”未病”という観点の是非 | 頭痛 あれこれ

頭痛 あれこれ

 「慢性頭痛」は私達の日常生活を送る際の問題点に対する”危険信号”です。
 このなかで「片頭痛」は、どのようにして引き起こされるのでしょうか。
 慢性頭痛改善は、「姿勢」と「食生活」の改善がすべてであり、「健康と美容」のための第一歩です。

 これまで、アルツハイマー型認知症の予防を考える際に、最近では、認知症の前段階として「軽度認知障害(MCI)」という状態があることが知られるようになり、軽度認知障害(MCI)は、認知症との診断はつかないものの正常ともいえない、正常と認知症の中間といえる状態です。
  「軽度認知障害(MCI)」はその症状と対応によって回復したり、発症が遅延したりすることがあります。
 「軽度認知障害(MCI)」を放置すると、認知機能の低下が続き、5年間で約50%の人は認知症へとステージが進行すると言われています。
 しかし、移行しなかった人も半数存在し、その中の10%の人においては、なんとMCIから正常域に戻っていたのです。
 つまり、MCIと診断された人が、何らかのきっかけでMCIの状態から抜け出したのです。

 

こういった事実を基にして、私は以下のように考えました。


 このような軽度認知障害(MCI)の状態は、東洋医学では、本来、”未病”ともいうべき範疇・段階にあるものです。
 このような”未病”とされる軽度認知障害(MCI)は、本来、生活習慣の問題点から引き起こされ、ここから病気の認知症へと進展するものと東洋医学では考えられています。
 このように考えれば、”未病”の段階にある、このような軽度認知障害(MCI)とは「健康的な生活」を送ることを阻害する”生活習慣”に根本的な原因があるということです。
 このため軽度認知障害(MCI)を改善させるためには「健康的な生活」を送ることを阻害する”生活習慣”を改善することが重要になってきます。

 

 このように、未病という概念から、アルツハイマー型認知症を考えました。これまでも慢性頭痛を考える際にも、同様に未病の観点から考えました。

 


 このような考え方で、2014年から神奈川県では、「未病産業」を推進させる施策を行っています。
 しかし、こうした神奈川県の施策に異を唱えておられるのが、神奈川県保険医協会の先生です。頭痛領域では、正面きって異論を呈される方は、現段階ではおられませんが・・


 ここで、どのような理由から異論を呈されているのかを明確にすることも大切と考え、ここにその考え方を提示することに致します。


未病産業?医療を遠ざける、企業による医療類似行為の産業化に医師の立場から警鐘する

                                                                               
                                                              神奈川県保険医協会
                                                                 地域医療対策部長


 神奈川県は一昨年来、「未病産業の創出に係るモデル事業」を進めている。医療への「誘導」の意味合いで評価する向きもあるが、いささか首をかしげざるを得ない面がある。果たして早期発見、早期治療に資するものなのか。医療現場にある者とし、医学的医療的見地からその弊害を指摘し、一石を投じたい。

 

◆ 未病とは東洋医学の独自の概念 知事の言う“健康と病気の中間”ではない


 そもそも、「未病」なる概念は東洋医学のものであるが、漢方治療における個々の体質に基づく虚証・実証の把握のもとでの「治療」「健康管理」「予防」とは別次元の話である。


 「未病」とは、中国の『黄帝内経素問』に語源があり、病気の萌芽から病気の全ての過程を包摂する概念である。そこで説かれている「治未病」とは、病気の臓器のみ治すのではなく、病気の進行状況を見て別部位の充実を図り転移を防ぐなど、万病の変転の全てを知り尽くした上での「治未病」である。


 県知事が説く“健康と病気の中間”という矮小化された概念でもなければ、薬用酒のCMで流布された“病気の手前”ということでもない。侵害を防ぐ予防とは反対の概念とされている。つまり、西洋医学と異なる東洋医学の独自の概念、思想である。


 厚生白書(平成9年版)でも、「未病」について、健康と疾病の状態を二律背反的にとらえる西洋医学の二元的健康観とは異なる東洋医学の一元的健康観が背景にあり、「健康の程度には高い状態から低い状態まであって、それが低下すると疾病の状態に至るという連続的な見方をするもの」としている。


