えれば、日常的に感じる極く軽度の頭痛、緊張型頭痛、片頭痛、群発頭痛、薬物乱用頭痛、慢性片頭痛はすべて、連続した一連のものであり、諸々の生活習慣の問題点から引き起こされ、これによって上記のような各種のタイプの慢性頭痛に進展していくものと考えられます。


  このように考えるなら、同様に片頭痛は”未病”の領域にあり、緊張型頭痛を起点として、さまざまな生活習慣の問題点が重なることによって、「いろいろな段階の片頭痛」へと進行し、最終的に「慢性片頭痛」という難治な段階に至ると考えるのが最も理解されやすいことになります。このように進行性疾患です。


 換言すれば、脳のなかに異常のない慢性頭痛(一次性頭痛)は、東洋医学でいう”未病”の段階にあり、すなわち健康と病気の中間に位置しており、この”未病”は本来、生活習慣の問題点から引き起こされ、ここから病気へと進展するものです。
 このような意味合いから、”未病”の段階にある、慢性頭痛とは「健康的な生活」を送ることを阻害する”生活習慣”に根本的な原因があります。


現在の「国際頭痛分類 第3版β版」の生い立ちは・・


 現在、専門家が頭痛診療および頭痛研究の絶対的な基準とされる生い立ちは、1980年代に、トリプタン製剤が開発された当時まで遡る必要があります。
 一般的に、こうした薬剤を実用化するためには”治験”で実際の患者さんで、確かに有効であることを証明することが常に科せられています。
  このため当時のトリプタン製薬メーカーとその御用学者は、トリプタン製剤の臨床治験を行うために、治験対象とされる”患者群”を決めておく必要がありました。効きもしない患者さんに投与して試験を行っても意味がないからです。
  このため、トリプタン製剤を意識的に評価する目的で”トリプタンが確実に効く片頭痛の患者さんを”症状”の上で決め、治験のための”一定の基準”を作成しました。
 この臨床治験のために当時作成された”一定の基準”を基にして、後に国際頭痛学会が作成したものが「国際頭痛分類 第2版」です。


 日本にトリプタン製剤が導入されたのが、10年後の2000年です。
 専門家が日本にトリプタン製剤を導入するにあたって、世界で最も権威あるバイブルとしたのが「国際頭痛学会」の作成した「国際頭痛分類 第2版」です。
 本来、「病気」でもない片頭痛を診断させる目的で、「国際頭痛分類 第2版」では片頭痛を”症状”の上で厳格に定義することにより、医師に対して、片頭痛を見逃さないように正確に診断させて、トリプタン製剤を処方させる目的で作成されたものです。
 そして、日本では、その後継の「国際頭痛分類 第3版β版」を現在では、頭痛診療および頭痛研究の”絶対的な基準”とまで定められるまでに至っています。


 ここで忘れてはならない点は、片頭痛とはあくまでも”症状”だけで定義された”頭痛”であったはずのものです。ということは「病気」でも何でもなかったものです。
 誤解してはならないことは、病理組織学的に病因を示さない(病気ではない)、あくまでも”症状”だけで定義された”頭痛”です。本来であれば、東洋医学でいう”未病”の領域にあるものです。西洋医学では、病気でもない、かといって、健康でもない「片頭痛」だけを”特別に”、「国際頭痛分類 第3版β版」という基準を設けて、症状の上で病気として”定義”しているにすぎないものです。あくまでも、架空の、実在しないものです。


 ところが、皆さんは、片頭痛というのが「病気」だと思っておられる方々が大半だろうと思いますが、このように”症状・症候群”に過ぎなかったものです。それが、現在では、いつの間にか「病気」と手品のようにすり替わってしまっただけのことです。
 西洋医学では、「病気」とは、その病因を裏付ける病理解剖(組織)学的所見のあるものを指しています。この点を忘れてはならない点です。


 このことを、専門家が忘れてしまい、好き勝手なことを言うため混乱を生じています。


 もう一度繰り返します。慢性頭痛、とくに片頭痛では、CTやMRIの画像検査では異常がありません。このように、西洋医学でいう「病気」でもない片頭痛を、無理矢理「病気」と考えるような極めて乱暴なことをしているということになります。
 本来であれば、「国際頭痛分類 第3版β版」で定義された片頭痛を肇とする慢性頭痛は、東洋医学でいう”未病”の領域に位置しているものです。それを、西洋医学では、頭痛領域だけ、「国際頭痛分類 第3版β版」を作ることで、”未病”の代替わりをさせています。

 
 従来より、トリプタン製剤が片頭痛に効果があるのは、頭痛が起きる仕組みの根幹部分に作用しているとして、トリプタン製剤が片頭痛の”特効薬”とされて、これさえ服用しておれば、片頭痛は治ってしまうし、うつ状態・パニック障害・冷え性までも改善され、将来的に性格異常や脳梗塞までが予防できるとされてきました。
  このように、トリプタン製剤は片頭痛の”特効薬”とまで祭りあげられていました。


 トリプタン製薬メーカーは専門家と一心同体になって、トリプタン製剤の販売促進目的で、単なる”症状”にすぎない片頭痛を「病気」に仕立て上げて、「片頭痛は病気です。病気ですから、医療機関を受診して、片頭痛を治療して、治しましょう」と言って片頭痛患者さんに医療機関への受診を勧め、生活の質QOLを高めて、健康寿命を長くさせましようと、しきりにマスコミを通じて、片頭痛患者さんを病院に誘導し、さらに患者団体まで巻き込んで「なお、トリプタン製剤の恩恵に浴していない片頭痛患者さんが多くいる」といって啓蒙活動を進めてきました。


  片頭痛治療とは、片頭痛発作時にトリプタン製剤を服用させることだけでしかありません。

 本来であれば、生活指導を行い、”根治策”を徹底させなくてはいけません。


 本来なら、片頭痛は”病気”ではなく、”症状・症候群”に過ぎないものが、このようにして知らぬ間に、「病気」として扱われるように至りました。
 病理解剖学的所見のない片頭痛は東洋医学での”未病”の段階にあるものです。
 西洋医学では、「健康」と「病気」の中間の”未病”がありません。
 ですから、「病気」のほとんど全てが”原因不明”とされています。
 このため、このように啓蒙活動を行いながらも、片頭痛は原因不明の不思議で・神秘的な”遺伝的疾患”とされ、片頭痛の”引き金”となるものを取り除きながら、一生にわたってトリプタン製剤のお世話になりながら、お付き合いしましようとされてきました。


 ということは、片頭痛を肇とする慢性頭痛は、西洋医学では、「国際頭痛分類 第3版β版」という基準で定義された、”症状・症候群”に過ぎず、謂わば「架空の存在・砂上の楼閣」にすぎないということです。

 これを専門家が、商業目的で、トリプタン製剤の売り込み目的で、片頭痛を”病気”であると宣伝しまくってきたということです。このことを忘れてはなりません。


医原病の量産時代に突入


 先程述べましたように、片頭痛という概念は、トリプタン製剤が開発された段階で、”症状”の上で厳格に定義された”存在”であることを忘れてはなりません。
 このようにして、頭痛領域においても、西洋医学はこの片頭痛という「症状」を「病気」と勘違いする重大ミスを犯してしまいました。


 本来、片頭痛は東洋医学では、”未病”の領域にあるもので「病気」ではありません。
 すなわち、医師は「国際頭痛分類 第3版β版」に基づいて診断した「片頭痛」という”症状”に対して、トリプタン製剤を一律に処方します。


 治癒反応である「片頭痛」をこうした薬剤で「ホメオスターシス(自然治癒力)」を一方的に抑え込むことによって、治癒反応が停止・固定され、その結果、「片頭痛」という症状は慢性化し、悪化してきます。これが、片頭痛が慢性化する最大の原因になっています。
  つまり、「片頭痛という頭痛」は「慢性頭痛」の治癒反応に過ぎません。
 つまり、様々な「片頭痛という症状」は「慢性頭痛」が治ろうとしている「現れ」なのです。「慢性頭痛」が治ろうとする「ホメオスターシス(自然治癒力)」である「命の振り子」を逆向きに押し返すことになります。こういったことから”逆”症療法とも呼ばれます。

 このようにして、対症療法は、自然治癒力を奪うことにも繋がります。


 以上のように、西洋医学では、現代医学はもとより、とくに現代頭痛学では、「未病」とか「自然治癒力」といった概念がまったく存在しないため、脳のなかに異常のない慢性頭痛が位置している”未病”の領域が「ブラックボックス」となっています。
 まさに、暗黒の世界(まさに、宙ぶらりの、皆目見当もつかない領域)になっています。
 こうしたことから、現代医学では慢性疾患のほとんどは原因不明とされています。


 従来から、現実に片頭痛は、片頭痛という「病気(疾患単位)」なのか疑問に思われる存在で(換言すれば”幻”のようなもので)、このため、原因不明の不思議で・神秘的な遺伝的疾患とされてきました。
 ということは、片頭痛は、従来の「疾患単位・病気」でもなく(病理解剖学的所見もなく)、「自然治癒力」といった概念そのものもなく、あくまでも「国際頭痛分類 第3版β版」で厳格に”症状”だけで定義された、謂わば「砂上の楼閣」のような存在でしかありません。こうしたことから、「国際頭痛分類 第3版β版」で、個々の慢性頭痛を”症状”の上で、厳密に”定義”して区別・分類しているに過ぎないということです。
 このように、片頭痛は”疾患単位”ではなく、あくまでも”症状”に過ぎないものです。


 このような”未病”の段階(自然治癒力の低下した状態)に、トリプタン製剤といった強力な鎮痛薬を発作時に毎回、服用し続けることは、”さらに”自然治癒力を低下させるだけのことであり、ひたすら慢性片頭痛への道を歩ませているということです。
 このようにして医原病とも言うべき”慢性片頭痛”を量産させてきました。
 にもかかわらず、専門家はトリプタン製剤が片頭痛の”特効薬”であると言い続け、自ら犯した過ちに気付くことはありません。そして、慢性片頭痛の原因は、市販の鎮痛薬を服用することにあり、すなわち、片頭痛に対してトリプタン製剤を処方しない一般開業医にその責任を転嫁し、おまけに毎年、Headache Master School Japan(HMSJ)を開催し、専門医の増産しか思いつかないことになっています。


 まさに憂うべき時代としか言えないようです。
 

 参考記事


  片頭痛は”未病”の段階にある
   
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12582578939.html


  未病に、保健機能食品をという考え方の是非
   
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12279750230.html


  未病を治すとは・・
   
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12278316667.html


  ”未病”という観点の是非
    
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12278121481.html


  「未病」という概念
    
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12171151161.html

 

  慢性頭痛の周辺 その43 ”未病という概念”
   
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12000884838.html


  片頭痛は「病気」です???
   
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12576965663.html


  代替医療を否定する医師
   
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12284171324.html

 

 ここでコマーシャルです。


  頭痛が気になったら・・
   
https://ameblo.jp/yoyamono/entry-12638708200.html