 また中国の古典『難経』を引き「上工(名医)は未病を治し、中工は已病(いびょう)を治す」(上手な医者は現病の治療だけでなく、それに次いで生じる病気をも予防することが出来るが、並の医者は今ある病気を治すだけである)を挙げ、「疾病の拡散・転移および悪循環の防止が期待できるとされる」と解説している。

 

◆ 国家戦略特区と連動する事業、旗振りのヘルスケア・ニューフロンティア推進局が主導


 神奈川県は、この「未病」を「心身の状態は健康と病気の間を連続的に変化するものと捉え、このすべての変化の過程を表す概念」と定義。「未病を治す」との旗を「最先端医療・最新技術の追求」と併せて掲げ、健康な長寿社会を作るとしている。この両者の融合を「ヘルスケア・ニューフロンティア」と称している。


 一見、原典を踏まえているかのようだが、展開されている事業の内実は「医療」ではなく「産業振興」である。しかも二律背反的な健康観による「治す」の域を超えていない。


 神奈川県は、この未病対策を未病産業と位置づけ、「未病産業研究会」を食品会社、住宅機器、IT関連企業らの参加で設立(2014.8.22)、未病産業のモデル事業へ補助金を出し推進。また独自解釈の「未病」概念の周知へ「ME-BYO®」(ミビョウ)の商標登録、シンポジウムやキャラクター作り、デパート前CM広告と、これまで多額の県費を費やしている。 主導する県の部局は医療担当の保健福祉局ではなくヘルスケア・ニューフロンティア推進局である。さすがに県議会で自民党より「未病」と名がつけば何でも認められるのかという痛烈な批判がだされている。


 採択されたモデル事業は、


▼ウェアラブル端末による脈波測定によるメンタル測定チェック、
▼医療機関「外」施設での鼻汁の自主採取によるインフルエンザ検査機器、
▼SNSを活用した体重・食事の記録・写真の収集による糖尿病予備群への食事指導サービス、
▼アミノインデックス検査と遺伝子検査(MYCODE)<検査キット>サービスなど、本来、医療機関で行ってきた疾病予防、保健指導の企業による産業化、自己測定ビジネスモデルの構築が、大手企業の提案として顔を揃えている。東洋医学の唱える「治未病」とは似て非なるものである。


 これらは、診断補助の域を出ず医師による「確定診断」ではない、誤った自己診断による治療の遅れや感染拡大などを誘発・助長するおそれがある。結果的に、医療機関から「医療」を奪い、患者を医療から遠ざけるものとなる。
 

◆ 成長戦略の一環、「グレーゾーン解消」の実験場の側面も 医療を営利産業の好餌とする政策に反対


 しかもこの未病対策と最先端医療等の融合(「ヘルスケア・ニューフロンティア」)は、国際戦略総合特区、国家戦略特区の中で位置づけられ、税制・金融の支援と、規制緩和措置がとられ進められている。


 一方、いま経産省は「グレーゾーン解消制度」「企業実証特例制度」として、「自己採血による簡易血液測定」など企業が製品開発・事業展開する際に、現行の法規制の適用の確認や、規制緩和の特例措置を企業単位で認める制度を敷いている(産業競争力強化法第9条、8条)。


 簡易血液測定とは、薬局などで、自己採血と試薬により自己診断する検査キット製品での測定であり、このグレーソーン解消制度で合法となっている。また、薬局店頭での唾液による口腔内環境検査も合法と確認され製品化が認められている。


 これまで規制改革議論の中でOTC検査薬の拡大として、侵襲性のない「尿・糞便・鼻汁・唾液・涙液」の検査があげられてきたが、既にこれに呼応する形で、診療に供しないことを前提に、自己採取した検体で血糖値や中性脂肪を簡易検査する事業者のサービスが「検体測定室」として制度化(2014.4.9)されている。これは県や厚労省等への登録は不要である。この枠組みを使い、先述の薬局店頭での簡易検査が可能となっている。製品開発もセットである。検査結果に関し法制上は事業者の助言が禁止されているが、実際的には薬剤師等の関与は想像に難くない。
 

 つまり、これらを総合すると、未病産業創出のモデル事業として公募、助成金支出で育成、社会的に認知が図られたものが、グレーゾーン解消制度でステップアップをし、産業化していくというルートに載るのである。実際、未病産業のモデル事業でグレーゾーン解消制度に、適法の有無を照会申請している事業がある。


 これら、国家戦略特区も、グレーゾーン解消制度も、日本再興戦略(成長戦略)の一環である。繰り返すが決して医療ではない。


 われわれは、不可解な言説で県民を眩惑し、医療を簒奪する、未病産業創出に異を唱え、強く反対する。

                                                                2016年3月24日


 これに関連して説明すれば、医者は「薬を使わない治療法」を信じません。


 もし医者が患者の病気に対して無力であることを認め、「現代医学以外の治療や患者自身の自然治癒力を生かせば効果があるかもしれない」と言ってしまえば、患者に対する統制力を失うことになってしまいます。ですから、医者としてはそんなことは言えません。


 科学の出発点は疑うことですが、現代医学の出発点は信じることです。科学にはこうすればこうなるという一定の法則がありますが、現代医学の場合、いくら理論的に正しく見えても、治療を受けるとどうなるかはやってみないとわかりません。実際、医者を信頼して治療を受けたところ、一気に体調を崩し、あっという間に早世した著名人の話をよく聞きます。その場合、医者はたいてい「やれることはすべてやったが、病気が進行していて手の施しようがなかった」と言いますが、医者の処置が患者の死期を早めた可能性もあります。その理由は、著者によると、医者が濃厚で過剰な治療を選択する傾向があるために自然治癒力を妨げてしまい、結果的に患者に害を及ぼす恐れがあるからです。
 私たちは学校や家庭で「病気は医者が治すもの」と教え込まれています(教師と親も子供の頃にそう教え込まれています)から、自然治癒力についてめったに考えませんが、私たちの体はありがたいもので、病気や怪我は痛みや熱などの不快な症状を伴ったのちに自然に治るようにできています。つまり、しばらく体を安静にして辛抱すれば済むのですが、私たちは何もしないことに耐えられず、痛みや熱を目の仇にして「放っておくと大変なことになる」と思い込み、自然に治るのを待たずに病院に行くようテレビや新聞を通じて洗脳されています。マスメディアは医師会と製薬会社がスポンサーになっているからです。
 医者は病気や怪我が自然に治らないと信じて治療しますし、患者も病気や怪我は自然に治らないから病院で治療を受けなければならないと信じています。 これがすべての矛盾の根源だと思われます。ちなみに、医学部で自然治癒力を教えないのは、病気や怪我は放っておくと自然に治るという事実を教えてしまうと医学部の存在意義がなくなるから、というのが真相のようです。
 あるいは、臓器や組織、細胞は人体から採取された時点で自然治癒力の対象外になるため、顕微鏡をのぞいて病理検査をする意味がなくなるというのもあるかもしれません。
 病院に行って病気が治った場合、治療が奏功して治ったのか、自然治癒力で治ったのかを見極めるのは至難のわざです。放っておいても自然に治った可能性もありますが、私たちは治療のおかげで治ったと考え、医療に対する信仰を深めてますます病院に行きたがります。


 自然治癒力とは、生物がすべて持っている本能的な力で、病気に打ち克つ力や病気や傷を治す力のことをさしています。
 例えば、「ケガをしたら、かさぶたができ、血を止め、傷が少しずつ消えていく」、「日焼けして黒くなった肌が元の白い肌に戻っていく」、「髪の毛や爪を切ってもまた伸びてくる」また「腐ったものや毒物を食べると、吐いたり、下痢になる」これも自然治癒力です。
「風邪を引いて熱が出たときに、汗をかいて熱を発散させる」これも同じことです。発熱や下痢・嘔吐・頭痛は「病気を治そうとする」反応なのです。
 この反応が好ましい生体反応といえます。
 私たちが健康でいられるのは、この自然治癒力のおかげです。
 自然治癒力がスムーズに働く為には、体内の恒常性の維持(ホメオスタシス)の働きが大切になります。

 

 


 このようなことから西洋医学の立場をとる医師は、「未病」という観点はとらないのが実情のようです。
 皆さんは、こういった考え方はどのように思われるでしょうか。